戻れない理由
――翌日、学校からの帰宅途中に立ち寄った、アークスVRテクノロジー本社ビルの応接間。
部屋に居るのは私と、この本社ビルの女性用に設置された仮眠室を借りて寝泊まりしているというティティリアさん。そして、難しい顔をしたアウレオさんと畠山さん。
緊張感が漂う部屋の中で……アウレオさんが一つ咳払いして、話を切り出しました。
「それで、君が他の者達と違いアバターから元の姿に戻ることができなかった理由だが……調べてみたところ、帰還の際のデータ参照時にエラーを吐いていたことが分かった」
そう言ってノートパソコンの画面を開き、ティティリアさんのこちらの世界での個人データらしきものを開いて何らかの操作をするアウレオさん。しかしすぐにエラー音が鳴り、何かに失敗したのだとわかる。
「今の君と、元の君とのデータの深刻な不一致。その原因だがな。今の君の存在情報に、別の不安定な何者かの情報が重なって存在しているのだが……心当たりは、君には有るな?」
ほぼ確信を持って、ティティリアさんに尋ねるアウレオさん。それに対し……
「……はい、あります」
そう言って、自分のお腹に両手を当てるティティリアさん。そんな様子を見たアウレオさんは、やはりな、と呟き深々と溜息を吐きました。
それが意味するところは、つまりティティリアさんは……
「――結論から言うと、君は
そう、アウレオさんがきっぱりと断定したのだった。
◇
結論を告げ、あとは女性に任せて自分は席を外した方がいいだろうとアウレオさんはそそくさと退室する。
「それで、何があったの? 望まない妊娠なら、病院の手配も……」
そう、心配そうに語りかける畠山さん。しかし、それに言いにくそうにモジモジしていたティティリアさんは……消え入りそうな声で、呟く。
「……すみません……むしろ、私が襲った側です……」
「あ……あら、そうなの。それは、ごめんなさいね……」
顔を真っ赤にしながら挙手し、そう白状するティティリアさんに、さしもの畠山さんも困ったように顔を引き攣らせる。
「でも……レオンハルト様、よく応じてくれましたね。絶対あの人結婚するまではそう言うこと断るタイプの堅物だと思ったのに」
「え、えへへ……」
「……ティティリアさん?」
なにやら挙動不審になっている彼女へ、私はジトっとした目で見つめます。
すると、しばらくあー、とかうー、とか呻いていた彼女でしたが……やがて、観念したように口を割る。
「……お酒、飲んでいたところを襲いました」
「あなたねぇ……いつかやるんじゃないかと思ってはいましたが」
「ちょ、イリスちゃんそれひどいー!?」
「あら、自分の胸……いえ、自分のお腹に聞いてみたらいかが?」
「ぐぅ……」
明後日の方を向き、気まずそうにポツリと白状したティティリアさんに、さすがに私も呆れた声を上げる。
彼女は抗議しますが、今回ばかりは私の声だって冷たくなるのです。
「あのね、領主様がたまたま珍しくお酒飲んでて、チャンスだと思ったのよ。まさかそれでできちゃうなんて思わないじゃん」
「反省は?」
「してますごめんなさい」
平身低頭といった感じに即座に頭を下げる彼女に、しょうがないなぁ、と肩をすくめ、私は眉間に寄った皺を緩める。
「でも、最終的には彼が全部リードしてくれて、ああ、女の子になってよかったってあの時は思ったのよー」
すっかり真っ赤になり、しかし困ったというよりはむしろ嬉しそうに頬を抑え身をくねらせている彼女に、私と畠山さんは呆れたように嘆息するのでした。
……と、気を緩めたのがいけなかったのでしょう。
「いやぁ、最初から最後まで全部やってあげる気で襲ったらよ? そしたらあっさりひっくり返されて、押さえつけられて、押してもぜんっぜんビクともしないし、ああ私いまから女の子から女にされちゃうんだって実感してたら『わかった。お前の人生は今から全て私のものだ、後悔するなよ』ってもうすごいカッコいい顔で言われちゃてもー抵抗なんて出来るわけないじゃん!」
「はぁ……」
興奮気味に惚気を捲し立てるティティリアさんに、苦笑しながら眺めるしかできない私。
「それにさー、全部終わったあとに疲れ切って指一本も動かせなくなったままベッド上でぎゅーって抱きしめられてさぁ、本当は機会を見て渡すつもりだったとか言われて用意してあった指輪なんて嵌められたらさー、もう完敗じゃない?」
「指輪!? そ、それじゃ向こうでは、もしかして?」
そう恐る恐る尋ねる私に、彼女は途端に黙り込み、茹で蛸もかくやというくらいに真っ赤になりながら、そういえば左手にずっと嵌めていた手袋を脱ぐ。
そこには……薬指に輝く、シンプルながらも繊細な装飾が彫られた白金の指輪。
「ごめんね、黙ってて。実は式こそまだだけど、籍も入れてました、今はもう私、書類上はローランド辺境伯夫人です……えへ」
そう、幸せそうに指輪を嵌めた手に頬擦りしながら語る彼女。
「……それじゃ、絶対に向こうに帰らないといけないですね」
「うん……だから、ちゃんとこちらでのケジメをつけないとね」
そう語るティティリアさんが開いたスマートフォンの画面に映る、ただ一文字『姉』という名前の相手からの、一件のメッセージ。
それは……彼女のお姉さんからのものでした。
『今、アメリカから戻ってきているの。連絡がつながるのなら、会いたい』
それが、ティティリアさんのお姉さんからのメッセージでした。
彼女は、ただひとり姉を除き、ご両親とは疎遠……あるいは半分勘当されているようなものらしいという話でした。
お姉さんはティティリアさんのこちらの世界での仕事、いわゆる『VR配信者』に理解のある方だったそうですが、生憎とまだ一般的とは言いがたいその商売。
ティティリアさんのご両親にとって、彼女の仕事とは『年がら年中パソコンに向かって何かやっている得体の知れない趣味』であり、もはや彼女の存在は、家では居ないものも同然だったそうです。
それでも勘当されなかったのは……彼女がその配信で得た収益から、家に結構な額の生活費を入れていたから。
しかし、居なくなったら居なくなったで特に気にも留められないだろう関係だったという事を、ティティリアさんは寂しそうに言っていました。
ですが……そんな彼女にとって、お姉さんだけは別。
彼女の配信者としての仕事にも理解があり、何かと協力してくれていたお姉さんだけにはきちんと説明したい……そう言って、集団行方不明事件の被害者の一部が見つかったというニュースを見て急遽アメリカから帰国したというお姉さんを『アークスVRテクノロジー』本社に招き、事情説明をしたのです……が。
「……あの、ティアちゃん、大丈夫?」
「あはは……そりゃそうよね、信じて貰えるわけないよね」
なんと慰めたら良いか分からず口籠る私に、少しだけ目の端を赤くした彼女が、疲れた様子で呟く。
……今、彼女のお姉さんは事態を飲み込めずに倒れ、ティティリアさんが借りているのと同様の女性用、個室の仮眠室にて休んでもらっていました。
ですが、きっとそれが普通の反応。むしろあっさりと理解を示してくれた玲史さんのご両親の方が稀なのです。
「イリスちゃん、そんな顔をしないの。大丈夫、私は諦めていないわ」
「……そう、ですか」
「ええ……この子を、私の大切な誰かから祝福してもらえなかった子になんてさせないわ、絶対に」
そう、愛おしげにお腹を撫でる彼女は……もうすでに、母の顔になりつつありました。
「出発の日までには、必ず説得してみせるから。心配しないで待っていて、イリスちゃん」
そう、強い決意と共に宣言する彼女に、私は……
「……うん、頑張ってね、ティアちゃん」
そう、ただ励ましの言葉を投げかけるのでした。
【後書き】
タイミングとしてはローランド辺境伯領帰還直後、イリスらは北の辺境に向かって隠れ里に到着したあたりの話。
慌しい時期だったため、情勢が落ち着きしだい公表する予定だったトカ。
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