変な人
レオンハルト様は、有言実行な方です。
なので、後で説教だといえばそれは決定事項であり……楽な服装に着替えての夕食後、気が抜けたところで呼び出され。
「……うぅ、やっと解放されました……」
「お疲れ様でした」
すっかりとヨレヨレになった私を、部屋から出てすぐのところで出迎えてくれたレニィさん。
……お説教が始まってから、今までで最高記録の二刻以上が経過して、ようやく解放されたのでした。
「明日もあるのですから、早く湯浴みを済ませて休みませんと」
「そ、そうですね……もう皆さん済んでいるでしょうし……付き合わせてしまって、ごめんなさい」
「いえ、それが侍従というものですから」
そう、生真面目に言って追従する彼女に苦笑しながら、お風呂へと向かうのでした。
そうして、辿りついた浴室の脱衣所。
そこに、対面から丁度現れた人影がありました。
「あっ……」
思わず声を上げる。
バッタリと出会ったのは、まだ小さな女の子……アンジェリカちゃんでした。
「も、申し訳ありません、イリスリーア殿下もまだだとは思っていませんでした、どうぞごゆっくり」
そう言って、踵を返そうとするアンジェリカちゃんでしたが……
「ま、待って!」
――思わず、その手を掴んで引き留めてしまっていました。
「あ……あの、イリスリーア殿下?」
腕を掴んだまま固まった私に、怪訝な目を向ける彼女。何か言わないと……そう焦った末に出た言葉は……
「せ……せっかくですから、アンジェリカちゃんも、い、一緒に……っ!」
咄嗟に口をついて出たその言葉に後悔したのは、その数秒後、彼女が顔を少し赤らめて「で、ではお言葉に甘えて……」と返答した後でした。
――どうしてこうなってしまったのでしょう。
気まずい空気の中、服をレニィさんに脱がせてもらいながら、内心でこっそり涙します。
どうしても意識してしまうのは、自分以外の人が服を脱いでいる衣摺れの音。
たしかに『イリスリーア』として暮らすようになって以降は、レニィさんを始めとしたお世話係のお姉様方が毎回一緒ですし、ティティリアさんとなどは何度も一緒してますが……前者はお仕事として割り切れますし、ティティリアさんは同じ境遇という事であまり罪悪感は感じませんでした。
正直、女の人とお風呂くらい、もう慣れたものだと思っていました。
だけど、これは……
横目にチラッと見ると否が応でも目に飛び込んでくるのは……キャミソールタイプの下着を纏う、まだ小さな、しかし確かに女性になり始めの女の子の、あられもない姿。
しかも、『聖女』見習いとしてアイレイン教団で世俗から離れて禁欲生活を送っている彼女たちは、非常に貞操観念が強いという。
それは、絶対に素肌を晒さないぞという雰囲気を醸し出している彼女達『聖女』の法衣からも見て取れます。
当然の事ながら、その肌を
そんな穢れ無き乙女の白い柔肌が今、私の眼前で惜しげもなく晒されている。それは……私が同性だから。
そんな彼女の肌を見ているのは、何か覗き行為をしているみたいな背徳感があり、いたたまれません。
「……何か?」
そんな私にジロリと人睨みし、さっさと下着も脱ぎ捨ててしまい浴室へと向かう彼女でしたが……
「……あっ」
「危ないっ」
ふら……と倒れて来たアンジェリカちゃんの小さな体を、咄嗟に受け止める。ぽすん、と胸に抱きとめるような形になった彼女を覗き込むと……
「ご、ごめんなさい、少し足がふらついて……」
そう、頭を振りながら申し訳なさそうに言う彼女ですが……その目が、微妙に焦点がブレています。顔色も、少し悪い。
有り体に言うと……とても疲れているように見えます。
「レニィさん、私はもう大丈夫、彼女をお願いしてもいいですか?」
「はっ……ですが、イリスリーア様は……」
「大丈夫、自分でできるところまでは自分でやってみます」
毎日やってもらっているのを見て覚えたから大丈夫、と頷いてみせる。それよりも、アンジェリカちゃんの方が心配です。
「……確かに、アンジェリカ様は酷くお疲れの様子……わかりました、お任せください」
「え、で、ですが……」
事態を把握出来ておらず、目を白黒させているアンジェリカちゃんを、レニィさんがさっさとエスコートして浴室へと消えて行きます。
「もう少し、早く気が付いてあげれば良かったですね……」
何百もの試合が行われた今日。それはつまり、負傷者も多数居たはずで。
ならば……救護班である『聖女』の一人として来ていた、まだ幼い彼女が、疲れていないわけがないのでした。
どうにか自分の体を洗い終え、髪だけはアンジェリカちゃんのお世話を済ませて戻ってきたレニィさんにやってもらい、浴槽……一足先に半身浴をしていたアンジェリカちゃんの隣に身を沈める。
「……自分の従者に人の世話をさせて、自分のことは自分でやろうとするなんて、変なお姫様」
「あ、あはは……だって、一般庶民でいた時間の方がずっと長いんですもの」
いわずもがな、私の記憶の大半は二十年以上を過ごした地球のもの。お姫様になったのなど、ここ数ヶ月でしかありません……それを考えたら、良くやってると思うんですけど。
「だとしても、隙が多いのは如何なものでしょうか? たとえば昼間、司会の人にからかわれた時。あのくらい、サラッと流せるようにしてください。下手したら王室スキャンダルじゃないですか?」
「うっ……分かっているのですが、中々……」
視線が痛い。半公認みたいなものだから叔父様にも王妃様にも特に何も言われなかったのだけれど……と、言い訳しようとする私をジト目で見てくるアンジェリカちゃん。
はぁ……と一つ大きく息を吐いて切り替えて、そんな彼女に苦笑しながら、そっとその頭に手を乗せる。
「な、何を……」
「大丈夫、そのまま力を抜いて」
ちょっとムッとした気配の彼女にそう言って、『マナ・トランスファー』の魔法を行使する。
「あ……これ、魔力?」
「ええ……アンジェリカちゃん、軽い魔力不足の症状がありましたよね?」
「うっ……」
私の言葉に、今度は先程とは逆に、ばつが悪そうに目を逸らしている彼女。そんな彼女に、体が驚かないようにと時間をかけてゆっくり魔力で満たしていく。
「……初日は人数が多いですから。次からはこんな失態なんて……」
ブツブツと、そっぽを向きながら言っている彼女。
「……私も、何か手伝いに行けたら良いのですが」
「やめてください恨まれますよ」
「あはは……みんなそう言うんですよね……」
アンジェリカちゃんもそうですが、彼女たち『聖女』は幼い頃から修練を重ねているため、プライドが高い方が多いそうです。
そのため、ポッと出のお姫様に自分達の仕事場で大きな顔をされるのを良い顔をしない、との事は聞いていました。
「だけど、疲れた時はこのくらいならしてあげられますので……遠慮せずに言ってくれると、嬉しいです」
「…………変な人」
そう呟いたきり、黙り込んでしまうアンジェリカちゃん……ちょっと、お節介がすぎたかな。そう思い始めた頃。
「……ですが、ありがとうございます」
そう、そっぽを向きながらも恥ずかしそうに呟いた彼女に、思わずふふっと笑ってしまうのでした。
◇
――本当に、変な人。
幼い頃から教団に迎え入れられ、修行させられていた私は、自分で言うのも何だけど、同年代の子たちと比べて精神的に早熟な……言い換えると、可愛げのない子供だと思っている。
生意気だ。
お高くとまっている。
……まだガキの癖に。
何回、そんな声を浴びせられた事だろう。
中には、『聖女』という最高峰の治癒術師お仕事で連れていかれた先で、つい先程ありがたそうに手を合わせていた中の一人がそんなことを呟いたのを聞いた事すらあり、それは私の中でいつまでも、棘のように刺さっている。
だから、舐められないように、侮られないように、必死に勉強もしたし、大人の話にもついていけるよう教養を高めたりして……そんな話がノールグラシエの王家の人達に伝わって、今はこうして将来の家族候補として収まっている。
……変な人達だな、って思う。
偉い人の筈なのに、近所のおじさんみたいな陛下。
子供と侮らず、一人のレディとして扱ってくれる、かといって怖いとは思った事のない王妃様。
そして……無邪気に「アンジェは凄いんだねぇ」と真っ直ぐな目を向けてきて、会うたびにちょこちょこ後ろをついてくる、一つ年下の王子様――私の婚約者。
ここに来てはじめて会ったソールクエス殿下は……よく分からない。
格好いいとは思うし、いつも優しくはあるけれど、時折とても怖い雰囲気になる事があって正直言うと苦手。
――だけど……その妹、今隣に居るこの女は、もっとよく分からない。
治癒術師としての実力は……正直言って、かなう気がしない。というより、そもそも底が見えない。
例えば……魔力を譲渡する魔法は、あまり使われない。何故ならば、変換効率がとても悪いから。他の人の回復魔法一回分の魔力を賄うために、同じ魔法三回分の魔力を使って譲渡する人なんて居るはずが無い。
なのに……私の魔力量は人よりかなり多いはずなのに、枯渇間近だったはずのそれは、この女が譲渡してくれた魔力によって、今はすっかりと万全に近い状態になっている。
それだけ大量に魔力を譲渡したはずのこの女は、あろうことか全く疲労の色を見せていないんだけど、何なの? というかあまりにも自然過ぎて見逃すところだったけど、さっき手をかざしただけで魔法使ってなかった?
と、色々と突っ込みたい所はあるのだけれど、そういった話はひとまず置いておいて。
巷では『宝石姫』なんて呼ばれているだけあり、とても可愛らしく綺麗な人だと思う。まだ幼さが残っているけれど、きっと将来成長したら、傾国の佳人と呼ばれるに違いない。
だけど、中身はというとどこかふわふわしていて、見ていてどちらが年上かと思いたくなるほど頼りない。
なのに、気が弱そうなくせに、きつい言葉をぶつけても苦笑しながらこちらに構ってくる。
どれだけ悪態をついても、変わらず優しい色を湛えた目でこちらを見ている。
そして……今みたいにお礼を言ったりするだけで、何故そんなに嬉しそうに笑うのだろう。
――もしお姉ちゃんが居たら、こんな感じなのかな?
そんな事を、流れこんでくる心地良い魔力の流れに意識を蕩かされながら考える。
あ……でも、このイリスリーア殿下はノールグラシエ王家の一員だから……
「……あ、そっか。将来、本当にお姉様になるのよね」
「……ん? どうしたの?」
「な……なんでもないっ」
ボソリと呟いてしまった私に、頭に疑問符を浮かべながらこちらを覗いているイリスリーア殿下。失言に気付き、慌てて首を振る。
だけどその将来は――悪くないな、と思ってしまったのだ。しかしそのまま認めるのは癪なので。
「……イリスリーア殿下は、何というか。無自覚天然のタラシですよねって」
「……え、ぇえっ!?」
何となく呟いた私の言葉に、あたふたと慌てているイリスリーア殿下。その様子に、ぷっと吹き出しながら、溜飲を下げる。
……ああ、私は本当に可愛くない子供だと思う。
だけど……それでも受け入れてくれる人々が居るのだから、別に良いかな――今では、そう思えるのだった。
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