暗躍する者たち
――イリスが一人、孤軍奮闘していた頃。
イスアーレス片隅、治安の悪い区画にある、小さな安宿。
数日前から貸し切られ、宿屋の主人は握らされた金でどこかに旅行に行ってしまい、管理されず放置されていたその宿で、何やら一悶着が起きていた。
どさり、と床にまたひとり、人が倒れる。
その男は、貫かれた左肘と右肩を押さえ、「いてぇ……何でこんな目に……!」と泣き言を言っていたが、その顎先を軽く蹴って意識を刈り取る。
「ふぅ。これで全員片付けたか」
「……すげぇ、全部一人でやっちまいやがった……」
「別に、油断し切って堕落した連中なんかを何人倒してもね……」
そう言って、両手に構えた剣を一振りして血糊を払うと、階段へと向かう。
「いや、でもこいつら、それなりに実力はあるだろ……これでも一応、元プレイヤーだろ……?」
「だからこそ、自分がやられる側になった時に脆いのさ」
ふん、と吐き捨てる。
部屋中には、死屍累々と横たわる男たち。その全てが、こちらに来てからロクに働きもせずにいた類の元プレイヤー……こちらの世界の者からは『放浪者』と呼ばれる者達だ。
手足を貫かれ、痛みに苦悶の呻き声を上げている者たちもいるが……死ぬような怪我をした者は居ないというのに大袈裟な、と冷めた目で見下ろす。
彼らの処分はすでに手筈は整っており、この後来る予定の衛兵隊に任せるとして。
「目的の救出対象は……こっちか」
「ま、待ってくれよ、
「……いちいちビビって足を止めないでくれるかな、
うんざりした気持ちで、背後から付いてくる青年……準決勝の場についに姿を現さなかった筈の彼、ハスターに若干の苛立ち混じりの声で告げる。
だが、闘技大会の時の荒々しい雰囲気は、今の彼には全く無い。
「私達の存在を嗅ぎつけられる訳にはいかないって、『あいつ』も言ってたよね? 急ぐよ」
「あ、ああ……すまん」
申し訳なさそうに頭を下げる彼に、フン、と嘆息して踵を返す。
目的の部屋……二階一番奥の部屋まで来ると、無造作にガタついたドアを蹴破る。
そこには……
「君は、外で見張り。いい?」
「あ、ああ……」
素直に部屋の外で待機する彼を確認し、部屋に踏み込む。
……酷い状態だな。
すえた性的な匂いに顔を顰めながら、ハンカチで鼻と口を覆い……そこで眠っていた女性の様子に、さらに顔を顰める。
――やはり、下の男たちからはその逸物を切り落として来るべきだったろうか。
そんな物騒な事を考えながら、荷物から清潔な布巾を取り出して、水筒の水を含ませる。
意識の無い女性の……特に、下肢の方を重点的にざっと拭き清めてやり、ハスターが気を利かせてその辺の部屋からかっぱいできた、まだ清潔そうなシーツをばさりと被せてやってから、詠唱を始める。
「……
ぽぅ、と手元が淡い緑色に輝き、それは女性の身体をみるみる覆っていく。
全身から細かな傷が消えていき……そろそろ全快かなと思ったその時。
「……っ!?」
ガバッと、自分の体を抱くようにして跳ね起きた眠っていた女性……彼女は、フラニーという、数日前のレイジの対戦相手だった子だ。
「誰、あいつらの新顔!?」
「……大丈夫、安心してくれ。私達は、シン……
警戒心も露わに噛みつかんばかりの勢いで威嚇する彼女に、両手を上げて敵意が無い事を示し、事情を説明する。
「……そう、あの子の。あなたは……姫様の騎士サマの、王子様の方?」
「……ソールだ。騎士様も王子様もやめろ」
散々自分を辱めた「男」という存在に、剥き出しの警戒心を見せる彼女だったが……さらに鞄から取り出した、適当に見繕ってもらった女性用の服を放り投げながら、言う。
「それに……大丈夫、安心して、私の中身は女だから」
「……へ?」
警戒を忘れ、鳩が豆鉄砲を食らったような顔でポカンとする彼女。
「え、でもあんたは男で、リアルでは女で……あの、姫様って、まさかとは思うけどリアル……」
「……いや、このアバターは、兄から譲ってもらったものだし。
私は嘘は言っていない。イリスは、もう自分が男に戻る事はないと薄々察していたみたいだから。
「それで……どうする? もう嫌だ、戦いたくないというならば、このまま外に誘導するからどこへでも逃げ去って構わないが……」
「フン、決まっていますよ……フォルスさ……あの鬼畜メガネ野郎のメガネを粉々に叩き割るまで、絶対に逃げてやるもんですか」
目に昏い炎を灯しながら、地の底から響いてくるような怒りに満ちた声で宣う彼女。
その様子に、一つ頷く。怒りは戦意の火を煽り、恐怖を吹き飛ばす。後でどう転ぶかはわからないが、少なくとも今は気持ちで当たり負ける事はないだろう。
「なら、早く着替えてきてくれ。なるべく早くここから離れたい」
そう言って、途中で見つけていた彼女の装備を返却しながら、部屋を出る。
そのまま、数分待っていると……
「……お待たせ」
「ん、着替えたならすぐ出るぞ。衛兵とかち合ったら厄介だ」
着替えて来た、今は普通の町人のような格好になったフラニーさんの姿を一瞥し、早く出るぞと先を促す。
「……なんか、ピリピリしていない、彼?」
「……そうだな。だけど仕方ねぇよ、今、王子様はお姫様が心配で心配で仕方ないみたいだしな」
「そうなの?」
「ああ……情報によればちょうど今頃、向こうが襲撃されているんだと……」
「おい、急いで脱出するぞ」
後ろで駄弁っているハスターとフラニーの二人に、ついつい苛立たしげに言う。
……彼らの言う通りだ。できる事ならば、今すぐ大闘技場に戻ってイリスを助けに行きたい。
だが、それでは本当に救う事は出来ないと言われてこのような事をしているのが、本当に面白くない。
「全く、あんな奴の言う事を聞かないといけないなんて……!」
そう愚痴りながら思い浮かべるのは……レイジとの試合後、一人になりたいと闘技場から外へ出た時の事だった。
◇
「旦那、おーい、姫様の騎士、『
「その名前で呼ぶな……っ!」
ひとり館内をうろうろしていた時、不意に廊下の曲がり角の向こうの物陰から掛けられた声に、咄嗟に飛び出して声の元へと飛び掛かり締め上げ……その予想していなかった顔を見て、目を瞬かせる。
「ぐぇ、わ、悪い、そんな嫌いだとは……ギブ、ギブ!」
「あ……お前は?」
それは、見た顔だった。
「たしか、ハスターだったよね。準決勝をボイコットして、何やっているの君?」
「待った、待ってくれ、それ本当によくわからないんだ、気付いたらなんか勝ち上がっていて、俺にも何がなんだかで……」
「……本当らしいな。それで、何の用?」
吊るし上げていた襟を放してやり、発言を促す。
「あー……とりあえず、悪いようにはしないからついて来てくれないか? あんたと話がしたいから呼んできてくれって言われててさ」
「……話?」
罠かもしれない。
そうは思ったが……こちらを陥れようというのであれば、顔が知れてしまった彼を使いに出すのは考え難い。
「……わかった、連れて行ってくれ」
「ああ、こっちだ」
人目を避けるように、闘技場を出て、街の郊外へと進んでいくハスター。
目的地は案外遠く、小一時間ほど追いかけた先には……ひとりの、黒いローブ姿の人影が一つ。
その姿を確認した瞬間……私は地を蹴って飛び出し、その首筋に剣を向けていた。
いや、違う。本当は斬るつもりだった。ただ、男の周囲に展開された薄紙のような障壁に止められただけだ。
「やれやれ……いきなりこれか。これじゃおちおち話もできやしない……それとも、これが正式な作法なのかな、天族の餓鬼」
「……ならば、そのフードを脱いで名乗れ……何故ここに居る、『死の蛇』」
私の言葉に、はぁぁ……と心底面倒そうな溜息を吐いてから、案外素直にフードを取る男。
「これで、ちょっとはまともな話になるのかな、天族?」
「そうか……以前会った時は姿がおぼろげでうまく認識できなかったが、それが『死の蛇』、お前の姿か」
まるで色素が抜け落ちたような白い髪に、浅黒い肌の美青年。
眼だけがまるで蛇のような縦に長い瞳孔を持つ金色をしており、見ていると背筋に寒気がしてくるが……それだけだ、以前感じたプレッシャーは存在しない。
そして、彼は……
「僕は……リュケイオン・アトラタ・ラシェ・アイレイン……これで満足か、天族の騎士?」
そう、名乗ったのだった。
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