楽園
――フレデリック元首相の案内によってたどりついた先、私たちの眼前に聳え立つのは、見上げていると首が痛くなりそうなほど巨大な機械式の扉でした。
「ここから先が、アクロシティ居住区、通称『楽園』だ」
「……胡散臭い名前だなオイ」
「はは、確かに、確かに」
思わずつぶやいたレイジさんの言葉に、しかしフレデリックさんは気にした風もなく、懐から取り出したカードキーを、扉横のカードリーダーにスライドさせる。
――通常のルートは、全て大量増産された戦闘用オートマトンが大量に配備されている。それよりも、居住区からシティ外周のメンテナンス区画に入って登った方が早く着く。
そう語るフレデリックさんの案内で、私たち一行は、一路、アクロシティ中心にある居住区へとやって来ていたのでした。
そうして、フレデリックさんの用意したカードキーで入場した『楽園』の中。
建物の中に住宅街があるという不思議な光景の街を抜けた先の、アクロシティ中心に広がっていたのは……
「……公園、ですか」
最下層ですら直径数キロはあるであろう、すり鉢状の吹き抜け。その外周には各層のラウンジが見える広大な公園となっていました。
「この空、本物の空じゃないよな?」
「……投影されているのは、映像の空、か?」
初めは本物かと思うほど美麗な青空は、しかしやはり違和感を感じました。
そんな確信と共に、レイジさんとソール兄様から投げかけられた質問に、フレデリックさんはその通りと頷く。
「はいそうです、居住区はアクロシティ中層までで、この上に蓋をするように存在するアクロシティ上層は司令部や軍事施設、工業施設、それに研究施設などになっていますからね。極秘のエリアも非常に多く、居住区に住む者たちでさえ、何があるのかを知っている者はごく少数でしょう」
そう語りながら、中層の外周をぐるっと迂回して進む私たち。
急がなくていいのかと彼に尋ねてみたのですが、むしろ急ぐ方が目立つと言われ、彼に倣って歩きます。
「……随分と、街は落ち着いていますね」
外は蜂の巣をつついたような騒ぎだと言うのに、時折見かけるこの辺りの住人である翼ある人々……天族たちは、至って平穏そのもの。
それはここに暮す彼らの民度がずば抜けて高いせい……などではなく、まるで外の騒ぎ自体を知らないかのようでした。
なんせ、私を超える身の丈のスノーがいても、道ゆく人はただ「まぁ、大きなワンちゃんねぇ」と感嘆のセリフを漏らしたおばちゃんが居ただけで、他は何事もない様子で立ち去っていくのですから。
そんな街中を、天族以外にも当たり前のように走り回っているのは……外で散々相手をした自動機械、オートマトン。
しかしここに居るオートマトンに武装はなく、代わりにそのマシンアームに携えているのは様々な工具だったり、何か運送中の荷物であったり。どうやらあちこちで人に為り代わって日々の仕事に勤しんでいるらしいオートマトンの様子に、皆が警戒を解きます。
「まあ、彼らは今起きていることについて何も知らないでしょうね。前のリュケイオンさんの襲撃も、街の中には伝わっていませんから」
「そうなんですか?」
「ええ、そうです。ですがこれは言論統制されたのではなくて、彼らの何代も前の先祖たちの選択として、外界から耳を塞いだのです」
――静かに、穏やかに暮らしたい。
リィリスさんの犠牲により一時的な平穏が戻った際、長い間『奈落』との戦いが続いた彼らが望んだのは、もはやそれだけになっていたのだそうです。
「そうしてもう何代も、生まれた時からこのような環境で育った彼らです。やがては外の世界へ興味を失いました。なぜならば生産も消費も何もかも、このアクロシティでは全て完結できているのですから」
高度にオートメーションされたこの街では働く必要さえも無く、だからといって食うに困る事もない、欲望の必要ない世界。
「完全環境型都市、アーコロジーですか……本当に実現した先にあるのが、この街の姿なのですね」
人類の夢の形が実現した先にあるのが、この穏やかに停滞した街。確かに、私たちから見ると、それは異様な光景かもしれません。否定するだけならば簡単でしょう。
「ですが、為政者として人々の幸福と安寧を願った場合、これは理想の形ということにはならないでしょうか?」
「まあ、それを否定してしまったら世の中は闇でしょうね。為政者としてそのような理想を、やがていつかはと見据えておくのは大事だと思いますよ……ですが、現実的ではありませんでした」
そう、私の問いに苦笑しながらも答えてくれるフレデリックさん。
「彼らが安寧を享受する一方で、外に出て実際に危険な仕事や権謀に従事する人材もどうしても必要だったわけです。だけどこの『楽園』の住人に、当然ながらそんな業務に従事できるような適性はありません」
たしかに、全ての抵抗を放棄した人々など、いつかは何かに蹂躙されるだけでしょう。
「……そこで、幼い頃からアクロシティのために働く事を義務付けられ、各種訓練を受けてきた者たちもいました」
「あ……ごめんなさい」
そう、少し陰りを見せた表情で語るフレデリックさん。それは、まるで過ぎ去った過去に想いを馳せるように。その顔を見て、私は先ほどの失言を悟ります。
「はは、大丈夫ですよ。それで……『彼ら』は、そんな自分たちの生き方に疑問など持ってはいませんでした。この街の人々のために身を粉にして働いても、『楽園』に入ることさえ許されませんでしたが、ほとんどは差別されているという疑問すら抱いていなかったでしょう。今は私に賛同しこうして協力してくれている彼らも、少し以前まではそうだったように」
そう語るフレデリックさんの言葉に、周囲に付き従うフレデリックさんの部下たちも頷きました。
「生まれてから徹底して『アクロシティのために働くのはとても幸福な事です』と刷り込まれて育てられたのです。お前たちは『楽園』に住まう資格は初めから与えられていない、ただ奉仕するために存在する影の住人であると」
「それが……」
「ええ……それが私ども、『ウルサイス』の子供たちです」
もはやどうでもいいことのように、あっけらかんと肯定するフレデリックさん。
「私はその中でも特に中央評議会に忠誠の厚い『ウルサイス』でしたからね。ダミー国家である西の首相なんて言うポジションに座らせられたわけですわ……そうして為政者となって、初めて『こうありたい』という願いが歯車から生まれ、今こうして勝手に転がりだしたのだから因果なものです」
ですが、それを後悔することはこの先決してないでしょうと締めくくり……そんな話がちょうど終わったとき、私たちの眼前には、分厚く頑丈そうな金属製のハッチがありました。
「さて、この先がメンテナンス区画になります。複雑な道になりますので、皆さん逸れずに……」
「待て」
やはりカードキーでロックを解除した瞬間、フレデリックさんの前に出たのは……リュケイオンさん。
「ここからは、僕が案内する」
そう言ってフレデリックさんを押しのけハッチを潜ったたリュケイオンさんが、ズンズンと先を進んでいく。
そんな背中を、「困ったものです」と肩をすくめて追いかけるフレデリックさんを先頭に、私たちもぞろぞろとついて行きます。
――そうして歩いているうちに、気付けば私たちは、電気すら通っていない、すっかり埃がたまって薄ぼけた区画へと来ていました。
「これは……過去の戦闘で損壊し、気密的には問題ないと放棄された区画ですか。このような場所に入れるとは」
驚きに目を見開いているフレデリックさん。どうやらその反応を見ると、彼ですらこの道は知らないようでした。
「こっちだ。外壁の裂け目から外に出て、上までの工程をばっさりとショートカット可能な近道がある」
そう言って迷いない足どりで進むリュケイオンさん。その様子は、何度も何度もこの道を通ったことがあるような迷いの無さでした。
そして……私もうっすらとですが、この道を見た記憶がありました。
「あんた、なんでそんな事を知って……」
「なんてことはないさ。ただ、
レイジさんの質問に対してそう語るリュケイオンさんの目が、この時はやたらと優しかったのです。それだけで、彼が誰を指して話をしているのかは明白でした。
「あの、お父様……良かったら、リィリスお母様のことをもっと教えてくださいませんか?」
「は? 断る。なぜそんな面倒なことを僕がしなければならない」
そう、こちらを不自然なまでに一瞥もくれず吐き捨てた彼ですが……しばらくじぃっと見つめていると「う……」とか「ぐ……」とかうめいた後に、根負けしたように呟く。
「そう言うのは、目覚めたアイツにでも直接言ってくれ」
「……はい、そうですね」
どうにかそれだけを絞り出したリュケイオンさん。そんな様子に、思わず苦笑する私。
確かに、彼の言う通りです。
そして、必ずそんな未来を手にするため、私たちはただ前へと進むのです。
そうして、狭い道でヴァルター団長等がつっかえそうになるトラブルなどはあったものの……リュケイオンさんの言う通り、外壁の裂け目から外に出ると、そこに広がっていたのは。
「うわ、すっげ……あの赤い大地は、フランヴェルジェか」
「じゃあ、向こうの海に浮かぶ島々が諸島連合ね」
「ここからだと闘技島も見えそうであるな」
「一応、西の大陸も少し見えてます……かね?」
呆然と呟いたのは、それぞれスカーさんと桔梗さん、そして斉天さんとフォルスさんの四人。
ですがこの時、間違いなくほかの『プレイヤー』の皆も、同じ気持であったと断言できます。
そんな、私たちの眼前に広がっていた大パノラマ。
裂け目がアクロシティ南側に開いていたために、外に出た私たちの眼前には……奇しくも、私がいまだ踏み入れたことのない世界が広がっていたのです。
「思えば、私らって北の大陸のごく一部と闘技島を回っただけなんだよね……」
「そういえば、そうですにゃ」
「そもそも、俺らがこっちに居たのってたった三か月だぜ?」
今更ながら自分たちの行動範囲の狭さを再確認する兄様の言葉に、そういえばとうなずくミリィさんとハヤト君。
いくらこの『ケージ』が隔離された小さな世界といっても、それは決して、たった数か月で全てを識ることができるようなちっぽけなものではない……そんな事実をこの世界そのものに眼前に突き付けられて、お説教をされているようでした。
「ねぇレイジさん。これが終わって落ち着いたら、私はこの世界をもっと色々と見て回りたいです」
「ああ、もちろんだ。どこにだって連れて行ってやる……だから、色々なものを一緒に見て回ろう」
「はい……約束です」
そんなことを言い合って、お互い少し照れながら見つめ合ったあと……私の手を包み込むように握る彼の手を、私は決して離れることがないようにと、ぎゅっと握り返すのでした――……
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