約束

 ――大闘華祭まで、あと一日。




 この日の大闘技場は、朝から喧騒に包まれていた。

 というのも、今日は大会のトーナメント表の発表の日だからだ。が……


「うわ、もうこんな居るのか」


 思わずそう呟く。


 発表場所である大闘技場の入り口ホール。

 そこに踏み込んだところ、中にはホールを埋めつくさんばかりの人。それも、皆武装している者たちばかり。


「こいつら全部、参加者か」

「ああ、すごいな。一体何人居るんだ」


 少なくとも数百は下らないであろうその人の群れに、この闘技大会の規模をあらためて思い知らされる。


「さて……あいつは何処にいるかな」


 そんな中、参加者の中から探しているのは、自分達の目的のため、協力を仰ぐ人物。

 目印となる金色のツンツン頭は……案外、すぐに見つかった。どうやら俺たちよりも後に来たらしく、入り口から入ってくるところだった。


「居た居た、おーい、斉天! と……」


 目的の人物……斉天に続き、もう一人の人物が中に入ってくる。それは見覚えのある人物だった。


「これはこれは、ソールクエス殿下、それと……君は確か、イリスリーア殿下の護衛の」

「……フレデリック首相? どうしてこちらに?」


 先日、茶会の時に見かけた西の通商連合の長。

 各国の来賓は……当然イリス達も……この日ばかりはトラブルを避けるために来賓居住区から出てきていないため、よもや一国の代表である彼が顔を見せるとは予想外だった。


「いや、なに、我が国から登録されている若者が、優勝候補と評判だったものでな。一度顔を見ておきたかったのだよ」

「きょ、恐縮です」

「はは、そんな固くならずとも良い、この大会の間、主役は君たち選手の方なのだからな」


 その筋肉で硬く引き締まった背中をバンバンと叩きながら、なかなか気持ちの良い青年で、私は嬉しく思うと、好々爺然として笑っているフレデリック首相。

 そんな彼に対し反応に困っている、戦闘以外はからっきしな斉天が、助けを求める仔犬のようにこちらを眺めていた。


「……申し訳ありません、そろそろトーナメント表が発表される時間でして」

「おっと、申し訳ない。若者たちと話すのは楽しくて、つい時間を忘れてしまう。悪かったね、健闘を祈るよ」


 おそるおそる告げた俺の言葉に、特に気分を害した様子もなくそう言って立ち去っていくフレデリック首相。その気さくな様子に……俺と斉天は二人、内心で安堵の息を吐いた。


「ふぅ……助かったぞ、剣聖の。それと兄君殿。礼儀作法なんぞ分からんから、一体どうしたらと困り果てていたのだ……」


 そう、げっそりした様子で宣う斉天だったが……すぐに、俺たちがこの場に居る理由に気がつき、顔を上げた。


「それで……そうか、お前も出るのだな、剣聖の」

「おう、なんかそういう事になった。当たった時はよろしく頼むな」

「……う、うむ」

「……どうした?」


 普段のこいつなら、俺と戦えるかもとなればそれこそ大仰に喜ぶと思っていたのだが、どうにも歯切れが悪い。それとも、平常時、素面の時はこんなものだろうか。


「……いや、何でもない。ただ、どんな心変わりかと思ってな」

「ああ、それなんだが……」


 ソールに目配せすると、任せた、と頷いたのが見えた。


「……斉天、お前も関係者だからな、こちらの事情は全部伝える。その上で……できれば、お前にも協力して欲しい」

「……言ってみろ、剣聖の」


 聞く態勢を取り、先を促す斉天に……俺は、自分達が頼まれた内容について一通り説明をするのだった。




「……なるほどな。なぜ急に心変わりをして飛び入りで参加したのか、気にはなっていたが……そういう事か」


 斉天は、俺たちがなぜ参加する事になったか……先日の事件もあり、もしかしたら何か不審な者が大会に紛れている可能性があって、それを排除するためだ……という事を説明すると、得心がいった、とばかりに頷いた。


「ああ。それで、お前にも協力して欲しいのだが」

「おう、良いぞ」


 即答した斉天。

 本当に大丈夫か、という視線をソールと二人送っていると、斉天は胸を張って答える。


「要は三人で表彰台を独占しようということだな!」

「……ま、まぁそれが出来れば一番だな」

「なぁに、我らであればやってやれなくも無いさ」


 自信満々に答える斉天。

 勝負に絶対は無いとはいえ、実際に闘技場で戦いに励み、実績を出している斉天だからこそ、説得力はある、が……


「それは、トーナメント表次第だな。出来れば三人バラけていると良いのだけれども」


 そうソールが冷静に指摘する。

 もしも俺たちが序盤にぶつかってしまい、誰かが早く敗退すれば、それだけ取り零しもあるかもしれない。


 その指摘に二人黙り込んでいると……喧騒が更に増し始めた


「どうやら、始まったみたいだな」


 そう言ってソールが指した方向、ロビー正面にあるモニターに光が灯ったかと思うと……それは瞬く間に巨大なトーナメント表になっていった。


「……すげえな、この対戦表」


 ぽかんと、口を閉じるのも忘れて、正面ロビーホールに設置された巨大モニターに映し出された表を眺める。




 大闘華祭が行われる大闘技場は、ベスト8の試合に使用される中央リング以外にも、八つの小リングが周囲に配置された、その名に恥じぬ巨大な施設だ。

 当然、その威容に見合った収容人数が初めに踏み込むロビーも、相応の広さを持っている。


 にもかかわらず、その入り口正面の壁一面に広がるモニターですら手狭に感じる程に、びっしりと参加者の名前が記されている。

 そして、必死に自分の名前を探してごった返している参加者も、相応の人数がひしめき合っている。


「ふふん、フレッシュマンの部の参加者が、だいたい千人ほどだからな。エキスパート部門は参加資格で絞られるため、それほど多くはないが……」

「なるほど……それだけの人数が予選無しでトーナメントでぶつかるのだから、こうもなるか」


 むしろ、世界中から集まっている事を考えれば少ないくらいかもしれない、か。


「千人……ってことは大体、十回くらい勝てば優勝か」

「む、出場を渋っていた割にはやる気ではないか、剣聖の」

「別に、渋っていた訳じゃないさ。できれば参加したかったけど、仕事があるってんで諦めていたんだが……お、あった。俺は……第二ブロックか」

「私もあったぞ、どうやら第一ブロックみたいだな。レイジとは準決勝まで当たらないようだ」


 そう、ホッと一息ついているソール。

 俺達の主目的は、襲撃事件を起こした連中と繋がっている不審者がもし紛れていた場合に、それを排除することなため、序盤で潰し合いとならなかった事は僥倖だった。


「我は第四ブロックだった。どうやらお前達とは決勝まで当たらんらしい」

「そうか……俺らと当たるまでに負けたりすんじゃねぇぞ?」

「ふはは、その言葉、そっくり返してやるわ。お主らどちらかと決勝で相見えるのを楽しみにしているぞ」


 呵々と笑って言い返してくる斉天。


「言ってろ。俺だって……今回だけは、絶対に譲れない理由があるんだからな」


 俺の言葉に、事情を知らぬ斉天は首を傾げ、薄々ながら察していたらしいソールはなんとも微妙な様子で苦笑していた。


 だが……この大会は、俺にとって重大な意味を持つ事になった。それは今朝、領主様……レオンハルト辺境伯に呼び出された事が発端だった――……











 ◇


 対戦表の発表が行われた、その夜。


 大会前夜である今、大闘技場の外で夜通しの前夜祭が行われており、外の祭りの喧騒はここまで届いている。

 そんな中……私はレイジさんに二人で話がしたいと呼び出され、二つの満月からさえざえとした月光が降り注ぐ屋上へと来ていました。


 月光を背に、海の方向を眺め佇んでいたレイジさんはすぐに見つかりました。


「あの、レイジさん、話とは?」

「あ、ああ……明日から大会が始まるから、話しておきたい事があったんだ」


 そう言って、海が見える方へと招くレイジさんに促されるまま、隣に並ぶ。


 しかし、なかなか話には入らず、遠くから聞こえてくる喧騒を背景に、沈黙だけが流れる。


 横目にレイジさんの方を窺うと、彼は真剣な……あるいは緊張した様子で、正面を見つめていた。

 その表情をしばらくじっと見つめていた事に気がついて、慌てて目を逸らし、話題を探す。


「それで、その……対戦表、見てきたんですよね?」

「ああ。ソールとは準決勝、斉天とは決勝まで当たらない。そして……ざっと眺めた感じでは多分、あの二人が最大のライバルだと思う……爪を隠した鷹でも潜んでいない限りはな」

「なら、三人ともうまい具合にバラけたんですね?」

「ああ、まぁ……意図的にバラけさせられた気がしないでもないけどな」

「確かに……少し出来過ぎですものね」


 レイジさんと兄様を参加者にねじこんだのは、大会運営側であるネフリム師です。

 その目的上、裏でそのくらいの工作であれば行われていても不思議ではありません。


「もちろん、そんなのは組み合わせだけで、あとは当然、勝つも負けるも自分の実力だ」

「そうですね……特にこの大会は戦神様に奉納するものですから、不正には厳しいとの事ですし」


 入場時には魔法が付与されていないかのチェックが魔導機により自動で行われ、薬物の使用も禁止。不正発覚は即退場……各国の威信に関わることもあり、厳戒態勢の中で行われるらしいと、陛下から聞いていました。


「それで、お前の方は今日はどうしていたんだ?」

「私は……ユリウス君とアンジェリカちゃんの付き添いで、プライベートビーチに行っていました……その、撮影機械を預かっているミリィさんも一緒に」

「ああ、あのサイクロプスのおっさんの。律儀に守る必要もないだろうに」

「そうもいきません! たしかに、ネフリム様も大事な事を黙って約束させた事については怒ってますけど、約束は約束です。明日以降はもう時間も無いですし……」

「はは、お前は本当に、変なところで生真面目だよな」

「むぅ……」


 苦笑するレイジさんにムッとしてみせて……そこで言葉が切れ、再び沈黙が降りる。


「……とうとう、明日から始まるんですね」

「ああ……そうだな」


 そう言ったまま、レイジさんはそわそわしながらもなかなか続きを話そうとしない。

 しかし、数分にも感じた沈黙の後……何か小さく呟いて自らの頰を張ったレイジさんが、こちらに向き直る。その様子に私も緊張しつつも向き直り、聞く態勢を取ります。


「イリス……大会の前に一つ、頼んでいいか?」

「は、はい、なんでしょう?」


 その真剣な表情に、激しく高鳴る心臓をどうにか宥めすかしながら、続きを促します。


「今まで黙っていたけど……俺、レオンハルト様に、名前だけでも構わないから、ローランド辺境伯家の養子にならないか、と打診されていたんだ」

「そ……そうなんですか!?」

「ああ。本来ならそうそうありえない事らしいんだが……『剣聖』の爺さんと、レオンハルト様には種族特性解放した所も見られてるしな」

「ああ、ディアマントバレーの時ですね……」


 あの時は私も翼を出して戦っていたため、あまり話題には上りませんでしたが……太古の時代に居なくなった上位種の先祖帰りで、その力を引き出して使用できる人材となれば、貴族の方々が自分の家に取り込みたいと思うこともあるでしょう。


「あ、でも確かに、辺境伯領に入ってから沢山勉強してましたもんね。あの頃からレオンハルト様はそのつもりだったんですか」

「ああ、まだ何も実績がないから、もっと色々とやってから……という予定だったんだけどな」


 それには、一月や二月で済むような事ではないでしょう。民や同じ貴族達に認められるまでに、あるいは何年の時間が必要か……


「だけど……この大会で優勝となれば、その実績としては十分だ、って言われた」

「それって……」

「俺が最後まで勝ったら……優勝したら、ローランド辺境伯家で正式に、養子に迎えてもいいと言われた。それくらい、この大会での実績は名誉な事らしい」

「受けるつもり……なんですか?」

「……ああ、そのつもりだ」

「それは、どうして……レイジさんは、元の世界に」


 言いかけたところで、口籠る。

 未だに聞けていない事……本当は、家族も居る元の世界に戻りたいのではないのかという疑問が、その先を言わせてはくれませんでした。


「何度も言ったろ。俺は、どうなるにせよお前の側に居るって」


 黙り込む私の頭に乗せられた、すっかり馴染んだ手の感触。


「貴族の権力なんて、正直どうでもいいんだ。ただ……この話を受ければ、お前に……『イリスリーア』に手が届く。その必要最低限の資格を得られる」

「……え?」

「この国では、には、基本的には最低でも伯爵位以上が必要となる。養子であれば信用の関係で、もっと上が……だけど、辺境伯は実質、更に伯爵位よりも一つ上、侯爵家相当の地位だそうだから、条件は満たせる」

「あ、あの、待ってください、何の話……っ!?」


 頭が追いつかない。

 私は今、何を聞いているの?


「俺は、優勝する。そして、お前に……『イリスリーア』に……」


 怖いくらい真剣な表情で、真正面から対面しているレイジさんが言葉を紡ぐ。

 だけど、あまりに衝撃的で、上手く頭が働かない。だというのに心臓の鼓動はうるさいくらいで、頭の中は真っ白だった。


「……悪い、先走り過ぎた」


 混乱していると、そうレイジさんが呟いて、深呼吸を始める。その様子に、ひとまず私も少し落ち着いて、改めて聞く態勢を整える事ができました。


「よし、言うぞ」

「は、はい、どうぞ」


 ゴクリと息を飲みながら、頷いてレイジさんの次の言葉を待つ。


「……俺が優勝したら、一昨日の続きを、今度はちゃんとさせてくれないか?」


 耳まで真っ赤にしながら、そう言い切ったレイジさん。


 一昨日……私が、間違えてお酒を飲んだあの日。

 あの時、しようとしていた事というと……たしか、もつれ合ってソファに倒れ込み、結果的にレイジさんに押し倒されたような体勢になって……




 至近距離に、その顔が。




「……っっっッ!?」


 瞬間的に、顔に血が上り、思わず唇を手で覆う。

 あの続きというと……それを了承するという意味くらい、いくら私でも分かる。


 そして……なぜレイジさんがそれを望んで来た、という事も。


「……ダメ、か?」


 今になってその瞳に不安を浮かべながら呟いたその言葉に……小さく、首を振る。


 ダメじゃない、と、横に。


「……わかりました。優勝したら、あの時の続き……ですね」

「……良いのか!?」

「ええ……本当は私の立場としては、自国民の皆を応援しないといけないから、特定の一人に対してこう思うのは、あまり良くないんでしょうけど」


 多分に照れの混じった苦笑を浮かべながら、頷いてみせる。


 恥ずかしいけれども、決して悪い気分ではありません。

 むしろ……嬉しいと感じている自分が居るのが分かる。だから、胸のあたりで手を組んで、素直な気持ちで願います――戦神アーレス様、どうか彼に勝たせてあげてください、と


「レイジさん、どうかご武運を。あなたが優勝するのを、観客席から祈っています」

「ああ……ああ、約束だ!」


 嬉しそうにそう言って、まるで少年のように笑うレイジさん。

 その様子を微笑ましく思うと同時に……何か見えない物が変わってしまったような、漠然とした不安がジワリと湧き上がります。




 今までの居心地の良い関係が変わってしまうかもしれない事が不安で、お互い目を逸らして抑え込み続けた、私たちの関係。

 それがこの日とうとう動き出し、変化し、転がり始めた。そんな予感がするのでした――……

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