王都の休日

 ――よく晴れた、王都に到着した翌日。


「えっと……必要なものは、大体揃いましたかね」

「あー……多分」


 私達は今、白い外套を纏い、フードを目深に被って大荷物を抱え、街中を歩いていました。


 ティシュトリヤへと旅立つのは、二日後。


 私達はその準備のため、私とレイジさんは食糧や薬品などの消耗品、兄様とミリアムさんは寒冷地用の野営道具をそれぞれ用意するために、街へと繰り出していました。


「それにしても……本当に凄い景色」


 吹いてくる風に捲られそうになったフードを片手で押さえながら、遠くへと視線を飛ばします。

 空中に張り巡らされた回廊を歩いているため、空が本当に広い。眼下を少し見下ろすと、そこには大雪山の絶景がパノラマで広がっています。


 また、主街区には蜘蛛の巣状に魔導LRVが走っているために、いわゆる自家用車に相当する物は必要なく、景観は拓け、空気は澄んでいます。


 そんな主街区は魔法学園都市でもあるため、今歩いている道を行く人々も学園のローブを纏っている学生が多く、授業や遊びの話題で盛り上がっているのか賑やかで、その表情も明るい者が多いです。


 ……中には深いクマを彫って幽鬼のように歩いている人も、ちらほら居ますが。


「学生生活かぁ……」


 それは、私が元の世界で、自ら投げ捨てたもの。

 その事を後悔している訳ではないのですが……もしかしたら、自分にもこのような日常を送る道もあったのだろうかと、寂しく思う時もあるのでした。


「別に……諦めなくても良いんじゃないか?」

「……え?」

「陛下に頼めば入学くらいさせてくれるだろうし……もし、元の世界に戻るんだとしても、あの親父さんに責任取らせて学生になったっていい」

「あ……そ、そうですね、今の体の年齢って十五歳よりも前くらいですもんね」


 たしかに……元の世界の成人した記憶に引き摺られていましたが、今からでも決して遅くない。


「ああ……それに、お前の制服姿とか絶対可愛いだろうし」


 ボソッと呟かれたレイジさんの言葉。

 予想外なその言葉に…


「ぷっ、く、くく……っ!」

「あ、笑うなって、学生んときは部活とゲームに夢中で彼女できなかったし、マジで見てみてぇんだよ!」

「あ、あはは、ご、ごめんなさい……っ、でも、真面目に言うもんだから……っ!」


 憮然としているレイジさんには本当に申し訳ないと思いつつ……私は、しばらく笑いの発作を抑える事ができなかったのでした。




「はーっ、笑い死ぬかと思いました……」

「……ったく」

「だから、本当にごめんなさいってば」


 憮然とするレイジさんに、苦笑しながら謝ります。


「確かに学生生活を羨ましく思うのだけど……別に、いいかな」

「……どうしてだ?」

「だって……私が学校に行きたかったなぁって思うのは、、だもの」


 それは、学業に対して少々不純な動機だとは思いますが、紛れもない私の本心。


「お……おぅ」

「あはは……なんだか、恥ずかしい事を言ってしまいましたね」

「いや、まあ、それは良いんだが……」


 困ったように頬を掻いているレイジさんが、気まずそうに周囲に視線を飛ばしていました。


「お前さ……ここが街中だって、忘れてないか?」

「え……――ッ!?」


 ――忘れてた。


 慌てて周りを見渡すと、全方位から向けられる生暖かい視線。

 どこからか「若いって良いわねぇ……」と聞こえて来た段になって、一瞬で私の羞恥心が限界を迎えました。


「いっ……行きましょう、レイジさん!」

「お、おぅ」


 レイジさんの手を取って、足早にその場を後にするのでした。








「うぅ……しばらく、あの辺りには行けません……」

「まぁ、落ち着けって。明日になれば皆忘れてんだろ」


 ずーん、と沈みながら、やや古びた街並みの区画を歩いていると。


「……あ」


 そんな中……ふと足が止まったのは、古めかしい佇まいの宝飾店。

 その中に陳列されていた商品の輝きに、妙に惹かれるものがあった為でした。


「……イリス、どうした?」

「あの、少しだけ……この店に入ってみたいのですが……」

「アクセサリーショップか。いいぜ、入ろう。なんならこないだの賞金もあるし、一個気に入ったのがあったら買ってやるよ」

「そ、そんなつもりじゃなかったんですが……」

「ほら、いいから見て行こうぜ」


 慌てて遠慮しようとしたら、当のレイジさんに手を引かれ、店内へと引きずり込まれてしまいました。


「でも、それなら……じゃあ、これを」


 迷わずそっと指差したのは……赤い石が中心に嵌った、銀細工でできた一対のペアとなったペンダント。

 実のところ、足が止まったのはこのペンダントが目に入ったのが理由でした。


 二つセットでお互い持てるという事と……なんとなく、レイジさんの髪色に似ていたからというのは秘密です。


「これか? っと、結構値が張るな」

「あ……本当ですね。というか全部、結構なお値段です」


 言われてようやく気付き、周囲を見回すと……今まで歩いてきた店にもアクセサリーはありましたが、それより一つか二つ桁の違う値札が並んでいました。


「ま、まぁ今の所持金なら問題なく買えるから、遠慮する必要は……」

「――なんじゃ、お主ら表の説明書きを見ておらなんだか。ここは色々な魔石を使用した魔装具店じゃ、ちと値も張るぞ?」


 レイジさんが気を取り直して続けようとしたその時、奥から掛かるしわがれた声。

 出てきたのは、すでに腰も曲がった、かなりの高齢と思しき老婦人でした。


「あ……ごめんなさい、素晴らしい品々に、ふらりと入ってきてしまったもので」

「おお、そうかそうか、うちの爺様は、腕の良い職人じゃったからなぁ」

「へぇ、並んでいるのは皆、お爺様の手作りなのですね、奥様?」

「ほっほっ、婆で結構じゃよ、奥様は流石にこそばゆいわい」

「はい……えっと、お婆ちゃん?」


 機嫌良さそうに笑う老婦人にそう言うと、彼女は嬉しそうに、うんうんと頷いていました。


「それで……おお、これが良いのかい、お嬢さんはお目が高いねぇ」

「お婆ちゃん、これは何か由来のある品なのですか?」

「うむ、これには結絆ゆいはん石という、特殊な天然の魔石が使用されていてな」

「絆を……結ぶ……石?」

「おお、よく分かったな、その通りじゃ。他にも、感応石などと呼ばれたりするのぅ」


 そう言って、件のペンダントの片方を手に取り、もう片方と寄せたり離したりを繰り返す老婦人。

 すると、中心に象嵌された石が接近するたびに、二つのペンダントが淡く輝いていました。


「同じ石から切り出した物である限り、どれだけ離れていてもお互いに向けて弱い波を放ち想いを繋げる……のだそうじゃ」

「へぇ……すごくロマンチックなお話ですね」

「うむ、うむ。やはり、若い娘さんはこのような話には興味あるようじゃな」


 そっと手にしたペンダントを元の位置に戻しながら、どこか悲しげな目で見つめる彼女。


「……本当は、これは人からの頼まれ物だったのじゃよ」

「頼まれ物……ですか? ならば、何故お店に……?」

「それは……もう、依頼主が取りに来る事もあるまいからな。すまんが、座っても良いかのぅ。この年になると、立ったまま話をするのは辛くての」

「あ……すみません」


 老婦人を支え、カウンター裏の椅子へと誘導して座らせます。


 ついでに、腰へ軽く治癒魔法も掛けておく。

 老化由来の腰痛そのものを治す事はできませんが、炎症を抑え苦痛を軽減することはできるはずです。


「驚いた……よもやお嬢さん、聖女様かえ」

「えっと……あはは、そのようなものです」


 ありがたや……と拝む老婦人に、曖昧に笑って誤魔化します。


「それで……あのネックレスの依頼主についてじゃったな。あれを依頼したのは、じゃった」

「やんごとなきお方、ですか」

「うむ、ずいぶんと私達も贔屓になったお方でな、そんなあの方が言うには、妹に贈りたいとの事だった」

「仲の良いご兄妹、だったのですね」

「そうじゃな……兄の方は常に何か張り詰めたような険しさのお方じゃったが、妹御と一緒にいる時だけは、別人のように穏やかじゃった」

「へぇ……妹さんの方は?」

「うむ。妹御の方も小さな頃からずっと、いつも兄様、兄様と後ろをついて歩いておってな、ほんに、微笑ましい光景じゃったよ」


 懐かしさに目を細めるようにして、語る老婦人。

 だけどそれはすぐに、沈痛なものへと変わります。


「まぁ……複雑な事情を抱えた生まれのせいか、兄妹揃って父親に疎まれておったらしいからの。その一派には敵視されていた二人にとってそれは、自然の流れじゃったのだろうよ」

「……え?」

「なんせ、拐ってきたも同然のめかけの息子が長男となり、他の子の誰よりも優秀だったのじゃからな。妹御に至っては、兄弟親戚で唯一天族の証である翼を持たなんだ。それはもう、兄の方が家を継ぐまでは、わしらから見ても何もそこまでという父親からの冷遇っぷりじゃったわ」

「それは……酷い話ですね」

「うむ……常に一緒に分かち合う事ができる者が身近に居ただけ、まだ救われていたのかもしれんがの」


 親に冷遇されていた、やんごとなき家の出の兄妹。

 どこかで聞いた話に、私はこの時点で薄々、誰の事か気付き始めていました。


「……そんな訳で、まだ子供だった頃からその兄妹の事を見てきた爺様じゃ。それはもう張り切っておったのう」

「あの、その方とは……」

「だが、注文したすぐ後、受け取りに来る前に二人とも行方知れずとなってしもうた。あの時は大騒ぎじゃたなぁ……」


 しみじみと語る老婦人。


 ――行方不明となった、高い身分にある人物。


 それに心当たりがある私とレイジさんが顔を見合わせますが、老婦人の話は更に続きます。


「……あれから二十五年以上経つが、もしかしたらまたふらりと受け取りに来るかと思い、大事に保管していたのじゃが……作った爺様が、去年亡くなっての」

「それは……ご愁傷様です」


 大事に守り続けていた、精魂込めた作品を、依頼した人に渡せずに逝く……さぞ、悔しかったのでしょうと、その心中を察します。


「わしも、もう長くはない、抱えて逝くくらいならば、せめて誰かの手にと思い店に並べたところで……お嬢さん達が来たのじゃよ」

「そう……だったんですね」


 何という偶然だろう。

 レイジさんの方を見ると、彼も分かっているとうなずきました。


「あの、お婆ちゃん。あのペンダントなんですが……」








「それじゃお嬢さん、大事にしてやっておくれよ」

「はい、お爺様との思い出の品、譲っていただいてありがとうございました、ずっと大切にします」

「いやいや、お嬢さんなら、爺様もきっと草葉の陰で納得してくれておるわ」


 呵々と笑いながら見送ってくれる老婦人に……私は、立ち止まる。


「……お婆ちゃん」

「ん、どうしたのかね、お嬢さん」

「ご夫婦で大切に守っていただいた事、本当にありがとうございます……も、こうして私達の手に渡った事、きっと喜んでくれていると思います」


 フードを外して、頭を下げ礼を述べる。

 そんな私を見て……お婆ちゃんは、目を見開きます。


「あんたは……そうじゃったか。あの人の妹さんは、あんたの……なるほどなぁ、肖像画とそっくりな美人さんだわい」


 そう、目に涙を溜めて語る老婦人に見送られながら、私達は帰路へと着くのでした


 どうやらかなり長い時間話し込んでいたみたいで、街はすでに、オレンジ色に染まっていました。





「……ごめんなさい、つい話し込んでしまって」

「気にすんな、良い話が聞けたんだろ?」

「ええ、本当に」

「ま、先に帰ってるであろうソールには、怒られそうだけどな」

「ふふ、そうですね」


 レイジさんの少し戯けた調子の言葉にクスクス笑っていると……ぽん、と大きな手が頭に載せられた感触。


「……良かったな」

「レイジさん?」


 不意に私の頭を撫でながらそう言うレイジさんに、首を傾げます。


「たしかに、前王がした事は納得した訳じゃない……けど、きっとお前の母ちゃんを大事に思っていたんだろうな……って思ったからさ」

「ええ、本当に……」


 何故日本に来て、どのようにして向こうの父さんと愛を育み一緒になったのか、その経緯は分かりません。

 ですが……私を産んだ事は、不幸なだけではなかったのかもしれない。その事に胸が軽くなる思いでした。


 寄り添って帰路に着く私達。

 その胸には、赤い魔石を象嵌した銀細工が、それぞれ光を放っているのでした――……

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