最大の壁

「それで、何か言う事はございますか、イリスリーア様」


 座る私の前に立つ、腕を組んで立っているレオンハルト様のいっそ静かとも言える声に、ビクッと肩を震わせる。


「いいえ……全面的に、私が悪うございました……」


 無断で飛び出して、多数の人に迷惑を掛けました。

 斉天さんが来てくれたおかげで事なきを得ましたが、そうでなければ一体どれだけの騒ぎとなっていたか……


 そんな訳で私の心情的には、むしろ「私は皆様に多大なご迷惑をお掛けしました」とプレートに書いて首から下げていたい位です。


「……今回は無事だったから良かったものの、もし御身に何かあれば、護衛が詰め腹を切らされる事だってあり得るのですよ」

「はい……」


 たしなめるようなその言葉に、ますます小さくなる私。


「……まぁ、今ははれの舞台。あまり衆目のある場所で叱りつけるのは外聞が良く無いので、ここまでにしましょう」

「では……!」

「今夜、宿泊施設に戻ったら続きにしましょう」

「はい……」


 もの凄く怒ってます。

 背後から、ゴゴゴ、と地鳴りのような音が聞こえるのは気のせいでしょうか。


「はぁ……それよりも、次の試合が始まるぜ?」


 そう言って助け船を出してくれたのは、今日はもう試合は無いためこちらに戻って来たレイジさん。

 ちなみに兄様も隣に居るのですが、こちらもレオンハルト様並みに怒りの気配を湛えているため、直視できませんでした。


 レオンハルト様は、やれやれ、仕方がないですねと肩を竦め、苦笑しながらこちらの様子を静観していた陛下と王妃様の傍へと戻って行きました。


「イリスリーアお姉様、勝手に出歩くのは、めっ、ですよ?」

「……ごめんなさい、ユリウス君。その通りですね」


 隣のユリウス君が、ちょっとおかんむりな様子でそう叱って来ます……案外、これが一番心にキます。


 そんな事を考えていると……


『……それでは、次の一戦です! 知っている方は知っているでしょう、一般大会の覇者、優勝候補である斉天選手と同時期にデビューした、期待の新星、ハスター選手です! 同期にスターが誕生した煽りを受けて今ひとつ話題に欠けていましたが、この大闘華祭の晴れの舞台で下克上なるか――ッ!?』


 そんな司会のお姉さんの紹介と共に姿を現す、次の選手。


「あ……あの方は……」

「知っている奴か、イリス?」

「は、はい……元プレイヤーの方で、一応面識があるのですけれど……」


 続いて出てきたのは……先程遭遇した元プレイヤーの一人。ですが、その雰囲気が……何か、違和感を感じます。


「……ほう。あの者、あの場にての落ち着きようと佇まい、なかなかやるみたいですね」

「そう……なのですか?」


 レオンハルト様の感心したような呟きに、聞き返す。


「ええ、足運び、重心の移動、ただ歩いているだけでも相当な腕だと思います」

「へぇ……」


 レオンハルト様は実直な方です、生半可な相手にはそのようにベタ誉めしたりしないでしょう。

 だからこそ……何か、凄まじい違和感がする。あの時出会ったあの方は、失礼ながらそのようには見えませんでした。


 ――発している気配が、全く違う。


 先程までは元日本人らしい……えぇと……呑気な感があったのとはまるで違う、乾いた荒野のような荒々しさと、凍てついた氷河のように冷たい雰囲気。その様子は、見ていると寒気すら感じる程。


 それはまるで、のような……


『それでは……バトル・スタート!!』


 そんな事を考えているうちに、カァン! と鳴り響く戦闘開始のゴングの音。

 その音が鳴るか鳴らないか……というタイミングで、飛び出していくハスターと呼ばれた男性。


 対戦相手の方はその駆け引きもない吶喊に反応が遅れ、気がついた時にはハスターと呼ばれた方はすでに肉薄していました。


 慌てて振り下ろされた対戦相手の大剣を、剣の腹を狙って打ち払う。


 ――ギィン!!


 会場の喧騒すら搔き消す、耳をつん裂く金属がぶつかり合う音。


 一体どのような膂力があれば出来るのか、大剣がまるで玩具のように標準的な片手用の剣に弾かれる。

 その冗談のような出来事に目を丸くしている対戦相手の腹に、一片の容赦も無く脚を叩き混むと、ひとたまりも無く血反吐を吐いて蹲る対戦相手。その前のめりになったところにさらに背中を踏み付け、勢いよく地面に這い蹲らせる。


 その首に剣を突きつけ……これにより、勝敗は決しました。



『し……試合、終了……勝者、ハスター選手……!』


 暴行とでも形容できそうな一方的な戦い。

 驚愕に固まりながらも、どうにかプロ根性を発揮して、司会のお姉さんが勝負の決着を告げます。


『ど、どうした事でしょう。どちらかといえばマナーの良い、紳士的な筈のハスター選手でしたが、この荒々しい戦いぶりは……』


 司会のお姉さんが、呆気にとられながらも解説しています。


「……戦い方自体は荒っぽく見えるが、やるな」

「ああ……元プレイヤーであれば、例の互助組織の回し者かもしれない、警戒しておかなければならないな」

「まさか、斉天以外にもあんな元プレイヤーがいるとはなぁ」


 難しい顔で、先程の戦闘について語り合うレイジさんと兄様。

 ですが……私はそれ以上に、豹変した彼を見ていると胸の奥がザワザワとする物を感じているのでした。


 それはまるで……『世界の傷』を目の前にした時のように――……











 ◇


『それでは、本日最後の試合です! トリを飾るのは、やはりこの方……一般大会王者、斉天選手! 満を持しての登場です!!』


 盛り上がりが最高潮となる会場。

 周囲からは「斉天」コールも巻き起こっており、あいつの人気の程が窺える。


「す、凄いですね……」


 その大音量の歓声に、イリスが横で驚いた顔をしている。


「さて……あいつはどれだけ強くなったんだろうな」

「気になりますか?」

「ああ……ずっと闘技場で戦いに明け暮れていたらしいからな、おそらく戦闘経験の数ではあいつが上だ」


 密度は負けていないけどな、と肩を竦める。

 そんな俺の様子に、クスっと苦笑したイリス。花の精のような衣装も相まって、その背後に花が舞って見える。その笑顔が妙に照れ臭くて、慌てて会場の方へと目を戻す。


「それに…彼には、あのハスターという元プレイヤーに勝ってもらわないといけないからな」

「ああ……そう言えばそうだったな」


 真剣に会場を見据えているソールの言葉に、浮かれた気分をどうにか宥めすかす。


 斉天は、順調に勝ち進めは準決勝であのハスターという男との対戦となる。ここまで見てきた感じでは、俺たち三人以外では彼が一番の難敵に思えた。

 そこであいつが負けでもしたら、そこで俺たちの計画は頓挫するかもしれないのだ。


 そんな事を考えていると、斉天が姿を現わす。


 しかし……歓声が、戸惑いのざわめきに変わる。

 それもそのはず……奴は、あまりにも物静かだったからだ。


『はぁ……彼はどちらかといえばサービス精神旺盛な、剽軽なところのある選手ですが……流石にこの舞台は緊張しているのか!?』


 戸惑いながらもそう実況している司会のお姉さん。だが……


「……違うな」

「ああ……野郎、絶好調じゃねぇか」


 あれは、緊張などしていない、むしろ逆。


 纏っている気配は、確かに静かだ。まるで、凪の海のように。


 だが、その圧力の密度は半端ではなかった。

 自分達のいる所ですらビリビリと肌で感じるプレッシャー。


 ――今の奴が纏っている気配の小ささは、荒れ狂う力を圧縮して押し込めたため。その様は、まるで臨界寸前の炉心のようだ。


 何となく、そう思えた。




『それでは……本日最後の試合、バトル・スタート!』


 カァン、とゴングが鳴る。

 これまで以上の歓声が会場を包み…


 ……十秒……二十秒…………時間だけが経過していった。


 時間の経過と共に熱狂は消え、困惑のざわめきの比率が高くなっていった。


 リング上に、動きは無い。

 斉天はただ、静かに目を閉じて、ピクリとも動かず構えらしきものを取っているだけだった。


 ――そう、それはあまりにも、一切の微動すらない静止。まるで石像となったような。


 だが一方で、対峙している相手の顔色は悪い。

 闘技大会参加者だけありそれなりに実力者のはずだが、顔を真っ青にして脂汗を流し、剣を持つ手が震えている様は、完全に呑まれている。それはまるで、蛇に睨まれた蛙のように。


「う……うわあああぁぁッ!?」


 耐えかねた対戦相手の男が、叫び声を上げて斉天に飛び掛かる。

 全身全霊で振り下ろされる刃を前にしてもなお斉天は身動きもせず、目すらも閉じたまま。

 まさか本当に、石になっているのだろうか……それほど反応を見せぬまま、迫る刃が触れる、その寸前。


 動いた。いや、動いた……という事だけ、なんとか理解できた。

 先程から半歩だけ、前に出た斉天。

 腰を落とし、対戦相手の懐に飛び込んだ体勢でまたもや止まる。

 だが……完全に白目を剥き、口からごぼりと泡を溢れさせ、ズルリと崩れ落ち倒れ伏す相手。


『あ……えっと、斉天選手の勝利……です……?』


 司会のお姉さんが戦闘終了を告げるが、そこには疑問符が踊っていた。だが事実、対戦相手は倒れ伏したままピクリとも動かず、起き上がってくる様子はない。


 あまりに呆気なくついた決着に、ざわつく周囲。

 見栄えが無さすぎる試合内容に、派手なチャンピオンを期待した観客の中には、ブーイングをしている者すらいる。


 だが――はたして、その中の何割が、何があったのかをる事が出来たのだろうか。


 動作は、必要最低限。

 見ようによっては、とても地味に映っただろう。

 だが……それは、極限まで無駄を削った結果に過ぎない。それほどまでに研ぎ澄まされた、の掌打。


 それは……先の俺の試合に対しての、奴の意思表明だと、俺は何となく思った――我が、お主の最大のライバルだ、と。


「……どう、彼に勝てそう?」


 ソールが茶化して言うが、その額には薄っすらと冷や汗をかいている。

 かく言う俺も、気を強く持っていないと呑まれそうだ。それだけ、今の奴は強い。だが……


「……勝つさ、必ず」


 ただ それだけを呟いた。

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