それぞれの決断

「夜ももう遅いし、泊まっていくわよね?」


 そう告げた由奈おばさんの鶴の一声により、私と綾芽の支倉家へのお泊まりが確定したのでした。



 そして――





「それにしても、イリスとこうして一緒にお風呂っていうのも、本当に久しぶりね」

「そ、う、ですね……」


 そう、シャワー前に座る私の後ろに陣取って、まだ濡らしていない髪を梳きながらしみじみと言う綾芽に、私はギクシャクと返事を返す。


 私たちは今、支倉家のお風呂を借りて、二人で入っているのでした。



 ……私の介助もありますし、以前は玲史さんがやってくれていた役目も、まさか今頼む訳にもいきませんからね。



 そんなわけで私は今、大きくなってからは当然ながら見たことなどあるはずがない妹の裸を前に、どうにもいたたまれない気分で背中を流されているのでした。


「最後は……まだ最初の集落に居たとき、温泉でこっちに乱入してきた時以来かな?」

「う゛っ……」


 思わず、呻き声を上げる。その話は、今の私には黒歴史もいいところなのです。


「やー、あの時はまたあんたに女の子の自覚が無くて、大変だったわねー」

「あ、ああ綾芽、その話はその辺に……」

「そうそう、あの時に、レイジの方からは全部見えてたからね?」

「ゔゔゔぅうゔっ!?」


 今更ながら恥ずかしくなって、両手で顔を覆って呻く。穴があったら入りたいという言葉を、これほど強く思ったことはありませんでした。




「あはは、ごめんごめん。機嫌直して、ね?」

「……綾芽の意地悪」

「だから、ごめんってば」


 そう言って、すっかり顔を上げられなくなった私の、濡れた頭をぱしゃぱしゃと撫でる綾芽。

 しかし、すぐに私の髪を洗う作業を再開しながら、表情を真剣なものへと変える。


「それで……ちらほらと、一度帰った人たちから、今後についての話が来ているわ」

「今後……?」

「ええ、残るのか、戻るのか、ね」


 ハッと、顔を上げる。てっきり皆、残るものとばかり思っていました、が。


「……今のところこっちに残るって明言しているのは、満月さんだけね。まあ、あの人は残らざるを得ないんだけど」

「たしか、ワールドゲートの改良を続けるんでしたね?」

「ええ、向こうで得た知識も使って、システムのバージョンアップに尽力するって息巻いていたわ」


 彼の最終目標は……『向こう』と『こちら』の、双方向転送。一年二年で可能なことではないでしょうが、と笑って言っていました。



「梨深は……ミリアムは、ついて来てくれるそうよ。フォルスと斉天、あと桔梗さんらのすでに成人してる人たちは、むしろ最後まで付き合わせろって感じだったわ」

「そうですか……心強いですが、ちょっと複雑ですね」


 なぜならば、それはせっかく平穏な日本に帰ってきた彼らを、再び危険に晒す事になるから。


「全く、いい子すぎるのも問題ね。言っとくけど斉天さんと桔梗さんに関しては、あいつら絶対にあっちの方が性に合ってるだけだから」

「あ、あはは……」


 ごめんなさい二人とも、私にはその綾芽の言葉を否定できません……そう、遠い目をして二人に謝る。


「フォルスは、向こうに大事な人を残したまま安穏としていられないってさ。星露シンルゥだっけ、あの女の子のためみたい」

「そうですか……心配でしょうね、彼も」


 ですが、それならば止めることはできません。ただ、向こうの人たちの安否を祈るのみです。


「一番問題のハヤト君は……ちょっと分からないかな。たぶん、残ると思うけど」

「中学生ですからね……」

「ええ。それに……個人的には、これ以上あの子を巻き込むのは気が引けるかな」


 綾女の言葉に、私も頷く。

 たとえ本人が望んでも、ご両親は認めないだろうと思う。行方不明になり、ようやく帰ってきた子供なのだから。


 それに……彼の年齢でこれ以上危険な目に遭って欲しくないという思いもあるため、寂しいけれど無理強いはできないだろう。


「それで……緋上さんも、問題が解決するまでは付き合ってくれるって。終わったら帰ってくるつもりらしいけど」

「そうなんですか?」

「うん……これはね、たまたま、本当にたまたま居合わせちゃったんだけどね」


 そう言って、綾芽が声をひそめながら続きを口にする。


「あの人、畠山さんにプロポーズしてた。帰ったら結婚しようって」

「わぁ……え、あの二人そういう関係だったんですか!?」

「でしょー? 私、てっきり畠山さん、アウレオ社長に惚れてるとばかり思ってたからびっくりしちゃって」

「わ、わたしもそうです!」


 にしし、と笑いながらそんな話をする綾芽と、その話に興味津々に食いつく私。

 しばらくああでもないこうでもない、とそんな色恋沙汰の話に盛り上がっていると。


「……ぷっ」

「……ふ、ふふっ」


 思わず、笑いが込み上げてきた。

 誤解ないように言っておくと、決して緋上さんを笑った訳ではない。なぜならば……


「まさか、こんなふうに恋バナに花咲かせる日がくるなんてねー。人生、予想できないわ」

「あはは、こんな状況を予想できてたら、予言者になれますよ」

「そうね、違いない」


 そんなふうに、自分たちの今を過去と照らし合わせ、そのギャップに笑いが止まらなくなったのだ。

 そうしてひとしきり笑い合った後……やがて、綾芽がぽつりと呟く。


「ね、イリス。ちょっと『お姉ちゃん』って呼んでみて?」

「えー……妹を姉って呼ぶのはさすがに恥ずかしいんだけど?」

「何よ、向こうじゃずっとお兄様だったんだから、大差ないって」


 そんなふうにごり押しされて、私は渋々ながら、その言葉を口にする。


「お……お姉ちゃん」


 そう口にした瞬間……鏡に映る背後の綾芽が、スッと表情が消えた真顔になった。


「……ねぇ、イリス。これからこっちでは、そう呼びなさい」

「お、お姉ちゃん、目が怖い」

「ああ、いい、すごくいいわ……長年の夢が、理想の妹に『お姉ちゃん』って呼んでもらう夢が叶ったわ……!」


 我が人生に一片の悔い無し、とばかりに天井を仰ぎ見る綾芽に、私は引き攣った笑いを浮かべる。


 ――そういえば、そんな動機だったっけ。イリスのアバター作ったの。


 すっかり忘れていたそんな綾芽のちょっとアレな性癖を思い出し、やっぱりやだ、と文句を言う、が。


「いいじゃない、それくらい。そう呼んでもらうことができるの、あと三か月くらいしかないんだから」


 その言葉に、ハッとする。


「それじゃ、綾芽は……」

「もちろん、向こうに残るわよ。あんたらと一緒にね。幸い一緒に居たい奴はついてくるみたいだし」


 そう、綾芽はもう、迷いない表情で笑うのだった。





 ◇


 その後は何という事もない、その日あったことを報告するような雑談をしながら、入浴をつつがなく済ませ……異変を察したのは、寝巻きへと着替え中のことでした。


「あれ、メール?」


 ふとスマホを開くと、そこには一通のメールの着信。

 なんだろうと開いてみると、そこには……差出人が畠山さんのメールが入っていた。


「えっと、『金髪の女の子の事で、話があるの。明日の放課後に、顔を出してちょうだい』……って、これ、ティティリアさん?」


 そう、書かれていたのだった――……

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