再会

 

 いつか夢に見た、粘度の高い沼の底のような闇の中。

 だけど今は不思議と、以前のような得体の知れない恐怖は感じない。


 今度は自らの意思で奥へ奥へと沈んでいった先には……今も、胎児のように身体を丸めて眠っている、漆黒の闇を固めたような翼、赤みを帯びた虹色に揺らめく髪を持つ女の子の姿があった。


 ――こんにちは?


 そっと声をかけてみる。

 反応は返ってこない。


 ただスヤスヤと穏やかに眠る彼女に思わずふっと頬が緩み、その隣に腰掛けた。



 ――こうしてみると、あまりにも静かに過ぎる黒い海の底。


隣にいる少女は、ずっとここに居たのだろうと思うと、不意に胸中に不思議な感覚が湧き上がってくる。



 そのまましばらく彼女に寄り添いながらボーっとしていると……不意に少女がその目を開き、私の方を見つめていた。その瞳に感情らしき物はなく、ただ、なんだろうこの人はと首を傾げるように。


 だから、私はそっと、その頭に手を伸ばし――……




 ――そこで、不意に目が覚めた。


 眼前に見えるのは、この数日を過ごしたアイレイン教団総本山の、迎賓館に用意された私の部屋の天井。



 気のせいか、まだ手に残っているような気がする柔らかい髪の毛の感触に……私はなんとなく、ふふっと笑い、寝台から降りて朝の支度を始めるのでした。









 ――聖都リュミエーレに滞在して、早数日。




 会談に向けての草案の準備を教皇様のアドバイスを元に組み立てながら、その合間に私が知る治癒魔法を聖女のお姉様がたに教えていると、せっかくだから他の学生達の前でも教壇に立ってみないかと誘われたりして、バタバタとした数日があっという間に過ぎ去りました。


 ――そうして、今日はついに三国合同会談が始まる前日。主要な会議の参加者が来訪する予定の日でした。



 朝から、王妃様が連れてきた女官の方々に手伝ってもらい、会議の場に出向くためにと仕立てられた内務用の服に着替えた私は……ここしばらくの間、明日の会談にむけての調整が行われている会議室へと向かっていました。


 その途中……


「イリスちゃん!」

「ひゃ!?」


 突然背後から抱きつかれ、驚いて小さく悲鳴をあげる。バクバクと脈打つ心臓を押さえながら振り返ると、そこに居たのは……


「……もう、ティアさんってば」

「えへへ、ごめんなさい。イリスちゃんの後ろ姿が見えて、嬉しくてつい」


 悪戯っぽく舌を出して笑っていたのは……ローランド辺境伯家の使用人の衣装に身を包んだティティリアさんでした。


「久しぶり、元気だった?」

「うん、イリスちゃんも元気そうで良かった」


 再会に感極まって、お互い軽くハグして離れる。


「それで……辺境伯様との調子はどう?」

「絶賛攻略進行中です!」

「順調みたいですね、良かった」


 元気にサムズアップしているのを見るに、どうやら仲良くやっているらしい。友人として、そんな彼女の様子を嬉しく思っていると。


「あー……イリスリーア殿下、そういう話は」

「あら、ご本人の登場ですね。そちらも壮健そうで何よりですわ」

「……あなたは、案外猫被りが上達しましたね」


 続いて現れたレオンハルト辺境伯に、ホストとして練習していた挨拶の成果を見せるように礼を取る。

 私とティティリアさんの話を聞いていたらしきレオンハルト辺境伯様が、照れて赤くなった顔の口元を手で覆いながら、呆れたように苦笑していました。


 ……少しわざとらしかったみたいです。



「まぁ、今回は皆様を歓迎する側ですからね」

「……すっかりと、良い顔をなさるようになりましたね」


 澄まして語る私に、彼がそんな褒め言葉をくれる。


「はい……色々な事が、解決しましたから。後でゆっくりとお話ししますね」

「それは楽しみです。ティティリア、その時は君も同席してお茶の世話をよろしくお願いします」

「はい、かしこまりました!」


 嬉しそうに、レオンハルト様へと返事をするティティリアさん。どうやら本当に上手く行っているようで、私はホッと胸を撫で下ろすのでした。



「ああ、それと。今日は護衛として、イリスリーア殿下が喜んでくれそうな者たちも一緒に来ていますよ」

「私が……ですか?」


 不意のレオンハルト様の言葉に首を傾げていると……


「……お、姫さんが居るぞ!」

「本当!?」


 続いて聞こえてきた、野太い声と、女の人の声。その懐かしい声が聞こえてきた方を向くと。


「あは、本当にイリスちゃんだ、久しぶりー!?」

「わぷっ!?」


 突然女の人に抱きつかれ、思わず目を白黒させる。

 こんなやりとりさえももはや懐かしく思える、現れたその人は……


「……お久しぶりです、フィリアスさん」

「本当よ、闘技島に行ったきり、帰ってこないんだもの。心配したわよ」


 そう、むくれたように語るフィリアスさんでしたが……その表情が、ふっと緩む。


「でも、無事で良かった」

「はい……ご心配をおかけしました」


 若干震える声で、今度は優しく、だけと強くぎゅっと抱きしめてくる彼女に……私も抱きしめ返すのでした。



「おっと……妹に先を越されてしまいましたが、お久しぶりです、我が姫」

「あはは……ゼルティスさんも、お久しぶりです。相変わらずですね」


 フィリアスさんの後ろから現れたゼルティスさんが、私の今は白いシルクの手袋に包まれた手を取り、口を寄せる。


「いえいえ。親愛なる我が姫がご婚約された話を聞いて、傷心の真っ最中ですとも」

「それは、申し訳ありません」

「いいえ、幸せそうなら問題ありません」


 そう微笑みながら離れ、一礼するゼルティスさん。

 その様子に、私は変わらないなぁと苦笑するのでした。


「あ、そうそう! 変わったといえばね!」


 何やらにしし、と変な笑い方をしながら顔を寄せて来たフィリアスさんに、何だろうと耳を寄せる。


「あのね、ヴァイス君がレニィと交際を始めたみたいなの」

「本当ですか!?」

「ええ、二人とも言及されると否定するんだけど、二人だけの時の空気がもう初々しいの尊いので、もー!」


 予想外の話に興味津々で耳を傾ける私に、身をくねらせながらそう語るフィリアスさん。


「ところで……フィリアスさんの方は、ヴァルター団長とはどうなんです?」


 ふとつぶやいた私の質問に、フィリアスさんはピタリと固まった後、ガックリとその場に崩れ落ちた。


「あのね、私だって精一杯アタックしてるのよ? ちょっと酔ってくっついてみたり、勇気を出して可愛い服とか色っぽい服とか着て誘ってみたり。でも、全然娘か何かみたいな見方しかしてくれないのよ……」

「それは……その、元気出してください」


 涙ながらに語る彼女の話に、私は何と慰めたらいいか分からず、ただ苦笑する。


「……ん、何の話だ?」

「「鈍感な人は黙っててください」」

「お、おぅ……」


 当の本人のとぼけた言葉に、私たちはそうピシャリと告げる。すると彼は気圧されたように引き下がり、「若い娘は分からんなぁ……」と呟いて、すごすごと離れていくのでした。



「ところで、先に来ている王妃様がたは何処に?」

「あ、そうでした。それでは、案内しますね」


 レオンハルト様の言葉に、つい懐かしい顔触れに感極まっていた私はふと自分の役目を思い出し、彼らを会議室へと案内するのでした――……

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