互助組織の長

 ――もう二刻ほどで日が変わる、そんな夜も更けた時間帯。



 普段は夜寝静まるのが元いた日本よりずっと早いこの世界だが、今は祭りの直前という事で、出店の明かりや道を行き交う酔客で賑わっていた。


 そんな中……私は一人、当てもなく人を探して彷徨っていた。




「……やはり、居ないか」


 探しているのは、数日前に視線を感じた気がした『死の蛇』と呼ばれるあの男。

 あの日以来、気がつけばその姿を探して周囲を探っている時がたびたびあったが……ならばとこうして街に繰り出してみてもそれらしき人物はおらず、今のところその影すら掴めない。


 もしかして、あの日感じたものは単なる気のせいだったろうか……そんな希望的観測が頭を過る。


 今日はもう戻ろう。そう思い、踵を返す。




 ――その声に気が付いたのは、偶然だった。



 大闘技に戻って来た時、入り口方向から外れた場所から聞こえて来た、どこかで聞いた覚えがある何か話し合っている声。踵を返し向かったそこに居たのは……



「あなたは……」

「おや……これは奇遇ですね、殿下」

「殿下はいいです、ソールで構いませんよ。その方が私としても落ち着きますので。確か……フォルスさん。それと、シンと言ったか」

「は……はい、先日はご迷惑をおかけしました!」


 緊張した様子で深く頭を下げる、シン少年。

 彼が同行しているという事は、このフォルスという元プレイヤーが……おぼろげに予想していた事が、確信に変わっていく。


「彼……シン君は、私の部下です。商会の運営には一人では手が回らないので、彼には私の腹心としていろいろと動いてもらっています……まぁ、素直すぎるのが玉に瑕ですがね」

「す、すみません……」


 そう苦笑するフォルスさんと、恐縮して縮こまっているシン少年。その間に、確かな信頼関係があるというのが見て取れた。


 だが、問題は……


「……なぜ、こんな時間にこのような場所に居る」


 今居るのは、闘技場の横、来賓居住区である塔が見える人気の無い場所だった。


「何とは……いざという時の避難路の確認ですよ。私たちは、首相の補佐として来ていますので、万が一の時は彼の安全を確保しなければいけませんので」

「……まぁいい、信じましょう」


 横に居るシン少年を見ると……彼も、緊張気味ながら頷いていたのでひとまず納得しておく。


「場所を変えますか。こんな場所で話をしていると、あらぬ疑いを掛けられかねませんから」

「……わかりました」


 別に、ついていく必要も無いのだが……こちらとしても、聞きたいことがあったため、先導する彼らにおとなしくついていく事にした。


 ……そっと、丈の長いチュニックの下にある重みを確かめながら。






 連れてこられたのは、大橋を渡った先の本島にある、一軒の酒場。

 お祭り前でごった返している店内を進んでいくと、先頭を歩いていたフォルスが店員に何事かを語り、手に紙幣を握らせているのが見えた。


 そうして、案内されたのは……店の奥にある個室。落ち着いた内装の、しかし質の良いソファとテーブルが設えられた部屋だった。


「ここは、商談などに使われる防音設備のある部屋です。さ、どうぞ」


 そう言って通された部屋。

 その中心に据えられたソファの片方に、腰を落とす。


「ソールさんはアルコール類は?」

「私は……元々あまり飲まないので、お茶だけで構いません」

「では、そのように」


 そう言ってフォルスが何年か注文すると、案内してくれた給仕の女性が立ち去っていく。


 ……注文の中に時間の掛かりそうなメニューが何点かあったのは、人払いか。


「まずは……同じプレイヤー同士、無事こうして出会えた事を喜びましょうか」

「……そうですね。それで……あなたは本来のギルドマスターではなかったですよね? ギルド海風シーブリーズの、元のギルドマスターは?」

「……彼は、こちらへは来ていませんでした」


 そう、鎮痛な面持ちで水の注がれたグラスを握りしめるフォルス。


「元々あの方は、あまりレベル上げには興味のない、のんびりとした方でしたからね。さまざまな場所を旅してきたあなたに聞きたかったのですが、『こちらに飛ばされたのは、三次転生職を習得した者だけ』……で、合っていますか?」

「……はい。今まで出会ったプレイヤーに、三次転生職以外の者を見た事はありません」


 その言葉に頷く。

 そのようなことは、百も承知だったのだろう。フォルスは、まぁそうでしょうね、と相槌を打つ。


「やはりですか……では、彼は間違いなくこちらには来ていないでしょう。やれやれ、彼が居れば、私も裏方としてやりたい事だけやっていればいいから楽だったんですけどもねぇ」


 そう言って、肩を竦め戯けてみせる彼。


「まぁ、私の愚痴はさておき、こちらに来なくて済んだのであれば、ギルドマスターにとっては幸運だったんでしょう」

「ああ……そうですね、本当に」


 飛ばされずに済んだのなら、それに越したことは無いはずだ。特に、そのギルドマスターのように温厚で人が良い人物であれば。




「私も、聞きたいことがある」

「ええ、どうぞ」

「プレイヤー互助組織……と私たちは呼んでいたのですが、それは貴方たち、海風商会の事で間違いないですね?」


 それは、質問というよりは確認。

 そもそも横でハラハラした様子で私たちの話を聞いているシン少年が居るのだから、既に確定したようなものだ。


「ええ。そういえば、昨日の顛末はシンから聞いています。どうやらご迷惑をおかけしたようで……申し訳ありませんでした」


 存外素直に頭を下げられて、拍子抜けする。もっと傍若無人に振る舞う組織だと、どこかで思い込んでいたなと内心で苦笑しながら。


「あの! いまでこそ問題が目立つかもしれませんが、元々、海風を互助組織として再編したのは、それが必要だったからに過ぎなかったんです」


 たまりかねたのか、そう弁明するシン少年。


「ええ、彼の言う通り。私たちのいた西大陸は、分断されホームに戻れないプレイヤーが多かったですから……三カ月前、こちらに飛ばされた初期の頃は本当に酷いものだったんですよ」

「それは……苦労、お察しします」


 突然異世界へと飛ばされて、混乱の坩堝にあった元プレイヤー達。

 特に、他三大陸に比べて西大陸を拠点としているプレイヤーというのは決して多くない。ゲーム内での国勢調査では、所属プレイヤー数においては南北二大陸はおろか、東にもかなり水を空けられた最下位だった。


 にもかかわらず、西大陸に飛ばされてきたプレイヤーが多かったのは、西の通商連合国には行商ギルドが数多くあり、取引や探し物にはもってこいな国であったからに過ぎない。


 つまり……彼らは、元いた集団から分断され、孤立してしまったような状況にあったのだろう。


 頼れる者も失って、混迷を極めていた西大陸のプレイヤー達。

 彼らを御するには、早急に受け皿となる組織が必要だった。たとえそれが急速に膨れ上がる脆く拙い薄弱なものであっても。


 そして……それを成し遂げたのが、彼が再編したギルド『海風』、改め海風商会だったのだ。




「……ですが、新参である私たちが利権の付きまとう市場に新規参入するというのは、予想よりもずっと困難でした」


 元の世界にあってこちらの世界にはない、商売になりそうな物の知識を切り崩しながら、じわじわと旧来の勢力の末端を取り込みながら成長して来たが、それも限界であり、組織内にも嫌な空気が蔓延し始めていると、苦々しく言うフォルスさん。


「今でこそ私は首相に取り入って、便宜を図ってもらう事ができるようになりましたが……同時に、これ以上は頭打ちとなっているのも事実です。今後は、切り崩されていくのは私たちの番でしょうね」


 実際、眼前の彼らをはじめとした優秀な者たちには、勧誘の話が何件か来ているらしい。

 今はまだ居ないが……やがてその勧誘に負け、一人二人と抜け始めれば、あとは転がっていくように瓦解するだろう。


「そうすれば、引き抜きの声が掛からないような者たちは、再び路頭に迷う事は想像に難くありません……通商連合は、良くも悪くも実力主義、利権主義ですからね、自分達に益の無い不要な者を養ってくれるような、優しい国ではないですから」


 そこまで言って、膝に手をついて頭を下げるフォルスさん。


「無理を承知でお願いします。ソールさん、あなたも……協力してはもらえませんか?」




 ――やはり、というのが感想だ。



 プレイヤー相手に次々と勧誘していると聞いてからやがて自分たちにも声が掛かるだろうとは思っていた。


 ここまでの、彼の対応は誠実そのものだ。

 だが……


「皆を纏めるには、象徴が必要です。それも強い求心力を持つ者が」

「あなたが自分でやったらどうですか、代表なんでしょう」

「私はそんな器ではありませんよ。それは理解しているつもりです」


 そのような、しおらしい事を言う彼だが……


「一つ聞きたい。あなたが欲しいのは……本当に、私の協力か?」


 私の態度が急変したのを察して、二人に緊張が走ったのが見て取れた。


 たしかに、今の私にはノールグラシエの王子という地位がある。


 私もレイジも、実戦経験と共にそれなりに実力を磨いてきた。こちらに飛ばされてきたプレイヤーの中ではおそらく最強に近いレベルであろうという確信もある。


 だが、それでも自分達は、そこまで強い影響力があるとは思えない。


 そして……もう一人、プレイヤーにも、こちらにも強い影響力がある少女が自分達の中には居るのだ。


「やはり、あなたは話が早い。そうです、私は……彼女、イリス嬢の協力が欲しい」

「……で?」

「そして……この世界に飛ばされたプレイヤーで、その位置に座るに相応しい者は、彼女しか居ない」

「イリスを、お前たちの傀儡に据えるつもりか……!」

「ええ、彼女には、それだけのカリスマが有る。私は、そんな彼女こそが……彼女……こそが……」


 そこで、突然言葉に詰まる彼。


「……イリ、ス……? 何だ……私は、彼女を……」

「……フォルスさん?」


 突如言葉を切り、虚ろな目で何かブツブツと呟いているフォルス。

 その怪訝な様子に、隣にいたシンがその袖を引いて、声をかけている。


「私は……そうだ、私は……」


 頭を振り、グラスの水に口をつけて、平静を取り戻したような彼。その様子に違和感を感じるが……


「っと……失礼しました。どうか、ご一考を」

「悪いが、断る」


 被せ気味に、その提案を断る。

 答えは、ここに訪れる前、初めから決まっていた。


「先程、裏方で居たかったと言っていたな……嘘をつくな、お前のような目をした奴が、そんなもので満足するタマか」


 最初に気が付いたのは、初対面、あの茶会の時。

 すぐ隣にいたイリスが、ごく僅かながら怯えの表情を見せた時からずっと疑っており、だからこそ気が付けた。


 穏やかな紳士の顔は仮面。その目は、自尊心と虚栄心を奥底に潜ませている事に。


「お前は、あの子にどう協力させる気だ。ノールグラシエの貴人が突然西大陸の商会の代表に就いたと言われて、はいそうですかと周囲が納得するとでも思っているのか?」

「それは……」

「お前が上に行くために必要なのは、実績、財力……それに、か。大国である北のお姫様が降嫁してきた新興の大商人なんて、実に大衆受けしそうだな? も、十分に狙えそうだと思わないか?」


 その私の攻め立てる言葉に、黙り込む二人。


「やはり、お前の狙いはイリスを組織に縛り付け、なし崩しに自分の手中に納める事か。ならば、今この時からお前たちは私の敵だ」

「……交渉は決裂ですね。では、仕方ありません。話は彼女に直接……っ!?」


 その言葉は、最後まで言わせなかった。

 反応できなかったのか……あるいはあえてしなかったのか……その首筋に、ピタリとアルトリウスの刃を添える。


「――黙れ」


 ただ一言、ありったけの怒りを込めて、それだけを告げる。




 たしかに、イリスに直接話を持ちかければ、あの子は無視できないだろう。


 イリスには、今回のこちらに飛ばされた件が、自分という光翼族を作り、送り込む為のものであったという負い目がある。

 そこに他の元プレイヤーのためという事を強調され説得されてしまえば……最悪、思い詰めた末にこんな話であっても乗りかねない。


 ――つまりこの話は、向こうがその事を知ってか知らずかはさておき、イリスにとって最も弱い部分を突かれる致命的クリティカルな話題なのだ。


 だが……そこに、




「他の有象無象のプレイヤーなんか、路頭に迷おうが知ったことか。私は、あの子が幸せならそれでいい。そして、それはお前たちの所には存在しない」


 それを与えられるのは……もう、ただ一人しか居ないのだから。それを邪魔する連中は、私が消す。


「ソールさん、それは流石に……!」

「大丈夫です、シン。これは本気ではないみたいですから……まだ、ね」


 僅かに蒼白な表情を見せ、冷や汗を浮かべながらも少年を制すフォルス。


「ええ、、ですけれど」


 一つ気が変われば、いつでもその喉を掻き切って、この部屋を鮮血で染めてやる。そんな殺意を乗せ呟くと、彼は降参とばかりに両手を上げた。


「なるほど……私は、どうやらあなたを見誤っていたようです。理知的で理性的な方だと思っていましたが……どうやら、誰よりも激情家だったようですね」


 諦めたように肩を竦めるフォルス。

 何とでも言えばいい。その首にピタリと刃を這わせたまま、至近距離まで詰め寄り、嗤ってみせる。


「フォルスさん、あなたは一人っ子ですか?」

「そうですが、それが何か?」

「なら、教えてあげますよ。古今東西、兄というのは妹の交友関係にはとても煩いものなんだってことを」

「おっしゃっている事がよく……」

「大した事でははない。ただ……」


 剣に伝わった怒りにより、アルトリウスの刀身から黒い炎が吹き出しそうになるのを抑えながら、耳元へと口を寄せ、囁く。




「こういうことだ……お前なんぞに、大事な妹はやらん、と」




「……覚えておきましょう」


 絞り出すように彼が告げた言葉にひとまず満足し……首筋に沿わせていたアルトリウスを腰の鞘に戻す。


「是非、そうしてください。自分達の事で精一杯だった私たちと違い、この世界で他のプレイヤーのため奔走したあなたは尊敬に値します。なので、本気でその素っ首を落とすような事はしたくないですから」


 ニコリと笑ってみせ、暗に、場合によってはやるぞと仄めかし、下がる。


「突然の無作法、失礼しました。できれば良い関係を築いていけると良いですね」

「……あなたは、恐ろしい方ですね。予想よりも、ずっと」

「お互い様でしょう?」


 釘を刺すことはできた。

 しかし、彼らの持ちかける話がイリスに有効であるという事も、おそらく彼は理解しただろう。




 ――つまり、これは痛み分けだ。




 違いありません、と苦笑する声を背中に受けながら、私は個室を出て、酒場を後にするのだった。


 大勢の人でごった返している筈の大闘技場へと向かう大橋だったが……何故か、真っ直ぐ早足で歩いている私に衝突する者は、誰も居なかった。

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