前夜祭①

 準決勝第一試合が終わり、激戦を終えて貴賓席へと戻ってきたレイジさんとソール兄様の二人。

 その治療がひと段落し、双方とも大きな怪我が無かった事に、安堵の息を吐きました。


「……どうですか? まだ頭が痛いとかは無いですか?」

「いや、大丈夫だ」

「……平気」


 そっぽを向き、ポツリと呟いた兄様に、レイジさんと顔を見合わせて苦笑する。


 すっかり拗ねていますね、これ。


「……もう、こういうのはこりごりです。見ていて気が気ではなかったんですから」

「ああ……悪かった。だが、守りたかった奴を他者に任せるには、どうしても必要なんだよ、納得できるけじめってのがな」

「……」


 レイジさんがそんな事を言いますが、それに肯定も否定もせずに黙り込む兄様。

 しばらくそっとしておけと言われ、言われた通りにします。


「っと、始まるな」


 レイジさんが、リングの方へと視線を向ける。

 釣られて私と兄様がそちらを見ると、丁度選手入場のゲートが開いたところでした。


『それでは、準決勝第二回戦! ハスター選手と、斉天選手の入場です!!』


 司会のお姉さんの言葉に、会場が、歓声で揺れます。




 ……しかし、その声が戸惑いと共に、徐々に小さくなっていき、最終的にはザワザワとしたざわめきのみになっていきました。


 というのも……


『これは……どうした事でしょう。ハスター選手が現れません!』


 リングに上がったのは、悠然と腕を組み、対戦相手の登場を待つ斉天さんのみ。


 その対戦相手であるハスターさんは……いつまで経っても、この場には姿を見せませんでした。











 ――結局、あの後ハスター選手が現れる事はありませんでした。


 レイジさんとソール兄様の一戦により、会場の熱気が高まったところにこの展開です。

 当然ながら、観客席から不満の声が飛び交うまま、試合は斉天さんの不戦勝で決勝進出が決定しました。




 そんな消化不良のまま……今、私は、夕方に控える決勝前夜祭への出席のため、自室に缶詰となっていました。


「いやー……驚いたねぇ、まさか準決勝で試合放棄なんて」

「……そうですね、何かあったのでしょうか」


 今は私の髪を梳いてくれているティティリアさんの言葉に、私自身、戸惑いながら答えます。


 ユリウス殿下とアンジェリカちゃん、それにハヤト君が姿を消したのと、何か関連があるのだろうか……そんな事を、髪を梳かれながら考える。


 ――もし、あのハスターという人が、と何か繋がりがあるのなら。


 てっきりこの大会に何か目的があるのだろうかと疑っていたのですが、そうではなかったのだろうかと拍子抜けした気分でした。


 ……なんだか、嫌な流れを感じる。


 大会に潜んでいた刺客の方々は皆捕縛済みだというのに、まだ何かが潜んでいるような、そんな漠然とした不安。


「……さまー、ねぇ、イリスちゃん?」

「……え? あ、すみません、ボーっとしていました!」

「大丈夫……?」


 心配そうにこちらを覗き込むティティリアさんに、大丈夫と笑ってみせる。


 気がつけば、私の長い髪は頭の左側、前髪が長い側で花などをあしらいつつ結われていました。

 最後に留め金でヴェールを被せられ、ティティリアさんが、よし、と一つ頷きます。


「それで……髪の方は終わりました。それじゃ今日最後の大仕事、頑張ってきてね」


 そう言って立つのに手を貸して、エスコートして部屋から連れ出してくれるティティリアさん。


「そ……そうですね、式典なんて緊張しますけど」

「それもあるけど……それよりほら、レイジさんに綺麗って言ってもらわないと」

「あぅ……」


 今の服装は、やはりというか手の込んだドレス。

 透けるほど薄い、僅かにプリズムがかったグラデーションの生地を何層にも重ねてふわりと広がるスカートは、まるで花のよう。


 上は胸のあたりまでしかなく、胸元と肩、そして背中を大胆に露出している。

 しかし、肘上までを覆う白い指貫グローブと、肩周りの露出を補うように掛けられた、ふわりと柔らかく揺蕩うショールが、ともすれば扇情的になりかねないのを押さえてくれていました。


 雰囲気的には、初日に着たドレスに近いでしょうか。


 それからしばらくはもっと普通な装いが続いたので、随分と久しぶりな気がします。




 式典列席者の控え室の入り口は、厳重な門によって塞がれていました。

 その門の開閉のためのドアキーパーが、左右に二人。

 そして、その中心に立っている、一人の女性。その姿には、見覚えがありました。


「あ、あなたは……司会の?」

「はい、司会進行を務めさせて頂いてます、シルヴィアと申します。こうして闘技場外で顔を合わせるのは初めてですね?」


 今はきちんとしたフォーマルなドレスを纏う彼女が、胸に手を当てて、上品にニコリと笑いながら声を掛けてくる。


「……やっぱり、こっちの方がいいかな?」


 しかし、私がその豹変に戸惑っていると、すぐに相好を崩していつもの彼女へと戻ってしまいました。


 その変化に……正直、ホッとしたのでした。


「いやぁ、でも来賓の方々も、みな気さくな方々で本当に良かったです。見ての通りあまり静かにしていられないタチなもので」

「ふふ、おかげで大会も楽しく拝見できました。ありがとうございます」

「ならば良かったです、司会冥利に尽きるというものですね……とと、中でお待ちになるのですよね?」


 こほん、と一つ咳払いする彼女。


「ノールグラシエ王国、イリスリーア・ノールグラシエ王女殿下のご入場です」


 そう彼女が告げると、左右のドアキーパーの男性が、扉を開けてくれる。

 祭儀殿とその待合室に続く重いドアが、ゆっくりと開かれていきました。


 そこには……すでに集まっていた、正装に身を包んだ各国の来賓の方々の姿。


「おお、来たかイリスリーア」

「お疲れ様。ドレス、よく似合っているわ」


 真っ先に気付いて声を掛けて来たのは、やはりというか、ノールグラシエ国王夫妻。


「お久しぶりですわぁ」


 そう、どこか妖艶さ漂う口調で話しかけて来たのは、東の諸島連合代表である巫女の一人である桔梗さん。

 彼女は今、背後に控える同僚の巫女達と同じく、正装である白衣と緋袴に加え、催事用の飾り千早まで着込んでいました。


「おお、来たかイリスリーア王女」

「お疲れ様、イリスちゃん。あと少し、お互い頑張りましょうね?」


 そう言ってにこやかに近寄ってきたのは、お互いの腕を取り合って仲睦まじく歩いて来る、フェリクス皇帝陛下とイーシュお姉様。


「それで……お姉様、調子の方は……」

「ふふ、ありがとう、心配してくれて。おかげ様で落ち着いているわ」


 花が綻ぶような笑顔を浮かべたイーシュお姉様の様子に、ホッと息を吐きます。


 そのまま、しばらくお姉様と雑談していると……


「おっと、どうやら主役の一人がお出ましみたいだな」


 フェリクス皇帝陛下のそんな声に、彼の視線を追って見る。


 そこには……紅い儀典礼服を纏い、儀礼用の剣を腰に佩いて、髪をオールバックに整えたレイジさんの姿がありました。


「ほら、行ってやりなよ、お姫様?」

「ひゃ!?」


 フェリクス皇帝陛下にトン、と軽く背中を押され、数歩前、レイジさんの目の前へと押し出されてしまう。


「おっと、大丈夫か?」


 よろけ掛けたところを、支えてくれるレイジさん。

 そのいつもと違う出で立ちに、バクバクと心臓が暴れ出し、言葉に詰まる。


「……やっぱ似合ってねぇよな?」

「あ、いえ……その、格好良かったもので」

「そ、そうか……?」


 照れながらなんとかそう口にする私に、同じく照れながら返すレイジさん。

 周囲からの微笑ましいものを見る視線に気付いて、慌てて背筋を伸ばし、澄まし顔を取り繕う。


「レイジさん。改めて、決勝進出、おめでとうございます」

「ああ、サンキュ。しかし……まさか正装しないといけないなんてなぁ」

「ふふ、催事の中の一つなんですから、仕方ないですよ……その、本当に格好いいですよ?」


 そう微笑みかけると、レイジさんは照れて目を逸らしてしまう。そんな彼の隣に寄り添って、アルフガルド陛下のところまで戻る。


 途中、恨みがましくフェリクス皇帝陛下にひと睨みするのは忘れない。もっとも、軽く笑って流されてしまいましたが。


「ところで……ソールは? 一緒じゃないのか?」

「……え?」


 その途中で言われて、そういえば姿が見えない事に気付きます。


 あと居ないのは、西の通商連合代表であるフレデリック首相と、もう一人の決勝進出者である斉天さん。

 しかしその二人は、少し遅れて式典ギリギリになるという通知がありました。


 しかし……兄様には、そうした通知はありません。


「私も、てっきりレイジさんと一緒に居るのだと……」

「いや、俺も……治療してもらったあの後に『少し一人にさせて欲しい』と言われたきり、会っていないぞ?」

「そんな……」


 ここまで、次々と出てくる行方不明者。

 まさかその一人に兄様まで……と不安が鎌首をもたげてくる。


「……まだ前夜祭までは時間がある。そのうちふらっと現れるさ」


 そう、励ますように言うレイジさん。







 しかし……その後もソール兄様が現れる事は無く、三位決定戦の両選手不在のまま、大闘華祭決勝前夜祭は始まってしまうのでした――……

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