死の蛇クロウクルアフ
眼下に広がる、無数の巨大な飛空戦艦の群れを、ただ感無量に眺めていた。
――長かった。
この世界の一部に穴を開け、そこを住処とする鼠のように引きこもっている『奴ら』には、今までずっと手出しも叶わなかった。
故に、たとえ間違えた手段にまで手を染めてさえ何もできず、これまでただ無為に指を加えて眺め、腐り続けた幾万の日々。
だが……今、連中は自分達が望んだ存在を前にして、我慢できずに巣穴から這い出てきた。今ようやく、始めてこちらの前にその尻尾を覗かせた。
――さあ、戦いを始めようか。
そう語りかけるような相方の目に……僕は、宙に身を躍らせた。
◇
「あれが……アクロシティの……」
腕の中で、震えるイリスの声を耳にして、抱く手に力を込める。
「大丈夫……対策は、用意してある」
それは、どちらかといえば自分へと言い聞かせる言葉。
だが、本当に
人個人はどれだけ鍛えようと、強力な兵器には勝てない。故に兵器には兵器をぶつけるのだから。
あるいは……スカーさんとミリアムが居れば、一隻くらいは頑張れば墜とせるかもしれない。
だが……あの数は、戦うまでもなく分かる。無理であると。
そんな、もはや個人がどれだけ武勇を誇っていようと関係無い、暴力を体現したような存在を相手に……『死の蛇』などと畏怖を込め呼ばれる奴だとて、果たして本当に敵うのだろうか。
周囲の者も、武器を構えようとすらしない。そんな絶望感が、船上を覆い尽くした――その瞬間だった。
「さあ、出番だぞ。真の姿を表せ、クロウ……いや、『クロウクルアフ』!」
このような状況の中で、上空からやけに大きく聞こえた、奴……リュケイオンの声。
次の瞬間、突如上空から降ってきた、眩く輝く
艦首を貫通するように、黒い光が飛空戦艦の巨体を貫き、爆炎を上げて船体を傾け、先頭の飛空戦艦が海へと堕ちていく。
そんな光景を背景に、上空には三枚の黒い光翼を持つ男と……一匹の、巨大な魔物が雲を割り、姿を現した。
「あれが……」
「死の蛇……その本体か……」
思わずといった様子で呟いたイリスに、呆然と返答を返す。
そこに在る、ただ見上げているだけでプレッシャーに膝を屈しそうになる、その威容。
――それは、おかしな魔物だった。
見た目は、長い首と巨大な胴体、そして翼を持つ、全て真っ黒な影のようなもので構成された威風堂々たる竜。
……少なくとも、私には
だが、なぜかその確信が持てない。
竜の姿をしている筈なのに、ふと世界をのたうつ巨大な蛇にも、天空を覆う巨鳥にも思えてしまう。
こちらから向こうを見た際の認識が、絶えず変化して安定しない、そんな気持ち悪さ。
そんな魔物を従えたリュケイオンが、その手を掲げ、アクロシティの飛空戦艦達へと振り下ろす。
同時に起きた出来事は……まるで、この世の終わりのような光景だった。
その竜の口から上空へと放たれ、途中で無数に拡散し雨のように降り注ぐ……黒いのに眩いという、矛盾した無数の光。
その雨に晒されて、抗うのも絶望的と思われた飛空戦艦たちが、あちこちから炎を上げてその隊列を崩した。
「あの人は……!」
私の腕の中から身を乗り出すようにして、そんな光景の中心、リュケイオンを食い入るように見つめているイリス。
だが……そのリュケイオンの手が、今度は私たちへと向けて掲げられ……
――余計な者が紛れ込んでいるな、やれ。
そう、奴の口が動いた気がした。
そして、竜の口が、こちらへと向く。
――それだけで、死んだ、と思った。
それでもイリスだけは……そう思い、その小さな身体へと覆い被さる。
次の瞬間、放たれる閃光に思わず目を瞑った瞬間、船が激しい揺れに襲われた。
……
…………
……………………
何も、起きる気配がない。
「……大丈夫」
鎧に包まれていない二の腕のあたりの服をちょいちょいと引く感触と、同時にかけられたイリスの言葉に、恐る恐る目を開ける。
周囲には、同じように身を守ろうと咄嗟に伏せた者達。
だが……先程の余波にまだ船体が揺れている以外、これといって変化は無い。どうやら、船は本当に無傷ならしかった。
慌ててリュケイオンの方を見ると……そちらは、もはやこちらには興味が無いとばかりに、飛空戦艦の群れと相対していた。
クロウ……『クロウクルアフ』と呼んでいた、あの魔物の口から再度放たれた閃光に、また一隻、飛空戦艦が船体から爆炎を上げて落下していく。
そんな、まるで蜻蛉でも落とすかの様な圧倒的な力が振るわれる光景を、呆然と眺めていると。
――さっさと行け。
最後にちらっとこちらに……あるいは、私が抱えているイリスに……視線を送ったリュケイオン。
その目は何故か、普段よりも幾分優しさを湛え、そう語っていた……そんな気がした。
「皆、船は無事だ、早く港へ逃げるぞ!」
我に返って私が飛ばした指示に、皆が恐怖に突き動かされるように起き上がり、進路を変えるために散らばっていく。
命が掛かるこの状況下でもはや皆、敵も味方も区別なく……一刻も早くこの場から立ち去りたいというように、最大速度で離脱していく魔導船。
「……あの」
「皆まで言わなくていい、それよりも、早く君の治療をしないと」
何か言いたげなイリスの言葉を制し、分かっていると頷く。
――助けられた、な。
去り際、こちらに向けられた攻撃。
あれは、アクロシティに余計な口実……結託し、奴らを、そして世界を滅ぼすつもりではないか……そんな言い掛かりをつけられないようにわざと行なったのではないかと、今になって思う。
「全く……やり辛い相手だな、本当に」
「兄様、あの人は……」
「さて何のつもりだったのか……今回は、味方だったけど」
――次は、あれと戦わなければならないかもね。
そう口から出掛かった言葉を飲み込む。
向こうが『世界の傷』側の存在ならば、きっといつかまた……今度こそ敵として……相見える予感がする。
それは十分承知しているのだろう。どうやら、奴と何か関係があるらしいイリスは、その顔を曇らせていた。
だが……私達には、立ち止まっている時間が惜しい。
イリスの胸に鈍く光る、紫色の結晶を指差して言う。
今は侵食は止まっているそうだが、それもいつまで持つか保証もなく……何よりも、その姿はあまりにも痛々しい。
「……早く
「……はい」
そう……この日はまだまだ、始まったばかりなのだから。
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