月を見上げて


「では……トロール族の皆様は、ティシュトリヤの方で受け入れてくれる事になったのですね?」


 パーサ様の厚意でティシュトリヤの里へと転送された私たち。


 アマリリス様の庵へと戻って来た私たちを待っていたのは、里の人々との交渉を終えて待っていた、アシュレイ様とトロール族の若者達でした。


「うむ。西に少し行った所に、グレイブヤードの神殿と同じく先史文明の史跡が残っておるからの、風雪を凌ぐには問題もあるまい。綺麗に掃除すれば、しばらく住居はどうにかなろう」

「あの、そこには歴史的、学術的な価値は……」

「ソラ、お主という奴は……生憎だが、そうした物は残っておらんぞ」

「そうですか……」


 呆れた様子のアマリリス様と、あからさまにガッカリした様子のソラさん。その様子に苦笑しながら、話を戻す。


「ですが、話し合いがすんなり行って良かったですね?」


 それも、屈強なトロール族の者達が近くに移住してくるというのだ。

 数日一緒に行動した私達は彼らの人となりは理解したが、里の住人たちはそう容易く受け入れてくれるものだろうか?


 ……という私の疑問に答えてくれたのは、同席しているやや年配の、里の女性でした。


「ええ。私達としても、南の硝雪の森から魔物が来たらどうすれば、という懸念はありましたので、協力し合えるならば益の方が多いという結論に至りました」

「彼らは熱心な光翼族信徒ですからな、その末裔であるティシュトリヤの方々に対し悪さをする事もありますまい」


 後を引き継ぐようにアシュレイ様が解説する。その返答に、なるほど、と得心がいった。



「ああ。それに……前々から、我も長の座を降りるつもりでおったからな。戦力となる彼らが近くで目を光らせてくれるならば、心配事が消えて、我としても一安心というところじゃ」

「え、アマリリス様、そうなのですか?」

「うむ。そもそも本来であれば、部外者である我が何百年と長をしていたのも問題があったのじゃ。来歴を知らぬ若い物達には、魔物である我が長をしている事をよく思っておらん者も居るじゃろ?」


 その言葉に……この場にいるティシュトリヤの方々が、複雑そうな顔をする。


「……申し訳ありません。アマリリス様は、私達がまだ小さな頃から、いいえ、その前からずっと里のために尽力してくださった、皆の母のようなお方だというのに」

「なぁに、ただ長を引退するというだけの事、気が向いたらまた遊びに来るさ。今生の別れという訳ではなかろうに」


 そう、申し訳なさそうな皆に苦笑しながら頷くアマリリス様。


「それに……少し、今の世界を見て回るのも悪く無いからの」


 そう言って、私達の方へと目配せしてくる彼女。


 ……あ、なるほど。


 私達に……というより、ついてくるつもりなんですねと合点がいった私達は、仕方ない魔王様だなぁと苦笑しながら頷くのでした。



「それで、次の長なのじゃが」

「はい、大丈夫です。皆で話し合い、すでに引き継ぎの準備はできています」


 そう太鼓判を押す住人達に、よし、と頷くアマリリス様。



「本当は、お主が残ってくれたら安心して任せられるんじゃがの、なあアイニ」

「わ……私ですか?」


 急に話を振られた、後ろで控えめに佇んでいたアイニさんが、びっくりしたようにパッと顔をあげる。

 しかし、彼女はまた、私達と共に王都へと来てくれる事になっています。



「うむ、お主は若いが、里の誰よりも、様々な知識と経験を有し……何よりも、したたかだからの」

「それは……喜んでいいのかどうか」


 したたか、と言われて不服そうな彼女に、失礼ながら、皆思わず笑ってしまうのでした。


「さて……今日はゆるりと休んで行くが良い。明日には出立するのじゃろう?」

「あ……そうですね。折角だからもう一度、温泉も堪能しておきたいです!」


 そうして激動だった一日は終わり……私達は北の辺境地域最後の夜を過ごすのでした――……










 ◇


 皆が、それぞれ自分の寝台に入った頃……私は一人、二つの月がよく見える屋根へと上がり、空を見上げていた。


 そんな時……


「綾芽ちゃん」


 不意に、背後から掛けられた声。

 二人きりとはいえ、特に理由もなく私の事をそう呼ぶ人物は……現時点では一人しかいない。


「ミリィ……」

「眠れないのかにゃ?」

「……まぁ、色々とパンクしそうな情報がドッと入って来たからね」

「あはは、ちょっと最後の方はついて行けてたか自信が無いにゃあ」


 苦笑しながら隣に座る彼女に、まったくだと頷きながらスペースを空ける。


「ほんと、遠くまで来たよねー」

「うん……三か月前なんて、ただのゲーマーだったんだよね、私達」


 それが、今こうして世界の命運を握る場に居る。

 それがあまりにも、実感に欠ける。


「……最初は、ただ元の世界に帰るためとしか思っていなかったんだよね」

「うん……それで綾芽ちゃんは、どうするのか決まりそう?」

「それは……」


 ――残るのか、戻るのか。


 それが、以前一緒に王都に出かけた際に彼女から問いかけられた、私の命題だった。


 イリスは、多分帰らない。おそらくレイジも。

 二人はもう、そう決めている。


 だけど、私は……


「……残念ながら、まだ決めかねているね」


 もうすでに、庇護すべきだったイリスの事は、レイジが受け止めてくれた。心残りの無くなった私は、どちらを選ぼうが自由だろう。


 ……実際には、もう決まっているのかもしれない。


 だがしかし、それを宣言しようとした瞬間、この喉は震えを止め、音を発するのを拒むのだ。


 それは……おそらくは、未練。

 今まで暮らしていた二十と余年への未練だろう。


「……いいんだよ、悩んで」

「……ミリアム?」

「綾芽ちゃんは、二十年も頑張って生きてきたんだよ。悩んで当然だよ」

「……そうだね、ありがとう、『梨深りみ』。あんたが一緒にこの世界に来ていて、本当に良かった」

「あはは、親友冥利につきますにゃあ」



 あっけらかんとした笑顔で全肯定してくれる彼女に、ホッとする。




 最初出会った時は、なんだこの陰鬱な女はと思っていた。当時は中学生、彼女は妹さんを自殺で喪ったばかりだったから、それもやむなしだろう。


 ……それを言うならば、自分も同様なのだが。いわゆる同族嫌悪という奴だ。


 そんな最悪に近い印象の出会いだったにもかかわらず、友人関係は中学のみならず高校、大学と続き、いつしか明るく立ち直っていた……ように側からは見える彼女とは、親友と呼び合える仲――あるいは、たった一度だけの過ちにして黒歴史だが、人には言えないそれ以上の関係――となっていた。



「梨深、あんたはさ……残るって言ったら、付いてきてくれる?」

「おや、それは告白ですかにゃ?」

「真面目に答えて」


 真っ直ぐに目を見て言った私の言葉に、彼女は本当に珍しく。照れたように頷いた。


「……いいよ。私も向こうでは天涯孤独に近い身だし、夢はあったけど、それはこっちでも叶えられるからにゃ」

「そっか……うん、ちょっと気が楽になった」


 ふっと笑い、せっかく温泉で暖まった彼女が湯冷めしないよう、自分の羽織っているマントで包む。


「もうちょっと……ここで月を見ていたい」

「おやおやぁ、それはもしや、『月が綺麗ですね』という奴ですかにゃ?」

「……ま、そうかもね」


 冗談めかして言う彼女に、苦笑しながら肯定と取れる言葉を返す。


 きっと、あの言葉の元になった文豪も、こんな意味を……もっとこうしていたい、という願いを込めたのだろうかと、漠然と思えた。


 寒い場所特有の澄んだ夜空の上に浮かぶ二つの月は、本当に綺麗だった。





 まだ少し答えを出すには時間が掛かりそうだけど……それも、もう遠くない事の予感がしていた――……

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