現王と先王

 ユリウス殿下が来訪し、お茶をしながらせがまれるままに今までの出来事を話して聞かせていると、再び階下から誰かが上がってくる、数人の人間が石階段を蹴る足音が聞こえてきました。


「すまない、待たせたな。ユリウスは……そうか、やはり先にこちらに来ていたか」

「いらっしゃいませ、叔父様。それと……」


 陛下に続き、手を引かれて階段を上って来たのは、サラリとした絹糸のような薄金色の髪を後ろでアップにまとめ、上質ではあるが華美過ぎない品の良いドレスを纏った、天族の女性。

 やや大柄な陛下の隣に立っていても見劣りしない、女性としてはやや長身な……造形としては美人系な容姿をした方なのですが、柔らかく垂れ気味な目を軽く細め微笑んでいるせいで、むしろ可愛らしい印象を受ける。

 年齢は既に三十代も半ばになる筈ですが……そんな様子をあまり感じさせない女性でした。


 事前に、その人物については詳しく聞かされています。彼女はアンネリーゼ・ノールグラシエ。アレフガルド陛下の伴侶、私達の国の王妃様にあたる方です。


「あ、おとうさま、おかあさま、申し訳ありません……どうしても早くおねえさま方にお会いしたくて」

「そうですね、黙って先に行ってしまったのは良くありませんでした。ですが……気持ちは分かります」


 ふっとユリウス殿下に微笑むと、ゆっくりと歩いて来る王妃様。私たちの前まで来ると、私と兄様を交互に見つめた後……その手を私たちへと伸ばして来る。


「……本当に、七年前に会ったままの姿なのですね……いえ、少しだけ大きくなったかしら?」


 そう私と兄様の頬を撫で、存在を確かめるかのように身体に触れていた王妃様でしたが……次の瞬間、私たち二人、その両腕に抱きしめられました。


「本当に、無事で良かったわ。おかえりなさい、ソールクエス、イリスリーア」


 感極まったようなその言葉に……私たち二人は、少し照れながら告げるのでした。




 ――ただいま、と。






「……そろそろ宜しいでしょうか、アルフガルド陛下、アンネリーゼ王妃殿下」


 不意に、更に階段の方から聞こえて来た女の子の声。

 陛下達に続いて姿を見せたのは……やや気の強そうな目をした、まだ幼い可愛らしい女の子でした。


 こちらは下ろせば腰まではありそうな明るい金髪を、頭の左右で束ねたいわゆるツインテールに結っています。

 身に纏った服は、所々フリルやレース、金糸による刺繍をあしらわれた、白を基調としたローブ。その所々には、十字架と円を組み合わせたようなマーク……アイレイン教団のシンボルが象嵌されていました。


「あ、アンジェ! きみもこっちに来ていたんだ!」

「え、えっと……こほん。ユリウス殿下も、ご機嫌麗しゅう……」


 そんな彼女に、嬉しそうに屈託の無い笑顔を向けるユリウス殿下。その様子に彼女は少し頬を染めて動揺を見せましたが、すぐに気をとりなおしたらしく、ツンとした澄まし顔を見せて会釈しました。


「貴女がイリスリーア王女殿下ですね? お噂はかねがね。なんでも素晴らしい治癒術の使い手であらせられるそうですね?」


 そう言って、スカートの裾を摘んで一礼する、純白のローブの女の子。


「いえ……私も日々、自らの未熟を痛感する日々で。貴女は?」

「私は、アンジェリカと申します。アイレイン様を信奉する教団で、光栄にも『聖女』の末席に置かせていただいてます」

「……えっ!?」


 ニコッと、控えめに微笑んだ彼女……アンジェリカちゃん。そんな彼女の言葉に、目を見張ります。

 聖女……アイレイン教団の誇る、高い治癒魔法の才を有する少女たち。

 見出された者は親元から離れ、彼らの総本山で修行と奉仕の日々を送っていると聞きましたが……まさか、このように幼い子まで居たなんて。


「彼女……アンジェリカ嬢は、ユリウスの許婚でもある。どうか仲良くしてやってくれ」

「は、はい……」


 ……許婚。


 日本にいた頃は縁遠い単語でしたが、流石に王族ともなれば、まだ幼い時分からそういうのもあるのですね。


 彼女の見た目は、ユリウス殿下と同じか、いくつか上くらい……少なくとも、十は超えていないように見えます。ですがこの堂々とした立ち振る舞いに、端々に自らの役職に対しての自信のようなものが見受けられます。


 ……こっちの子供は凄いです。負けてはいられませんね。


 年長者として恥ずかしく無いようにしなければ。そう、ひとつ気を引き締める。と。


「……負けませんから」

「……え?」


 ボソリと呟かれた、その言葉。

 見ると、アンジェリカちゃんはこちらに敵愾心みたいなものが篭った視線を真っ直ぐに向けていました。


 ……そうですよね、こんなに幼い頃から修行を積んでいる彼女にとって、ポッと現れた私は認め難い存在なのでしょう。


 その睨むような視線に、これは仲良くなるのは大変そうだ、そうゴクリと唾を飲んでいると。




「ねぇ、アンジェ。お仕事、すぐに忙しくなるんだよね?」


 救いの手は、すぐ傍から。

 ユリウス殿下がアンジェリカちゃんに話しかけると、彼女はすぐに頬を染め、視線を彷徨わせ始めました。


 ……やだ、この子もユリウス殿下同様に、凄く可愛いです。


 仲良くなれそう。先程思った感想を即座に翻します。

 照れながらも満更でもなさそうなその様子にふっと頬を緩めると、何を笑っているんだとばかりに睨まれてしまいました。ごめんなさいね?


「え、ええ、そうね……明後日には、大会でのお仕事の打ち合わせらしいから……」

「なら今のうちに、いろんなものを見に行かない?」

「え、ええ……と……」


 所在無さげに周囲を見回すアンジェリカちゃんの目が、並んで二人を見守っている陛下と王妃様を捉えます。


 その目は……戸惑いつつも、期待に揺れているもの。


 そんな様子を二人もきちんと理解しているらしく、陛下が相好を崩しながら頷きました。

 それを見て、一瞬花のような笑顔を浮かべたかと思えば、すぐに澄まし顔に取り繕ったアンジェリカちゃん。


「で……殿下がそう言うのなら、一緒に行ってあげても……」

「ほんとう? よかった! それでは、おとうさま、私はアンジェと少し探検に行ってきてもいいですか?」

「ああ、行って来なさい」

「明るいうちに戻って来るのですよ? アンジェリカ嬢、ユリウスの事を頼みます」


 陛下と王妃様が頷くと、ユリウス殿下は嬉しそうにアンジェリカちゃんの手を引いてエスコートし、階段を降りていってしまいました。


「レオンハルト、あの二人の護衛は任せたぞ?」

「了解しました。レイジ君、君も来なさい」

「あ、ああ……それじゃ、ソール、こっちは任せた。また後で」


 陛下の指示でレオンハルト様とレイジさんも席を立ち……気付いたら、この場には私と兄様、国王夫妻だけが取り残されているのでした。






 そうして幼い二人が連れ立って降りていってしまったのを見送り、私と兄様、陛下と王妃様の四人、テーブルを囲んでお茶を再開します。


「ふふ、なんだか微笑ましい二人でしたね」

「ああ、あのアンジェリカという子はどうやら素直になれないみたいだけれど、ああも殿下に無邪気に押されれば形無しだな」


 兄様と二人、初々しいユリウス殿下とアンジェリカちゃんの様子を思い出して談笑する。

 幼い二人の微笑ましいやり取りを思い出すだけで、頰が自然と緩みます。

 そんな私達の言葉に、陛下もそうだな、と頷く。


「ああ、本当に……許婚同士、うまくやっているようでなによりだ。まだ幼いのに許婚の話を受けてくれたアンジェリカ嬢には、感謝せねばな」

「でも、二人とも満更でもなさそうで、将来安泰そうでなによりです」


 そう、何気なく発した言葉ですが……


「そう、だな……」


 途端に表情を曇らせる陛下。その様子に首を傾げると、彼は重たい様子で口を開きました。


「私は……あの子に王位を継がせたいとは強く思っておらんのだ」

「……叔父様? それは、どういう……」


 普段から、陛下がユリウス殿下をべったりと溺愛しているのを見ていたので、てっきり跡を継いで欲しいのだとばかり思っていましたが……その顔は、苦渋を滲ませたものでした。


「……勿論、あの子が自らの意思で目指すというのであれば、全力で支援するのもやぶさかでは無い。教えられる事は全て教えよう。しかし、そうでなければ、自分の好きな道を歩んで欲しいと思っていたのだ」


 尤も、今代は王家の子が少ないため、そうもいかんだろうがな、と苦笑するアルフガルド陛下。


「……すまんな、もしそうなった場合、お主らに皺寄せが行くというのに、勝手な事を言ってしまった」

「いえ、それは気にしておりませんが……よろしければ、理由を聞いても?」


 言い淀んでいる陛下に首を傾げ尋ねると、陛下は少し悩んだのち、語り始めました。


「私の来歴は、知っているな?」

「は、はい……先王、陛下の兄であるアウレオリウスが王位を継いだ後、魔法騎士団『白光』の団長を務めていた、と」


 魔法騎士団でも、特に生え抜きの精鋭。実力以外に高い教養や礼節を求められる、王都守備隊の最エリート集団。

 さらにはその選考には一定以上の容姿まで求められるという……騎士団の顔となる、いわゆる親衛隊だ、と。


 そして、選定において王位は兄へと譲ったアルフガルド陛下は、そこで先王アウレオリウスの治世のサポートに徹していたと言われています。


「私は、それで良かったのだ。兄上が行方不明になどならなければ、一生をその補佐として捧げるつもりだった」


 大きなため息を吐いて、改めて続きを発する。


「私は……あまり、良き王ではないからな」

「いえ、そんな事は決してないと思います! 陛下は仁君として、民の評価も……」

「そうだな、民たちがそう評してくれているのは、本当に有難い事だ。ただし……、と続くがな」

「それ、は……」


 思わず口籠もってしまう。


 ……それは、この国の近代史を学ぶ中で、何度も実感させられてしまった事。




 先王アウレオリウスの功績は、王位に居たのが十八歳からおよそ十五年程度と然程長いわけではないにもかかわらず、多岐に渡ります。


 その中で最も大きなものは、さらにその先王、私から見るとお爺様の治世の時に計画が頓挫し宙に浮いていた、王都とアクロシティ最接近都市コメルスを繋いでいる、大陸縦断鉄道を完成させたことでしょう。


 まだ年若い先王アウレオリウスは、幼少時代から、その才によって周囲の期待を一身に集めていたそうです。

 そんな評判を妬んでいたさらに彼の先代の王は、まだ年若い彼に、その困難さから工事の止まっていた計画を押し付けて王都から離してしまった。


 皆が無理だと、そのような任に飛ばされた優秀な王子に憐れみの目を向けたそうです。

 何故ならば、王都とコメルスの間には、北大陸有数の広さで広がる『世界の傷』の影響を受けた土地――『硝雪の森』という、存在している全ての物が……降り積もる雪の一つ一つですら……鋭利な結晶でできているという最大級に危険な『禁域』が広がっており、当初の計画ではどうしてもその付近を掠めざるを得なかったのですから。


 ところが彼が任に就いたその結果……彼は様々な計画の修正、そしてネフリム師の同族、気難しいはずの一つ目巨人サイクロプスの協力まで取り付け、困難極めると言わしめたその任を成功に導いてしまった。


 そんな彼の鉄道敷設の任は、縦断鉄道完成前に先王が病で伏せった事で行われた、新たな王位選定で圧倒な支持をもって王位に就いた事で終了しました。

 しかしそれすら見越して既に完全な計画の道筋が出来上がっていた工事は、彼の手を離れても問題なく進み、程なくして王都の民の悲願であった鉄道は完成しました。


 当初は人材の流出の懸念により批判も多かったらしいのですが、通行上のボトルネックとなっていた箇所が解消された事で、人の往来は増加。

 以前と比べ気軽に王都へと足を伸ばせるようになった事で……実はこれを見越してあらかじめ都市整備も同時進行していたそうですが……観光業なども発展し、雇用の増加と流通の流動化で、多大な経済効果もあったそうです。


 それ以外にも、例えば今では国全土へ目を光らせている防諜組織の育成を始めた事や、魔法技術の研究促進、軍で使用されている魔導器の統合整備計画の見直し……その活躍は多岐に渡り、今もその成果は活かされています。


 そして何よりも……『魔導王』とまで称され、次元すらも断つと噂された、強大な魔導の力。

 あの『死の蛇』との戦いにおいて最前線で指揮を執り、撃退に導いた最大の功労者である彼は、誰よりも強い王として絶大な支持を集めていました。




「王才で、私が兄上に勝つ日が来ることは無い……私は割と早い段階で、その事を誰よりも理解していた。だから王佐の立場で兄上を支えようと軍務について、サポートに徹しようと思っていたのだが……結局はその兄上の失踪によって王になってしまった。儘ならぬものだな」

「あなた……」

「あの時はアンナ、お前にも本当に迷惑をかけた。まだ幼い姫であった時分に結婚を申し入れた時には、元々王妃になる予定など無かったところだったのに、突然降って湧いた妃の立場、良くこなしてくれていると本当に感謝している」

「いいえ、私はあなたの伴侶となると決めた時より、どこまでもついていくと決めたので苦ではありませんでしたわ」


 二人しばらく見つめ合って、二人の世界を形成している陛下と王妃様の熟年夫婦。

 その様子に、私と兄様二人、砂糖を入れすぎたような心地で香茶を啜っていると。


「……ごほん、失礼した」


 ようやく帰って来た陛下が、照れた様子で茶を飲み干すと、改めて語り出す。


「結局のところ、私は『今あるものを守る』ことしかできぬ王だ。兄上のように国の将来を見据え、新しいことを考えて動く事は出来ぬのだ」


 陛下がそう自らを評価する。

 それは間違いなく自らを過小評価しているのですが……それを指摘しても、きっと届かないのでしょう。


「いや……今後、この国を継ぐ事となる者は皆、その比較の洗礼を受ける事となる。兄上は……イリスリーア、お主の父は、そういう存在なのだ」

「陛下……」


 ――優秀すぎる前任が居たことによる、周囲から向けられる容赦の無い比較。


 きっと陛下は、常にその比較に晒されながら今まで国を治めてきたのでしょう。その心労は果たしていかばかりだったのか、私達には想像もつきません。

 そして……それは誰よりも、その困難を知っているという事。まだ幼い我が子をそのような茨の道に歩ませるのを、陛下は渋っているのでしょうか。


「……あなた、悲観的な見方ばかり吹聴するものではありませんよ?」

「む? お、おお、そうだったな、そのような、プレッシャーを与えるような事が言いたかったわけではないのだ」


 そんな重くなった空気の中で、王妃様が陛下をたしなめ、私の手にそっと触れる。


「貴女も、その出自に思う事があるせいで否定的になりがちでしょうけれども……それはあくまでも一面。貴女のお父様は、それだけ立派な人物であったということでもあるのですよ?」

「王妃様……そうですね、ありがとうございます」


 それは、私が自分に流れている血を誇ってもいいのだという、王妃様の気遣いでしょう。

 だから、大丈夫です、と一つ頷いて見せます。


「その……若輩者である自分が、陛下にこういうことを言うのも恐れ多いと思うのですが……今あるものを守るのも難しい事だと思います。ですから、国全てを守ろうと励み、実際に安定を維持できている陛下を私は尊敬できる王だと思っています」

「そうですね……確かに、先王アウレオリウスは素晴らしい王だったのかもしれませんが、目標とするべきなのは叔父様の方だとも思えました」


 訥々と語る兄様に追従し、私も陛下の事をそう評します。


 重責に潰れる事なく、人のためにと苦心し続けられる仁の王。

 そのような中にありながらも、家族の将来を憂い思いやる優しい方。

 ずば抜けた資質は無くとも、やはり彼は、名君と呼ぶに足る素晴らしい王だ……と。


「そうか……そうか、お前たちがそう言ってくれるか……ありがとう。すまんな、若者に愚痴るような事をして」


 そう、どこか安堵したように肩の力を抜き、頭を下げるアレフガルド陛下。

 顔を上げた時に浮かべていた、僅かに目の端に涙を滲ませたその笑顔は、どこか憑き物が落ちたように晴れ晴れとしているものでした――……


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