怒りの灯

 ――唱霊獣しょうれいじゅう、タナトフローガ。『動』の『怒』の感情を司る一体。


 唱霊獣というのは、バード系列の二次職以降で稀に顕現けんげんさせることができる、いわゆる召喚獣みたいな存在でした。


 しかし……狙って顕現させる事はほぼ不可能と断言されるほどに困難。


 その出現には、内部的に存在したと言われる『静・動』と『喜・怒・哀・楽』の二つの隠しステータスが、一定範囲……バード職の使用する『呪歌』の効果範囲内にて規定値を上回る必要があったと言われています。


 ……言われていた、という曖昧な表現。


 実のところ、その数値の計算は困難を極め、明確な出現条件は確立されていなかったのです。


 高位スキルが乱舞するようなレイドボスですら滅多にお目にかかることがない一方で、ストーリーイベントの要所要所であっさり顕現した報告があるなど、その予測は困難を極め……最終的には、『やっぱりこれ、ガチでプレイヤーの感情を読み取ってるんじゃない?』と、攻略サイトの解析班から顕現条件の絞り込みについて匙を投げられた程でした。






「イリス、レイジ、この状況は……!?」

「うわ、唱霊獣!? 私、初めて見ました!」

「ふう、やっと追いつい……って、なんにゃぁ!?」


 私達に続き到着した兄様と、珍しい現象に若干興奮気味なティティリアさん、それとやや遅れて飛来したミリィさんも、軒並みこの状況に唖然としています。


「どうする、イリス? こっちはロクな装備も今は無いぞ?」

「そう、ですね……ですが、この暴走状態を放っておくわけには……」


 タナトフローガがキルシェさんの魔力を受けて顕現している以上、彼女の魔力が尽きれば、収まるでしょう。

 ですが……それまでに果たして、どれだけの被害が広がるか。そして事が済んだ後、彼女の心にはどれだけの傷が残っている事でしょうか。


 しかしこちらは、戦闘になる事を想定しておらず、今は護身用の最低限の物だけと、ろくに装備もありません。

 私はほぼ完全に私服、レイジさんと兄様は借り物の警棒とレイピアしか武器が無く、多少の耐火性能がある外套を羽織ったくらいで鎧も無い。


 ミリィさんはちゃんとした自前の杖を持っているのですが、今回の相手は暴走しているキルシェさん。まさか彼女ごと吹き飛ばすのは論外で、この状況ではミリィさんの魔法は強力すぎて、これもまともに使用できるものではありません。


 ですが……今の装備でも、止めるだけならば。


「……うん、大丈夫、やれます。幸いあの唱霊獣『タナトフローガ』は、私も何度か見たことがあります! まずは……ミリィさん、ティアさん、遮蔽物を!」

「ガッテンにゃ!」

「任せて!」


 即座に、私の意を察して詠唱を始めてくれる二人。


 あのタナトフローガは、とにかく火力が高く攻撃範囲が広い。

 一方で唱霊獣の特性として、最優先は術者の保護のために動き、特に指示がなければ術者の側から移動する事は無く、現在指示を出せる状態ではないらしいキルシェさんから離れて行動する様子もありません。


 味方であった時はとても頼もしかったのですが……こうして相対するのならば、この広い庭は問題外。まずは遮蔽物が無ければ話にもなりません。


「……グラート冷気コルリス噴出クロクル遮断……ティスカトゥーガ氷壁、『アイスウォール』にゃ!」

「……グラド大地シルド防御クレエ創出……アルスクリエ地盾、『ストーンウォール』!」


 二人の魔法により、あちこちの地面から、周囲に次々と生える巨大な氷と石の壁。

 直後、二人の魔力の動きに反応して行動開始したタナトフローガを中心に、激しい炎の嵐が吹き荒れますが、その創り出された壁の影に飛び込み身を隠してやり過ごす。


 そんな遮蔽の向こうで、熱気と共に、こんなにも分厚い壁ですらもいくつか融解し、砕ける音が響きました。


「……っ、ミリィさんは、このまま防壁をいっぱい作ってください! ティアさんは……」

「私、フィールドの火属性を減衰させる魔法あるけど……この辺一帯を囲むように、あちこち動き回って陣を設置しないと駄目なの!」

「では、それをお願いします、レイジさんは彼女をお願いします!」

「わかった……危ないと思ったら無理すんなよ?」

「大丈夫です、キルシェさんに、人を……友達を傷つけた負い目を背負わせるわけにはいきませんからね」

「そうか……よし、行ってくる!」


 私の返事に満足そうに頷いて、ティティリアさんと合流し離れていくレイジさん。その入れ代わりに私の側に来た人影は……


「部下の不始末は、責任者である私の不始末。彼等は逃げてしまいましたが、私は微力ながらお手伝いします」

「……君は?」


 傍に控えていた兄様が、訝しげな視線を向ける。


 男性としては小柄な、不思議な意匠の仮面を被っている、額に魔族特有の角を持った少年。

 彼の言葉に周囲を見渡すと……確かに、転がっていた様々な装備を纏った人たち……おそらく、元プレイヤー……の姿が、見当たらなくなっていました。


「シン、と申します。ウィザード系列の三次転生職『アークウィザード』ですので、そちらのミリアムさんほどではありませんがお役にはたてるかと」


 そう、若干複雑そうな視線を、チラッと背後で自分の詠唱に集中しているミリィさんに向けながら言う彼。


 通常の三次転生職とユニーク職の間には少なからず確執が存在し、しかも二人は同種族の同系統職という事で思うところはあるのでしょうが、それでも彼の目は真っ直ぐでした。ならば……


「……助かります。なら、抵抗魔法を任せていいですか? 纏っている炎の火勢が増したら、すぐに強力な全周囲攻撃が来ます、兆候を見落とさないようにお願いします」

「……! ありがとうございます、精一杯やらせていただきます!」


 味方への属性魔法を軽減する抵抗魔法を任せる……この炎吹き荒れる状況において、それは命綱の一本を任せるということ。それを任された……この場では信頼すると私が言外に伝えたのを察した彼は、嬉しそうに自分の役目を果たしに行きました。

 しかしこちらとしても、ミリィさんが壁の増産に手一杯な以上、抵抗魔法が使えるもう一人の魔法使いの存在は、とてもありがたいものでした。


 あとは……傍で、私に『インビジブルシールド』の魔法をはじめとした各種守護スキルを施してくれている兄様です。どうしますか、と視線を送ると……


「……ごめん、私は少しのあいだ戦闘から外れる」

「この状況で、どちらへ?」

「決まっている、私は盾役だからな。ならば、やる事は一つ……」


 そう言って、未だそこだけほとんど炎に巻かれていない工房……その壁にもたれかかって座り込んでいる、桜花さんの方を指す。


「……敵対心ヘイト稼ぎだよ」


 そう、悪巧みをしているのが透けて見える笑顔を見せて。










 ◇


 ――まただ。


 ――私はまた、何もできなかった。


 それも、以前と全く同じシチュエーションで。

 これでは何も反省していない。何も成長していないではないか。

 いや、それ以上に、むしろ悪化している、本当に私は、なんて駄目な――


 自己嫌悪に沈む中……ふと、頰に触れた暖かな感触。

 顔を上げると、淡い緑の光に包まれた手で、殴られた私の頰に触れている、端正な顔をした王子様。


「手酷くやられたな。痛むか?」

「これ……治癒魔法?」


 殴られて腫れていたであろう頰が、光に触れている場所から痛みが引いていく。


「つい最近、使えるようになったんだ。本当に初歩のものだけで、効果もあの子の物には遠く及ばないけどね」


 そう言って、背後で懸命に指示を飛ばしている女の子……あのイリスというお姫様を、優しげな目で見る王子様。


 そんなお姫様は……可憐で、小柄で、儚げで、ぽやんとしていて、頼りなくて、全く強そうには見えなかった女の子は、今は眼前の猛威に対して一歩も引かず、氷の壁の合間をたどたどしく駆け回り光の槍を放ちながら、敢然と指示を周囲に飛ばしている。


 防具なんて纏っていない、ヒラヒラしたワンピース姿の女の子が。

 そんな子が炎に満ちた戦場に立っているなど、滑稽な光景に違いないはずなのに、まるでそんな可笑しさを感じない程に、あのお姫様は輝いて見えた。




 ……私も、ああなれたら良かったのに。




 私よりもずっと大変な目に遭ってきたと聞いている彼女達だというのに、何故それでもこんなに強くあれるのだろう。憧憬と嫉妬が入り混じった物が腹の中から湧き上がり、情けなさにじわっと涙が滲んだ。


「……何をしているんだ、君は。はやく立て、妹を止めに行くぞ」


 強い、責めるような口調で声を掛けられるとともに、ぐいっと腕が引かれる。だけど、私は……


「……無理だよ、私には。また届かなかった。私は、あんた達みたいに強くはなれないんだよ!」

「……何?」

「分かってたさ、もう今更姉だなんで言う資格なんて無いって、そんなのは、ずっと……――ッ!?」


 突然、グイッと首元が締められ、体が浮かび上がり、無理矢理立たされた。そして……


 ――パァン、と、耳元で響き渡る、何かを叩く乾いた音。


 頰に受けた衝撃と、じわじわと浸透してくる熱に……自分が、目の前のこの王子様に襟首を掴まれ、頰を張られたのだと、ようやく気がついた。


「私達は特別に強くなんてない! イリスが、私達が、今までどんな思いで……ッ!!」

「な……ん……」


 突然激昂した彼。その目に浮かぶ色は、紛れも無い……燃え盛るような、怒り。

 しかし、その怒りはすぐに目から失せ、代わりに……


「……くだらない、そんな言葉、君から聞きたくなかった」


 一転し、冷め切った目で冷たく言い放つ、彼。

 その態度に……カッと頭に血が上る。


「じゃあ、どうしろって言うのさ! 前も! 今回も!! 私のせいであの子を危ない目に合わせて、今更どんな面で姉貴面しろって……!?」

「そんなもの……!」


 一層グッと力を込められた王子様……ソールという男の腕に力が込められ、吐息がかかるような至近距離の眼前に、その端正な顔が近づく。

 その目は、再度の激情に爛々と燃え盛っており、ゾクリと恐怖が背中を滑り落ちた。


「大事なら、何度失敗しようが、何度凹もうが、まだ取り返しがつくなら何度だって手を伸ばせばいい! 駄目かもしれないって、出来ることをしない言い訳をしている間に、出来ることがあるだろう!?」


 その剣幕に、思わず怒りを忘れ、言葉に詰まる。

 そこには……紛れもなく、私に対する怒りの感情が込められているように思えた。


「……言う事は言った、あとは勝手にしろ」


 そう言って、乱暴に私の服を離し背を向ける彼。

 だが、去り際にもう一度振り返り……


「だけど、その程度で諦めるなら……君には、がっかりだ」


 そう、吐き捨てて、今度こそ眼前の炎の海に駆けて行った。




 言い返せなかった。何も。

 彼に対して言い返したいのに、そのことごとくが喉でつっかえ、口に出す事ができなかった。


 何故かは分かっている。

 全て、向こうの言う方が正しいからだ。


 だが、それでも……


「…………ふざ、けんじゃ、ないわよ……っ!」


 理屈でも、道理でもない。

 ただ、感情で――お前に、そんな事を言われる筋合いは無いと、遅れて再度怒りが込み上げて来た。


 ならば、自分がするべき事は何だ?

 あの男を見返すには、何をすれば良い?


 そう考えた時、自然と自分の工房に飛び込み、その奥にある自室の奥、槍を掛けている壁の前へと駆け込んでいた。


「いいわよ、やってやる、やってやろうじゃない……!!」


 怒りに任せ、槍に伸ばした手が……その柄を掴む寸前で、まるで見えない壁に阻まれたように静止した。




 ――お前のせいだ。


 ――お前のせいだ。


 ――お前の、お前の、お前のお前のお前の……




「――うっ……るさいッ!!」


 責め立てる内側からの声を黙らせるように、全力で壁に額を打ちつける。


 脳が揺さぶられ、ぬるっとした液体が鼻梁を伝うが……それでも、脳裏で私を苛んでいた声は止んだ。


 ガッと、躊躇いを振り切って槍の柄を勢いよく掴む。

 途端に激しい吐き気に見舞われるが……


「……ふ、ふふ、ふふふ……っ!」


 それ以上に、沸々と湧いてくるのは怒り。

 それは、身体を竦ませる冷たいものを逆に焼き尽くし、熱を発生させ、身体の隅々まで力を行き渡らせる。


 ――ああ、たしかにアンタの言ったことは正しいだろうさ。だけど、だけどさ……っ!!


 深呼吸を、一つ。

 思いの丈を全て込め、一息に吐き出した。


「何、がっ!  君にはがっかりだ、よ、あンの気障キザ男ぉぉおおおおおぉッッッ!!」


 怒りに突き動かされるままに、棚から引き千切るように愛槍を捥ぎ取ったのだった――……







 ◇


「お待たせ、ここからは私も戦線復帰するよ」


 やるべき事は済んだとばかりに清々しい表情で戻って来た兄様を……私は、氷の壁の陰に身を隠しながら、ジト目で見つめる。

 桜花さんが、工房の中に駆け込むまでの一部始終を横目で見ていましたが……


「兄様、何もあんな……」

「だが、効果覿面だっただろう?」


 一際分厚く密集して立ち並ぶ氷の壁の影で、隣でジトっとした目で責める私にそう言って、壁の向こうにいるタナトフローガ……それを従えるキルシェさんを視線で指し示す兄様。


 その巨鳥の目は、まるで仇でも見るようにがっちりと兄様の方を捉えており、今も身を隠している氷壁の向こうから、荒れ狂う炎に別の氷壁が砕かれている破砕音が響いていました。


 しかし……アレが暴れ始めてからも、桜花さんが居る方向、工房のある側には今のところ飛び火はしていません。暴走しているとはいえ、どうやらキルシェさんの目的が桜花さんを守るため、という根本的な部分は変化がないのでしょう。


 故に……そんな桜花さんに手を上げた兄様に対して、彼女の怒りの矛先は集中していました。


「……呆れました。タゲ取りに桜花さんを利用するなんて」

「いや、まぁ、それはあの人に喝を入れる副産物だったんだけどね……まいったね、予想以上だった」


 半眼で見つめる私に、そう悪びれもせずに肩をすくめて語る兄様。


「……大丈夫ですか?」

「……ん、何が?」


 不意に、私の口をついて出た言葉に、とぼける兄様。しかし私自身何を指しての言葉だったのか分からず、それ以上追及もできませんでした。


「それより、目の前の問題をどうにかしないとね。『ディバイン・スピア』の方は?」

「私の魔力にはまだまだ余裕がありますが、キルシェさん本人への攻撃はほとんど防がれて、なかなか……」


 先程から隙を見て放っているものの、そのほとんどはタナトフローガの放った炎に落とされて、有効打は与えられていません。


「なら、イリスは反対側からとにかく打ちまくるんだ、今の状況ではそれが一番有効な攻撃だからね」


 私の『ディバイン・スピア』は、相手に怪我すら負わせない非殺傷魔法。しかも魔力を削るため、あのタナトフローガを顕現させているキルシェさんだけ昏倒させ、無傷で無力化できる可能性が高い攻撃手段です。

 それでもやり過ぎて魔力欠乏状態にしてしまう恐れはありますが、万が一やってしまっても、私には『マナ・トランスファー』による魔力譲渡という、それを補填する手段があります。


 つまり、今回の状況に限って言えば、私が唯一のアタッカー。


 そして、向こうのターゲットは兄様にしっかり固定されており、今はもう私の事は眼中にありません。確かに良い手だったんでしょうけども……!


「……後で、話がありますからね!」

「はいはい、それより、慣れない攻撃役に夢中になってを忘れないようにね?」

「分かってます!」


 それだけ言って、ターゲットを引きつける兄様から離れるように壁を縫って移動し、ディバインスピアの詠唱を始める。


 こちらは、装備もほとんど無く、攻撃も自由にはできません。状況は、圧倒的に不利ですが……


「……キルシェさん、絶対、絶対に、止めますから……!」


 氷の壁から飛び出して、そう語りかけながら放った光の槍が、炎を貫いて飛翔しました――……

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