教皇ティベリウス15世

「えぇと……本当に、パーサ様?」

「はい、正しくは大本を同じくする存在、ですが」


 そう語る教皇様は、先程の老人口調から一転し、穏やかな男性の口調へと戻っていました。


「今の私は独立裁量権を得てこちらで活動していますので、知識と記憶を共有する別人といった感じですけれども」

「はあ……独立した別人格と?」

「そのようなものです」


 理解が早くて助かります、と微笑みながら語る教皇様。


「それで、こちらでの名前は、今はティベリウス15世という事になるのですが……教皇、もしくは先生で構いませんよ、皆さんそう呼ばれます」

「はい……では、教皇様と」

「ええ、それで構いませんよ」


 そうにこやかに答えながら、席を勧める教皇様。

 お言葉に甘えて、部屋に備えつけられたソファに腰掛けます。


「それで……私達は陛下から、会談の前に情報の共有をという事で遣わされたのですが……」

「……もう、話すこと無くないか?」


 そもそも私達が得た情報というのはパーサ様由来の物。とこれがそれが教皇様本人である以上、もはや釈迦に説法どころではありません。


「それは申し訳ありませんでした……では、少し私の話に付き合っていただきたい。渡したい物もありますからね」

「渡したい物……ですか?」

「はい。ですがその前に、調べなければならない事がありますので。その話はまた後でという事で」


 そう言って、私達の前に紅茶を淹れて置いてくれる教皇様は、私達と対面するようにテーブルへと着き……


「さて……話したい事というのは、あなた方が有する……向こうの世界で魔導王に授けられた加護紋章の事です」


 そう、切り出したのでした。







「まず……この加護紋章というのは、一種のプログラムです」

「プログラム?」

「はい、どのように力を流し、どのように身体を動かして、どのような結果をもたらすか。紋章の持ち主から生体エネルギー……この世界では『闘気』と呼んでいますが、それを吸い上げてため込んでおき、所有者の望む任意のタイミングで出力する装置です」



 それは……まさにゲームのスキルそのもの。

 なるほど、先王アウレオリウスがわざわざゲームにした理由の一端も、ここにあるのでしょう。



「紋章の出現する位置は人によってまちまちです。首だったり、手足だったり、中には瞳の奥なんて珍しい方もいましたね」


 確かに彼が言う通り、皆紋章の位置はバラバラでした。


「ですが、それそのものは身体の上に浮かんだ虚像です。紋章本体と直結していますので外部刺激には敏感ですが、失ってもまた別の場所に現れる。それ自体に意味は無いのです」

「では、その本体がある場所とは?」

「ここです」


 教皇様が指指したのは、私の胸。

 いいえ、それよりずっと奥の……



「……心臓?」

「はい、その通り。紋章本体は、通常は生まれた時から心臓に刻まれています」




「それで、ここからが本題でして。お願いがあるのです」

「……お願いですか?」

「はい。私に、貴女の紋章を確かめさせていただけないでしょうか?」

「…………え?」


 一瞬、言われた事を脳が処理出来ずに固まります。

 私の紋章の位置は、背中全体。


 それはつまり、服を脱いで背中を見せなければならない訳でして……と、そこまで思い至り。


「えぇ……っ!?」


 ボッ、と瞬時に真っ赤になるのでした。





「えぇと……これでいいですか……?」


 蚊の鳴くような声になっているのを自覚しながら、教皇様に声を掛ける。


 二人が後ろを向いている間に着ていたクラルテアイリスを脱ぎ、レイジさんのマントを借りて、背中だけを露出する様にきっちりと身を包む。

 それ以外の場所はちゃんと隠れているはずなのだけれど、これが妙に恥ずかしい。


 向こうはひいひいひい……いっぱい上のお爺さんみたいな物で、そうしたいやらしい感情など無いと分かっていても、です。


「ええ、結構です。そのままでお願いしますね」


 そう言って、特に何の変化も見られない事務的な口調で告げる教皇様。

 その指が微かに背中に触れ、思わず声が出そうになったのを噛み殺す。


「これは……歴代の御子姫よりも、一回り大きい……むしろこれは、ルミナリエの……?」


 なるほど、二つの魂が……とか何とかぶつぶつ呟き始めた教皇様の様子に、不安が湧き上がってくる。


「……? 教皇様、どうなさいました?」

「……いえ、あまりに見事な紋章だったもので、思わず見入ってしまいました」


 もう結構ですよと告げ、背後を向く教皇様。どうやらもう服を着て良いらしく、脱いで側に置いてあった下着を手に取り身につけ始めます。


「この短期間で、よくここまでの覚醒を為したものです。これならば、託しても大丈夫でしょうか」

「託す……とは?」

「それは、その場所へ行ってからお話しましょう。服を着たら、少し場所を移動しますよ」


 その教皇様の言葉に、私は少し、着衣を直すスピードを早めるのでした。


 ちなみに……レイジさんはこの間ずっと、部屋の角でぶつぶつと何か呟いて、精神を落ち着けていたみたいだったのでした。





 ◇


 きちんと服装を直した後、教皇様に連れてこられたのは、大聖堂……の、女神アイレイン像の下にあった隠し通路。


「こんな場所が……」

「神像の下に隠し部屋っていえばゲームとかじゃよくあるが、まさか自分がそこに入る日が来るとはな」


 おっかなびっくりと、長い階段を下る。

 どうやら壁材自体が仄かに光を発しているようで、足元の視界には困らないのですが……なにぶん狭いもので、結構大変な道です。







 そうしてたどり着いたのは……小さな、三人が入ればそれだけで手狭となってしまうほどの、本当に小さな部屋。


 そして台座の上に載せられて、防護魔法らしきもので包まれ守られていたのは……人の頭くらいの大きさの、円環。


 仄かに光を発するようなその環は、しかし封じられていてなお神聖な気を発しており、この空間を清浄な聖域と化していました。


「こちらが、このアイレイン教団発足時から預かり、守り続けてきたルミナリエの聖遺物……『ルミナリエの光冠』です」

「ルミナリエ……光翼族の始祖の?」

「はい。そして、渡したかったものというのもこちらなのです」


 そう、遠くを見るような目で教皇様が語ります。


「人の世に不干渉の筈の私が、このような周りくどい手段で人の世に入り込んでいた理由……それがまさに、この冠を持ち出す為でした」


 しかし、やるべき事を曖昧なものとして教団の権威を第一とする、近年の『人の』教皇達では、説得するのも困難。


 それ故に、不干渉を破って分身を送り込み、何年も掛けて今の座に着いた……それが、彼。


「御子姫イリスリーア、手を」

「は、はい……」


 冠を囲う守護魔法に、恐る恐る手を伸ばし、触れる。

 するとそれはパッと光の粒子となって舞い上がり、部屋いっぱいに散って消えていきました。


 そのまま、そっと冠に触れると……特に抵抗なく、私の手の内に収まります。


「……どうやら、認められたようですね。どうぞ、そちらを戴いてください」

「と言っても、どうしたら……」


 特に金具のようなものは見えません。

 仕方ないので、そのまま頭の方へと近付けていくと……


「ひゃっ!?」


 突然手の内にあった冠が形を変えて手から離れ、そのまま私の頭へピッタリと収まります。


『――規定値以上の権限を確認、認証開始します』

「な、何か頭の中で声が聞こえて来ます……ッ!?」


 突然幻聴のように脳内に機械音声じみた声が聞こえて来て、ビクッと肩を震わせます。


「落ち着いて。おそらく『テイア』と交信中なのでしょう」

「落ち着いてと言われても……うぅ、気持ち悪い感覚です……」


 発音もよくわからない言語が、頭の内から響く感じ。いい加減、具合が悪くなって来た頃……


『――認証完了しました。待機状態に入ります』


 そんな声と共に、頭にあったはずの円冠が、ふっと消えました。


 しかも、何か劇的な変化でもあるのかと思いきや、これといって特に変化もありません。


「あ、え……? き、消えた?」

「大丈夫、眠りについただけでしょう。これで、貴女に渡すものは渡し終えました。戻りましょうか」

「はぁ……」


 あまりの呆気なさに、狐に摘まれたような思いを感じながら、促されるまま来た階段を戻っていきます。




 その最中……ふと、疑問に感じていた事を質問してみる。


「そういえば……先程、加護紋章は心臓に宿ると言いましたよね?」

「ええ、その通りです」

「では……まだ生まれてくる前に魂の抜き取られた身体にも、その紋章は宿っているのでしょうか?」

「そうですね……本体は、可能性はある、とおっしゃっています」



 その教皇様の言葉に、脳裏を過ったのは、夢の中で見たあの子の存在。


 もしかしたら、分たれた私の、本来の体であったはずのあの子にも……そう思ったのでした――……

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