悪魔を制する者

 

『大会八日目、第一試合、ソールクエス選手対、青龍シャオロン選手の一戦は、激しい殴り合いの様相を呈してきました。一体、どちらに戦神様はほほ笑むのか――!?』


 司会のそんな声を意識の隅に、一息の間に眼前の男から繰り出される無数の拳を両手に携えた二刀で辛うじて捌き続ける。


「拳で刃物を弾くって、どんな仕掛けなんですかね……っ!」

「鍛錬だ」

「はは、ご冗談を……!」


 眉も動かさずに淡々と答える男……青龍シャオロンの言葉に、そんなことがあってたまるかと毒づく。


 おそらく、レイジの戦ったあの白虎バイフゥと原理は一緒だ。


 ――薬物による、自己暗示の強化。


 この男の場合は、通常よりもはるかに多くの気を扱えるとかそんな類だろう。

 そうして集めた闘気を全身、ひいては両拳へと集中し、攻防一体の鎧として纏っているのだ。


 ……とはいえ、魔法により刃引きされているとはいえ、拳で剣を迎え撃つなどまともな胆力では不可能だろう。


 それを可能としているのは、ひとえに先程彼の言っていた鍛錬から来る、自信。


 事実、対峙しているこの寡黙な男は、わずかにでも気を抜けば呑み込まれそうなほど強い。


「……仕方ないな、次にレイジと当たるまで取っておきたかったんだが」


 順手に持ったアルスラーダと逆手に持ったアルトリウス、二本の剣を体の前に構えて、今まで人前で披露した事のない魔法を、紡ぐ。


 ――お借りしますよ、レオンハルト辺境伯。


 心の内で盗用について謝罪し、唱える。


「――加速アセラ増加オグム循環キルク――疾風迅雷エアダルモルニア――フル・インストールっ!!」


 カッ、と紫電の閃光が走る。

 私の周囲に展開したいくつかの魔方陣から伸びてきた雷光が、体の周囲に纏わりついてくる


「ぐっ、うぅ……ッ!」


 予想はしていたが、かなりキツい。体がバラバラに爆ぜそうだ。


 全身にビリビリと刺激が走り、普段使用されていない細胞が内から湧き出る高圧の電流に刺激され、目覚めていく。


 そうして……視界全てが、閃光へと包まれた。







 ◇


 兄様の体が、無数の雷光に絡め取られていく。

 その光景に周囲の観客……主に女性の方々……から悲鳴が上がりますが、私は、あれに見覚えがありました。


「あれは……レオンハルト様の……」


 ちらっと彼の方を見ると、レオンハルト様は私の視線に気付き、苦笑しました。


「ええ……間違いないでしょう、私のオリジナルの魔法『フルインストール』を模倣したものです。見た感じでは完璧ですけれど……いやはや、いつの間に」


 称賛とも呆れともつくような表情を浮かべて、そう語るレオンハルト様。


「しかし、あの魔法は諸刃の剣。発動中は常に電撃が自らの体を灼き、その術者の耐性によって強化の限界値が大きく変わって来ます。そして殿下の耐性は……」


 レオンハルト様は、やれやれと頭を振って、それから続きを口にした。


「……私よりも、ずっと高い。上昇幅は私よりもずっと上です」


 そう呟いたレオンハルト様。

 その視線の先には……高圧の雷光を蓄え、帯電し光を放つ銀髪を逆立てた、兄様の姿があったのでした。




 ◇


 ――なるほど。反応速度が上がるとはこういう事かと、冷静さを維持した頭でなんとなく考える。


 意識がやけにクリアで、世界がゆっくりに見える。

 体のレスポンスが向上し、思い通りに、否、思うよりも早く体が動く。

 全ての反応速度が向上し、あらゆる物がよく見える全能感。


 そんな視界の中で、今までよりもやけにゆっくり動いているように見える、対戦相手である男の姿。


「そのような虚仮威しなどに……っ!」

「ならば、虚仮威しかどうかその身で試してみれば良い……!」


 体全体で突っ込んでくるようなその打突を、こちらも大きく踏み込みながら、両手の剣で払う。


 ガァン! という金属が打ち合うような硬質な大音を上げ、青龍の拳と私の剣がぶつかり合った。

 しかし……今回は、こちらの速度が段違いに速い。その速度が載った衝撃力は個人が踏ん張って耐えられるようなものではなく、勢いに押されて青龍の鍛え上げられた身体が吹き飛んでいく。


 このままでは、壁に激突して戦闘不能……おそらく会場のほとんどの人はそう思ったのだろう。


 しかし、私には見えた。器用に空中で身を捻った青龍が、壁に着地する体勢を整えていたのを。


 ――逃すか!


 即座に地を蹴って、吹き飛んでいく男へと追い縋る。


「む、ぅ……ッ!?」


 驚愕に目を見開く青龍。

 それでも構え直した技量は流石だが、壁に着地直後、再度ぶつかり合い別方向へと飛んでいく青龍を、今度はノータイムで壁を蹴って追い縋る。





 ――ここからの戦闘を、観戦していた観客達はこう語った。


「まるで、雷の龍が小石を追いかけ回しているようだった」と。






「お……のれぇ!!」


 会場を縦横無尽に駆け回り幾度かぶつかり合った後……ズダンッ! という凄まじい踏み込みの音と共に、ボロボロになった青龍がそれでも大地に踏みとどまり、私を正面から迎え討つ。


「ぐ、ががっ、ぐぅ……ッ!?」


 激突した箇所から激しい雷光が明滅し、私が纏う電撃が男の体を貫く。


 ……しかし、男は倒れなかった。私の吶喊は、その意地によって止められた。


「が、はぁっ! ふ、ふはは、止めたぞ、我の勝……」

「いいや」


 勝利宣言しようとした青龍の顔が、私の両手にあるものを目にして驚愕に歪む。


「充電完了……私の勝ちだ」


 バチバチと、未だ衰えぬ……否、目を焼くほどの白光と化した雷光を湛えた、私の両手にあるアルスラーダとアルトリウス。

 その二刀を弓を引き絞るように構えて……引いた力を解き放つように、再度飛び出した。


「チェインバインド……!」


 バジュゥッ、という雷光が大気を焦がす音を上げ、地を蹴った体は瞬時に相手に迫り、切り裂く。


 それだけでは終わらない。背負ったいくつもの魔法陣からまるで電磁投射砲のような速度で放たれ追従する鎖達が、吹き飛ぶ事も許さずに青龍のその体を戒め固定した。

 そんな拘束され、激しい雷撃により体の自由を縛られたところへと、雷光を纏って反転し躍り掛かる。


「クロスッ! ランページ……ッ!!」


 体を独楽のように回転させながらの、空中からの強襲。

 右肩から左脇へと抜けた、刃を返したその殴打は青龍をひとたまりもなく吹き飛ばし、数度地面を転がったところで漸くその動きを止めた。


「ぐ……がっ……」


 それでも一瞬起き上がろうという執念を見せるも、結局は小さな呻き声だけ上げて、全身から煙を上げ、白眼を剥いてうつ伏せに倒れ伏した青龍。


 それを見届けて『フルインストール』を解除し、貴賓席のイリスへ向けてまるで剣を捧げる騎士のようにアルスラーダを掲げてから、刃を払って鞘に収める。


 チン、という音で動き出したのは――流石プロというべきか、司会のお姉さんだった。


『け……決着ぅ!! 激戦を制したのはソールクエス殿下、昨日のレイジ選手にも勝るとも劣らない、凄まじい必殺技により、完全勝利です――ッ!!』


 興奮した司会のお姉さんの決着コールにより……シンと静まり返って固唾を飲んでいた会場が、割れんばかりの大歓声に包まれるのだった――……











 ◇


 ――その夜、西の通商連合関係者に割り振られた宿舎の一室。






「クソッ、やられた! なんなんだあの二人は……!」


 激昂したフォルスさんが、ヒステリックに机の上にあるものを放り投げて叫んでいた。


 無理もないのだと思う。今回のソールさんの勝利で、こちらが紛れ込ませた手札は全て排除されたのだから。


 しかし、そんな憤懣に駆られているフォルスさんと裏腹に、私は安堵していたのだった。これで、もう彼が悪事に手を染めずに済むと。


 ……たとえそれが、商会が立ち行かなくなる事に繋がるのだとしても。


「フォルスさん、もうやめましょう、ね?」


 どうにか宥めようと、おそるおそる声を掛ける。

 すると……彼は、今ようやく私の存在に気付いたように、怪訝な目をこちらに向けてくる。そして……


「そういえば……どうやら、君も私の邪魔をしてくれたらしいですね、シン?」

「……っ」


 その言葉と憎々しげな視線に、ビクッと体が震える。


 非人道的な物品……出所不明の、異質な魔物の体組織の一部を元にフォルスさんが錬成した、取り付いた対象の自我を制限して自らの僕とする、仮称『魔神の種』を大会関係者に使用して邪魔なレイジさんやソールさんを排除しようとしたあの一件。


 レイジさんの対戦相手であるフラニーさんを通じ、彼に警告を届けさせたのは確かに私だ。

 その結果、イリスさんの協力もあって無事無力化できたと居合わせていた彼女に聞いた時は、ほっと一息ついたものだけど……




 ……そういえば、あれ以降フラニーさんを見ていない。とても嫌な予感がした。


「フラニー君が、君にあの『紅玉髄カーネリアンの騎士』に忠告するよう頼まれたと、自供してくださいましたよ?」

「フォルスさん……? あなた……彼女に何を……っ!?」

「何……少し腹を割ってお話をしてもらっただけですよ」


 ドッ、ドッと、心臓がうるさく鳴り響く。

 まさか、そんな……そう信じたかった事が、すぐに当の、この世界に来てしまった時から最も信頼していただった人の言葉によって、粉々に打ち砕かれた。


「ああ、でも……少々その話を聞いたは、欲求不満を募らせていたかもしれませんね? おっと、そうすると割ったのは腹ではなく股でしょうか?」

「な……何という事を貴方は……ッ!?」


 あまりにも下衆なその物言いに、ギリっと、杖を握る手に力が篭る。彼の言うそれがどのような意味か、察せぬほど初心ではない。


 全て吐いたらしい彼女を責める事など出来はしない。きっと、自分の身に同じ事が降りかかったらのならば、泣いて許しを請いながら全てを吐露していたであろう事は想像に難くないのだから。


「彼女だって、あなたが守ろうとしていたプレイヤーなのに、どうして!?」

「必要だからです。何、どうせ仮初めのアバターではないですか」

「戻れる保証なんてどこに……いや、それよりも、たとえ戻れたとしても心に傷は残るんですよ!?」



 必死に訴える。しかし、フォルスの目にはもはや、自身の行いがおかしいという疑念はどこにも無かった。


 良心の呵責なく。

 善悪の区別無く。

 自分の邪魔になったのだから、そうしたのだと。




 ――駄目だ、もはや言葉では届かない。


 ギリっと唇を噛み、万一に備えて懐に忍ばせていた紙片を握りしめる。

 詠唱保存の札。自分の給与数ヶ月分は優に掛かる使い捨てのその紙片は、規定の文字数までの詠唱をあらかじめ仕込んでおく事で、魔法の発動を短縮する魔法補助具だ。


 ……あるいはもうずっと前から、届いてなかったのかもしれない。


 分かっていたのだ。

 こちらに来てひと月ほど経過したころ、通商連合の上役から声がかかり、実権を握っている有力者の元へ出入りするようになってからというもの、日に日にその表情は険しくなり、彼は少しずつおかしくなっていた事は。


 ――分かっていた、はずだったのに。


 しかし、きっといつかは元に、と楽観していた結果がこの事態ならば、責任の一端は自分にこそ存在する。


「間違っていました、私はあなたを力ずくで止めるべきだった! 今のあなたは、絶対におかしい!!」


 断罪し、左手に札を、右手に杖を向けて残る終盤の詠唱を始める。


 これが何の詠唱か、きっと彼は分かっている。これで諦めてくれれば……!




 しかし……そんな都合の良い祈りは虚しく、彼はただつまらなそうにこちらを睥睨し、ただ言った。


「……ふん、くだらない真似はよせ」


 どうせ、お前には何もできない。そう言われたような気がした私は……


「……嵐風トルム冷気グラット吹雪ヘイル鋭刃ナヴァハ――裂氷刃トランティスカレスタ! ――フィンブルッ!!」



 全ての迷いを振り切るように、詠唱が完了した。


 部屋全てに一瞬で霜が降り、宙に無数に現れた絶対零度の氷剣が、雨のように対象へと降り注ぐ。


 触れるだけで凍てつかせる刃が砕け爆ぜる音は三十秒以上経過してもなお鳴り響き、濃密な霧が部屋の中全てを真っ白に染め上げていく。


「……ごめんなさい、フォルスさん……私は……っ」


 第十三位階、対単体用最上位氷結魔法『フィンブル』。


 魔法が発動する瞬間にフォルスも何か詠唱していたようだが……剣の形に押し留めた冷気によって体内まで浸透し、大型の魔獣すら一撃で芯まで凍てつかせ砕くこの魔法に、生半可な対抗魔法程度で人が耐えられる道理などない。


 ――それだけの、殺意ある魔法なのだ。


 杖に縋り付き、膝をつく。

 決めたのは……彼を殺すと決めたのは自分で、間違っていたとは思わない。それでも……涙が溢れ、嗚咽が漏れた。


「やれやれ……まさか、君にここまでの殺意を向けられるとは流石に予想外でしたね」

「…………え?」


 聞こえて来るはずがない声に、思わず顔を上げた瞬間。




 ――霧の中から飛び出して来た『何か』の鋭く並んだ牙が、ぞぶり、と肩に食い込んだ。




「……は……ぇ……?」


 初めは、痛みを感じなかった。


 しかし、呆然としている間に、鋭く並んだ歯によってブチブチと、衣服……厚手のローブやその下に身につけていた下着のストラップごと――柔らかな肉が引き千切られた。


「――――ッッッ!!?」


 次の瞬間襲ってきたあまりの激痛に、悲鳴すら声にならなかった。

 意識が残ったのは奇跡か、あるいは……不運だったのか。


「ぅあ゛っ、あぁあああ゛っ……ッ!?」


 過剰な激痛で神経が焼け尽き、視界が白く明滅する。焼け付くような痛みは、気を抜けばいまにも意識が飛びそうになるほどに精神を削り続けていた。

 そんな地獄のような痛みにのたうち回る間も、吹き出すおびただしい鮮血が、右半身をぐっしょりと濡らしていく。痺れて動かなくなった手から、杖が転がり落ちた。



 朦朧とする意識、霞む視界の中で辛うじて頭を上げた先。

 霧の中から現れたのは……巨大な段平を携え、半身を凍てつかせた、捻れた角を持つ巨大な悪魔と、それに付き従う数匹の漆黒の獣。


 さらにその背後から悠然と姿を現したフォルスは……全くの無傷だった。




 ――悪魔を制する者デーモンルーラー




 その名の意味を理解して、心臓が握り潰されそうな程の恐怖が襲って来る。


「フォルス、さん……ッ!」


 思わずその名を呼ぶ。先に手を出したのはこちらだといえ、長年の付き合い故に情くらいはと、あるいは期待する甘え故だったのかもしれない。しかし。


「君は良い同志だと思っていたのだが、残念だ、星露シン・ルゥ……始末しておけ」


 何の感情も映さぬ冷たい目で、まるで興味が失せた玩具を棄てるようにそう告げると、背を向けて歩いて行ってしまうその背中。


 それとは対照的ににじり寄る巨大な悪魔と獣達に、冷たい汗が背中を伝う。


 ……勝てない。


 完全に見通しが甘かった。通常の転生三次職とユニーク職の間に、これ程の隔絶があるなんて。


 ならばせめて、誰かに伝えなければ。

 出血と痛みに朦朧としながらもそう判断し、背を向けて駆け出すのだった――……

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