事件
『では、頼まれた剣の改良案は、明日までに用意しとおく。時間があればまた来い』
「ありがとうございます。明日は、レイジさんも連れて来ますね」
『おう、あの若造か。そいつは楽しみだ』
そう言って、和かに見送ってくれるネフリム師。なんでも、一端の剣士と刀剣について語るのが好きなのだそうな。
「鎧の方も、この後製作に入るからね」
「すみません……お祭りの時に大変なことを頼んで」
「いいのいいの、これは私の為でもあるんだから」
隣で同じように見送ってくれている桜花さんが、兄様と談笑していました。
「それよりも……あんたらも、街中ではもう少し気をつけなさいよ?」
そんな中……ふと、真面目な顔に戻って口を開いた彼女。その目が、真剣な色を帯びて私の方へと向きました。
「これは、こっちで知り合った奴に聞いたんだけど……元プレイヤーに声を掛けまくっている集団ってのはどうも、何らかの有名な奴に積極的に付き纏っているらしいからね」
「うん……特に姫様は居ると分かれば間違いなく対象になるから気をつけて」
「……そうですね、気をつけます」
桜花さんが告げた内容に、キルシェさんが追加で釘を刺してくる。
そんな二人に苦笑しながらも、素直に警告を受け取って、工房のある洞窟を後にしました。
「すんなり事が進んで、良かったですね?」
「ああ、正直もう数日は掛かると思っていたからな……あまり長い滞在する訳じゃなかったから、本当に助かった。仲介してくれたあの二人に感謝だな」
「ええ、本当に……」
この街に居るのは、せいぜい二週間くらいでしょう。場合によっては後でまた来訪しなければならないかもしれないと覚悟していましたので、初日から依頼が完了できたのは本当に助かりました。
レイジさんが一緒に来れなかったのは残念でしたが、街へと繰り出して正解だった……そう考えて、ふと思い出した。
「……そういえば、レイジさんの方はどうなったんでしょうね」
「まぁ、あまり心配しなくともただの船酔いだし、薬飲んで少しは良くなったんじゃないか? あるいはもう元気になって出歩いているかもね」
「そうだと良いのですが……」
「何にせよ、有益な情報も手に入って出だしは上々、幸先の良いスタートって所だね」
「ええ……このまま、何事も無ければ良いのですけども」
夕刻も近づいて来て、ますます人の賑わいが増し始めた市街地の方を見て、そう何となしに呟いくのでした。
◇
「うえ……まだ地面が揺れてる気がするぜ……」
アイニさんがくれた薬を飲んだら、気持ち悪いのは大分和らいだ。なので、まだ若干足元がふらつくのを押して、街へと出てきたのだが……
「まぁ、やっぱり合流は無理があったか……あいつら、一体どこまで行ったんだ?」
すでに本島はあらかた一巡りし、立ち寄りそうな店の中もチラッと覗いてみたが、結局見つからなかった。
目立つ二人だからと軽く考えていたが……どうやら見込みが甘かったようだと、建ち並ぶ屋台と人の波を眺めて深くため息をついた。
……と、その時、聞き捨てならない音が耳に飛び込んで来た。
「今のは、悲鳴……か?」
遠くから微かに聞こえてきた、絹を裂くような声。すぐに、その方向がザワザワと騒がしくなってきた。
どうにも、只事ではなさそうだ。二人が巻きこまれていないと良いんだが.……そんな不安に駆られながら、騒ぎの方へと踵を返した。
中央広場から少し外れたの酒場の前。騒ぎの中心だと思われた場所へ来ると、すでに周囲には一重二重と野次馬が集まっていた。
「なぁ、何があった?」
手近に居た野次馬達に尋ねてみる。
「刃傷沙汰だよ、なんでも刺されたらしい。
「闘技場目当てで荒っぽい奴らが多い島だから、これくらい日常茶飯事さ」
「とはいえ、こんな厳重な警備だから大丈夫だと思ったんだが、おっかないねぇ」
怖いと言いながら、どこか他人事の感があるその住人達。
その言葉に、怪我人が出ているんだろうが、と心の中で悪態をつきながら、気になって人の輪の中心へと掻き分けていく。
倒れ込んでいたのは、まだ若い……おそらく自分と同年代らしき青年。
その傍には半ばあたりまで血に濡れた短刀が打ち捨てられている。青年の腰の後ろあたりが真っ赤に染まっているということは、そこに短刀が刺さっていたのだろう。
また、その青年の顔は蒼白で、泡を吹いて痙攣しているようだった。
その様子が明らかに普通ではなく、駆け寄ろうとするが……人混みを抜けてたどり着いたそこでは既に衛兵が怪我人の応急処置に当たっており、最寄りの教会に運び込むための指示を出している。
このイスアーレスは闘技場がある関係で、治療院でもある教会が多数あり、治癒術師も常に詰めている。
事前に聞いた話によれば、なんでもこの時期は教団の『聖女』とやらも数名派遣されているらしく、ならば任せておけば大丈夫だろう。
ホッと一息ついた、その時……
――あれ、闘技大会の参加者だよな?
――ああ、受け付けで……いや、一般試合で見た気がするぞ。
――確か、最近の試合でちょっと活躍していた人じゃない?
周囲のざわめきの中から聞こえてきた声。
大闘華祭が行われていない時期は、見世物として闘技試合が開かれていると聞いていたが、どうやら刺された男は現在売り出し中の選手だったらしい。
確かに、倒れている男は鎧こそ着ていないが、自分と同じように鎧下を着込み、それなりに使い込まれているらしい剣を帯剣もしている。
剣も腰のポーチも見た感じそのままで、物取りという風情でもない。
闘技大会参加者という事はある程度腕に自信があるだろう。それを、往来で誰にも見咎められる事なく背後から刺す……?
そんな疑問が頭を過ぎった時。
――それに気が付いたのは、偶然だった。
野次馬の輪の最も外縁部。
なんて事はない、地味で痩せぎすな中年男性だ。服装からすると、ただの一般市民に見える。
それが……この状況の中、ふっと凄惨な現場から目を逸らし、人のいない方角へと歩き出した。
――まるで、自分の仕事が済んだのを確認し、立ち去るように。
「……あいつ……っ!?」
これは、ただの直感だ。
だが、確信に近いものを感じた……あいつが犯人だ、と。
「悪い、ちょっとどいてくれ!」
重なる人垣を掻き分けて、その背中を追う。
視線の先、男は街の中心から逃げるように、早歩きで曲がり角の先に消えていった。
「野郎、逃すか……っ!」
本来、これは自分と無関係な青年が刺されただけであり、犯人を取っ捕まえるのは自分の仕事ではない、衛兵達に任せればいい筈だった。
だが、逃げていく男から……その纏った雰囲気から、何かとても癪に触る物を感じたのだ。
それは以前、どこかで関わった事があるような匂いを発している気がする。そしてそれは、自分達にとても良くないものだった気がすると。
その何かに突き動かされ、駆ける速度を上げる。
そうしていくつか曲がり角を曲がったあたりで、向こうのペースが上がった。おそらく追っている自分に気がついたのだろう。
ならばもうコソコソと尾行する必要はなく、あとは脚力勝負。ならば、自分の得意分野だ。
……なら、絶対に逃がさねぇ!
そう前を走る男を睨みつけ、勢い良く石畳を蹴って全力で駆け出した。
◇
――この瞬間、レイジの頭からは一瞬、下手人と思われる者を追いかけること以外が頭から吹き飛んでいた。
そのため、偶々その空隙の時間、怪しい男を追うその姿を見られており……その後を尾けられていた事に、この時は気付くことが出来なかった――……
◇
いくつか曲がり角を抜け、しばらく追走し……やがて、海に面した島の外縁部、別の島へと続く大橋の下で、逃げていた男は壁に腕をついてへたり込み、荒い呼吸をついていた。
長く走ったせいでバテたのか……いや。
「おい、お前、さっき、事件現場から逃げたよな。悪いが俺と来てもら……」
そう、声をかけて手を伸ばした瞬間――首筋にチリっとした悪寒を感じ、咄嗟に飛び退った。
「……シャァアッ!」
「ちぃ……このっ!?」
突然振り返った男の、その振り抜かれた手に光る短刀を、紙一重……いや、かなりの余裕を見て大きく躱す。
続けて間髪を容れずに、飛び退った所を狙って投擲された短刀も、同様に。
そんな男は、先程の疲弊した様子は無く、汗ひとつかいていない……やはり、演技だったのだ。
「……チッ、若造だと思ったら、貴様のような鼻が効く小僧は面倒だから嫌いだ……!」
「そう言うテメェは、やっぱり犯人か」
「もう確信しているのだろう? 言い逃れが無駄ならば、仕方ない……小僧、貴様にはここで消えてもらう……!」
「はっ……やれるもんなら、やってみやがれ!!」
剣はイリス達に預けてしまったため、護身用として借りてきた金属製の警棒を腰から抜く。
いつのまにか、酔いは吹き飛んでいた――否、別の酔いに上書きされていた。ヒリつくような殺気を受ける緊張感、命の遣り取りの予感という酔いに。
奴が持つ短刀。おそらく、あれで傷を受けるわけにはいかないと本能が警鐘を発している。
あの拳二つ分くらいの長さの片刃の短刀は、つい先程の事件現場で倒れていた青年の、その傍に転がっていた短刀と同じ物だ。
本来、止血の準備が整う前に刺された刃物を抜くのは失血が増えるため、あまり良くない。
しかし、荒事慣れしているはずであろうこの街の衛兵があえて傷口から抜いたのであれば、それはあの場で抜かなければならなかった理由があったという事。
おそらくは……毒。
荒事慣れした衛兵達が慌てる程の致命的なものではなく、さりとて捨て置けるような程の他愛もないものでもない、そんな毒。しかも即効性だろうとあたりを付ける。
微かな負傷も許されず、しかも装備もなく、体調も万全ではないという重なった悪条件。
しかし、それでも自分は落ち着いている……それだけの余裕はある。
「こちとら、ここの所化け物みてぇなオッサンらに、みっちり
それに……チラッと、今来た街の方を見る。
「どうした? 今更命が惜しくなったか?」
「いいや、別に? テメェ程度にそんな事ぁ……必要無ぇよ!」
話の途中で、地を蹴って飛び出す。
同時に向こうも短刀を構えるが……その姿はここのところ訓練相手をしてくれた人達に比べると隙だらけで、全くなっちゃいねぇ。
そう確信した、その時。
「ふっ……己の力だけでどうにかできるという慢心、やはり若造だな……!」
迎え撃つ構えを見せた男が口元を歪めた瞬間、背後の頭上から現れた新手が、真っ直ぐにこちらへ飛び込んでくる気配。
――完全に不意を突かれた、もはや二方面からの攻撃を両方完全に躱す暇は無く、あとは毒の餌食となり成す術なく……と考えているんだろう、が。
「……はっ……この程度、わかってたぜ!!」
後ろの新手を無視し、気を足に込めて舗装が砕けるほど強く踏み込み、更に正面の男に肉薄する。それと同時に……
「……ぅおらぁぁああ!!」
更に別の人間の、裂帛の気合いが篭った叫び声が、橋の下に反響して鼓膜を叩く。
次の瞬間、背後の敵の更に背後から突然飛び込んできた影が、凄まじい勢いを載せた飛び蹴りによって、短刀を構えて飛び掛かってきた人影を悲鳴をあげる暇すら与えずに吹き飛ばした。
それを横目で確認しながら、もう一人のほうの懐にとびこんで、手にした警棒でその胴を払う。
「――がっ、ふ……っ!?」
防御の薄い腹部を強打され、血反吐を吐きながら男は地に崩れ落ちた。
ほぼ同時に……背後を突いてきた黒服の男が、地面に叩きつけられ拘束された音が聞こえてくる。
他に、敵の気配は無いのを確認する。どうやらもう大丈夫だと判断すると、残心を解いて警棒を肩に担ぐ。
「はっ、伏兵を忍ばせた程度で慢心しやがって、さっきの言葉、そっくり返してやるぜ」
体をくの字にして地面に突っ伏した男に、そう吐き捨てた……もう聞いちゃいねぇな。
「んで、そっちは……流石だな」
振り返ると、もう一人の乱入者の方……黒服を纏った、いかにも暗殺者然としたその人物は、後から飛び込んで来た人物によって地面に組み倒され、両腕を極められて呻いていた。
「ふっ……ふふ、ふはははは……っ! なんとなく飛び込んでみたが、どうやら危なかったみたいだな、貸しひとつだぞ、『剣聖』の!」
そんな黒服を拘束している男が、高笑いを上げて勝ち誇った様子でこちらに声を掛けてきた。
……うっわ、超殴りてぇ。
満面のドヤ顔に、そうは思ったがぐっと堪える。それでは向こうの思う壺なのは、ゲームだった頃に重々身に染みていた。
「馬鹿野郎、てめぇが居たのは、ついでに首突っ込んで来るのは最初から織り込み済みだ、貸しなんかねぇよ」
もっとも、気がついたのはこの場に着いた後なのだが、それでマウントを取られたら癪なので黙っておく。
「……やっぱりこの街に居やがったか、戦闘馬鹿が。久しぶりだな、『拳聖』の」
「おう。お前も無事で何よりだ、再会できて嬉しいぞ『剣聖』の」
そう、男臭い顔に人懐っこい笑みを浮かべたのは……金色の派手な髪をツンツンに逆立てたオールバック、革で所々補強されたズボンに、上半身が丈の短いジャケットを羽織っただけという、ほぼ半裸に近い格好の男。
その体は決して大柄とは言えない中背で、全身はぱっと見では細身ながら、鋼のように盛り上がった筋肉を纏っている。
それは……極限まで無駄な贅肉を削ぎ落として軽量化されたアスリートのように。
こいつはプレイヤーネーム『
己の肉体と気功を用いて戦う
あと、強いて言うのであれば、馬鹿。
いや、実際は頭が悪いわけではないのだが、その頭脳の容量をほとんど戦闘方面に割り振った一点特化型の馬鹿だ。
そんな奴だが、何故か俺をライバル視しており、事あるごとに
……そして、こいつは転移が起きる直前の『Worldgate Online』において、ある意味では最も有名なプレイヤーだったりする。
何故ならば、こいつは
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