唱霊獣タナトフローガ戦

 「黒星……招来……ッ!」


 掲げた手から、螺旋を描いて六つの漆黒の球体……『黒星』が現れ、私の周囲を旋回する。

 それと同時に、タナトフローガがこちらへと炎を渦巻かせて放ってくる、が。


「その程度……! 喰らえ、黒星!!」


 左手の動きに合わせて周囲に漂っていた黒星が流れ、掲げた手の前で、まるで盾となるように回転する。その黒星の周囲の炎が霧散……否、吸収されて姿を消し、炎の津波は左右へと流れていく。




 黒星……その正体は、魔力によって構成された炎など、魔法による現象にのみ影響を与える高重力場。

 その力場に絡め取られた炎は吸収され、圧縮の後に黒星の奥底で消失する。




「……よし、このくらいであれば、なんとか行けるな」


 この一月で新たに習得した技が、予定通りの効力をきちんと発揮した事にホッと胸を撫で下ろす。

 決してこれは万能ではなく、一度に許容量を超える魔力を受ければ飽和し崩壊する。例えばミリアムの『フォトンブラスター』など高密度に収束した魔法相手では、ひとたまりも無く纏めてかき消されるであろう。


 だが、今回に関しては指向性の薄い炎が相手だ。自分に迫るものへと対処する分には、許容量には十分に余裕があった。が、それでも迫る熱量はかなりのもので、ジリジリと肌を炙る痛みが襲ってくる。


 ――長引くと、少し不味いかな?


 そう、後でイリスの治癒魔法のお世話になることも考え始めた時――




「あんだけ人に言いたい放題言ったんだから……しゃんとしろ、この馬鹿野郎……ッ!!」


 怒声と共に、私の眼前に一本の槍……片刃の、グレイブという種類の奴だ……が突き立った。

 その槍は地面に突き刺さると同時に私を守るように激しい旋風を巻き起こし、炎を吹き散らしていく。


 これは確か、ランサー系二次職『ドラグーン』の、『タービュランス』というスキルだった筈。という事は……


「ありがとう、助かったよ、桜花さん」

「フン……その、どうせ来ると信じてたって感じのスカしたツラ、気にくわないね」


 そう不機嫌そうに歩いてきて、地面から槍を抜き取り構えた桜花さん。

 そんな彼女が、腕に抱えていた金属板……円盾ラウンドシールドを、私に叩きつけるように投げてよこす。


「一応ミスリル製だから、そこそこ丈夫だと思うけど。工房の隅っこで埃被ってた習作だから、過信しないでよね」

「あ、ああ……助かる、使わせてもらいます」

「……フン」


 そう、怒りも隠さずにそっぽを向く彼女。

 よく見れば、手や膝はまだ少し震えている。しかし、その負けん気の強そうな顔は、彼女の戦う意思を何よりも雄弁に語っており……


「……ま、及第点かな」

「は? 偉そう、ふざけんな気障キザ男、これが終わったら色々言ってやりたい事があるから覚悟しておきなさい」


 そう憎まれ口を叩いた彼女の顔は、不機嫌そうにこちらを睨みつけてきているが、その口は僅かに笑っているように見え……


「わかった、覚えておこう」


 そう、苦笑して返すのだった。









 ◇


 世界初のフルダイブVRMMO。今でこそフルダイブVR慣れが進んだことで、問題は滅多に起きなくなったが……その初期の戦闘は、散々なものだったと聞いている。

 最初のフィールドに徘徊している雑魚敵の野犬ですら、リアルなスケールで迫って噛みついてくるのだ。実際に犬に追われた経験のある者ならば分かるであろう、その恐怖心に耐えられなかった者達が、次々と心身の不調を検知され強制ログアウトされたと聞く。


 ……だが、それでも、ゲームだった頃は安全が保障された怖さだったのだ。



 ――怖い。


 少し戦っただけで、ひしひしと思い知る。この世界の戦闘がここまで恐ろしいだなんて、予想はしていたけれども実際は遥かに予想以上だった。


 迫り来る炎は、CGではない本物。今は各種防護魔法に守られているけれど、一歩間違えてまともに受ければ皮膚は焼け爛れ、その痛みは想像を絶するものになるに違いない。


 こうして前線で槍を振るってようやく、その怖さが分かった。

 そして、自分よりも一歩先で剣を振るっている王子様は、いや、彼の仲間たち皆は、このような恐怖を耐えてここまで来たのだ……と。





「ブレス、来るぞ!」

「分かってる……!」


 散発的に吹き荒れる炎と違い、収束された火球のブレスは、氷壁の陰では凌ぎきれない。

 氷の破片を撒き散らし蒸発させながら迫り来る火球を、槍を構えて迎え撃つ。


「っの、吹っ飛ばせ、『ヴォーテックスシールド』……っ!」


 風を纏わせた槍を手元で回転させ、絡め取った火球を右へ受け流す。続いて迫る二射目の火球を、無理矢理体勢を変えて左に。

 しかし、大きく体勢が崩れ、迫る三射目に対処が遅れ、火球が眼前へと迫る。

 当たる……そう背筋にヒヤリとしたものが流れた瞬間、飛び込んで来る人影。その影が横殴りに火球を殴り飛ばし、迫っていた火球は明後日の方向、海の方へと消えていった。


「あ……ありがと」

「いや、こちらこそ、負担が分散してだいぶ余裕ができた、感謝してる」


 そうフッと笑いかけ、すぐに前に立つ王子様。




 私の『ランサー』系列職は、攻撃的な印象と裏腹に、攻撃力はそこそこ。

 その本質は、敵を束縛したり、攻撃を受け流すなど様々な風を操り攻撃を防ぐ、ゲームだった頃はどちらかといえば回避盾……タンクのロールに近い職だ。

 そのため、防御手段は豊富にある。あるのだが……




 目が霞む。

 息が上がる。

 覚悟してきたつもりだったけど、実際の命がかかっている戦闘は恐怖心が凄まじく、極度の緊張状態からガリガリと体力が削られる。


 そんな、こっちはいっぱいいっぱいだというのに、眼前に立っている王子様ときたら至極冷静に、タナトフローガの羽ばたきによって生み出され、視界を埋め尽くすほどに迫ってくる炎をいなしていく。


 ……悔しいけれど、この王子様は、自分よりずっと強い。いや、違う、実戦という場慣れしている。


「あんた、涼しい顔してるように見えるけど、一体いくつ修羅場潜って来てんのよ……っ!」


 負けたくない……その一心で必死に食らいつくも、その背中は遠く、フォローに当たるのが精一杯だ。

 これは私の問題なのに、最前線を任せざるをえない。その悔しさに唇を噛んだ、その時。


「……怖いよ、これでもね」

「……え?」


 全くそんな風には見えない涼しい顔で、迫り来る津波のような火焔を、黒い球体みたいなもので受け流しながら、そうポツリと呟いた王子様。その声に、思わず振り向く。


「……初めて人を斬った時は、怒りに駆られていたから何とも思わなかったけど……時間をおいて、とても恐ろしくなった」

「……それ、は」


 人を斬った。

 平和な元の世界の日本にいる限り、まず体験する事ではないだろう感覚。

 今は戦う意思を持ってこうして出て来たが、あくまで助けるために槍を取ったのであり、人を殺す覚悟なんて持てないし、自分には想像もできない。


「敵に負けて、酷い負傷を折った場所は、時折痛むことがある。もう完全に治っているのにね」


 それも、当然だ。

 いくらあの奇跡のような治癒術が使えるお姫様がいると言っても、治癒術では身体の傷は癒せても、心の傷は癒せないのだから。


「今でも、時々夜中に怖くて目が覚めるよ。明日こそ、本当に死ぬんじゃないかって」


 その声に、震えは見られない。何故、そこまで淡々と語っていられるのだろう。


「イリスも……以前私たちが倒れた時から、たまに夜中に起き出して来るんだ。私達が目覚めない、怖い夢を見たせいで眠れないって」

「あの子が……なんだかホワホワしていて、そんな風には見えないけれど」

「はは……イリスは、本当に臆病だよ。だから、私やレイジは夜、ちゃんとあの子が寝ているか見て回るのが日課になってしまったし、そんな日は……私やレイジの姿を見つけると、心底ほっとした様子で言うんだよ」


 ――ああ、良かった。ちゃんと居てくれた。


 そう、目に涙まで浮かべ、心底安堵した表情で。

 そんな日はもう眠れず、諦めて皆で談話室で身を寄せ合い毛布にくるまって、朝まで時を潰すのだと……そう炎の猛威を振り払いタンクとしての仕事を淡々とこなしながら語る王子様の横顔は、ひどく悲しげだった。




 ――変わらないんだ。彼らも、どれだけ敢然と戦っているように見えても、その実、常に恐怖と戦っている。


 知ってしまえば、先程、自分は弱くて彼らは強いのだから仕方が無いと腐っていたのが恥ずかしく思えて来る。そして、彼が怒ったのも仕方が無いと。


 でも……だからこそ、知りたい。


「――どうして、それでも武器を取るの?」

「……さぁ、他の皆の事は分からないな。だけど……私達三人の事であれば」


 その表情に、緊張が走ったのが分かった。

 視線の先で、これまで以上に勢いを増した炎を纏う巨鳥が、今まで留まっていたキルシェの元を離れ上空へと舞い上がる。


「私は、この狭い私の世界の誰も、失いたくないから……って事だろうね――来るぞ!」


 対峙しているタナトフローガの動きが、変わった。

 仰け反るようにして開いたその嘴の前に、いくつもの魔法陣が灯り、折り重なっていく。

 それは瞬く間に巨大な立体魔法陣となり、その内部に激しい……だけでなく、肌をぞわつかせるような凄まじい悪寒を感じる力が膨れ上がっていく。


 そんな中……


「……っ!? 駄目、私はそんな事、望んでない!!」


 まともな意思が残っていなかったように見えた義妹の叫ぶ声が、炎の嵐の中から聞こえて来た。


「キルシェ!? 正気に戻ったの!?」

「……お姉ちゃん!? 駄目、逃げて、止められないの……『エモーショナル・フロウ』が発動しちゃう!!」


 術者であるあの子が……おそらくは、大量の魔力を急激に吸い上げられたせいであろうか……正気に返り、必死に力を押さえようとしても、すでにトップギアのまま暴走している唱霊獣の力を抑え込むには時既に遅く。


「駄目だ、あんたら、逃げ……ッ!?」


 咄嗟に、周囲で戦闘中の皆に警告を飛ばす。

 元々、うちの義妹は何故かやたらと唱霊獣を顕現させやすく、そのコンビとして一番長いあいだプレイして来た自分は、誰よりもその危険性を把握していると自負している。




 ――エモーショナル・フロウ


 それは、唱霊獣それぞれが有する、最大の必殺技。

 中でも、最も火力に特化したタナトフローガのそれは、遍く存在を許さぬ炎――万物必滅の意志を示す怒りの炎。


 死の概念の神の名を冠したその炎、名を――『タナトスブレイズ』と呼んだ。


 だが、私が言葉を失ったのは、その炎に臆したからではない。


「……イリス、来るぞ! 合わせろ!!」

「――分かって、ます!!」


 叫ぶ王子様の声に、間髪を容れずに返ってくる可憐な少女の声。二人、大声で合図を送る王子様とお姫様。

 まず王子様に不可視の盾……確かプリーストのプロテクションの魔法……が張られるのに続き、同調して詠唱を始めた二人に、唖然とする。


 ――まさか……あの『タナトスブレイズ』を真正面から受け止めるつもり!?


「ちょ、無茶ですよ!? あぁ、もう!」


 何のつもりか協力していたらしい、プレイヤー互助組織の中で唯一まともな会話が成立していた彼……シンとかいう名前の少年が、悪態つきながらそんな王子様に抵抗魔法を飛ばしていた。


 けど、その程度じゃ焼け石に水だと舌打ちする。

 慌ててその襟首を取っ捕まえて下がらせようとして、目が合った。


 ――大丈夫、任せて。


 そう、視線で語っているのを感じ取った、次の瞬間。




 上空から、世界を炎の色で真っ赤に染める、眩い熱線が放たれた――……










 真っ赤に染まった世界の中、私が見たのは、円を描いて飛び出したあの王子様が操る黒い球体と、二重に張られた魔法障壁。

 それが上空から放たれた熱線とぶつかり合い、激しい爆発を引き起こしてから、果たして何秒、あるいは何分が経過したのか。


「……っ、気障野郎、大丈夫!? ねぇ!?」


 立ち上る砂塵と水蒸気の向こう、爆心地に、慌てて呼び掛ける。

 果たして、あの中心に居たあの王子様は、無事なのか……祈るような気持ちで数秒……


「……はぁ……はぁ……ああ、大丈夫だ……っ」


 息も絶え絶え、そんな様子で砂塵の中から姿を現した王子様が、ほとんど溶け落ちてその役目を果たせなくなった円盾を傍らに投げ捨てる。


「……っ、はぁああ……良かった……でも、本当に受け切るなんて……」

「何という事はない……あれは『炎』と『呪詛』の複合属性、ならば今自分に掛けられている補助魔法の効果と、私とイリス二人分の障壁があれば耐えきれる筈……そう過去の経験からほぼ確信していたから」

「……だからって実践する、普通?」

「退いて誰かにタゲが飛んで、無防備に食らう可能性よりはずっとマシだろう。それより……油断するな」


 息を切らしながら立ち上がり、剣を構え直してあの子……キルシェのいた方向を凝視する王子様。


「でも、向こうは大技を使い終わったんだから、もう……」

「……いや、それは……どうだろうね」


 半信半疑のまま槍を構えた私に、歯切れの悪い様子で返事を返す王子様。その様子に訝しみ、視線を追った先には……


「……ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」


 地面に座り込み、完全に常軌を逸した様子で、謝罪の言葉を壊れたレコードのように発し続ける義妹の姿。


「ごめんなさいごめんなさい! 嫌、いやぁ……こんなの、今度こそ嫌われる……こんな迷惑ばっかり掛けて、どうしたら……っ!?」

「あ、あの、キルシェ……?」


 もう消えると思っていたタナトフローガを未だに従えたまま、虚ろな目で譫言うわごとを呟き続ける義妹に、思わず恐る恐る声を掛ける。すると、義妹はその細い肩をビクッと震わせて、顔を上げた。


 おどおどとこちらの様子を窺っている普段とは全く違う、感情を剥き出しにした顔。

 そこには、大半を占める混乱の他、怯えの中に、まるで縋るような必死な色が見えた。


 そんな様子がちくりと胸を刺し、やっぱり私に姉なんて……という後悔が今更ながら再び湧き上がって――思わず、視線を逸らしてしまった。


 それは何という事はない、いつもの罪悪感と劣等感から来る、いつもの癖。

 それが大失敗だったと――すぐに思い知る事になった。


「あ……あのね、キルシェ……」

「………………何で?」

「……へ?」


 どう声を掛けたものか迷っていると、先程と一転し驚くほどトーンダウンしている声。

 訝しんで視線をキルシェの方に戻し……喉の奥から、ひっと情け無い声が漏れそうになった。


 はらはらと涙を溢しながら、瞬きもせずにこちらを見つめているその昏く沈んだ瞳にあるのは、飽和し、重苦しく粘度を増した……紛れもない私への怒り。


「何で、なんで、なんで? 私、すごく迷惑掛けて、こんな酷い事をしてしまっても、お姉ちゃんは何も言ってくれないの?」

「あんた、何を……」

「……邪魔なら邪魔って……嫌いなら、嫌いって言ってよ! そうしたら、諦めもつくのに、希望だけ持たせるような事しないでよ!!」

「ちょ、ちょっと待っ、あなた、何……っ!?」


 ぼたぼたと、大粒の涙をとめどなく溢しながら、まるで癇癪を起こした幼子のように泣きじゃくり叫ぶキルシェ。


「叱られてもいい! 嫌われても構わないから……私の方、ちゃんと見てよぉぉおおおおぉぉ……ッ!!?」


 今まで以上禍々しい輝きを増したタナトフローガの焔が、再び勢いを増して燃え上がった。

 それは……今も泣き叫び、涙を拭い続けている義妹の、今まで抑圧し続けていた心の叫びを体現しているかのように。




 ――あぁ、そういえば、あの子をきちんと正面から直視したのって、最後はいつだったかな……そんな事を振り返ってみる。


 ……記憶が思い当たらない。


 もしかして私、家族になってから今まで一度も、あの子の事、きちんと見てなくない?


 そんなあの子の方は……思えば、引っ込み思案なりに必死に、私の役に立とうと頑張ってくれて、距離を縮めようとしてくれていたのに、だ。




「……うっわ、最低だ、私」


 思わずポロリと口をついて出た言葉。


「……桜花さん、君さぁ。なんか予想外の理由で、ものすっ……ごく怨まれているみたいだけど?」


 そう、引き攣った苦笑を浮かべながら言ってくる王子様。


 ――うん、ごめん。私も今、ものすっ……ごく驚いてる。


 そう、呆然としながら返した私の言葉は、爆炎と閃光に掻き消されていった――……

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