到着、ティシュトリヤ

 あの後、数回の遭遇戦があった程度でどうにかトラブルもなく、無事に『硝雪の森』を抜けた私達一行。


 更に一日、アイニさんの案内で氷河を北西へと遡った先……不意に暖かな空気に包まれた場所に、目的地である隠れ里は存在していました。





「ここが……ティシュトリヤ……」


 険しい北の連峰から流れて来る、豊かな雪解けの清流と、奥に見える大きな滝。

 おそらくはその流れが何千何万年と削り続けたのであろう深い谷……その崖下に隠れるようにして、川の両端に沿うように集落が広がっていました。


 清流の涼やかな音と共に、緩やかな刻がゆっくりと流れる秘境……そんな風雅な佇まいの里に、思わずほぅ……と溜息が漏れます。


 それにしても……


「なんだか、随分とこの辺りは暖かいですね?」


 男性陣からは仕切りを隔てた先で、分厚い防護服を脱ぎ、改めて普段の旅装束へと着替えながら、アイニさんへと問いかけます。


 硝雪の森を抜けてからも、ここまでの道中はこれまでにも増して極寒の氷原だった筈です。

 ですがこの里の周辺には雪もなく、ポカポカと暖かい空気が漂っていました。それこそ、防寒着を脱いで着替えができるほど。


「ええ、この辺りは湯量の豊富な温泉が湧いていますからね。どうやらこの一帯は火山活動の影響なのか、地熱が高いらしいのです」

「温泉……っ!」


 水道整備が整っていない辺境への旅。

 お風呂などしばらくは望めない、浄化魔法で凌ぐしかないと覚悟していましたので、もしかしたら天然温泉にありつけるかもしれないと、期待に胸躍ります。


「なるほど……道端にところどころ湯気が立っているのは、その蒸気か」


 得心が言ったように呟く、里の風景を眺めていたレイジさん。


「はい、この里では野菜やお肉を蒸して料理にしたりと、生活する上で無くてはならないものですわ」

「……私達が居た場所にも、似たような温泉地がありましたね」

「ああ、別府の地獄蒸しだね」


 世界が変わっても、同じような利用のされ方をしている事に、兄様と二人、はー……と感心するのでした。


 そんな会話をしながら着替えを終え、荷物を片付けた後。

 ここまでアイニさんが携えていたペット運搬用の防護ケースを開けてあげると、それまで不貞寝をしていたスノーが、勢いよく私へと飛び掛かって来ました。


「ごめんなさいね、忘れていた訳ではないのよ」


 抗議のつもりらしく、てしてしとその肉球で私の頭を叩いて来るそのスノーの背中を撫でてやりながら、皆と合流します。


「それじゃ、長様のところに案内するわね」

「は、はい……」


 隠れ里の長。

 果たしてどのような方なのか……期待と不安がないまぜになりながら、私達は先導するアイニさんについて里の奥へと進むのでした。




「あら、あなた……お帰りなさい、アイニ」

「はい、お久しぶりです」

「この方々は、どうしたの?」

「客人です、長様へと挨拶へ行くところなの」

「あら、まあまあ……それはそれは、遠路はるばるご苦労様」


 すれ違う方皆と挨拶を交わしながら、先を行く彼女。

 よほど信頼されているのか、皆、アイニさんの連れというだけでかなり好意的に接してくれました。


 中には……


「鶏が今日は良く卵を産んでねぇ。傷む前に蒸していたのだけど、良かったらどうぞ?」

「わぁ、ありがとうございます、いただきます」


 山盛りの卵をザルにあけていたお婆さんに、熱々の温泉卵をご馳走になったりもしました。


 殻をむき、パラっと削った岩塩を軽く振って、かぶりつく。


「……美味しい!」


 ぷりっと新鮮な白味の弾力と、微かな塩味によって引き立てられた卵本来のほのかな甘味があって、とても美味でした。


「そうかいそうかい、お嬢さん、ありがとよ」

「いいえ、こちらこそ。ご馳走さまでした」


 皆でお婆さんに礼を述べながら、温泉卵を完食した私達。

 彼女は、そんな私達をニコニコと人の良さそうな笑顔を浮かべ、見つめていました。


「……私、隠れ里というのだから、もっとよそ者に厳しいのかと思っていました」

「まぁ、たしかに私らにゃそんな面もあるけどね。あんたら、アイニ嬢ちゃんのお仲間なら話は別さ……それに、お嬢さんは、どうも他人の気がしなくてねぇ」

「あはは……」


 鋭い。


 とはいえ、騒ぎを起こすのは本意ではありませんので……私は翼はしまったまま、曖昧に笑って誤魔化すのでした。




 奥に行けば行くほど、建物は迫り出した崖の下に隠れるように、家屋は奥まった場所へと建てられていました。


 谷底から空を見上げるというなかなか珍しい体験に感激しつつも、聞きたいことがあった私は、先を行くアイニさんに小走りで駆け寄り、並びます。


「あの……長様って、どのような方なのでしょう?」

「そうですね……とても、可愛らしい方ですわ」

「え、か、可愛い……?」


 悪戯っぽく答えるアイニさんの、長という役職にあまりそぐわないその言葉に、思わず戸惑いの声を上げる私。

 そんな私の足元では、スノーまで「おん?」と疑問の声をあげていました。


 そんな中向かったのは、里の最も奥まった場所、他よりも二回りほど大きないおりでした。


「お久しぶりです長様、アイニです。ただ今戻りました」

「うむ、お主が帰った事は村に踏み入った時から承知しておる。遠慮せずに客人共々入って来るが良い」


 建物の中から聞こえてくる、そんな声。

 ですが……長、という役職のイメージからすると、あまりにもその声が高く艶があり、若い。というかむしろ……幼い。


「ふふ。長様に初めて会う方は、驚くかもしれませんわね」

「然り。だが、紛れもなく彼女が長殿よ。さ、行くぞ」


 アイニさんと、長様と面識のあるというアシュレイ様の二人に促され、庵のドアを潜る。


 そこに居たのは、安楽椅子を揺らし、煙管キセルを燻らせている……見た目、アンジェリカちゃんくらいの小さな女の子。


 床に触れんばかりの長さの、新雪の如く真っ白な髪と、紅玉ルビーのように澄んだ真紅の瞳。


 絶世の美少女と言っても過言ではない、お人形さんのように整った容姿ではありますが……長と呼ばれた彼女は、紛れもなく幼い女の子の姿をしていました。


「遠路はるばるご苦労であった、御子殿。さぞ疲れたであろう? 部屋を用意させるから、今日はゆっくりと体を休めるが良いぞ」

「お……お心遣い、感謝します」


 トントンと煙管の中身を灰吹きへと落としながら、私達へ労いの言葉を投げかける少女。

 その妙に時代掛かった喋り方をする少女に戸惑いながらも、私も皆を代表してスカートの端を摘み、礼を述べます。


「えっと……この方が?」

「ええ。この方が、私達の長老の……」


 アイニさんが、長様の紹介をしようとした……その時でした。


 ――バッ! 


 勢いよく、複数人がしゃがみ込んだ音が、背後から響きました。

 驚いて背後を振り返ると……そこでは、後ろを着いて来ていたトロール族の青年達が、一斉に跪いていました。



「「「……お久しぶりです、!!」」」


 一斉に、響き渡る野太い声。

 汗を額に浮かべ、浅黒い顔を蒼白にしながら平伏している、トロールの青年達のその言葉に……初めて訪れた私達は、ぽかんと言葉を失います。


「……魔王、様?」




 ……一概に魔王といっても、歴史上では複数人存在しています。


 例えば、大きな災いを撒き散らした凶悪な魔物や、悪逆非道な暴君。


 この世界で有名なところで言えば、過去に東の諸島連合を制圧し、アクロシティへと攻め上がった無名の老人なども、その所業から魔王と呼称されています。




 ですが、ここノールグラシエ大陸で、亜人であるトロール族に敬われている魔王といえば。


「えぇと、『魔王アマリリス』……?」


 それはノールグラシエに伝わる、昔話。


 遥か昔……何百年も前、北大陸においてノールグラシエ王国とその覇を競いながらも、拡大する『硝雪の森』の影響で自然と分断され、戦乱もなし崩しに消滅した、亜人達の国の王。


 ――其は、夜を統べる始原の赤。


「うむ、われが、魔王にして至高の赤ノーブルレッド最後の一人、アマリリス=ルアシェイアである。皆の者、苦しゅうない。楽にするがいいぞ」


 私が、皆の代表のようにコテンと首を傾げると……そんな私の視線の先で、白髪の女の子が小さな牙を覗かせて、意地の悪い笑みを浮かべていました――……

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