父親

 ――アークスVRテクノロジー、本社内。


 畠山さんに案内されるままについてきたのは……私も何度も足を踏み入れたことのある、懐かしの開発室でした。


「失礼、します……」


 あまり音を立てないように、静かに入った室内。

 そこでは、数人の見覚えのある人たちが、モニターへと向かい作業をしていました。


 ……と、そこへ。


『わぅ!』

「うわっ!?」

「きゃっ!? す、スノー? あなたもこっちに来ていたの?」


 レイジさんに押され、車椅子に座って移動している私の、膝の上に飛び込んできた白い毛球。

 レイジさんと一緒にビックリしながら確認したそれは……あの時アクロシティ屋上で一緒にいた、スノーでした。


「あら、スノーちゃん。ご主人さまに再会できて良かったわね?」

『わうっ!』


 なんだかすっかりと畠山さんに懐いたらしいスノーが、顎の下を撫でられて気持ち良さそうに目を細める。


 ……この子、野生に帰れるのかしら?


 ブランシェさんごめんなさい、ちょっと育て方間違えたかも。そんな事をこっそり内心で考えていると。


「お、御子姫よ、来たか」

「あ、アマリリス様!? それに……」


 すっかりと見慣れた、尊大な態度の白い少女と……その後ろから現れた、体格の良い銀髪の壮年男性。


「……遅かったな」

「……アウレオ社長。いえ」


 ゴクリと唾を飲み込み、その言葉を告げる。




「――お父様」




 私が絞り出したその声に……彼は表情一つ変えぬまま、頷いたのでした。







 ◇


 部屋にいたのは、アウレオ社長と魔王アマリリス様、そして元々ここの社員である緋上さんと満月さん、そして……


「梨深、あんたも来ていたの?」

「うん、来るようにって呼ばれて……久しぶり、綾芽ちゃん」


 そう言って、目に涙を浮かべ綾芽に抱きついているのは、ミリィさん……の中身である、豊かな黒髪を緩く巻いた温厚そうな女の子、館林梨深ちゃん。レイジさんは大学の後輩という形で面識があるそうだが、私は初対面です。


 それにスノーと、後から入ってきた畠山さん。最後に、私とレイジさん、綾芽、それにティティリアさんの後から来た組……皆で、部屋の応接間に設置されたテーブルを囲んでいました。






「……まず、皆が気になっているであろう、何故我らが助かったかというところから我が説明しよう。おそらく、正確にあの時何があったのかを把握しておるのは我しか居らぬからな」


 そう切り出したアマリリス様の言葉に、それぞれ用意された椅子に腰掛けた私達は頷き、先を促します。


「まず……普通ならば、我らはあの場で滅ぼされるはずじゃった。出力が、まるで物が違うからの……あれは元々、いざという時は『ケージ』ごと『奈落ギヌンガガプ』を処理するための兵器の試作品じゃからな」


 アクロシティが建造された先史文明紀にあった本来の構想では、あれを十二機量産し対『奈落』の決戦兵器……あるいは自滅兵器とする予定だった――そんな事実が語られて、背筋が冷える思いがしました。



 ――それが、人が過去に手放した創造魔法の力。



 あまりにスケールの違う力に、皆が絶句していました。


「ですが、私達は生きています」

「そう、それ、私も気になっていたの」


 綾芽と、その隣に寄り添うように座る梨深ちゃんが、そんな疑問を口にする。

 私も、あのとき攻撃を咄嗟に受け止めた感触から、ずっと疑問に思っていました。


「アマリリス様。あのとき放たれた砲撃の圧力は、到底私に防げるような物ではありませんでしたよね?」

「うむ。だがしかし、お主の結界魔法が『天の焔』を一瞬だけじゃが押し留めた。結果として、それが我ら皆の命を救う事に……正確に言うならば、我らを救った者が咄嗟に動く時間を稼いだのじゃ」

「……その、私達を救ってくれた者というのは?」


 私の質問に、アマリリス様は一つ頷くと、その名前を口にした。


「……『死の蛇』クロウクルアフじゃ」

「……え?」

「お主が『天の焔』に耐えた一瞬で、クロウクルアフがその結界ごと『奈落』へとお前たちを飲み込んだ。結果、我らはその結界ごと奈落の中を漂流することになり……」

「直後、いかなる手段かは分からぬが、私のデスクへと一通のメッセージが届いた……先代御子姫、リィリスと言ったな、彼女が私へとメッセージを送ってきた。お前たちを急いでピックアップして欲しいとな」


 アマリリス様のあとを引き継ぐ形で語られる、アウレオさんの言葉。


「クロウクルアフが……それに、あの人も」


 おそらく、リュケイオンさんの指示もあったのでしょう。どうやら図らずも、私たちは『あちら側の』両親に助けられたみたいでした。


「元々、突然二か月前に戻ってきた社長の要請で、『Worldgate Online』の復旧作業は進めていたの。色々とまだ完全とは言い難かったんだけど……」

「それでも無理矢理に起動して、お前たちをこちらに呼び戻した、というわけだ」


 こちら側の事情を説明する畠山さんの言葉を引き継いで、アウレオさんが結論を述べる。

 どうやらこちらでは、私達を再帰還させるための準備が元々進められており、それに助けられる形となったのだということでした。


「あ、あの、向こうは今大変なことになっていて……助けてくれたのは本当に感謝していますが、どうにか向こうに戻れませんか!?」

「ティティリアさん……」

「今はまず、話を聞こう、な?」


 そう焦ったように尋ねるのは、ティティリアさん。

 大事な人と別離した彼女のその剣幕に、私やレイジさんも同じ気持ちではありますが、どうにか彼女を宥めて座らせます。


「それなんだが……ひとまず安心してくれ。皆無事だというメッセージはあった……んだよな?」

「ああ、緋上ADの言う通りだ。少なくともお前たちの知り合いに被害は無かったらしい」

「そう、ですか……」


 安堵した様子で、ずるずると椅子に座り直したティティリアさん。そのまま、気が緩んだせいか顔を両手で覆い肩を震わせ始めたので、今はそっとしておきます。


「それで、向こうへと戻るには……」

「……残念ながら、無理をしたせいで『Worldgate Online』の方は無事とは行かなかったのよ。復旧させるには、およそひと月はかかるかしらね」


 おそるおそる尋ねた私に、畠山さんから申し訳なさそうな返答。


「それに、戻ったところでどうするつもりだ。現時点ではその先代御子姫を殺す以外に、『天の焔』を止める手段は無いだろう」


 アウレオさんの至極冷静な言葉に、私達はぐっと言葉に詰まる。

 現時点では、救出対象であるリィリスさんが敵な状況。確かに、私達に今出来ることはありません……彼女を殺す以外。


「ですが……それは……」


 それでは意味が無いのだ。きっとまた、リュケイオンさんも、『奈落』の核である私本来の体に入っているあの子も、救えない。


「……意地が悪いのぅ、魔導王」

「全くよね、その準備は進めているくせに」

「……む」


 アマリリス様と畠山さん、女性陣に揶揄われ、口籠るアウレオさん。


「大丈夫ですイリスさん、こちらで必要な武器の準備は進めていますよ」

「これが、あのいけ好かねえ十王をイリスちゃんの母ちゃんから抜き取る切り札……」


 そう言って、満月さんと緋上さんが端末を操作すると……モニターに映ったのは、一冊の黒い本のデータ。それは、あの『ケージ』に飛ばされた日に見た白い本にそっくりの見た目をしていました。


「その名を『黒の書』という」


 そうモニターに映された本の名前を告げるのは、アウレオさん。


「黒の書……これは、一体?」

「簡単に言うと、失敗作だ」

「失敗作?」


 この場にそぐわぬ単語に首を傾げる私でしたが、アウレオさんはそのまま解説を続けます。


「元は、『白の書』の複製を作るつもりだったのだがな。肝心の『テイア』にアクセスする機能は、ついに再現できなかった。これはただの、の魔導器だ」

「魂を……それじゃあ!?」

「そうだ、先代御子姫の体に傷は与えることなく、その体を奪った十王のみを排除出来るはずだ……理論上はな」


 なんせ、試運転無しのぶっつけ本番になるからなと締め括るアウレオさん。


「だから……三か月だ。それで、完璧に仕上げてやる」

「三……か月……」


 長い。

 それだけ長い期間、手出しできないというのは、あまりにも……



「イリス、我が娘よ」



 キッと、鋭い眼光に射抜かれて、私は思わずビクッと背筋を伸ばし、姿勢を正す。


「――お前の見てきたあちらの人々というのは、お前たちが三か月不在にしただけで滅ぶような、軟弱な者たちだったか?」


 その、厳しくも諭すようなアウレオさんの言葉に、はっと息を飲む。


「いいえ……いいえ、決してそのようなことは」

「ならば、信じて待つがいい。お前の絆を結んだ者たちをな」


 それだけを私に告げ、彼は黙り込んでしまいました。


 ――あれ、もしかして励まされた?


 助けを求めるように畠山さんの方へと目線を送りますが……彼女はただ、苦笑しながら肩を竦めただけでした。







 ――そうして話が終わったのを察し、『アークスVRテクノロジー』の皆が各々の作業へ戻る中。




「さて、話すことも終わったわけだが……お前には、私に言いたいことがあるだろう。言うならば今のうちだぞ」

「……言いたいことですか?」

「それとも……やりたい事、かな。準備はできている、我慢は要らぬ、思い切りやりたまえ」


 そう私に告げ、私の座る車椅子の傍らに片膝をつくアウレオさん。

 そんな彼に向けて……私は、ニッコリと微笑みます。


「あら、どうやらお見通しみたいですね。それでは――遠慮なくっ!!」



 ――パァァアア……ンッ!!


 案外と、よく響いた音が、二度。

 思い切り振りかぶり、腕をしならせて勢いよく。

 この日のためにずっと練習してきた……平手打ちで、二度、彼の頬を張り飛ばす。


 それでも、彼の鍛えられがっしりとした体はほとんど揺ぎませんでしたが……私は、満足の笑みを彼へと向けます。


「私自身の恨み辛みの分。それと、お母様の分。たしかに叩き返させていただきましたわ、お父様?」


 ジンジンと痛む手はこっそり隠しながら、ニッコリと笑いかける。


「一応、母さんとは合意の上だったみたいだから、これで勘弁してあげます」

「……ああ、お前の不満はしかと受け取った」


 そう言って彼は立ち上がり、わずかに乱れたスーツを直す。私も、これでもう、貸し借りは水に流す事にする。


「なに、反抗期の娘の怒りを受け止めるのも、父親の仕事だろう」


 くっくっ、と笑ったのち……彼はまた真面目な顔になり、口を開く。


「そうそう……以前、履歴書の経歴を見たのだがな。確か君は、高校を中退していたのだったな」

「……それが必要な経済的事情があったもので」

「すまんな、私がもっと早くに君たちの存在を認識できていれば、そのように経済的な不自由はさせなかったのだが」


 一つ溜息を吐くと、彼は一枚のパンフレットを傍らの鞄から取り出す。


 それは……


「……学校案内、ですか?」


 たしかそこに記載された名前は、郊外にある富裕層向けの私立学園の名前だったはずだが……これが何かと、私はアウレオさんへ首を傾げる。


「準備が完了するまでの三か月……短い期間だが、お前は学校に行くといい」

「……………………はい?」


 しばし硬直したのち……思わず聞き返す。


「君の、戸籍のデータだ。私の娘ということにしている」


 そう言って彼が差し出したタブレットPCに映っていたのは、多分住民票の写し。そこには……『イリス=ユーバー』という名前の人物の戸籍がしるされていた。


「幸いかあるいは不幸か、君らには『黒の書』が完成し、『Worldgate Online』の調整も完了するまでの三か月のあいだに、君がやるべき事は何もない」

「えっと、たしかにそうですが……それが?」


 混乱する私へと……彼は、厳かに伝えてきました。


「だから……三か月の間、。『イリス=ユーバー』というな」


 そう、告げたのでした――……






 ◇


「社長も、素直じゃないんですから。こちらの世界で思い出を残していって欲しかったって、娘さんに伝えたら良かったのに」

「……そんな事ではないさ。学生生活という経験は、将来役に立つ。だがあれは、どうやら中学もお情けで卒業したようなものらしいからな」

「はいはい……拗らせた男親って、ほんと面倒なんだから」

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