忠告

 大会五日目。


 俺は今……とても困っていた。


 今は自分の試合中。しかし……問題の対戦相手、ここまで勝ち上がってきた者としては非常に珍しい、フラニーという少女へと目を向けると。


「ひっ……」


 そう小さな悲鳴をあげ、今にも崩れ落ちそうなくらいに震えて涙を浮かべる少女に……内心で、ダラダラと冷や汗を流していた。


 そう……何故か今、俺は対戦相手の女の子にやたらと怯えられているのである……!




『……動きませんね、レイジ選手。解説のイリスリーア殿下、いかがでしょう?』


 そう言って司会のお姉さんがマイクを向けたのは、ちょこんと解説席に座らされている……今日はドレスではなく、ややカジュアルな風情のブラウスとボックススカートという出で立ちをしたイリス。しかし……


『知りません……レイジさんのバーカ』


 そうむすっと頬杖をついて、半眼でこちらを眺めている解説席のイリスが、最後に小さく呟いたのがマイクに拾われてこちらまで聞こえてきた。

 不機嫌ですと全力で主張しているその様子に、司会のお姉さんが苦笑して肩を竦めるのが視界の端のモニターに見える。




 そんな、なぜか不機嫌なイリスの声に、俺はさらに冷や汗を浮かび上がらせるのだった。


 なんにせよ、このようなまともに武器……両手に抱えている双剣……を構える事もままならない女の子を攻撃するのは、いくらなんでも憚られる。


「あー……怖いなら、無理せずリタイアしてもらえると、俺も助かるんだが……」


 気まずさに頭を掻きながら、ゆっくりと近寄っていく。

 それに合わせてジリジリ後退していく少女だったが……すぐに、リング端、壁に背中が当たってそれ以上は退けなくなる。


 途端、観客から湧き上がる罵声。

 なんかもう、ブーイングも聴き慣れちまったな……自分に落ち度は無いはずなのに。そんな事を考え、げんなりしていると。




 ――くすっ




 そんな笑い声と同時に、激しい嫌な予感に駆られ咄嗟に剣を構えた。


 ――ギギンッ


 二つ続けて流れる金属音と、手に伝わる衝撃。

 眼前の、へたり込んでいた少女の攻撃だと気づいた時には、彼女は既に打ち合った剣を基点とし俺の頭上を一回転、背後に着地したのを気配により察知する。


 それを理解するよりも早く、咄嗟に振り返り、続けて繰り出された剣を受け止める。

 辛うじて間に合ったが……背中が、硬い壁にぶち当たる。状況は一転、壁際へと追い込まれたのは俺の方になっており、チッと舌打ちする。


『おおっと、ここでフラニー選手、化けの皮を脱ぎ捨てたぁ! その不意打ちを辛くも防いだレイジ選手は流石ですが、これは不利な体勢に追い込まれたぞ!』


 司会のお姉さんの言葉が耳に届く。


 そんな俺の眼前には、先程の弱々しい様子などどこへやら、うまく騙しおおせた事によるとものであろう愉悦の表情を浮かべた、フラニーという対戦相手の少女の顔が間近にあった。


 ……というかこの子、さっきまでと雰囲気が違い過ぎて正直引くんだが。マジでつい先程まで、殺気も戦意も微塵も感じらなかったってのに。


『どうするレイジ選手! よもや可愛い女の子の泣き落としに負けたなどと、愛しいお姫様に語る事は出来ないぞ!?』

『あ、あの、待って、私たちはべつにそういうのでは……!』


 何が嬉しいのか、司会席の柵に片足を載せ、身をのりださんばかりに熱が入った様子の司会のお姉さん。

 そんな彼女を、イリスが顔を赤く染めながらどうにか制そうとしている様子が、ギリギリと押し込まれる中視界にチラつくモニターから見える。


「うっせぇこの馬鹿司会! 前々からずっと思ってたが、てめぇ俺に恨みでもあんのかよ!?」


 あまりに楽しげなその司会のお姉さんの様子に、思わず司会席へと叫ぶ。


『はい! 連日の司会続きでせっかくのお祭りに遊びにも行けませんので、リア充滅べばいいのにって思いながら司会してますので!!』

「おもっくそ私怨じゃねぇか、ざけんなっ!?」


 怒りと共に振ったアルヴェンティアの勢いに、キンッと金属音を残して重みが消えた。


 吹き飛ばされた勢いで高く跳躍した少女が、空中で軽やかに宙返りを披露しながら、スタッとリングへと舞い戻る。


 短い上衣の裾から健康的な脚線を見せて宙を舞うその様子に、湧き上がる拍手と……主に男性からの熱い声援。

 見れば、不機嫌にしていたはずのイリスも彼女の軽業に目を輝かせ、熱心に拍手をしていたのだから彼女の身の軽さは相当だ。


「てめぇ……思いっきり猫被ってやがったな」

「あはは、当然じゃないですかー。これでもこの三カ月の間闘技場で頑張って生活してたんですから、色々と芸も身につけるってもんですよ」


 さっきまでの怯え顔などまるで面影すらなく、けらけらと笑っているフラニーと言う少女。


 こいつは……事前情報から分かっている。こちらの世界に転移後、斉天らと同じくこのイスアーレスを拠点とし、闘技場で生計を立てていた一人で――あの『海風商会シーブリーズ』所属の元プレイヤーだ。


 よもや、斉天やあのハスターには及ばなそうではあるものの、これだけ戦える人材が居るとは……


 そんな驚きを感じ、商会の元プレイヤーの印象を上方修正しながら、フラニーから距離を取り、構え直して仕切り直す。


「怯える女の子におろおろ困っているレイジ君、可愛かったですよ、あはっ」

「ぐっ、ぬっ……」


 ――女って怖ぇ……!


 そう戦々恐々としながらも剣を構え、脚に力を込めて飛び出す。


「……っ!?」


 こちらの踏み込みに、反応こそして見せるが……まだ俺にとって、少女の動きは遅い。

 懐に飛び込み、反応が間に合っていないその身体へ攻撃を叩き込もうと剣を振りかぶった瞬間……ビクッと身を竦ませ、怯えの色を見せた少女に思わず剣筋がブレる。




 ……本当は最初から、演技だなんていうのは百も承知なのだ。


 それでも怯える女の子相手に刃を向けられず、つい手を緩めてしまうのは、日本男児たるものかくあるべしという祖父の教えから来る条件反射なのだ。ついでに童貞の習性なのだ。




 そうして僅かにテンポが狂った所を突かれ、サッと身を沈ませる彼女を取り逃がす。

 空振った隙を突かれ、下から抉り込むように繰り出された彼女の双剣を、慌てて引き戻したアルヴェンティアの刀身で受け止めた。


「おやおやぁ? 動きが鈍いようですが、どうかしましたかぁ?」


 煽るように宣いながら、鋭い踏み込みから繰り出される双剣。その片方を右手のアルヴェンティアで弾き、押さえ込みつつ、もう片方は手首を掴んで止める。


 密着に近い状況での鍔迫り合いの中、間近に迫る少女の顔。天真爛漫、かつ妖艶に微笑みながら、彼女が囁く。


「あ……もしかして、女の子を傷つける訳にはなんて思ってくれてます?」

「……ぐっ」


 図星を突かれ、呻く。


 次の瞬間、鋭く繰り出された少女の蹴り。

 その足元、頑丈そうな戦闘用ブーツの爪先から鋭利な金属が顔を覗かせているのを確認し、咄嗟に少女を突き飛ばして顔を逸らし回避する。


 ピッ、と頬に走る小さな痛み。同時に、つうっと液体が垂れてくる感触。


「ありゃ、避けられた」


 そう言って踵に触れ、靴に仕込まれた仕掛けを仕舞いながら、軽い調子でそう呟く少女。

 その様子に……ふぅ、と一つ大きく息を吐く。


 先程から、ずっとペースを握られ続けているのは理解している。だから、この辺りで一度リセットしよう。


 女の子を痛めつけるのは気が引けるから躊躇うのだ。ならば……と、アルヴェンティアを傍らの地面へと突き立てる。


「ん? 降参?」

「はっ……な訳ねぇだろ。剣無しで相手してやるって言ってんだよ」

「……私程度、剣無しで十分だと?」

「ははっ……分かってんじゃねえか、もうお前の底は見えた」


 最大限、憎らしく見えるように、首を逸らし見下すような姿勢で挑発してみる。

 それが癪に触ったらしい少女が、少しムッとした表情を浮かべ、突っ込んでくる。


「そのムカつく面、ボコボコに凹ませてやるわ……ッ!」


 フッと、少女の姿が消えた。

 正面からの突撃と見せかけて、チラッと左に視線を流しつつ、右へ――そう見えた瞬間、その場に少女の姿は忽然と消えていた。


 ――少なくとも、大多数の見物人にはそう見えていたのだろう。


 パンッ……と、伸びてきた少女の腕を軽く叩き落とす。


「なっ――」


 驚愕に目を見開く少女の顔。



 ――なんという事は無い、少女が消えたように見えたのは、ただのフェイントだ。


 視線でこちらの視線を誘導し、その反対側へと抜ける……と思い込ませておいて、更に反対側、こちらの意識の死角へと、小柄な体もフル活用した低姿勢で滑り込んだのだ。


 たしかに、生半可な相手では少女が消えたように見えたはずだ。三重に仕込まれて、しかも高さまで利用したため見失いやすい巧みな技ではあったが……それでも、落ち着きさえすれば今の俺には見えている。




「あっ……」


 呆気に取られている少女の胸倉を掴み、足を払う。

 宙に浮いたその体を……


「……がっ!?」


 振り回し、床へと頭を打たぬよう注意を払って背中から叩きつける。

 それでも、背中から叩きつけられた少女は衝撃で肺の空気を吐き出してしまい、呼吸が詰まる。そこに……胸郭を押し潰すように、膝で踏み付けた。


「がっ、ふっ……!?」


 今度こそ、肺の空気を全て絞り出された少女が苦しげに呻いた。


 膝下で、少女の胸が上下するのに合わせ、ひゅー、ひゅーと少女の喉が掠れた音を上げる。

 そんな様子を尻目に……傍らの床に突き立つアルヴェンティアの刀身のその峰側、持ち手となっているところを掴む。


「けほっ、けほっ……女の子を踏みつけるなんて、サイッテー」

「はっ、こかして踏みつける、徒手空拳で相手を無力化する基本だろ」


 苦しげに呼吸し、目尻からポロポロと涙を零しながらも悪態を吐くのは見上げた根性だが、それだけだ。


「けほっ……レイジさん……ひっどーい、剣士じゃなかったんですかぁ……?」


 胸を圧迫され、苦しそうにしながらも憎まれ口を叩く少女を尻目に、アルヴェンティアを地面から抜く。


「生憎、うちは今でこそ剣道道場だが、爺さんは昔ながらの実践剣道場の師範なんでな。古武術の流れを汲んでる以上、体術だってみっちり仕込まれてんだよ」

「うわ……リアルチート野郎だ……」


 アルヴェンティアの切っ先を、未だ悪態を吐くフラニーの喉元へと突きつける。


「で、俺の勝ちだな?」

「あーあー……はいはい……負けですよーだ」


 不貞腐れ、抵抗を止めて床に四肢を投げ出しながら発したフラニーのその言葉を受けて、会場内に試合終了の鐘が鳴り響いた。


『決着! 今回は危なかったようですが、レイジ選手の勝利です! しかし、見事に女の子の武器をフル活用し食い下がってみせたフラニー選手も、手段はともかく素晴らしい健闘でしたー!!』


 わっと、会場に響く拍手と歓声……自分に向けたブーイングも聞こえるが、無視する。


『それではイリスリーア殿下、勝者のレイジ選手に何かおっしゃる事はございますか?』


 司会のお姉さんの言葉に、皆の視線がモニターへと集中する。


『あ、では……今日も、無事の勝利おめでとうございます』


 そう、花が綻ぶような微笑みに、自分だけでなく周囲の観客までホッコリした表情で、モニター内で語るイリスに魅入っていた。


『ですが……女の子の胸を踏んだ事、後で少しお話ししましょうね?』

「……お、おぅ」


 そう、冷気すら感じるその笑顔に、自分だけでなく周囲の観客すら、つい先程とは一転し寒気を感じたように青い顔をしていたのだった。


 ……やべぇ、なんか知らんがめっちゃ怒ってる。


 なんでそんな怒っているのか首を傾げながらも、カクカクと頷く。




 さて、控室に戻ろうか……そう思い立ち上がって、対戦相手の少女に手を差し伸べようとした、その時。


「あ、これはシン君からの伝言なんだけど」


 いまだ寝込んだままの少女が、すれ違いざまにポツリと声を掛けて来る。

 シン……あの、商会の長フォルスの側近である少年か、と足を止めて耳を傾ける。


「身の回りには注意しろってさ。本来疑わなくていい人にも気をつけろって言ってたわ」

「……わかった、サンキュ」


 礼を述べつつ、いまだケホケホ咳をしている少女に手を貸して起こしてやる。


 あいつ、何のつもりだ……そうは思ったが、あの少年は小細工を弄するタイプには見えなかった。むしろ嘘をつくのさえ苦手な部類に見える。


 果たして本当に善意の忠告なのか、それとも何者かの罠なのか。

 どうしたものか、とりあえずソール達と相談しなければと思いながら、選手控室へ続くゲートをくぐる。


「お疲れ様でした」

「ああ、サンキュ」


 係員の男性が、入場の際に掛けられた武器のデバフを解除する為に寄って来る。

 いつもの事なので、大人しく施術を受けようとして……ふと、違和感を抱く。




 ――誰だ、こいつ?




 いつもの係員ではない。


 いや、人物は同じだ。

 しかし、漠然とではあるが、目が何か違う。


 まるで――どこか、ここではない遠くを見ているかのような。


 そう直感した瞬間、体が動いていた。


「……あがっ!?」


 係員の男が苦悶の声を上げるのが聞こえて、ようやく自分が何をしたのか理解する。気がついたら係員を投げ飛ばし、床に抑え込んでいた。周囲がざわめき、非難の声が上がる。


 だが……それも、俺が極めている係員の手からこぼれ落ちた物を目にした者から順に、沈黙へと変わっていく。




 それは、大会を運営する側である係員が選手に向けていい物のはずがない……一本の、抜き身の短刀だった――……








【後書き】

 どことは言いませんが、フラニーさんの「ある部位」はイリスよりだいぶ豊かです。

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