蛇の目的

「戻るのは止めておくんだな。目撃者であるお前……は自力でなんとかできても、そっちの子供二人は消されるぞ」


 思わぬ助っ人として現れた黒ローブを纏う男は、あまり興味なさそうにしながらもそう助言してくれた。

 半信半疑ながらもその言葉に従い、王子様や聖女様を連れ出す罪悪感を感じながら、大闘技場から抜け出した俺達。


 そうして祭りに賑わう街を抜け、人目を避けて逃亡した俺達は……街外れ、桜花姉ちゃんの工房まで逃げて来ていたのだった。




 ちなみにスノーは、文を持たせてイリス姉ちゃん達への伝令に行ってもらった。


 二人は俺といる。

 任せて欲しい。


 たったそれだけの、他者が見てもおそらく分からないであろう伝言だが、姉ちゃん達なら伝わってくれるはずだ。




「……それで、私たちのところに連れてきたって訳なのね」

「ごめん、桜花さん。ほかに思いつかなくて……」


 完成間近の二組の甲冑の前で、腕組みして呆れたように言うこの家の家主である桜花姉ちゃん。

 目の下にクマを浮かべた桜花姉ちゃんのその不機嫌そうな言葉に平謝りするが、しかし、彼女は俺の隣、同行者の方を向いて困ったような顔をする。


 そこには……


「ごめんなさい、おねえさん……」

「迷惑をかける事は申し訳ないと思うわ、だけど……お願いします」


 ちみっ子二人、しかも片方は王子様という顔触れに申し訳無さそうに言われ、さすがに放り出す気にはなれなかったらしい。

 バリバリと頭を掻き毟り、諦めたように、はぁ……とため息を吐いた。


「……って言っている場合じゃないみたいね、まぁ、仕方ないか。私はこっちに篭りきりだし奥の部屋のベッドは空いてるから、汚していいよ、使いな」

「ありがとう、桜花姉ちゃん……!」

「「ありがとうございます!」」


 礼を言って、頭を下げる。

 隣の二人も、揃った動作でペコンと頭を下げた。


「いいわ、急いでるんでしょう。キルシェ、案内してやって頂戴」

「うん、お姉ちゃん。それじゃ、みんなはこちらにどうぞ」


 そう言って案内してくれるキルシェ姉ちゃんに案内されて、移動するのだった。






 どうやら本当に使っていないらしく、余計な物がない、作業室の仮眠ベッド以上に殺風景な部屋に案内された俺達。


「それじゃ、急いで治療するから早く寝かせて頂戴」

「おう、頼む」


 仕事モードに入ったらしく険しい顔をしているアンジェリカの指示に、そっと背負っていた人物を寝台に寝かせる。


「あの、私も治癒ならお手伝いできるのですが……」

「大丈夫、でも長丁場になるから交代が必要になったら頼んでも良いかしら」

「う、うん……」

「ユリウス殿下、さっきのお姉さんに頼んで、お湯を沸かして貰ってきてください」

「うん、わかった!」


 テキパキと指示を出しているまだ幼い女の子に、気圧されているのは年上のはずのキルシェ姉ちゃんの方。

 小さな聖女様のその様子は、場馴れした落ち着きを感じさせるものだった。


「はぁ……まだ子供なのに、聖女様ってすごいなぁ」

「あの子は特別気が強いだけじゃねぇかな……」


 関心というか恐縮というか、目を白黒させているキルシェ姉ちゃん。

 その言葉に、俺はユリウス殿下にまでビシビシ指示を飛ばしているその様子を見ながらしみじみそう呟くのだった。




「とりあえず、消毒が必要ね。まったく、あの人はサラッと教えてくれたけど、この魔法の有用性が本当に分かっているのかしら……」


 ブツブツ呟きながら、『ピュリフィケーション』の魔法でベッドに寝かせた人の身を清めるアンジェリカ。

 イリス姉ちゃんに教わったというその魔法は、こちらの教団には無かったものらしい。


「そんな凄いのか、その魔法? 綺麗になるだけじゃ……」


 たしか第四階位くらいだし、割と初期の方で覚える簡単な魔法、っていうイメージだったんだけど。


 ……と、思った通りに言ったら、やれやれと呆れた顔をされた。


「あのねぇ、たったこれ一つだけの魔法で、傷口も器具も完璧に消毒できるのよ?」

「お、おぅ……そいつは凄い……のか?」

「凄いなんてもんじゃないわよ。私たちの活動も、この魔法一本あれば劇的に楽に……」

「ねぇアンジェ、まずはこっちを何とかしないと」


 だんだん愚痴がヒートアップしてきたアンジェリカに、伝言を桜花姉ちゃんに伝え終えて戻って来たユリウス殿下の指摘が入った。


「っとと、そうだったわ。全く……仕事の邪魔をしないでよね!」

「いや、まあ……悪い」

「いいから、麻酔が効くまで、もし暴れ出した時のために押さえつけておいてください!」


 そう言って、悪用されぬよう教団に極秘で伝わるという、ごく弱い麻痺と催眠複合の麻酔魔法を唱え始めたアンジェリカ。

 なんで怒られたんだと理不尽に感じつつも、俺はこの場で一番立場が上の少女に言われた通りにするのだった。





 しばらくして、麻酔が効いたのか深い眠りに落ち、僅かな胸の上下しか見られなくなった怪我人。

 消毒を終え、血糊を拭き取った後の様子は、それは酷いものだった。


「うげ……」


 刺激の強い光景に、ユリウス殿下の目を塞ぎながら、呻く。


 逃げながら止血は済ませているため出血は収まっていたが……特に酷いのは、獣に食い千切られた様相の右肩。

 腕が繋がっていた事すら奇跡的だったようで、ごっそり欠損した肉の間から途中で砕けた骨が顔を覗かせ、繋ぎ直された血管が微かに脈打っているのすら確認できた。


「……あれ、この人」

「ん、キルシェ姉ちゃんの知り合いか?」

「う、うん……」


 その時、ガチャリと扉が開き、湯を張った桶を抱えた桜花姉ちゃんが部屋に踏み込んで来る。


「その子はたしか、プレイヤー互助組織の子だね。前にキルシェを助けた時に協力してくれた奴……まあ、恩人と言ってもいい奴だよ」


 そう言って、怪我人の顔を覆っている、何かの鳥類らしき頭骨でできた仮面を取り払ってしまう桜花姉ちゃん。

 そこには……プレイヤー独特の整っている顔があった。


 今は血に染まっているが、元は艶やかであろう銀の髪。苦悶に歪んでいるが、おそらく平時は穏やかそうな様子だろうやや垂れ気味の目に、桜色の小さな唇。その顔は、間違いなく女の子……それも相当に可愛い部類……だった。


「この方、男装していたけど、女の子だったんですね」

「ま、力を手にして浮かれた野郎どもの中で暮らすには必要だったんだろうね、魔法職なら尚更さ」


 たしかに、いくら強いといっても魔法使いでは、突然複数の前衛職から真っ向から押さえ込まれたら反抗できないだろう。


 そんな事を解説しながら、桜花さんは抱えて来た鋏……防具に使うなめし革だって裁てるゴツい奴だ……を、じゃらんと音を立てて鞘から抜きはなった。


「ほらほら、治療には服を脱がせないとなんだから、男子はさっさと外に出る」

「お、おう……それじゃ後は任せる」


 俺とユリウス殿下は、あっさり部屋の外に摘み出されてしまった。


「……追い出されちゃった。どうしよう、忍者のおにいさん」

「そうだな……」


 見上げてくる幼い王子様の問いかけに、うーん……と悩む。


 正直、やらなければならない事は分かっている。気は進まないが。


 ……やっぱ、話聞かないと駄目だよな。


 けど、めちゃくちゃ気難しそうだよなぁと、気が重くなるのだった。






 本当に味方か分からない相手のところに子供を連れてくるのはさすがに憚られ、ユリウス殿下には落ち着けるよう茶を出してやって、リビングに置いてきた。


 さて、あいつは……と周囲を見回す。

 その姿は、案外とすぐに見つかった。


「よっ……と」


 軽く飛び上がって片手で屋根の縁を掴み、足を振り子のようにして反動をつけ、ひらりと屋根上へ飛び上がる。

 そこには……腕を組んだまま闘技場の方角を見つめ、煙突に背を預けたまま微動だにしない黒ローブの男の姿があった。


「見張っててくれたのか?」

「……」


 返事はない。完璧に無言。

 狼狽えるな、このくらい予想通りだ。


「一応、礼を言っておく。助かった」

「別に助けたわけじゃないよ」


 間髪入れぬ男の言葉に、ぐ、と言葉に詰まる。

 予想はしていたが、取りつく島もない。


「……い、いや、でも助かったのは事実だし」

「礼なんて必要ない。こちらにも事情があっただけで助けようとした訳じゃない」

「ああ、ハイハイ、そうですか」


 礼くらい素直に受取りゃいいのに。

 そうは思うのだが、向こうも照れたりした様子が無いので、どうやら興味ないというのが紛れも無い本心らしい。


「で? 事情ってなんだよ」

「お前が知る必要は無い」

「てめぇ……」


 そんな苛立ち混じりに呟く俺をちらっと見ると、やれやれといった様子で肩を竦めた。


 ……いちいちイラつく野郎だなこの野郎。


 そう喉元まで出掛かった言葉を、寸前でグッと堪えた事を褒めて欲しいくらいだ。


「そうだな……わざわざ説明するのも億劫なんで、ただ一つ、簡潔に事情だけ伝えてやるとするなら」


 いや、ちゃんと説明しろよこんな会話してる方が面倒だろうが。


 そう思ったが……そんな内心の愚痴は、次に語られた言葉によってどうでも良くなってしまった。



「――このままいけば、お前たちの大事なあの『御子姫』は、お前達の手から溢れ落ちる事になるぞ」

「……は?」


 御子姫……たしかイリス姉ちゃんの事だったはず。

 それが……居なくなる?


 そんなまさか、今は姉ちゃんの周囲には兄ちゃん達二人だけでなく、領主様や、元は強い騎士だったという陛下、それに色々な人が周囲を囲んで守っているというのに。


 だがしかし、フードの中、闇から覗く男の金色の目は、その未来を確信した真剣なもの。

 それに……そこに僅かに見える感情の色に、俺は次の言葉を発せられなかった。


「僕にとってそれは面白くない。だから……それを止めるために来た。今はただそれだけ信じておけばいい」


 そう呟いた『死の蛇』の目は……気のせいか、話に聞いていたよりも幾分穏やかに見えたのだった――……

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