合流

 ――大闘華祭、開催二日前。




 この日は、朝からドタバタとした騒動から始まりました。

 目覚めた直後から、昨夜やらかしたという事に真っ青になり……特にレイジさんに合わせる顔が無く……部屋を閉め切って、ベッドの上であーうー悶えて気が付けば数刻。

 周囲の人に多大な迷惑と心配を掛け、ついにはユリウス殿下の泣きが入った呼びかけに罪悪感が羞恥心を上回ったこと、それと……頼みたいことがあると、に言われたことでようやく引きこもりを止めたわけですが……


「陽が、もうあんなに高い……もう昼過ぎなのですね。本当に、申し訳ありませんでした」

「いいんです、こうして出てきてくれたのですから。イリス様、もうお加減は大丈夫ですか?」

「ええ……本当に、ご迷惑をおかけしました……」


 心配げに顔を覗き込むレニィさんに、頷く。


 朝の目覚めは、最悪の一言でした。今朝目覚めた時、待っていたのは、ガンガンに痛む頭と微かな吐き気。それと……酔った勢いでやらかした、という事実でした。


 ……元の世界の頃よりも更にお酒に弱い身体だと、この時初めて、身を以て知る羽目となったのです。


「私、二度とお酒飲みません……」

「それは極端だとは思いますが……周りに信頼できる人が居ない時は、口にしない方が良いですね」

「うぅ……やっぱり、相当酷かったんですね」


 がっくりと項垂れながら、歩を進める。

 後ろから兄様と並んでレイジさんがついて来ていますが……今はまだ、とてもその顔を見れそうにありません。そしてそれは、レイジさんも同様みたいです。


「なぁ、昨日の夜の事だけど……」

「忘れてください」

「お、おう……いや、俺も忘れた方が良いかと聞こうと……」

「忘れてくださいお願いします」


 背後から聞こえてきたレイジさんの声に、極力心を殺した平坦な声で答える。


 ……詳細まではっきりと覚えている訳ではありません。


 ですが、間違いなくアウトな発言をしたというのだけは何となく覚えています……怖くて何を言ったかは聞けませんが。


 そして……何故か、兄様の機嫌が悪い。それも、ものすごく。

 外見はニコニコと微笑んでこそいますが、ほとんど話をしようとしない。あれは相当怒っているときの綾芽だと、背後からのちくちくと突き刺さる圧力に今にも胃が痛みだしそうです。


「それで、ハヤト少年と、スカーレット様の乗る船はいつ到着予定でしたか?」


 悶々としながら歩いていると、後ろに控えていたレニィさんが、そう尋ねて来ます。

 内心助かったと思いながら、事前に打ち合わせていた今日の予定を思い出す。


「えぇと……事前に聞いていた予定では、今日の昼下がりに到着予定の連絡船でこちらに来るとの事でしたが……」

「なら、あれじゃないか?」


 兄様の指差した先では、今まさに一隻の船が港に入って来たところ。その船首には、ローランド辺境伯領と、このイスアーレスのシンボルが印された旗が立っているのが見えました。


「そのようですね。少し急ぎましょうか」


 そう言って差し出されたレニィさんの手を取って、少し歩を早めます。



 ――今日は、後から来ることになっていたハヤト君とスカーさんの二人と合流する予定の日なのでした。






 連絡船の並んでいる港は、お祭りを観に来島したばかりの観光客でごった返していましたが、合流は問題ありませんでした。

 というのも、ハヤト君の方がすぐに私達を見つけてくれた……というより、私達がとても目立つ集団だったからでしょう。


「しかし、見つけるのが簡単で本当に助かるぜ。そうして見るとイリス姉ちゃん、本当にお姫様なんだなぁ」

「そ、そうでしょうか……どこか変だったりはしませんか?」

「全然、むしろ様になり過ぎて、違和感無いくらいだ」

「それは言い過ぎじゃないかな……」


 私としては、内心ではいつボロを出さないか冷や汗ものなのですけれど……そう思いながら、自分の姿をあらためて眺めます。




 今日外出するためと私が着せられたのは、ふんだんにレースが使用された、ややクラシカルな雰囲気のオフショルダーのドレスと、腕に薄手のショール。


 私だけでなく、兄様もレイジさんも各々仕立ての良い服を着せられて同行しているため非常に目立ち……特に王子様然とした兄様などは、その視線が向いた先にいた女性から黄色い声が上がるなど、非常に目立っていました。


 そんな私達が、使用人らしきレニィさんに隣で日傘を差させ、護衛の兵士の方を周囲に従えているのです。その様子はどう見ても貴族か何かにしか見えないため、今も、ここまでの道中でも、明らかに注目を集めていました。

 そんな視線に晒されて、私は内心震えそうになっているのを微笑んで誤魔化しているので、かなりいっぱいいっぱいです……こちらの世界に来たばかりの頃と比べると、随分と改善したとは思うのですけれども、やはりまだまだらしい。




 そんな事を煩悶と考えていると、ハヤト君の背中から、ひょっこり顔を出した白く小さな影。それはハヤト君の肩を蹴って、私の胸に飛び込んで来ました。

 数日だったはずなのに随分と懐かしく感じる、フサフサと柔らかな毛皮の感触。胸元に甘えるように鼻先を押し付けて来るその様子に、ふっと頰を緩めます。


「ごめんなさいねスノー、置いて行って。ハヤト君も、面倒見てくれてありがとうございます」

「いや、まあ動物は好きだし……お前とも仲良いもんな?」


 ハヤト君の言葉に、おんっ、と尻尾を振りながら返事をするスノー。この二人は元々仲が良かったですが、この数日ですっかり打ち解けたようで何よりです。

 そんな様子を微笑ましく思いながら、久しぶりの手触りに癒され、堪能させてもらっていると……


「っと、居た居た。良いねぇ、お姫様は華があって。良く似合ってるぜ、そのドレス」


 そう軽口を叩き、ハヤト君の後ろからのんびりと歩いて来るのはスカーさん。長物を背負っているため、人が密集する中を歩くのが大変なようでした。


「ところで……イリスちゃん、今日はなんでそんなお嬢様然とした格好で、護衛付きで来たんだ? てっきりお忍びで来ると思っていたんだが」


 お姫様扱い、あまり得意じゃないよな? と首を捻っているスカーさんに、そうなんですけどねと苦笑します。


「それは……色々あって、もうお忍びでの外出はさせて貰えなくなってしまったもので」

「……あまり往来で話す内容じゃないからな、また後で落ち着いてから説明するわ」


 私の後を継いで、実際の大会参加者襲撃事件の当事者であるレイジさんが告げる。


「なので……実は、今回外出してきたのはノールグラシエ王家のお仕事も兼ねていたりします」

「……仕事?」

「ええ、その、外交というか……これはスカーさんに関係ある話なんですが……まあ、あと数秒で分かると思います、ごめんなさい!」


 申し訳なさに手を合わせ頭を下げる私に、首を傾げるスカーさん……その後ろからヌッと現れた手が、逃がさんとばかりにその肩を掴みました。


「……っ!?」


 慌ててその手を振り払おうとするスカーさんですが……次に聞こえて来た声に、固まります。


「よう、愚弟。久しぶりだなぁ? 数年ぶりに会ったというのに、一刻と待たずに姿を眩ませたあの時以来か?」

「……これはこれは……兄上、何故ここに……?」


 引き攣った笑顔を浮かべ、ギギギ、と錆びついた音が出そうな様子で背後を振り返るスカーさん。


 そこには……こちらはアロハシャツのような涼しげな服装とサングラスという出で立ちの、正真正銘お忍び中のフェリクス皇帝陛下。それと、青を基調とした花柄のサマードレスを纏い白い麦わら帽子を被ったイーシュお姉様が居ました。


 ……完全に、夏真っ盛りの島を満喫する格好でした。それ故に、スカーさんも気がつくのが遅れたのでしょうけれども。


「ああ、この服か? それはまぁ、せっかく遠出したんだ。皇帝だって羽根を伸ばしたい時くらいあるさ」


 そう、驚いただろうと笑う皇帝陛下。

 スカーさんはその様子を呆れたように見つめた後、はぁぁああ、と深いため息をつきました。


「……やられたぜ、イリスちゃんもグルだったか」

「という訳で、ごめんなさい。お二人のエスコートだったもので……」


 本当にごめんなさい、と再度頭を下げます。

 ですが、今回このような協力をしたのも理由があります。


「それに……スカーさんにも協力して欲しくて。その、お姉様は今……」


 こっそり、お姉様のお腹には赤ちゃんが居るのだという事情を耳打ちします。

 今お姉様には万が一に何かあっても治癒魔法が使用できない以上、できるだけ信頼できる人に付いていて欲しかったのです。


「あー……そういう事情か、それはしょうがねぇな……」


 頭をバリバリ掻いて、不承不承ながらも逃げようとするのを止めるスカーさん。


「わーったよ、兄上、俺の力で良ければお貸ししますよ。ただし、このお祭りの間だけですからね!」

「そうか、助かる! では、早速お前の分の部屋を用意させよう!」


 そう言って、嬉々として背後に控えていた使用人を伝令に出させるフェリクス皇帝陛下。


「……ごめんなさいね、スカーレット殿下。苦労をかけて」

「い、いや、気にしなくていいっすよ、それよりもお身体を大事にしてください、その……義姉上」


 年下の義姉に、若干照れながら告げたスカーさん。

 そのスカーさんの言葉にお姉様は少し驚いたように目を見開き……すぐに、嬉しそうにふわりと笑みを浮かべます。


「ええ……ありがとうございます」


 絶世の美少女であるお姉様に微笑みと共に礼を言われ、タジタジとなっているスカーさんですが……こちらは大丈夫そうでした。あとは……


「ごめんなさい、ハヤト君。あなただけ別行動になってしまうのだけれど……」

「いいよ、スノーの面倒を見る奴も必要だろ?」

「ええ……あなたも、一緒にいてあげられなくてごめんね?」


 そう、腕の中にいるスノーに言うと、気にするなとばかりに頰を舐められました。


 ただの子犬であれば、連れて行っても大丈夫なのでしょうが……スノーは、この世界でも最上位に位置する幻獣の幼生体。流石に、各国の貴賓の集まる場所へは連れて行けません。


「それに、姉ちゃん達の泊まってるところって、お偉いさんが泊まる場所だろ? そんな所に一緒に泊まれって言われなくて、むしろホッとしてるから」

「……ありがとう、ハヤト君」

「それじゃ、何処か宿を探して来ないと……っても、今から空いてるところなんてあるかな?」

「あ、それは大丈夫、こちらの知り合いに頼んであるから……」

「知り合い?」

「ええ、そろそろ来るはず……」


 そう周囲を見回すと、周囲をキョロキョロ眺めている見知った二人の姿がありました。手を振るとすぐにこちらに気が付いて、駆け寄ってきます。


「っと、居た居た。おまたせ、お姫様」

「イリスちゃん、ソールさん、レイジさん、こんにちは」

「こんにちは、お忙しい中に急に頼みごとをして、ごめんなさい」

「気にしないで。これくらい、お安い御用よ」


 待ち合わせていたのは、桜花さんとキルシェさん。

 客室くらいはあるとの事で、今回ハヤト君の宿の世話をあらかじめ頼んでいたのでした。


「それで……この子を泊めてあげればいいのね?」

「あ、はい、お世話になります……あの、イリス姉ちゃん、この人らは?」

「彼女達は、桜花さんとキルシェさん。私達と同じ元プレイヤーです。桜花さんは防具職人でもありますので、そういった事にも相談に乗ってくれると思いますよ」

「ええ、任せておいて。あ、武器の方が興味あるなら、師匠を紹介するけど」

「マジで!? あ、あの、お願いします!」


 武器、と聞いて目を輝かせ出したハヤト君。このあたりはやっぱり男の子だなぁと、微笑ましく思いました。

 そして、職人として気になるのか……早速、どういう物が欲しいか相談し始めたハヤト君と桜花さん。

 彼の装備も強化しておきたかったのも、桜花さんにハヤト君の面倒を見てもらう理由の一つでした。


 その間、キルシェさんはというと……


「わ、この子可愛い……あなたも私達の所にお泊りするのよね、よろしくね?」


 こちらは相好を崩して、私の抱いているスノーの頭を撫でていました。スノーの方も満更ではなさそうに尻尾を振っていますので、こちらも大丈夫でしょう。


 ……人懐っこいのは良い事なのですが、少しだけ、私達と別れ自然に戻る時、ちゃんと野生に還れるのか心配になるのでした。






「そういえば、一昨日からずっと気になっていて、姫様に聞きたかったんだけど」


 ハヤト君を桜花さんの工房に送り届ける道中、不意に桜花さんがそう切り出します。


「はい、なんでしょう?」

「王子様の『黒星』と、レイジさんの『剣軍』……だっけ。あれ、凄い性能のスキルだけど、ユニーク職って育ってきたらあんなのを皆も覚えるのかな?」

「分かりませんが……そうかもしれませんね」

「へぇ……姫様も、何か凄いスキルとかはあったの?」


 その言葉に、ギクリとします。

 どうにか誤魔化せないか、そう思って彼女の方を向くと、そこには興味津々と言った様子の目。それも、桜花さんを挟んだ向こう側に並んで歩いているキルシェさんも合わせた二対。


 ……これは、言うまで解放してもらえないなと諦めのため息をつきます。


「その、あるには、あったのですが……」


 なんとなしに指先を弄りながら、渋々と答える。


「そうなのか? 俺は初耳だぞ?」

「私もだ。一体いつの事だ?」


 このスキルについてはずっと秘密にしていたため、さらに話に加わってきた、後ろに居た二人からのそんな声にビクッと肩が震えます。ですが、こうして話題になった以上、もう隠してはおけないでしょう。


「えっと……二人が目覚めた直後あたりに、頭に知識が流れ込んできて……」


 習得して、すでに一月あまり。

 本能的に、そのスキルが非常に強力な物だと理解してはいるのですが、今まで使用した事はありません。というのも……


「使用条件がいくつか有るのですが、それが厳しくて……」

「……厳しい?」

「ええ。一つが、転生三次職……いえ、である事」

「ああ、エインフェリア、セレスティア、ノスフェラトゥの三つ?」

「はい。皆さんは『種族特性解放』のスキルを持っていると思うのですが……最低限、それを有する者でないと、器となる体がもたないと思うのです」

「それは……たしかに凄そうね」


 上位種……と呼称していますが、正確には先祖返りに近い物らしいです。

 大昔、まだ古代文明が繁栄していた頃、三種族の中に少数ながら存在していたという魔法適正が極めて高い人々。それが、先程桜花さんが挙げた三つの上位種族。


 実は今でも時折、そうした因子を潜在的に秘めた人々というのは稀に生まれるのだそうです……もっとも、その殆どが生涯気付く事もなく、類稀な才能を持つ人としてその生を終えるらしいのですが。

 ですが、私を除いた三次転生職の皆は、限定的ながらその上位種の力を解放できるのです。それが、何度か二人が使用した切り札である『種族特性解放』です。


 それを使用できる器。それが最低条件という時点で、破格の性能である事は予想がつきます。


「それともう一つが、私が心の底から信頼している人、です」

「へぇ……なら、あの二人なら問題ないんじゃない?」


 桜花さんの言葉に、頷く。

 おそらく私が『セイブザクイーン』を預けたレイジさんとソール兄様であれば、この条件も問題ないでしょう。


 ですが最大の問題は、この二つではなく、残る一つなのです。


「それで、問題なのはもう一つ、最後の条件の方なんです。使用する際に、その……まく……触と、……液交……必要で……」


 最後、あまりの恥ずかしさに尻すぼみになる言葉。


「ん? 何?」

「だから、その、発動に……………………相手とのと、が……必要なんです……」


 辛うじて絞り出し声に出した、その使用条件。


 ――周囲が、シンと静まり返った。


 沈黙が辛い。下腹のあたりで両手を組んで俯く。

 顔を上られそうにありません。きっと今、真っ赤なんだろうなと思う程に顔が熱い。

 周囲から、数秒の時間差で噴き出す音、咳き込む声がいくつか上がりました。


「え、ちょ、それって……」

「き、キスで、キスで大丈夫ですからね!?」

「そ、そっか、吃驚した……なら、性能の確認にちょっと試してみた方が良いんじゃない? ほら、そこに惚けて突っ立ってるレイジさんにでも協力してもらって…………」

「無理です、絶対無理!!」


 桜花さんの言葉に、食い気味に叫んで必死に首を振る。

 脳裏にフラッシュバックするのは、断片的な昨夜の記憶。今そんな事をしたら、恥ずかしさで死んでしまいます。


「あー、よしよし、ごめんね、あんたには無理よね……ま、姫様には随分ハードル高いのはよく分かったわ」


 桜花さんの同情混じりの声に、顔も上げられないまま頷きます。




 ――ですが、そう遠くない未来、必要な時がきっと来るでしょう。そのため与えられた力なのだと、そんな予感がするのです。

 その時になって、恥ずかしいなどと言ってはいられません。躊躇わず使用できるように、心の準備はしておかなければ……そう思うのでした。

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