雪中行軍

 ――硝雪の森。


 触れるもの全てを斬り裂く独自の植生と、踏み込んだ者の足を貫き削る砂で構成された森。

 しかし危険はそれだけでなく、磨き抜かれた鏡のような結晶で構成されたその森は、無数の虚像と不規則な光の反射で哀れな迷い人の精神さえも蝕む。


 四方どころか上下の感覚さえ失ってしまいそうなプリズムの輝きに満たされる中。

 しかし、周囲に舞い散る鮮烈な紅と、むせ返るような血臭が、皮肉にも私達を幻惑から守ってくれていた――……






「斉天、そっち行ったぞ!」

「応、任せるがいい! 『オーラブレード』ォ!!」


 今すでに二体の魔物と交戦している、全身を覆う防護服に身を包んだレイジさんから、鋭い声が飛ぶ。

 その声を受けて、脇をすり抜けた一体の魔物……クリスタルの刃を毛皮の代わりに纏っている、禍々しい姿の狼の前に、前線を張るレイジさんと兄様が抜かれた際、後衛の守衛として控えていた斉天さんが立ちはだかります。


 その斉天さんの剣状のオーラを纏った拳が、狼の胴体を真っ二つに断ち割りました。


「ぬぅ、触れられないというのは、やはりやりにくいな!」


 皆、環境ダメージを防ぐための分厚い防護服と、乱舞する光から視界を守り、呼吸器を守るための顔全体を覆うマスクを纏い、ただでさえ動きは鈍ります。


 更には敵は触れたもの全て切り裂く『硝雪の森』の魔物。拳で戦う斉天さんにとっては苦手な相手でしょう。


 それでも今は、戦技を活用してやりくりしているみたいですが……全て使い切れば、身を守るのさえ覚束なくなる。


「斉天さん、オーラブレードの効果時間が終わったら、専守防衛に努めてください! スカーさんは斉天さんが止めた敵を、ミリィさんはソール兄様の抱えた敵を優先しての援護お願いします!」

「任せろ、イリスちゃん!」

「ガッテンにゃ!」


 スカーさんの銃が豪砲を上げ、今まさに斉天さんへと飛び掛からんとした結晶狼の頭を粉砕する。

 ほぼ同時に、最前列、ソール兄様の方へと集まりかけていた結晶狼達が、ミリィさんのフォトンブラスターの輝きの中へと消えていきました。


 そんな光景を、から見渡し、戦局を眺めながら指示を出す私。


「ナカナカ良イ指揮ヲスルナ、光翼族ノ娘」

「あ、ありがとうございます……」


 私の視点が高い理由……私が腰掛けているあたりから聞こえてくる、低く無骨な声。


 私は今、同じく防護服を纏う三メートルは優に超える巨体を持つ人物……トロール族の青年の肩に担がれて、座らせられています。


 そして今も、彼の仲間達がその強靭な肉体と再生能力を頼りに、周囲の木々の合間から現れる魔物を食い止めてくれていました。


 そんな彼らにこまめに治癒魔法と防御魔法を飛ばしながら……僅かに、彼らと合流した時に思いを馳せます。




 ――王都から列車で最寄りの駐屯地へと向かい、そこから『硝雪の森』へ向かった私達。


 その途中、森の直前で『剣聖』アシュレイ様に紹介したい者たちが居ると言われ、引きあわせられたのが、彼らトロール族の若者達でした。


 辺境調査の折、アシュレイ様がお世話になったという彼ら。

 移住を希望する彼らに、アルフガルド陛下は構わないと返答したそうです。


 ただ……流石に、人が住う場所の側というのは難しい。


 そこで白羽の矢が立ったのが、私達が今向かっているティシュトリヤ周辺の辺境地域。

 彼らは、そのティシュトリヤの民たちとの交渉と、新たな住まいを選定する為に、こうして同行してくれているのでした。



「あなたも、ありがとうございます……ええと、グ=ルガルさん」

「フフ、気ニスルナ。御子様ノオ役ニ立テタノナラバ、私共トシテモ光栄ダ」


 どうやら、『光翼族』信仰は彼らトロール族の中でも根強いらしく、出会って早々に最敬礼で迎えられ、以降もこのように文字通り下に置かせぬ扱いです。


 ……というか、まぁ。


 彼らトロールの青年は皆、武を極めんとする種族なためなのか……非戦闘員や非力な後衛職、とりわけ女性にとても優しい紳士な方々です。本当に驚きました。




「ですが……流石最高危険度の禁域、魔物の強さも相当ですね」


 親指を噛みながら皆のリソースを確認しつつ、高い場所から俯瞰で戦局を眺めます。


 ……周辺から湧いて出る魔物の一体一体、それら全てが、以前コメルスに向かう途中の離島で交戦したあの鹿の魔物に準ずるくらいの強さ。


 兄様が三体、レイジさんが二体の狼を常に引き留めてくれていますが……今後の道程を考えると極力避けたいところではありますが、場合によっては数日に一回しか使えないレイジさんの『アドヴェント 』の活性化も視野に入れるべきかもしれません。



 一方で……


「ふ……若者達も頑張っておるのだ、私達も負けていられんぞ、お主ら」


 そう言って、まるで流水のように滑らかな動きで狼の間を縫うようにして立ち回り、手にした一刀で首を落としていくアシュレイ様。


 その危なげない様は、流石は王国最強の魔法剣士と言われるだけあります。


「お前達、おきなにだけ働かせるなよ!」

「分かってます、でないとまた地獄の強化合宿ですからね!」


 軽口を叩きながら、一人が盾に魔法障壁も併用して相手の攻撃を受け止めたところへと数人で斬りかかり、機動力を奪ったところに後ろからの魔法で焼き尽くす、という戦術で淡々と屠っていく『黒影』の騎士達。


 流石に統率が取れた動きで危なげも無く、こちらも暗部の精鋭部隊だけはあります。






 そうして、周辺が血臭漂う凄惨な光景となった頃……ようやく、群がってくる魔物の波状攻撃が止みました。


「イリス、周囲に魔物の反応は?」

「……大丈夫、私の感知できる範囲内には居ないみたいです」


 広域に渡り結晶の魔物を感知できる私の太鼓判に、ようやく兄様が盾を下ろします。


「ふう……なんとか凌いだね」

「ああ。皆、防護服に破損は無いか?」

「はい、後ろから見た感じでは目立った損傷がある人は居なさそうでした」


 元々この『硝雪の森』の全方位刃という過酷な環境に耐え得る防護服だけあり、分厚い耐刃繊維と錬金術の粋を集め作られた防刃・防塵仕様の綿に守られたその耐刃性能は折り紙付きです。

 代償としてかなり重量はありますが、今回の結晶狼は全身の刃物を武器にする敵なため、大した損傷とはなりませんでした。


 もっとも……直撃を受けていればその限りではないため、油断はできませんが。


「そうか……一応数人でグループ作って全身確認するようにね」


 万が一防護服に損傷があり、中に雪や砂が入り込むと大変な事になります。

 そのため、兄様の指示に皆で装備のチェックを行う。


「はい、細かな傷は付いていますが、表面を抜けたものはありませんでした」

「おう、サンキュー。イリスは……ま、大丈夫か」

「あはは……戦闘中はずっと担いでもらっていますからね」


 レイジさんとお互い装備をチェックし終え、皆の様子を眺めながらそんな会話をする。


「しかし、『黒影』の騎士達やトロールの人達もいて、マジ助かったな」

「ええ……これで一番安全なルートなら、どうやって普段は往来しているのでしょうね……」


 そんな疑問を呟きながら歩いていると、返事はハヤト君と一緒に点検していたアイニさんから返ってきました。


「いえ、違うのです……普段は、こんなに遭遇はしないのですけど」

「そうなのか、アイニ姉ちゃん?」

「ええ……いつもは慎重に進めば、滅多に鉢合わせはしなかったんですが……どうも、今回は何かに引き寄せられて来ているような感じがします」


 アイニさんと、そんな彼女の護衛で殿を守るハヤト君の会話に耳を傾ける。


 ……私が居るからですね。


 数日前に夢で見た『奈落』……本来の私の体。

 あれが私の事を認識した事で、源流を同じくする結晶の魔物たちが、元の魂を有する私へと引き寄せられている……そんな気がするのだ。


 そう、申し訳無く思っていると……ポンと、頭に置かれた手の感触。


「……そんじゃ、ま。やるべき事はさっさと森を抜ける事だな。おいソール、こっちはだいたい大丈夫そうだぞ!」

「あ……」


 気にするなとばかりに私の頭を撫でながら、リーダーとして行軍を取り仕切っているソール兄様にそう告げるレイジさん。


 ……マスクで表情は見えない筈なのに。


 どうせお前がヘコむであろう事は分かっている……と言わんばかりな彼の行動に、私はふっと口元が緩むのを抑えきれないのでした。


「そうだね、あまり長居したい場所ではないし。トロールの皆さん、引き続きイリスとアイニさんは任せても?」

「ウム、任サレタ。レディ達ハ我ラノ誇リト責任ヲ持ッテ守リ抜コウ」

「助かります」

「また、お願いしますね」


 どんと胸を叩いて請け負ってくれる彼らの厚意に甘えさせて貰い、脚の遅い私とアイニさんは再び担ぎ上げられるのでした。


「あの、ソールさんや、私だって非力な後衛女子なんですがにゃ?」

「ミリアムは超効率良い浮遊魔法で飛んで着いてこれるでしょ」

「むう、その私に対する雑な扱いには断固抗議するにゃ!」


 何やら以前よりも近い距離で口論しながら、並んで先頭を歩く兄様とミリィさん。

 そんな二人の様子に……そんな場合では無いと思いつつも、隣を歩くレイジさんの肩をつつく。


「あの……レイジさん。あの二人、随分と距離が近くなった気がしません?」

「そうか……? 元は女友達同士、あんなもんだろ」

「そうかなぁ……」


 そういえば、兄様とミリィさんは先日、二人で買い出しに行ったはず。

 その時に何か無かったのだろうかと、私は気になって仕方ありませんでしたが……場所が場所なため、すぐに気分を切り替えます。


「ではソールクエス殿下、私が先導しますので、殿下らは着いて来てください」

「はい、お願いします、アシュレイ様」

「残る『黒影』の皆は、最後尾を頼むぞ」

「「「了解しました!!」」」


 アシュレイ様の指示に、敬礼を返す『黒影』の騎士達。


 あっという間に先頭にいたソール兄様達を抜いて走っていく彼に先導され、私達はまだまだ続く禁域を、足早に駆け抜けるのでした――……







【後書き】

以下、どうにも話の中に挟めなかった補足。


・トロール族の名前


今作中のトロールの命名規則は、(部族名)=(個人名)という組み合わせになってます。

なので、今回名前が出たグ=ルガルさんは「グ族のルガル」という意味になります。

また今回は出ていませんが、族長や長老などの役職があるトロールは、さらに後ろに名前が続く事もあります。



・スノーはお留守番?


外は危険なので、ペット専用の防護機能付きキャリーケースに入った状態で非戦闘員のアイニさんが抱えてます。

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