斉天

 ――大闘技場内にある、来賓用の居住エリア。


 その中でも私たちノールグラシエの者に割り当てられた区画の中の、国家間の内密の話もあるであろうといくつか用意されている、小さな応接間サロンの一つに私とレイジさんは居ました。


「大変な事になってしまいましたね……」

「ああ……すんなり観光、とはいかないもんだな」


 私からは、ネフリム師から聞いた昔話について。

 そしてレイジさんからは、昼間の事件の顛末を、それぞれ情報交換する。


 昔話についても気になる箇所はあるものの、今どうこうできるような話ではないため、自然と話の中心はレイジさんの遭遇した事件についてになりました。




 話を聞くと、ノールグラシエ出身の大闘華祭参加者も数名被害を受けており、いずれも動機は不明。事が事なので陛下の下にも話が来ていたそうです。


 負傷者は皆、すでに教会の診療所にて治癒術師達の手により処置されて、命の危機は皆脱したそうですが……使用された毒の後遺症によって、大会参加は絶望的だそうです。


 ならば、私が治療を……と名乗り出ようとしたのですが、やんわりと断られました。

 私がしゃしゃり出て教団の面目を潰すような事があれば、彼らが何と言ってくるか分からないのだそうな。




 そんなわけで……昼間と比べピリピリとした厳戒態勢の中、私たちは暇を持て余してサロンでだらだらとしているのです、が。


「……兄様、遅いですね」


 明日もキルシェさん達やネフリム師に会いに行くための許可をいただきに、兄様が陛下やレオンハルト様の元へと談判しに部屋を出て、すでに一刻は経過しています。


「やっぱり、そうそう許可は出ないよな……最悪、俺一人別行動で会ってくるが……」

「約束した手前、心苦しくありますが……それも、致し方ないかもしれませんね」


 嘆息し、空になったレイジさんのカップに香茶を注ぎ直そうとしたその時――ガチャリと、ドアが開かれた。


「ただいま。遅くなってごめん」


 そう言って部屋に滑り込んできたのは……


「兄様! それで、外出許可のほうは……?」

「うん、かなり渋られたけれど、一応許可は貰えたよ。ただ……」


 そう言いながらテーブルに着き、私が差し出した兄様用のカップを受け取り香茶で唇を湿らせた後、苦い表情で口を開く。


「…実質、明日が最後の外出できる日になるだろうね。明日の夕刻頃にはアルフガルド陛下の奥方様……王妃様と、そのご子息である王太子殿下も入場なさるそうだから……」

「あんな事件があった以上、なるべく護衛対象には分散してほしくない……ってわけだな?」

「うん。それでも大事な約束があるからと頼み込んで、ようやく許可をもらったんだ。ただ、明日は護衛として必ずレイジと……それと、ミリアムも同行させるようにってさ」

「う……ま、まぁ、仕方ありませんよね……」


 ネフリム師と彼女が一緒になった時にどのような事になるのかは想像するのも恐ろしいですが、事情が事情です。

 事件が発生した中で無理を言って外出するのですから、できるだけ慎重に行動しなければならないと、気を引き締め直す。


 そんな時……コンコンと、控えめなノックの音。


「……ご歓談中、失礼します。こちらにレイジ様はいらっしゃいますか?」


聴こえてきたのは控えめな女性の声……確か、陛下の連れてきた女官の一人。


「あ、ああ? レイジは俺だが……」

「衛兵の者が一人、伝えることがあると言ってこちらに来ております」

「衛兵……?」


 レイジさんが、こちらをちらりと振り返る。


 現在、私と兄様という、王族の二人のプライペートな時間の最中に衛兵を連れて来るというのは、よほど緊急事態なのでしょう。

 しかしレイジさんも護衛としてここに居る以上、私達に許可なくドアを開けるわけにもいかず、兵を入れるわけにもいかない。

 そんなわけで視線によって伺いを立てているレイジさんに、二人で頷く。


「わかった、今出る」


 わざわざ市街地担当の衛兵が使いを寄こしたと言われて、真っ先に思い浮かぶのは、レイジさんが昼間に遭遇したという事件の件です。


 なので、ドアから顔を出し外に居る者と何事かを話していたレイジさんの方に、私たち二人も聞き耳を立てていると……


「……なんだって?」


 不意に、はっきりと聞こえてきた驚きの声。


「……昼間捕まえたあの二人が……詰所の牢の中で毒殺された……!?」


 ――その言葉が、いやに大きく部屋の中に響いた気がしました。












 ◇


 ――イスアーレス本島の隣、住人もあまり居ない離れ小島の端。


 人気の無い、明かりといえば天から降り注ぐ月光しか存在しないような道で、一人の男が歩いている。


 男の名は、『斉天』。

 ここ数ヶ月の間に忽然と現れ、通常開催の闘技大会をいくつか瞬く間に制覇した、期待の新星。


 まだ、少年を抜け出したばかりの年頃に見える青年。しかしそんな彼の戦いはそんな若さに満ち溢れ、力強く清廉だった。

 いかな相手であっても正面から真っ直ぐ迎え撃ち、そしてねじ伏せるその正々堂々威風漂う戦いぶりに、あっという間に彼は闘技場のヒーローとなった。


 また、ただ強いだけでなく、どこで学んだのか……どうしたら試合を魅せられるか、そうした興行的な感覚も持ち合わせているらしく、彼は観客を楽しませる事も忘れていなかった。

 要所要所で放たれる派手かつ強力な技の数々は、観戦している人々は魅了していき、そのファンは瞬く間に増えていった。


 一方で、戦闘とは無関係な場では見た目相応な年齢らしい初々しさも見せ、女性の観客に囲まれ、真っ赤になって右往左往しているところも何度か見られ、それが可愛いとギャップがウケている部分もある。


 いずれにしろ……今回の大闘華祭、フレッシュマンの部における下馬評にて、順当に進めば彼が勝つと言われる、それだけ際立った戦績を叩き出した文句無しの優勝候補筆頭。




 ……そんな彼が、自分達の目的の邪魔になるのは明白だった。しかも今日、彼の関与によって二名の構成員を始末せざるを得ない事態となってしまった。




 ――もはや妨害など生温い。厄介の種となる前に確実に始末しろ……そんな指令がから入ったのが、つい先程。




 あの金髪の男が街の郊外の人も寄り付かないような場所で野営をしているのは、すでに掴んでいる。

 相当額の賞金を得ているはずなため、宿代が無いという事は無いだろう。よって金が無いというよりは……まるで、襲われるのを待っているかのようだった。


 街を抜け、もはや周囲に人も居なくなったと言う所で……視線の先で、金髪の男が足を止め振り返った。


「……なぁ、居るのであろう? 出て来るがいい、ここまで来れば他の人にも迷惑がかからないであるし、相手をしてやるぞ?」


 事情が分かっているのかいないのか、そう、まるで試合前の準備運動みたいな気軽さで屈伸運動を始めている青年。


「……ふん、我らの存在に気づいていながら、わざわざ一人でこのような場所へノコノコとやってきたのか」


 仲間の一人が隠していた姿を見せながらそう発言すると同時に、その周囲に控えていた他の者達も、姿を現す。


 その数……六人。


 彼らは、昼間捕まった者達……下級工作員の連中とは違う実働部隊であり、皆が皆、一対一ならば闘技大会参加者相手でも圧倒できる手練れ揃い。

 確かに、相対する男は強い。だが、それを踏まえた上で十分な戦力を投入した。


 だというのに……男はその佇まいから余裕を崩さない。相手の力量を読めぬ馬鹿か、あるいはここのところ負け知らずだったせいで、十分に対処できるという慢心を起こしたか……そう、判断する。


「御託はいい、さっさとかかってくるがいい。こっちは散々殺気を浴びせられて、いい加減我慢の限界だったのだよ」

「そうか……待たせて済まなかった、それでは……やれ、お前達!」


 そう、会話をしていた男が指示を出した瞬間、六人が皆各々の武器を構える。

 それを見て、金髪の男も同じく構えのようなものを取った――その瞬間、その背後から姿を現した七人目の、手にした短刀が夜の闇に閃いた――……











 ――事は、ものの数秒で片付いた。


「……なんだ、この程度か。他愛無い」


 冷たい夜気に晒される中、期待外れだとでもいうような色を帯びたそんな声が響く。

 噎せ返る血臭の中、それを気にした様子も見せず淡々と佇むその男もまた、血まみれ……返り血に全身を濡らしていた。


 その周囲には――すでに物言わぬ、


 いや……果たして、それを人影と言っていい物か。

 ある者は、手足があらぬ方向にひしゃげ、全身の至る所から朱に濡れた白い骨を晒し。

 ある者は、何かが爆発したように胴体の半ばがごっそりと消え、上半身と下半身の一部を転がし。

 ある者は……ある者達は、まるで混ざり合ったかのように、明らかに一人分ではない手足を生やした肉の塊として転がっていた。


 他にも首があらぬ方向に曲がった者や、外傷こそ見当たらないにもかかわらず、大量の血を吐いて倒れ伏す者……皆、陰惨な有様で血の海に沈んでいる。


 そしてそれが、まるで怪獣が暴れた跡のように至る所で地肌がむき出しとなった荒野に、前衛的なオブジェのように転がっているのだ。




 ――そう……転がっているのは、私と同じ組織に属する者たち。


 ただ一人だけ立っているのは、必殺を期して抹殺に臨んだはずの、ターゲットであった斉天とかいう男だった。


(……化け物……か……っ!?)


 その全てを一部始終見ていた私は、ただ、その血まみれの彼に見つからぬように、岩陰に息を潜めて震えていた。


 ……本来、我らには実行部隊の他、その者達が仕損じた際に、対象の油断をついて事を済ませ、その場を隠蔽する万が一のための始末役が一人同行している……それが、私だ。


 ――だが、を?


 冗談ではない。あれだけ暴れまわりながら、奴は一片も油断などしていない。隙などどこにあるというのだ。


 ヒーローだと?

 ふざけるな、そんなもの、被った表皮一枚だけでしかないではないか。これは……この男は獣、いやそれすら生温い、魔獣か、あるいは悪鬼の類だ。


 勝てない――ならば情報を仲間に持ち返る事を優先するべきだ。そう判断……否、自分にこの場から離れるための言い訳をして、踵を返――


「――見ぃつけたァ……ッ!!」

「……っ!?」


 ――そうとした瞬間、背後から頭を掴まれて、宙に持ち上げられた。逃げようとする足が、ただ虚しく宙を蹴る。


「……いつ……の、まに……っ!?」

「いや、何か随分と、血の匂いがしたもんだから、なぁ……?」

「や、やめ……あ、がぁぁああアあアアぁ――ッ!?」


 激痛と共に、耳を介さず脳に直接響く、聞こえてはならないはずの固いものが割れる音。

 真っ赤に染まっていく視界の中、不意に夜闇に爛々と光る、金色の瞳と目があった。

 狂気に染まったようなその目……それは、先程までの暴れ様から、一つの存在を連想させた。


 ……狂戦士。そう、血に飢え、何者が阻もうと全て叩き潰し、決してその歩みを止めぬバーサーカー。


 己の任務の完全失敗を悟ったその瞬間……私の意識は、消えた。


 ◇




「…ぬぅ……しくじった。情報を吐かせるのを忘れていたのである……」


 興奮のまま自分のしでかした事に、頭を抱える。

 我に返り、気がつけば襲撃者最後の一人も、もはや話を聞き出せる状態ではなくなってしまっていた。


「しかしまぁ、西の特殊部隊と聞いていたから期待しておったのだが……存外、大したことはなかったであるな」


 右手に握っていた、砕けて中身を滴らせているを放り捨てながら、誰となしに呟く。


 明らかに堅気のものではない殺気を感じたため期待していたのだが、いささか拍子抜けだった。

 襲撃者への失望と共に、昼間再会した剣聖の姿を思い出す。


 ――奴と戦いたい。


 昼間は事情に納得して退いたものの、その渇望は未だに胸中にグルグルと渦巻き続けている。


 あの男に固執する理由……それは、奴がを所持している事が確認されている、唯一のプレイヤーだからだ。


 どうやら今は意図的にを封印しているようだが、無理もない。ここはゲームではなく、万一傍に居る者を傷付けでもしたらもはや取り返しもつかないのだ。

 理解はできる。だからこそ、自分もこのような人の居ない僻地以外では封じ手としているのだから。


 だが……お互い理性というくびきから解き放たれ、闘争本能に身を任せるまま思う存分に闘えたら、どれだけ楽しいだろうかとふと衝動に駆られるときがある。


「といっても、向こうにその気は無いであるからなぁ……」


 あの剣聖のを本気にさせる方法は、いくらでも思いつく。例えば、奴はいつも共に居る少女をとても大切にしている。彼女に危険が及ぶような状況であれば……


「って、いやいやいや!? 無い無い、それは絶対に駄目だろう!?」


 うおおお! と雄叫びを上げながら、おかしな方向に飛びそうになった思考から逃げるように、真っ暗な海へと飛び込んだ。

 夜になってもまだほのかに暖かな夏の海は、まとわりつく血臭を瞬く間に洗い流してくれる。

 しばらくそうして水中に潜り、滅茶苦茶に泳いで衝動を発散して……やがて疲れて手足から力を抜くと、海面に浮上した。


「……はぁ……はぁ……いくら何でもそれをやったら俺はただの悪役だろ、うん」


 アニメで見たヒーローに憧れて強くなったというのに、そんな道を踏み外すわけには行かない。それは憧れを穢す行為だ。


 それに……そもそも、自分にはそのような事は無理だ。弱者をいたぶる趣味は無いし、それが可愛い女の子ならば尚更だ。傷一つ付けるのすら躊躇われる。


 躊躇われる……筈なのだ。


「……まったく、血に酔いすぎであろうが」


 まさか、自分のような者にまで分け隔てなく接してくれ、その可憐さに心奪われたあの少女に、たとえ一瞬であろうとも危害を加えようとするなど、我ながら血迷いすぎにも程がある。

 自分の阿呆ぶりに呆れて呟きながら、全身の力を抜いて波に身を任せる。真夏の、丁度良い冷たさの水が、昂ぶった心をクールダウンさせてくれる気がした。


 そして頭上には、元の世界では見られなかったような満天の星が広がっており、こうして水に浮かんでいると、心静かに考えごとが出来そうだった。




 ――思い出すのは、この世界に来ての数ヶ月間。


 これまでに何人かの同じ境遇のプレイヤーとも会話し、そしてそのほとんどは、このような事態に巻き込まれた事を嘆いていた。


 だが……自分は違った。自分だけは、何の迷いもなくこの事態を喜んでいた。




 ――『Worldgate Online』というゲームは非常に感覚がリアルだったが、痛みは現実と比べて遥かに鈍い。


 それも当然で、リアルと同じ痛みを感じるゲームなどあってはならない。ましてやその中で斬った張ったなどは問題外だ。

 故に、『Worldgate Online』には……いや、全てのフルダイブVRゲームには痛覚を緩和する処置が施されていた。そのため、自分は設定で痛覚緩和処置を最低値にしていたけれど、それでもせいぜいが軽く叩かれた程度の痛みしか無く、それがずっと不満だった。


 対して、こちらの世界では殴られれば痛いし、斬られれば血だって流れる。


 皆が恐怖に立ち竦む、そんな突然突きつけられたリアルの中……逆に喜んで足を踏み出した自分は、やはりどこかおかしいのだろうか。


 ここイスアーレスに、ホームタウンにしていたこの闘技諸島に立っている事に気がついた俺は――まず真っ先に、闘技場に駆け込んだ。他の事に興味を示さずに、まずは自分の居場所、闘いの場を求めた。


 あとはもうひたすら戦いだ。戦って、戦って、戦って戦って戦って戦って……気がつけば、すっかり有名人になっていた。

 そうして今の暮らしに慣れ、ようやく落ち着いてきた頃、不意に虚無感が襲ってきた。


 今まで戦いの中で下してきたこの世界の者達は、危険の中に身を置いて自身を鍛えてきた者たちの筈だ。

 対して、自分は『Worldgate Online』という安全な箱庭の中で力を得た。この身体は、元の世界の身体とは比べ物にならないくらいに強いというのに、だ。




 ――それは、不正チートと何が違うのだろう。自分は、この力を誇っていいのだろうか。




 それは、自身の根幹を揺るがす疑問だった。


 ならば……同じ条件の、同じ境遇の者と戦ってみたい。それも、この世界と向き合い、覚悟を決めた強者に。

 そうすれば、自分は本当に強いのか、それとも本当は弱いのか、知ることができる気がしたから。


 そう思った時に、真っ先に思い浮かんだのがあの『剣聖』の、だったのだ。


 そうして今日の昼間にようやく再会できた時、本当に嬉しかったのだ。


 どんな体験をしてきたのかは分からないが、きっといくつもの困難を打ち払いここまで生き延びて来たのであろう奴の目は、他に出会った大半プレイヤーとは違い……覚悟が完了している者の目をしていたから。


 だが、奴は自分とは違い、傷付く事も傷付ける事も覚悟した上で、己をしっかりと律していたのではないかと思う。その力を振るう理由をしっかりと見据えているように見えた。

 そして、それはその後合流した、ゲーム時代『姫様』と呼ばれていたあの可憐な少女を見る奴の目を見て確信した。


 俺は……それが、たまらなく羨ましかった。

 だから知りたいと思ってしまったのだ。奴が、この世界でどれだけ強くなったのか。


「はぁ……やはり、俺はお前に相手をしてほしいぞ、剣聖の」


 何かふとした拍子に、戦いが避けられない出来事でも湧いてこないものか……そんな都合の良い願いを考えながら、揺れる波に身を任せて目を閉じるのだった――……

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