禍つ石

『申し訳ありません、ただいまトラブルのため協議中との事で、大会の進行を一時中断しております。ご来場の皆様には誠にご迷惑を……』


 遠くから聞こえてくる、館内放送の声。

 もうすでに何度も繰り返された放送の中……俺を始めとした一部選手が、事情の説明を求め詰め掛けた医務室では、皆、深刻な表情で顔を突き合わせていた。




 係員が参加選手を襲撃するという、前代未聞の不祥事。

 この事態を受け、実行委員の者が数名と、何があった時のためにという事で教団の聖女数名を交えて、俺を襲おうとした男が担ぎ込まれた救護室へと集まっていた。


 そこには……





「あー……ぅう……」


 男は、あの後はずっと宙を見つめたままだった。

 そこにまともな意思の色は見受けられず、意味の無い呻き声だけを上げ続けている。


「一応、聞いておくが……以前からヤバい薬に手を染めていたとか、無いよな?」

「ありえません。彼は普段非常に真面目な青年で、大役を任されだことを嬉しそうに家族に語っていたのです。それがこんな……」


 戸惑っている、この事態を受けて話を聞きに来た大会運営の職員。しかし、この状態では話など聞けるわけも無く、どうしたものかと頭を悩ませていた。


「……くだらないな。このような遠巻きな議論をしている間に、さっさと原因でも探したらどうだ」

「あ、おい……!」


 突然、無造作に寝かせられている男に近寄って行ったのは……まさかのあのハスターという男。

 そいつは、躊躇いなく男の服に手をかけると、ビリビリと力任せに引き裂いた。


 そこにあったものに……皆一様に絶句する。


「これは……結晶?」


 そこには……胸の中心、体に埋め込まれたように生えている、禍々しい紫色をした結晶体。

 そして……そこから男の体に放射状に根を張った、まるで血管のように隆起した肉だった。


「どうだ、いかにもという感じだろう?」

「お前……なんで分かった?」

「別に。何か嫌な気配がしただけさ」


 そう言って肩を竦めるハスターだが、周囲からの疑念の目はますます増していた。

 しかし……当人は、そのような物は一切気にしていないとばかりに平然としている。


 ……何のつもりだ、こいつ。


 もし、懸念通り『死の蛇』に操られているのだとしたら、この行動の意味が分からない。

 騒ぎを起こす目的ならば、疑いを持たれるリスクを冒してまでこちらに助言する理由など……


 そこまで考えて、ふと頭を過る疑念。


 ――そもそも、この街において『死の蛇』は敵なのか?


 それ以前に、何故ここに居る?

 こちらに何かちょっかいを掛けてくる様子は無く、イリスが言うには、今のところ周辺に『傷』の気配も無いという。


 もしかしたら、何か他に、この街に来る理由が……?


「そ、それよりも……か……解呪を……」


 考え込んでいると、おずおずと上がった幼い少女の声が聞こえ、顔を上げる。


 職業意識からか、皆より一足早く立ち直った女の子……アンジェリカが、一歩前に出る。

 それに我に返った治療班の聖女達が、動き出そうとした。


 しかし……その手が、横合いから伸びてきた男の手……ハスターの奴に止められる。


「やめておけ、小娘。お前では……お前達では無理だ」

「なっ……!?」


 無礼とも取れるハスターの態度と行動に、抗議しようとするアンジェリカ。だが、奴はさっくりそれを無視し、先を続ける。


「今この会場には、ノールグラシエの姫がいるだろう。彼女を呼んでこい、他の者では手に負えん」


 ハスターが無愛想に放った言葉に、俺は頭を抱える。


 これでは、なるべく教団を刺激するのを避けていた目論見が全てパーだ。

 実際その言葉に、プライドを踏みにじられた聖女達が、キツい目でハスターを睨みつけていた。


「おい、お前……」

紅玉髄カーネリアンの騎士か。何をしている、さっさと呼びに行けよお前の仕事だろう」

「……チッ、後で話を聞かせて貰うからな」


 忌々しいが、今は向こうの言葉の方が正しいと思い、救護室を後にする。


 部屋を出る際に振り返って見ると……奴はただ、元どおりに腕を組み壁に寄りかかると、あとは知らんとばかりに目を瞑っているだけだった。











 ◇


 先輩のお姉様方は、このただならぬ状況に呑まれて尻込みしているらしく、遠巻きに眺めているだけ。


「……イリスリーアお姉様が来るまで、出来る事はしておきます」


 ここで指を咥えて見ているだけなんて、ごめんだった。

 それでは私達が普段修行に励んでいるのは、一体何のためなのだというのか。苦しんでいる人を救うための力として、清い心を持つ私達に与えられた奇跡なのだと教えられてきたのに。


「アンジェ……やめておきましょう、彼が言う通り、イリスリーア殿下が来るまでは……」

「そうよ、何か……すごく嫌な予感がしますの。ね?」


 そんなお姉様方の様子に、はぁ……と溜息をつく。


 ――そんな事は、私だって感じているんだから。


 あの、明滅している光を眺めているだけで、バクバクと動悸を起こすほどに嫌な予感はしている。

 だけど……同時に、あれは速やかに滅さなければいけないという焦燥感があるのだ。


「……やめておけ、と言ったはずだぞ?」

「ふん、これは私たち聖女の仕事です、外野にとやかく言われてたまるものですか」


 不躾な、確かハスターと呼ばれていた男に、プイッとそっぽを向く。


「……イリスリーアお姉様は嫌いにはなれないし、悔しいけれど、きっと治癒魔法では敵わないんでしょう。ですけどね」


 ただ呆れたように見つめて来る不躾な男をひと睨みする。彼は相変わらずやれやれと肩を竦めただけで、その仕草にカチンと来た。


「……それでも、私だってこういう時のため、いっぱい修行して来たんですから」


 勝てないからといって、だからってみすみす負けたくはない。

 そんな想いを胸に、ベッドに寝かせられている男の人の、胸に埋まっている結晶体へと手を掲げる。


「……度し難いな。どうやら潜在的な資質は有るみたいだが、君のその程度の接続権限でどうにかできるものか」

「……?」


 セツゾクケンゲン?

 何の事だろうと疑念を抱くも、すぐ切り替えて集中を始める。


「……治癒と浄化を司る、我らが女神アイレイン様。どうか私に治癒の奇跡をお恵みください。セスト真言シェスト浄化のツェン第10位……」


 何千何万と練習した、女神様に捧げる祝詞と詠唱。

 淀みなく唱え終え、手の内に確かな浄化の光が灯ったのと……男の胸で沈黙を守っていた結晶体が、ひときわ強い輝きを放ったのは、全くの同時だった――……









 ◇


 急遽、診てほしい者が居る。


 そう言って貴賓席に駆け込んできたレイジさんに手を引かれるまま、付き添いとして兄様とティティリアさん、あとは「アンジェが居るから」とついて来たユリウス殿下と共に、救護室へと向かう。


 救護室まで、あと曲がり角ひとつ……事態が動いたのは、そんな時でした。






「――嫌ぁぁああああッ!?」


 救護室近づいたとき、聞こえてきたのは……悲鳴。

 この声は……


「……アンジェ!?」


 声を聞いて、真っ先に飛び出したユリウス殿下。

 私とティティリアさんも、彼に続いて駆け出す。


 今の声……尋常では無い様子の、幼い女の子の悲鳴は、紛れもなくアンジェちゃんの物でした。




「今の悲鳴は……!?」


 バン、とドアを開けて部屋に飛び込む。

 そこでは……


「あ、ぎ……ッ! 嫌、イヤ、いやぁ……っ! 何かが、私の中に入って来てる……っ!?」


 髪を振り乱し、半狂乱で泣きじゃくっているアンジェちゃん。

 その、強く握りしめている右腕、その先の手のひらに怪しく輝いている、紫色の結晶体。

 その周辺の肉が、ぼこ、ぼこっと不気味な蠢動をする度に、彼女は苦悶の悲鳴を上げていた。


 ――まさか……寄生、されている!?


 私の『眼』にも、結晶体周辺だけ彼女の魔力が乱れ、おかしくなっている事がはっきりと分かる。

 そして、それは腕の上方へと、どんどん侵食している事も。


 ――あれは、マズい。


 そう直感し、慌てて駆け寄る。


「アンジェ! 落ち着いて、大丈夫だから! おねえさまも来てくれたから!」


 私の横を追い越すように真っ先に飛び出したユリウス殿下が、アンジェちゃんに抱きつくと、宥めるようにその背を叩き始める。

 しかし、得体のしれない物が腕に寄生しているという、大人びているとはいえまだまだ幼い彼女には酷な事態。

 結果、恐慌状態へと陥っている彼女には届いておらず、未だに暴れ続けている。このままでは治療できないどころか……下手をすれば、彼女自身を傷つけてしまう。


「誰か、口を!」


 ただそれだけの簡潔な指示に、しかし荒事慣れした周囲の者は、舌を噛まないようにしろという事だと察してくれ、手早くアンジェちゃんの口に布切れを含ませ、轡を噛ませていく。


 その直前、たまたまその涙に濡れる目と目が合い、こちらを認識したアンジェちゃんの口が、声も上げられぬまま動いた。


 ――た、す、け、て……と。




「ティティリアさん、カンタマカウンターマジック、至急!!」

「え……あ、うん、了解!」


 ティティリアさんと私、二人でアンジェちゃんを中心とした周囲へ、魔法抵抗力を上げる強化魔法を重ねて付与する。

 これが呪いに属する物ならば、抵抗力を上げれば侵食を抑えられるのではないか。

 そう考えての事だったが……目論見通り、少しだけ侵食速度が落ち着いた様子を確認し、一つ頷く。


 ……大丈夫、対処は間違えてない。


 彼女の様子からそう判断し、治療を進める。


「あ、あの、イリスリーア殿下、いったい何を……」

「話は後にしてください。それよりも、彼女の腕を固定して!」

「は……はい!」


 私の指示に、様子を固唾を飲んで見守っていた聖女の一人が暴れるアンジェちゃんを抑え込み、結晶に寄生された手を晒すように固定してくれました。


 ……ごめんなさい、手荒にして。


 内心で、きっと苦痛を覚えているであろう幼い女の子に謝罪する。

 だけど、今は一刻を争う事態なのだと言い聞かせながら、私の方もアンジェちゃんの小さな手に重ねるようにして、手を翳す。


「兄様、いまからこの結晶体を剥離しますので、剥がれたら滅してください。アルトリウスは?」

「大丈夫、ちゃんと携えてきた。任せて」


 そう言って兄様が抜き放ったアルトリウスの黒い刀身から、黒い焔が湧き上がるのが見えた。それを確認し、私の方も詠唱を開始する。


「……『イレイス・カーズ』!!」


 全開で放った破邪の光が、部屋を真っ白に染め上げる。


 どうやら新たな標的にこちらを定めたらしい結晶体が、うぞうぞと細い血管のような触手を伸ばして来る。

 しかし、それは全て清浄な光に阻まれてこちらに近寄る事もできず、少しずつズル、ズルッとアンジェちゃんの手から剥がれて出てくる。


「……っ、これは……っ」


 そんな光の中で、僅かにピリッと感じる『傷』を浄化する際によく似た感覚。


 まさか、これは……そう考えている間にも、徐々にではあるけれど、アンジェちゃんの手から結晶体が、その手に食い込んでいた根ごと引きずり出されてくる。


 ぽた、ぽたっとその手から滴る真っ赤な血。きっと激痛が走っているのだろう、苦悶の様子を浮かべるアンジェちゃん。


 そんな彼女を少しでも落ち着けようと、真っ青な顔をしながらも離そうとしないユリウス殿下にふっと微笑みながら、施術を続ける。


 結晶体は今もなお抵抗するように、触手状の根を振り回しているが……その最後の一本が、ついにズルリと、小さな手から離れた。


「……兄様!」

「ああ!」


 私が言うよりも僅かに早く動き出した兄様のアルトリウスが、未だ明滅していた結晶体を素早く断ち割ります。

 しばらくビチビチと暴れていたそれですが……やがて、完全に灰も残さず焼き尽くされ、消滅しました。


 最後に……血で真っ赤に染まったアンジェちゃんの手の傷を治癒魔法で塞ぐ。


 すっかり元の姿を取り戻した自分の手を確認したアンジェちゃんは、気が緩んだのか、ふっと意識を失い崩れ落ちました。


 容体を確認すると、今はもう穏やかな呼吸を取り戻している。その事を見届けて……ようやく、ふぅ、と息を吐きます。



「これで、もう大丈夫。あとは彼女を静かな場所で、ゆっくり休ませて……」

「僕がアンジェに付いてる!」


 アンジェちゃんを支えたまま、きっぱり主張するユリウス殿下。その目には、今は片時も離れまいとする強い意思を感じました。


「……ええ、お願いね、ユリウス殿下。それと兄様は……」

「分かっている、この子らには私が側に控えていよう……さ、殿下。行きましょう」


 そう優しげにユリウス殿下に語りかけ、ぐったりと意識を失って脱力しているアンジェちゃんを抱え上げる兄様。

 ユリウス殿下はその目に浮かんだ涙をぐっとぬぐい、兄様の後ろに付いて部屋から出て行きました。


 その様子を横目に……私はもう一人、寝台に寝かせられ、虚ろな目で宙を眺めている係員の人の診察を始めます。


 さっと浄化魔法を施し、触手が根を張っていた傷を癒す。しかし……こちらは相変わらず、心ここに在らずという様子に変わりはありませんでした。


 ……もし治療が遅れていたら、アンジェちゃんも……あのしっかりもので気の強い女の子も、こうなっていたのだろうかと、背筋に嫌な汗が伝います、


「……負荷に耐えかねた心が、ぶっ壊されているんだ。治るかどうかはそいつの精神力次第だな」


 背後から、不意に掛けられた声。

 振り返ってみると、すっかりこの場には興味無くなったと言わんばかりの、あのハスターという選手が退出しようとしているところでした。


「待て、お前。一体何を知っている、お前は……誰だ?」

「……邪魔だ」


 彼の肩を掴み問いかけるレイジさん。

 しかし、彼はその手を鬱陶しそうに払うと、そのまま歩き去ってしまいました。




 取りつく島もない、とはこの事でしょうか。

 完全に興味を無くしたらしきハスターさんはあっという間に立ち去って、皆、やれやれと肩を竦めあいながら徐々に解散していきます。


「係員の皆様も、ここは私に任せてお仕事にお戻りください。皆、待っているのでしょう?」

「え、ええ……では、お任せしてもよろしいのでしょうか……?」

「はい。もっとも、あと私にできる事は無いので、看病するだけですけれども」


 そうふっと笑いかけると、彼らは不承不承ながらも部屋から退室していきます。この後運営の方々で安全確認をして、あと少しで大会も再開するでしょう。


 最終的に残ったのは、護衛として付き従うレイジさんとティティリアさん……それと、かなり遠巻きにしてこちらを眺めている、聖女のお姉様方だけ。


「お疲れさん……で、結局あれは何だったんだ?」

「それは……推測なのですが」


 何故ここに、と思いはします。

 ですが……だれかが持ち出していた可能性、というのは十分にあり得る話でした。


「……以前、ディアマントバレーで交戦した『傷』の魔物に付着していた結晶体の残骸……それを素材とした、です」

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