加護の紋章

 二人揃ってすっかり黙り込んでしまい、そのまましばらく『マナ・トランスファー』を続けていると……今までじっと施術を受け入れていたアンジェリカちゃんが、私の腕を軽く掴みました。


「……もう大丈夫です、ありがとうございました、イリスリーア殿下」

「そうですか? なら、良かったです」


 私の方でざっと見ても、今では彼女のコンディションは全快といかなくてもだいぶ良くなっており、あとはゆっくり休めば大丈夫でしょう。


 そう判断して、ほぅ……と息を吐きます。


「それで……公的な場では仕方がないにしても、普段は殿下、って言うのはやめませんか?」

「え、ですが……」

「殿下というのは、いまだに慣れなくて……それに私は、アンジェリカちゃんと仲良くなりたいのですが、駄目ですか?」


 そう言う私の言葉に、アンジェリカちゃんは少し考え込み……すぐに、頭を上げて口を開きました。


「それでは、私のことはアンジェでいいです。殿下の事は……お姉様、とお呼びしても?」

「えぇと……か、構いませんが……何故にお姉様?」

「私たち『聖女』の間では、親しい年上の同業の方はそう呼ぶのが通例となっているので……駄目ですか?」


 年若い女性だけのコミュニティで、お姉様呼びが通例になっているの、この聖女達……!?


 そんな事を愕然としながら考えているうちに、返事が無い事に不安そうな顔をしていくアンジェリカ……アンジェちゃんに、慌てて頷く。


「え……ええ、構いませんよ? そこはかとなく怪しい百合の花園の気配がするのが気になりますが、ええ!」


 深く突っ込んだら底なし沼に沈められる気がして、慌てて承諾します。


「それでは……よろしくお願いします、イリスリーアお姉様」

「え、えぇ。よろしく、アンジェちゃん」


 何かイケナイ道へと踏み外したような気まずさを感じ、若干頰が引き攣っているのを自覚しながらも、どうにか笑顔を作ってそう返すのでした。






「そういえば……教団の方に会う機会があれば、聞きたい事があったのですけれど」


 入浴中という事で、以前は有耶無耶になってしまった事があったのを、ふと思い出す。


「聞きたい事……ですか、お姉様?」

「ええ、その……以前、背中に模様みたいな物があると指摘された事があって」

「背中、ですか。少し見せてもらいますね」

「はい、お願いします」


 そう言って、僅かに横を向いてアンジェちゃんの方へと背中を向ける。

 しばらく、ふんふんと見つめていた彼女でしたが……


「これは……」

「え、な、何か変なことがありました……?」


 背後のアンジェちゃんから、息を呑む気配。

 その様子に、不安が湧き上がりますが……


「いえ……ごめんなさい。ちょっと見たことも無いようなくらいに立派なものだったので、驚いてしまって」

「そ、そうなのですか……?」


 とりあえず悪い事ではないらしいと、胸をなでおろします。


「これは……アイレイン様の加護紋章ですね」

「加護……紋章?」


 ゲーム中でも、時折『加護刻印』なる文字が出てきました。

 それは、今に伝わっていない時代の文字とも、女神アイレイン、あるいは戦神アーレスが直接記した痕跡とも言われる、力ある神秘の文字。


 ですが、加護紋章というのは聞いた事が……いえ、どうでしょう。何かが頭の中で引っかかっている気がします。


「はい、非常に複雑に編まれた加護刻印で……稀に、生まれた時から刻まれている者が居るため、これを持っている子供は神様に祝福された子だと言われています」

「へぇ……」

「武技の扱いに長ける者、優れた名品を生み出す者、様々な人が居るらしいのですが……ほとんどの人は、そうと気付かずに居るらしいです。そしてその中でも、私たち聖女の持つものは特別に『聖痕』などと呼んだりしていますね」


 そう、ちょっとだけ誇らしげに解説してくれるアンジェちゃん。


「それでは、アンジェちゃんにもこういった物が有るんですね?」

「はい……というか、『聖女』は皆持っているんですけどね。ほら、私の場合はここに」


 そう言って自分の胸元、左鎖骨の下あたりを示すアンジェリカちゃん。

 たしかにそこには、お湯に火照って赤くなった肌に、白い模様のようなものが浮き出ていました。


 ……と、そこで小さな女の子の胸を凝視してしまっていた事に気付いて、バッと顔を背けます。


「……なんで赤くなっているんですか」

「ご、ごめんなさい……」

「……まぁ、このように体の様々な場所に浮かび上がるのですが……それが、イリスリーアお姉様の場合は背中だったため、自分では見られなかったんですね」


 何せ、見ることができる状況が限られています。私の場合はお風呂に何枚かの手鏡でも持ち込んでいなければ、自分では見られないでしょう。


「では……これは、特に害のあるような物ではないのですね」

「はい、むしろいくつかの戦技や魔法をある日突然使えるようになったり、技能を行使する際に必要な魔力の管理を代わりにやってくれるので行程を省略できるなど、色々と恩恵があるんですよ」

「それは……」


 思い至る節がある。思い出した。




 ゲームだった頃、ロールを決める際に転職担当のNPCから『紋章を身体に刻む』という言葉があった事を。

 もしかしたら、その時点で私たちの身にこの加護紋章が刻まれており、三次転生や、この世界に来た事で活性化したのではないでしょうか?


 こちらの世界に来てからは、私たちも、新しい魔法や技能を成長に合わせてふっと使い方が思い浮かぶ事があります。

 それに、魔力を集めるのを代行してくれるというのは……もしかして、魔法使用後のリキャストがあるというのはこれが原因なのではないでしょうか?




「……ごめんなさい、私もこれ以上詳しい話は分からなくて……」

「いいえ、とても参考になりました。ありがとうございます」

「あとは……もっと詳しく知りたいのであれば、教団で色々な事を教えてくれた先生が居るのですが……もし本部がある王都に行ったら、紹介しますね」

「うん、ありがとう、アンジェちゃん」


 色々と教えてもらえ、いくつか腑に落ちた事もあり、アンジェちゃんに礼を述べます。


「べつに、このくらいはいつでも聞いてもらえれば……」


 照れてそっぽを向いてしまったアンジェちゃんを、可愛いなぁとほっこりした視線で眺めていると、そんな私の視線に気付いたアンジェちゃんはコホンと咳払いして再度こちらに向き直ります。


「それにしても……そこまで大きな加護紋章は見た事が無いです」

「そうなんですか?」

「はい、私たちのものは大体が手の平くらいのサイズなのですが……お姉様のものは、これくらい」


 そう言って私の背中に指を滑らせて、その範囲を教えてくれるアンジェちゃん。それは、背中全体を覆うほどのものでした。


「ただ……くれぐれも、気をつけてくださいね? これは、私たちに力を与えてくれる一方で、弱点でもあるんですから」

「弱点、ですか?」

「そうです。全身の魔力の経路に繋がっているんですから。例えば……」

「――ひゃんっ!?」


 つつ……と背中を滑った細い指の感触に、ビクッと体が跳ねました。

 全身に波及する、甘い疼きに似た感触。まるで麻痺したかのように、体の制御が乱れる。

 意識とは無関係に飛び出した自分の恥ずかしい声に、愕然とします。


「な、何、今の……」

「ちょっと指先に魔力を集めて、触れただけですよ」

「そ、それにしては……」

「ええ、だから全身に繋がっていると言いましたよね? ここを魔力的に乱されると、全身が痺れたみたいに言う事を聞かなくなるんです。あとは副作用に……」


 そう言って、ポッと顔を赤らめて目を逸らすアンジェちゃん……ちょっと、小さな女の子に何をしでかしたんですか、私の見知らぬ聖女のお姉様がたは……!?


 そう戦慄するも、今はそれどころではない。以前にレイジさんや兄様に触れられた時よりも、さらにずっと強い刺激。このままではまずいと思うのだが……


「みだりに人前で晒してはいけないと言ってもイマイチ理解できない後輩に、躾けるための方法として私たちに伝わっているのですが……えい」

「は、ぁ……っ!」


 幼い彼女には似つかわしくない、何かにゾクゾクとしているような恍惚とした表情を見ており……危険だと判断し逃げようと腰を浮かせたところに、再度背中から全身を痺れさせる刺激。


 すっかり腰が砕け、身動きが取れなくなった私の耳元に、アンジェちゃんが耳朶に吐息がかかるくらいに口を寄せる。


 それは……何か絶対にヤバいスイッチが入っていそうな、幼い少女らしからぬ妖艶さを備えていました。

 捕食者に睨まれたような本能的な恐怖から、ヒッと小さな悲鳴が私の口から漏れ出ました。


「うふふ、良い反応。ちょっと楽しくなってきてしまいました。イリスリーアお姉様、ずいぶん可愛らしい声を上げるのですね?」

「ひぁ!? や、め……っ」

「大丈夫ですよ、やり方は年長のお姉様方から、しっ……かりと教わっていますから、限界はわきまえています。壊したりとかは無いですから」

「あなた達、んっ、小さな女の子に、何教えてるんですかぁ……っ!?」


 楽しそうにそう言いながら、立ち上がれない私の背中に嬉々として指を這わせる幼いアンジェちゃんの様子に、疑念が確信に変わっていく。




 彼女たち『聖女』は、外界から隔絶され、禁欲生活を送っている方々。


 故に――その乙女の情欲が狭いコミュニティの内向きに発散されている、ヤバい類の百合の花園の住人なのだと……っ!




 そんな事実に直面し、私の中でおごそかな響きの『聖女』というイメージが、ガラガラと音を立てて崩れていく。


「弱点と言いましたよね? なのに無防備に人目に晒しているからこうなるのですよ、理解しました?」

「しました、しましたから……ぁん……ッ!?」

「大丈夫です、やっている事はごく弱い治癒魔法ですので、悪影響は残りませんから」

「そういう、問題では……んぅっ」


 もう手足に力は入らず、抵抗すらできない。

 助けを求め、偶然このタイミングで自分の湯浴みを終えたらしきレニィさんに手を伸ばすも……


「……どうやら、お二人ともすっかり仲良くなられたようでなによりです。私は外で待機していますので、湯あたりしない程度にごゆっくり」


 そう言って、自分の身を清め終わった彼女はさっさと出て行ってしまった。

 しかしその呆れと憐憫の篭った目が、雄弁に語っています――巻き込まれるのはゴメンだ、と。




 そうして、嗜虐的な笑みを浮かべているアンジェちゃんがようやく手を止めてくれたのは……数分後、息も絶え絶えとなり、私の中に「この世界の聖女怖い」という新たなトラウマが刻まれた頃なのでした――……


【後書き】

 聖女の人たちは、恋愛の自由は一応認められています。ただ、出会いがほとんど無いために、大抵はある程度の年齢になると身請けの申し出のあった者の中から相手を選んで嫁いでいくのがほとんどです。


 ……が、稀有な能力を持つ彼女達のその相手は大抵が貴族等の有力者であるため、聖女たちが日々研鑽を積んでいる中には花嫁修業も含まれています。

 そして……彼女達の中でお互いの手取り足取り実践の中で脈々と受け継がれてきた夜の「そういう事」の、あの手この手の手管が伝承されており、純潔を守りつつもその手腕は……


 ――これは以前、お互い見初め合った上で身請けして家庭を築き、幸せに暮らしていたとある貴族の男性の言葉よりの抜粋である。彼は、怯えと共にこう言ったそうな。


「普段は貞淑で、文句のつけようのない素晴らしい妻です。だけど、夜は魂ごと全て持っていかれそうなほどにエグい、恐ろしい」


……と。

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