届いた手

 唱霊獣が一度は沈静化し、このまま終わるかと思われたのも束の間。

 再度勢いを増して吹き荒れ始めた火の海。


 皆が辛くも退避したのは、朧げに感じる皆の生体反応が教えてくれました。

 しかし、私自身はどうにか氷壁の裏に逃げ込んだは良いものの、退避する機を逃してしまった。


 背後から断続的に迫る氷が砕ける音に、震えそうになる体を抑え込む。

 けれど、その音は止むことなく徐々に近づいており、それはもうすぐ後ろまで迫っていました。

 吹き荒れる炎の範囲外に逃れているミリィさんが必死に壁を増産し続けているのは把握していますが、それも間もなく追いつかなくなるという事が、私の計算で弾き出された結論。




 ――分かっているたぁ思うんだが……いつまでも、隠しおおせるものではないぞ?




 頭の中に、昨日ネフリム師に言われた言葉が蘇ります。


 先ほど使用した『プロテクション』のリキャストは間に合いそうになく、あとは……プレイヤー互助組織の彼、シンさんの目に晒す不安はあるけれど、それ以外の手は無くなるかもしれないと覚悟をしておく。


 ……ううん、大丈夫。こういう時、きっと……


 そう何度も自分に言い聞かせて、迫り来る炎の恐怖に耐える。

 あと三枚、二枚……これ以上は耐えられない、そう判断し、ギュッと目を閉じて、『ワイドプロテクション』の詠唱を始めようと口を開いた――その時。


 ザッ、とすぐ眼前から地面を蹴る音がして、思わず顔を上げる。そこには……


「――砲、閃、火ぁぁああああっ!!」


 屈んで遮蔽物の陰に身を隠した私のすぐ前に、いつ間にか現れたレイジさんの姿。

 裂帛の気合いと共に、彼が手にした『剣軍』の一本が視認不可能な速度で振り抜かれました。


 あまりにも速い剣閃が、迫る炎を吹き散らし円形に削り取ったように見えた、その直後。


 ――ゴウッ、と、凄まじい炎と衝撃が吹き荒れる音。


 振られた剣から一拍遅れてようやく放たれたレイジさんの『砲閃火』の炎が、私の背後から迫っていたタナトフローガの炎とぶつかり合い、吹き散らしていきました。


 その威力は、ゲームだった頃の同じ技とは段違い。

 炎が炎を押し返すという不思議な光景を呆然と眺めていると、ひょいと抱え上げられ、一足飛びに熱気の外へと連れ出されました。


「悪い、遅れた……大丈夫だったか?」

「はい……はい、きっと来てくれると思っていました」


 私の事を抱えたまま心配そうに見下ろす彼に、まだちょっと心臓がバクバク言っていますけれど、と苦笑しながら伝える。


「そうか……良かった、炎の中に見つけた時にはヒヤッとしたぞ」

「ごめんなさい……ですが、ティティリアさんの方は?」


 そっと地面に下ろされながら、疑問を口にする。

 レイジさんは、ティティリアさんの術の構築の手伝いに行っていたはず。それがこうして戻って来ているという事は……


「ああ、あっちも大丈夫だ、向こうも準備は終わった」


 その言葉と同時に、周囲に幾本もの天を衝くような蒼い光が立ち昇る。その中心には……


「『水克炎縛陣』……ッ!!」


 その光の中央、このような状況下で尚いまだに火の手の回っていない工房。

 その屋根の上に陣取るティティリアさんが叫びながら印を切り、その手を床に叩きつけると、たちまち周囲に蒼い光が走り、幾何学模様が描かれていく。それは瞬く間に炎を鎮め、吹き散らしていきました。


「イリスちゃーん! 水の地脈の力で炎を押さえてますが……あ、あんまり長くは抑えきれないですからねー!?」


 そうこちらに叫び、歯を食いしばり、術を維持してくれているティティリアさん。

 しかし、炎が弱くなってもまだ本体は暴れ回っており、簡単に接近出来そうになありません。


「っても、どうすれば良い……!?」


 散発的に振り回した翼から矢のように放たれる、炎で構成された羽根を斬りはらいながら、私の前に立ち塞がっているレイジさんが、背後の私に尋ねて来る。


「私は……キルシェさんを助けたい、です」


 今の私は、凝視した相手のコンディションを識る事が出来るようになっています。

 そんな私の目から見た現在のキルシェさんは、暴走する唱霊獣に際限なく魔力を吸い上げられている状態。

 刻一刻と減り続ける魔力と、悪化し続けているコンディション。このままではすぐに、魔力枯渇で倒れる事は明白でした。


「そいつは分かってるが、そうは言っても……っ! こんなん近寄れねぇぞ、どうする?」


 私に向かってくる炎を斬り払い続けながらレイジさんが再度問いてくる。

 火力は抑えても、まるで自棄を起こしたようなそのタナトフローガの攻撃密度は高く、接近は不可能。ならば遠隔攻撃ですが……


「……私が、全力で『ディバイン・スピア』を放ってあのタナトフローガの動きを止めます。ちょっと深く集中しますので、その間はお願いしますね」

「あ、ああ、それは良いけど……非殺傷魔法なら術者を狙ったほうが楽じゃないか?」


 確かに今ならば狙いやすくはなったと思いますが……その言葉に、苦々しい思いで首を振る。


 こうして相対し観察していて分かった事ですが、あの唱霊獣は全てが全て術者の魔力で構成されている訳ではありません。

 その体は世界に満ちる魔力で構成された存在……この世界における『精霊』と呼ばれるものに近く、おそらく、呪歌と術者の魔力はその体を構成するための設計図と、周囲から魔力を収集するための核の役割を果たしていると予想しています。


 そして、そんな術者と唱霊獣では、後者の方が内包している魔力は大きい。それも、圧倒的に。

 故に、術者を昏倒させ、核を維持できなくしたほうが効率はずっと良いのですが……


「……いえ、キルシェさんの魔力はもう危険域ギリギリですから、それはあまり推奨できないんです」


 私の視界に映っているキルシェさんは、今はもう倒れていないのが不思議な程の状態。

 まだ余力のある時ならばともかく、今ここに私の『ディバイン・スピア』など打ち込もうものならば、彼女を以前私が倒れた時並みに危険な状態に晒しかねません。


 ……というのが、理屈での理由。


「それに……やっぱり、妹を救うのは、お姉さんの役目だと思うんです」


 視線の先で、逃れていた上空から降りてくる兄様と、その腕に抱えられていた……桜花さん。

 そんな桜花さんの目は……決意を湛え、真っ直ぐに義妹を見つめていたのでした。


「だから……私はそのアシストに徹しようと思うんです。それがきっと、あの二人の為だとおもいますので」

「……んだな、あの化け物を?」

「はい、必ず


 正面から見つめ返す私に…レイジさんは少し黙り込んだ後、頷く。


「わかった。お前のやりたいようにやれ、俺が……必ず、守ってやる」


 くしゃりと私の髪を撫でながら呟かれたその言葉に、私は深く頷き、詠唱を紡ぎ始めるのでした――……











 ◇


「うわぁ……」


 眼下一面に広がっている、炎の海。

 辛うじて工房までは届いていないけれど、これでは降りる場所も無い。


 ……何故、このように上空から眺めているかというと。


「あ、ありがと……」

「どういたしまして。でも、この後どうしたものかな」


 そう眉を顰めた王子様の横顔が、やけに近い。

 今私は……王子様に抱えられて、空を飛んでいた。


「イリスは……レイジがついているから大丈夫だろう。それに……」


 大地に蒼く光る陣が走り、炎の勢いが急激に削がれた。

 タナトフローガの纏っている炎も勢いを弱め、その奥に居るあの子の姿がようやく見える。その様子は……


「……あの子、弱ってる?」

「魔力枯渇の兆候だな……あのままでは、命の危機もある」

「そう……だったら、止めてあげないとね、お姉ちゃんとしては。っと、助けてくれてありがと、降ろしてもらえる?」


 そう告げた私に、王子様が僅かに驚いたように目を見開く。


「……何?」

「てっきり、また凹んでいると思ったんだけど」

「凹んでるわよ? 自己嫌悪バリバリだし、本当に自分が嫌で嫌で仕方ないわ」


 できる事ならば、今すぐ自分を百回は殴ってやりたいほど、胎の内にはぐるぐると腹立たしい思いが渦巻いている。


「だけど……あんたが言ったのよ。凹もうが失敗しようが、大切なら何度だって手を伸ばせ……って」


 本当は、そこまであの子が大切なのかは分からない。

 だけど……まだ何も始まってすらいなかったのだ、私達は。

 なのに、これで終わりなんて……よく分からないけれど、とても嫌だと思ったのだ。だから――


「――とりあえず、あの子を連れ帰ってから凹んで悩む事にする……!」

「……ふ、ふふっ、良いね、嫌いじゃないよ、そういうの!」


 そう腹を抱えて笑い出した王子様に、そのままあの子の正面へと下ろされる。


「なら、あと少し頑張るとしよう。どうやら向こうもその気みたいだからね……っ!」


 そんな、義妹を挟んだその向こう側。


 昨日は居なかった赤毛の剣士に守られている、極度の集中状態であるらしいあのお姫様。

 その彼女の虹色の燐光を放つ銀髪を舞い上げる、物理的な現象を誘発する程となって渦巻いている濃密な魔力に息を呑む。まるで後光のようにぼんやり光って見えるその周囲に、次々と現れる巨大な光の槍。


 ……って、私の知ってるあの魔法ディバイン・スピアと違くない!?


 ゲームだった時に見たことがあるあの魔法に比べ、眩さも巨大さも段違いな光の槍が、ゲームだった時の限界本数のはずの四本を超えてさらに増えていく。


「ディ……バイン……ッ!! スピアぁぁあああ!!」


 可憐な声で絶叫をあげた姫様の周囲に、最終的に八本もの光の槍が現れて、その小さな体が浮き上がるほどのノックバックと共に、まるでミサイルのような勢いで一斉に放たれる。それは、狙い違わずタナトフローガに突き刺さり……ついにその姿が、僅かに傾いだ。


 宿主の魔力を受けて顕現している唱霊獣は、精霊に近しい存在であるがために、魔力を減衰させる攻撃に弱い。

 まだまだ倒せるほどではないが……それでも、大技を放った直後に自身の属性を戒められ弱った唱霊獣に対して、その攻撃は一時だけでも動きを止めさせることに成功していた。


 放ち続けられていた炎の矢が止まる――決定的な、隙が生まれた。


「桜花さん、彼女を止めるのは任せても構わないな?」


 そう言って王子様が目線で指し示した先には、未だに子供のように泣きじゃくっているあの子の姿。


「……勿論、私が止めるわ、だって、あの子は私の妹で、私はお姉ちゃんだもの!」

「ああ、良い返事だ……!」


 彼の目を真っ直ぐに見つめて頷く私に、王子様がそう言ってフッと笑うと、彼の周囲に漂っていた黒星の一つがその場を離れて巨鳥の方へと飛んでいく。それに続き、雷光を纏った剣……負荷により既に刀身が半ば融解し、もはや使い物にはならないだろう……を、投げ放った。

 タナトフローガの眼前に飛翔した黒星に、王子様の放った雷剣が突き刺さる。


 瞬間――その黒星は崩壊し、眩い光を放って炸裂した。


「道はこちらで拓く! 君は……君の守りたいものを!!」

「……お願い!」


 王子様の横を抜け、一直線にあの子の下に駆ける。

 だが、このままでは向こうの立ち直るほうが早く、炎の海へと突っ込むことになるであろう。が、それでも頭から最短距離で突っ込む。


「……キルシェ!!」

「……お姉ちゃん? 今更、何のつもり……!」


 眼前、私の呼びかけに反応したキルシェがノロノロとした動きで涙に濡れ、暗く濁った瞳を上げ……


「……っ!?」


 その表情が、驚愕に強張った。咄嗟の行動か、こちらに放たれかけた唱霊獣の炎も止まる。

 それもそうだろう、私は今――手に愛槍を持っていない、完全に丸腰なのだから。その槍は……


「チェインバインド……ランページ……ッ!!」


 槍は、あの子に向けて振るうために持っていたわけでは無いと、王子様の横を抜ける際に地面に突き立てて手放していた。

 そんな私の横を、駆け抜ける紫電。失った剣の代わりにと私の手放した槍を取り、構えた王子様が、のたうつ雷の鎖を従えてようやく動き出そうとしたタナトフローガの下へと奔った。

 眼前でみるみるうちに絡め取られ、身動きを封じられていく唱霊獣。もはやあの子までの間に、何の障害も存在しない。




 ――さぁ、道は拓いたぞ、あとは君次第だ。




 そう言いたげなスカした笑顔をこちらに向ける彼に、心の中で頭を下げる。

 そして……必死に手を伸ばし、逃げ出そうとする義妹の腕を、咄嗟に捕まえた。今度こそ、しっかりと。


「あ……」

「……ごめん、あんたの言うとおり、私ときたら、あんたの事しっかりと見ていなかった。駄目なお姉ちゃんでごめんね」


 軽く引っ張ると、それだけで大した抵抗もなく倒れこんできた小さな身体。

 それを、もう逃がすまいと捕らえ、抱き締めた。




 ――なんだ、こんな簡単な事だったんだ。本当に……本当に、私は馬鹿だ。




 二人の間を無限に隔てているように感じていた距離は……本当にただの勘違いでしかなく、実際は私が望めば零になる程度でしかなかったのだと思うと、おかしさに、自然と笑いが込み上げてきた。


「もっと早く、こうしてあげれば良かっただけなんだよね……遅くなったけど、でも、やっと届いたよ」

「…………お姉、ちゃん……っ」

「うん……まだ私をそう呼んでくれるのね、良かった……」

「おねぇちゃぁぁあん……っ!!」


 わんわんと大声で泣き崩れたその小さな背中を、子供にするように優しくトントンと叩いて、あやしてあげる。




 ようやく届いた手。

 あれほど荒れ狂っていた怒り劫火の化身は、いつのまにか、姿を消していた――……








【後書き】

ティ「あなたがイリスちゃん第一なのは薄々分かってましたけどもぉ、こんな場所に一人置き去りにしてくれた事、あとでぜぇったいにレオンハルト様経由で断固抗議しますからねレイジさんのバーカッッッ!!!!(涙目」

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