魔法王国ノールグラシエ
光翼の姫と二人の騎士
――アクロシティ、最奥にある一角。
『……では、飛空戦艦二十隻と、オートマトン百機は全滅。授けたドゥミヌス=アウストラリスも、無為に失ったという事だな?』
「申し訳ありません……このフレデリック、いかなる処罰も甘んじて受ける所存です」
頭上から響く、壮年男性風の合成音声。
その声に、私は必死に平伏しながらどうにか口を開く。
『まあ、良い。その話はまた後にしよう……アレを持ってしても不覚を取るほどの相手か」
「……は、誠に遺憾ながら。今後、御子姫の護衛の戦力を上方修正して事に当たるべきかと思う所存です」
『ふぅむ……それ程か』
どうやら、こちらの具申は聞き届けて貰えたらしい。
考え込み、黙り込んだその声に、内心で一つ安堵の息を吐く。
身を起こすと……広いホールのような空間、その中央に高く聳える円形の台の上、明滅する十のモノリスが並んでおり、声はそこから聞こえていた。
――これが……アクロシティの最高意思決定機関『十王』。その指示は全てモノリス越しであり、実際にその姿を見た者は存在しないと言われている。
もっとも……現在もまともに活動しているのは、その十人のうち半分も居ないが。
「それと……略式ではありますが、今回の件については各国の代表から抗議文が。今後、活動に支障を及ぼす恐れがあります。最悪、これ以上の反感は各国から離反される恐れが……」
『なるほど、なるほど……』
頭上、段の上に並ぶモノリスから響く、今度はしゃがれた老人の声。
それは、どこか緊張感が欠けた様子で悩んでいる素振りを見せた後……ようやく次の言葉を発した。
『それで……いつ、新たな御子姫を私達の元へと連れてくるのだ?』
「……は?」
ポカンと、間の抜けた返事をしてしまう。
「い……いえ、ですから今の世界状況では難しいと」
『それはもう聞いた。で、いつ連れてくるのかと問うている』
うんざりしたように繰り返される、モノリスからの催促。
愕然とする。会話が、通じない。
彼らの中では、御子姫を自分達の元へと連れてくる事
必要なのは結果のみ。それを実際に行う者達の……私達の事情など、はなから眼中にないと。
「……なるべく……早いうちに良い返事を聞いていただけるよう、努力いたします」
ギリ……と背後で手を握り締めながら、どうにか礼の体裁を取り、踵を返す。
「……それでは、失礼します。次にどうするか計画を立てなければならないので」
だが、一体何をどうしろというのか。
具体策も無く結果だけを求める上位者に目眩がする思いを抱えながら……ただ、無気力に退室するのが精一杯だった。
◇
――ここは、イスアーレスと、ノールグラシエ最南端都市『コメルス』を繋ぐ海路の中間地点にあるというだけで、ある程度発展した小さな島の港町。
来客といえば、せいぜいが補給のために交易船が立ち寄る程度。
そんな、平穏ながら停滞した日々を過ごしていたはずの港町に激震が走ったのは……島の、町がある方とは対岸に、『世界の傷』が発生したことによってだった。
そして――町に魔物の群れが襲い掛かったのは、その翌日……まだ避難もろくに進んでいない頃だった。
――勝てる訳がない。
大した騒動もなく、仕事といえばせいぜいが酔っ払いの喧嘩仲裁と……迷い込んできた小さな魔物の処理程度。
僅か数名の片田舎の兵士達が、突然世界の脅威である『世界の傷』対応の最前線に立たされて、敵う道理がどこにある。
それでも職務として、退避するために港へと逃げる人々の殿につくも……結果など、見え切っていた。
――多少の時間を稼ぐのが精一杯。奮戦虚しく町民もろとも全滅。
そんな結末しか予想し得ない、絶望に満ちた逃避行。
だがそれでも、兵士として道を選んだ以上はやらなければならない。ならないのに……
「ひ……ひっ……!?」
情け無く悲鳴を上げながら、ここまでの十分にも満たない戦闘によって全身に細かく走る裂傷の痛みすら感じる余裕も無く、血に滑る柄を必死にに繰り出した槍。
しかし……それを引き戻そうとした瞬間に、自分の失策に気付いた。
「……やべっ」
必死に眼前に迫った狼型の影へと突き立てた槍の穂先が……抜けない。
思えばここで手放すべきだったのだろうが……咄嗟に頭が回らず、迫る他の影の獣の顎が迫りくるのを、ひどくゆっくりな視界の中で見送っていた。
――槍は突いたら、すぐに捻って抜け。肉に埋まって抜けなくなったら、すぐに手放せ。でなければ……死ぬぞ。
そんな事をやけに厳しい面で宣っていた、出張訓練で訪れた本土の騎士の事を……「いや、片田舎の兵士でしかない自分達のどこにそんな機会があるんだよ」と同僚と笑い合っていた事を不意に思い出す。
もっと真剣に訓練していれば……そんな後悔に駆られながら、諦観とともに迫る牙を受け入れようとした、その瞬間。
「ボーっとしてないで、下がって!」
「……へ?」
眼前に飛び込んできた、蒼銀を纏った青年の姿。
彼は、紅い光を放つ不可思議な武器を振るい、今まで自分たちが死闘を繰り広げていた影の魔物達を、まるで紙のように切り裂き屠っていく。
「加勢するぜ、ここは任せな! 怪我した連中は、後ろに退がって治療を受けてくるんだ!」
続いて戦場に駆け込んできたのは、今度は紅銀を纏い真紅の髪をたなびかせた、これまたまだ若い青年。
「あの……あんたらは」
「大丈夫、助けに来ました」
「ぇ……、……っ!?」
ふわりと香る、このような戦場に似つかわしくない花のような匂い。
思わず目を向けたそこに居たのは……このような場には似つかわしくない、白を基調とした法衣を纏った、この世のものとも思えぬほどに可憐な少女。
思わず見惚れていると……少女がこちらへ優しくその白い手を伸ばす。すると全身から、苦痛が霞のように消えていった。
「もう大丈夫。あとはあの二人に任せましょう」
そう言って、視線を戦場に戻す白い少女。
横顔さえも美しいその少女が見つめる視線の先では、先程の蒼銀と紅銀の騎士二人が、奥から現れた魔物の親玉らしき存在と対峙していたが……少女の様子には、微塵も焦りは見られなかった。
――ああ、もう大丈夫なのか。
そう安堵する一方で……見惚れるあまり、真剣に凝視してしまっていた少女の顔に、ふと、気になった事が一つ。
それは……なぜ少女が前線に立つ二人を見る顔は、少し機嫌が悪そうに口を尖らせているのか、という事だった。
◇
イスアーレスから、ネフリム師をはじめとした大闘華祭の実行委員会の方々が用意してくれた船で移動中。
ノールグラシエ最南端の港町……もはや懐かしいとさえ思えるゲーム時代の私達のホームタウン、『交易都市コメルス』へと向かう途中、私が察知したのは……一つの島で急遽発生した、『世界の傷』の気配でした。
出現したばかりで、規模はあまり大きくない。私と、レイジさんとソール兄様の三人で十分対処できると判断し、こうして三人で駆けつけたのですが……
「ざっと見た感じ、最初の街で戦ったあの結晶の魔物と同格くらいの相手でしょうか……」
眼前でレイジさんとソール兄様の二人に相対している、大きな結晶の角を頭に備えた巨大な鹿の魔物を見つめ、予測します。
「あ、あの……俺たちも彼らの手伝いを……」
「いいんです、あの二人に好きにやらせておけば」
先程治療を終えたこの町の兵士である青年がたが、申し訳なさそうに掛けてくる声。
そんな彼らに……私は、少しだけ不機嫌を露わにしながら首を振るのでした。
「だ、だけど二人だけじゃ……」
「大丈夫って自信満々に言うんだから、大丈夫なんでしょう、きっと」
若干刺々しくなった、私の言葉。
兵士の皆が、心配になるのも分かります。
ですが、今回は私の補助も抜きでやってみたいなどと
そんな訳で今の私は、若干拗ね気味な自覚がありました。
……二人とも、その装備は一新されていました。
まずレイジさんは……その防具が、完全に一新されています。
新たに纏っているのは、ソール兄様のものと対になる、紅銀色の『アルゲースの魔導甲冑』。
鎧部分は兄様のものよりだいぶ少ないですが、これは動き易さ優先のため。コマンドワードを唱えると、兄様のものの通常形態と同じ形状の重装形態になるらしいです。
そして、その手に持つのはいつもの『アルヴェンティア』……そして今ではさらにもう一刀、ネフリム師によって改良が施され、今は制限起動して細い刃を纏っている『アルスレイ』の姿。
その二刀を悠然と構えた姿は、すっかり双剣士という風情です。
一方でソール兄様はというと……基本は、イスアーレスでの騒動から纏っている蒼銀色の『アルゲースの魔道甲冑』のまま。しかしその上にブランシュ様の遺した体毛を織り込んで耐刃・耐魔法性能を高めた白い外套を纏っています。
そして、その手にはレイジさんの『アルスレイ』同様、だいぶ絞られた赤い力場を纏っている『アルスラーダ』が握られていました。
二人とも新装備を試したいのは分かりますが……それは私も同じだったのにと、ブランシュ様の毛をふんだんに使わせていただいたために、すっかりカラーリングが一新されて、白が基調となった法衣……新たな『クラルテアイリス』を見下ろします。
もっとも……危険があるのならば、なんと言われようが私も参戦しますが。
「それに大丈夫です、ほら」
心配そうな兵士の方々に、フッと笑いかけて視線を前に向ける。
鹿の姿に相応しくない重く低い雄叫びを上げ、突進してくる影の大鹿。
どうやら結晶でできた角で操っているらしき闇を螺旋状に纏い、猛烈な速度で迫るその巨体ですが……
「……任せて!」
「サポートする、幻楼の……」
「大丈夫!」
咄嗟に『アルヴェンティア』の能力を解放しようとしたレイジさんを制し、十字盾を地面に突き立てる兄様。
「……『インビジブル・シールド』……ッ!!」
不可視の盾を展開し、全体重を盾に預けるようにして兄様が突進に備え身構えた直後……ガァン、と凄まじい音を上げて、大鹿の纏う闇は散り散りに霧散し、その巨体が嘘のように静止する。
「レイジ!」
「ああ、わかってる!」
直後、兄様の影から飛び出すレイジさん。
その手にした二刀……『アルヴェンティア』と『アルスレイ』を翻し、その角を根本から……絶った。
『……ッ!?』
ここに来て、自身の武器を失い眼前の小さな影を脅威と認めた大鹿の魔物が、後退しながら不気味な低音で
直後その背後から現れたのは……先程、親玉である大鹿の出現とともに後退していた者たち。
体の各所に結晶を備え、影のように黒一色に染まった鹿や猪、狼……中にはトドやペンギンみたいな海洋生物の姿も……などの動物達が、レイジさん達の前に立ち塞がり、迫り来る。
「……チッ、不利になったら手下頼みかよ!」
「レイジ、兵士達にもう連中を止める余力は無い! 後ろに漏らすなよ、私達二人で全て止める!」
「わかってらぁ!」
兄様が、盾を地面に残し『フォース・シールド』を展開、敵のこちらに向かう直線進路を阻む。
左右に分かれた、結晶を植え付けられたの獣の群れ。
しかし、兄様は腰の後ろに差していた『アルトリウス』を、手放した盾の代わりに抜き放ち、躊躇わずに群れへと飛び込む。
途端に、宙を舞う結晶の魔物達の頭。
その獅子奮迅の戦いぶりは、「タンク職ってなんだっけ……」と私に首を捻らせるには十分なものでした。
一方で、反対側へと回ったレイジさんはというと……こちらは、向かってくる魔物を『幻楼の盾』で絡めとると、僅かに動きの鈍った隙に次々と両断していきます。
すっかり『
装備が充実し、新たな力をいくつも習得した今、レイジさんはタンクの、ソール兄様はアタッカーの役割を、それぞれこなせるようになりました。
勿論、お互いの得意分野には敵わないらしいですが……しかし、二人ともどちらもこなせるという事は、とても柔軟に戦況をコントロールする力を二人に与えているのです。
「……すげぇ」
ポツリと兵士の誰かが呟きましたが、正直なところ私ですら同じ気持ちでした。
その目の前で……手下を撃破され、自身も武器を失い身を守る術を喪った結晶の魔物のボスである大鹿が、もはや為す術なく二人に二重の十字に斬られて消滅していきました。
最後、自らの声を思い出したかのように、一つ鳴いて消滅していった大鹿。その姿に一つ黙祷して……二人が開いた道を進みます。
「あ、あんた……この先は、禁域……」
「大丈夫、任せてください。この先は……私の仕事ですから」
そう、心配げにこちらへ声を掛けてくる兵士の皆さんに笑いかけて……その背に、羽を展開します。
「な……ん……っ」
「そんな、あの翼は……」
「おぉ……復活したというのは本当に……」
絶句し、直後膝を着いて祈る姿勢を取る最前の兵士の彼。そんな彼に続いて、次々と平伏していく人々。
「……お疲れ様、二人とも。では行きましょうか」
「うん、ごめんね、待たせて」
「急いで済ませて帰ろうぜ、船が通り過ぎちまう」
左右に並ぶレイジさんとソール兄様。
二人に頷いて、島の反対側、『傷』の気配を感じる方角へと、真っ直ぐに歩を進めていく。
――アルフガルド陛下と、フェリクス皇帝陛下も交えての話し合いの結果……事こうなった以上は隠すのをやめて、むしろ積極的に「ノールグラシエのイリスリーア」として光翼族のお役目を果たし、アクロシティへの牽制としようとなった今。
周囲の人々が次々と平伏していく事に、居心地の悪さを感じながら……『傷』があると思しき方向へ、二人を伴って歩き出すのでした。
どうやら魔物は全てあの大鹿に率いられていたらしく……特に妨害もなく、『傷』の浄化は滞りなく進みました。
「……ふぅ」
一つ溜息を吐き……浄化の際に受け取った救いを求めるような思念に同調したせいで、頬を伝っていた涙を拭います。
「お疲れさん。大丈夫か?」
「ええ……でも、
心配げに声をかけてくるレイジさんに、ポツリと呟く。
今回、わざわざ島へと上陸し、そこに新たに出来たという『傷』の浄化に繰り出したのは……勿論捨て置く事が出来なかったというのもありますが、もう一つ理由がありました。
……もしかしたら、あの後アクロシティ方面へと向かった可能性もあるあの人……リュケイオンさんの仕業かもしれないと。
ですが……
「分かるのか?」
「はい……あの人が作る『傷』は形状からして違いますし……」
今回の『傷』は、私がこの世界に来て初めて見たものと同じような、複雑な亀裂を描いたもの。あの人が開く傷はもっと直線的なため、この時点で違います。それに……
「……何より、込められていた思念がまるで別物ですから」
あの人の『傷』からは、今回のような助けを求めるような思念を感じない。怨恨と、自責。どこまでも自分だけで完結したものでした。
「……さて、そんじゃさっさと船に戻るか。皆も心配してるだろうしな」
「おっと、確かに。このままのんびりしていると、歓待の宴とかに巻き込まれかねないからね」
「……そうですね、早く戻りましょうか」
促され、考えるのは中断して兄様と二人で飛べないレイジさんの手を取って、宙へと舞い上がる。
「しっかしまあ……俺ら、ずいぶん強くなってたんだな」
不意に、ポツリと呟くレイジさん。
「あの魔物達が、最初の町で戦ったあいつと同格って本当?」
「うん……少なくとも、抱えていた力は同じか少し上くらい」
兄様の質問に、そう答える。
あれだけ苦戦した相手と同格の結晶の魔物に、今度は二人だけで危なげなく勝利を収めたレイジさんとソール兄様は、本当に強くなっていると思いました。
「はー、レベルキャップ解放からのインフレはネトゲじゃあるあるだけど、まさか自分がこの身で体験するとはなあ」
「はは、油断するなよレイジ、今後何があるかも分からないんだからな」
「言われなくとも分かってるっての!」
ドヤ顔で指摘する兄様に、食って掛かるレイジさん。
二人のそんな様子に苦笑しながら、眼下の海、そこを通過する船影へと視線を向ける。
その海を往くのは、二つの並んだ船体を平らな甲板で繋いだような……いわゆる双胴船と呼ばれる、特異な形状をした巨大な船。
イスアーレスが……大会運営委員会が非常用として秘匿していた、魔導機構船『プロメテウス』。
ネフリム師が掛け合ってくれて、各国要人を送り届けるために錨を上げてくれたその堅牢な要塞の如き巨大船。
別行動していた私達が本来乗っていたその船は、もう島のすぐ側を通過するところでした――……
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