魔導甲冑
あれから暫く四人で他愛もない話をしながら歩き、今はすでに日もだいぶ高くなった昼の時間帯。本島の隣にある島へ橋を渡って向かった私たちは、そこで……
「こちらの野菜類は、どうすれば良いですか?」
「それは……サラダにするから、洗って適当に千切ってくれればそれで……ドレッシングは、この前作ったのがまだあるから大丈夫」
……私とキルシェさん二人、彼女たちが暮らす住居のキッチンにて、昼食の支度をしているのでした。
事の発端は、まだ桜花さんのお師匠様が帰ってくるのはだいぶ先で、昼食をどうしようかという話になった時でした。
「……それじゃ、話したいこともあるし、お師匠様が戻るまでまだ時間があるから、うちでお昼にしない?」
そう提案した桜花さんの一声によって私たちは今、桜花さんとキルシェさんの住んでいるという町外れの工房へと来ています。
兄様と桜花さんは到着するなり、話があると二人で工房へと入ってしまいました。
一人リビングに取り残された私は、いたたまれなさからキッチンで調理しているキルシェさんの手伝いを申し出たのですが……
「キルシェさんは……こうした事に、とても手慣れていますよね?」
私は先程のサラダ用の野菜は既に皿に盛りつけ終えて、今はカジキマグロに似た魚の切り身に片栗粉を打ちながら、テキパキと動いているキルシェさんの仕事ぶりを眺めています。
先程までは海老の背腸を取っていたはずの彼女ですが、今は
「……子供の頃から母に仕込まれていましたから……それに、最近始めたばかりにしては姫様だって上手です」
「い……いえいえ、まだまだ勉強中です……」
私の視線と言葉に、照れ臭そうにはにかむキルシェさん。
そんな彼女に褒められて、なんだか私も照れ臭いです。
「……この辺りの料理は、元の世界の地中海あたりに近い……です」
「そうなのですか?」
「うん……ここの料理は、とにかくオリーブオイルとトマトと大蒜が一杯使われているんです」
大蒜の良い香りの漂ってくる、お米を炒めてカットトマトとスープを流し込み火にかけた薄手の大鍋。
その上に下処理の済んだ海老や貝などを乗せながら、彼女が言う。
「そういえば、この辺りは陽射しはありますが空気はカラッとしていて、大体元の世界でいう地中海あたりの気候に似ていますものね……実際に行った事はありませんけど」
「はい。島だから魚介も豊富。元の世界のレシピも応用できて、食べ物には困らなくて助かりました」
彼女はそんな話をしながらも、別のフライパンで炒めていた玉葱に先程残しておいたカットトマトを投入し、いくつかの調味料と混ぜ合わせると、作業がひと段落したのかようやく動きを止めてこちらを向きます。
「……話は変わりますけど、大丈夫? お姉ちゃんのお師匠様、結構仕事を受ける人を選ぶみたいですけれども……」
心配そうなキルシェさんの声。
腕利きの職人によくある例に違わず、私たちが会おうとしている彼も受ける仕事内容には煩く、基本的には一見さんお断りです。
しかし抜かりはありません。それを踏まえて知り合いであるというヴァルターさんから、紹介状を一筆したためて貰ってきました。
「はい、知り合いから紹介状を預かって来たから、たぶん大丈――」
「私がちょこちょこと発散するのを手伝っていましたが……今、結構
「……うっ」
彼女がボソッと呟いた言葉に、言葉に詰まる。
思わず、熱したフライパンに粉を打ち終えた魚の切り身を投入していた手が止まります。
――せっかく考えないようにしていたのに。
「姫様ならあの人も気にいるだろうし、私としても、す……っごく、ありがたいですけど、ね」
何故か嬉しそうに、ニコニコ微笑んでいるキルシェさん。その様子はまるで……『やった、共に恥ずかしい思いをする道連れができた』そんな思いが、ありありと浮かんでいるように見える物でした。その笑顔を見た私は……
「……用事を思い出しました。一応目的も済んだので、あとは兄様に任せて私は先に宿に帰って……」
彼女には悪いと思いましたが、包丁を置いて踵を返し、その場を後にしようと――した瞬間、まるで行動を予測されたように、ガッと肩が掴まれました。
おそるおそる振り返ると、そこには普段の可憐な様子などどこかへと吹き飛んだ、完全に据わった目のキルシェさん。華奢な彼女の一体どこにこんな力が……そう思うほどの力で掴まれた肩が、まるでミシミシと悲鳴を上げている幻聴が聞こえます。
「……駄目、逃がしません」
「…………はい」
鬼気迫る彼女の言葉に、私はがっくりと肩を落として観念するのでした。
ああ、弟子を取るようなタイプの人では無かったはずでしょうに、なぜ桜花さんを弟子にしているのかと思いましたが……
――さてはあの人、私と似た系統の容姿(一部部位を除く)をしているキルシェさんに釣られて、ホイホイ弟子入りを許しましたね!?
あの
◇
「……で、桜花さん。見せたいものというのは?」
「ああ……まだ師匠からは作ってもいいって許可は貰えていないんだけど……えぇと、どこに積んだったかな……」
そう言いながら、桜花さんは棚の奥をごそごそと漁っていた。
そうして暫く何かを探していたかと思うと、やがてその手に古めかしい、しかし堅牢な造りの細長い箱を手に取って戻って来る。
彼女がいつのまにか手にした小さな鍵を、その箱に取り付けられた鍵穴に差し込むと、かちりと音がして、その蓋が開いた。
中に入っていたのは……
「……設計図?」
長さ一メートル程度の、巻物のように巻かれた紙。
相当な長さがありそうなそれ。封を解いてわずかに広げられたそこに描かれていたのは、何かの設計図のようなもの。
「……いわゆる秘伝書、さ。私が、勉強用として好きに見ていいって師匠から言われた物の一つよ」
「……それは、私が見てもいいのか?」
「大丈夫よ、一目見ただけで暗記できるようなもんじゃないからね」
そう桜花さんが若干どや顔交じりで言い、作業台へと広げた設計図。
……彼女が暗記は無理と言ったのも仕方ない。そこにはびっしりと、無数の注釈によって埋めつくされた一つの全身鎧の図が記載されていたのだから。
「何……だ、これは……?」
「どう、驚いた?」
「ああ……驚いたなんてもんじゃない。この鎧は……複数の素材による積層装甲に、質量保存のエンチャントを各所に用いた……変形機構、だと……? 何だ、この恐ろしく複雑だというのに洗練された設計は……」
「旧魔道文明期、一つ目巨人たちが編み出した冶金術と魔道具技術、それらを結集して作られた鎧……『アルゲースの魔導甲冑』っていうらしいよ」
その彼女の言葉も、ろくに頭に入って来ない。
ただ、呆然とこの設計図を食い入る様に見つめていた――いや、魅入られていたのかもしれない。
「これが、鍛冶の神の眷属とまで噂されるサイクロプスの技術……凄い、物理防御と魔法防御の両立、それに防具としての性能と、常時着用を可能にするオールタイムアーマーとしての機能性の極限の追求。こんな物があったなんて……」
「ふふ、どうやらお眼鏡に適ったみたいで良かったよ。これが、私があんたの探し物に提示できる最高の選択肢。そして……」
そこで一度目を閉じて、一つ深呼吸する桜花さん。
再び眼を開けた彼女の目は、真っ直ぐに私を射抜いていた。
「そして……たぶん私の全力、
「カンスト……? じゃあ、君は……」
「はは……師匠には、お前は迷いがある、それでは道を極めるなど不可能だー、って怒られてばかりだけどね」
たはは、と困ったように頭を掻いている桜花さん。
しかし、制作スキルカンストとはつまり……衣服と鎧という差はあれど……ミリアムと同クラスの生産職ということ。
サイクロプスに見込まれ弟子入りした時点で相当な技術を持っているのだろうとは思ったが……とんでもない、彼女はおおよそ考え得る中で最上級の防具職人だ。
まさかそんな逸材と偶然知り合えるとは……望外の幸運に唖然とする。
「もちろん、単純な性能じゃ、あんたの二次職の時のレベルカンスト装備を越えるものはできないよ? だけど……これなら、きっといい所まで迫れると思うんだ。どうかな?」
「あ、ああ……正直、これ以上の物は奇跡的な幸運でも無い限り、望めないだろう……な……」
おそらく現状では入手不能であろう、伝説クラスのエネミー素材を途方もない量使用した、以前の防具はこの世界では手に入らない。
だが、これならば……希少なレアメタルが大量に必要そうだが、なんとかなりそうだ。
そして何よりも、彼女の存在が希少だった。
私たちの探していたサイクロプスの刀匠ネフリムはあくまでも刀鍛冶であり、鎧に関しては門外漢だったはずだ。おそらく彼女以上の職人は、もうそうそう見つからないだろう。
「……私は、師匠からこれの制作許可をなんとしてでも貰う。あんたの鎧……私に作らせてくれない?」
「それは、願ったりだけど……桜花さん、何故そこまでしてくれる? 私たちにそこまで良くしてくれる理由など無いだろう?」
「うーん……何でだろうね、自分でもよくわからない。っと、善は急げ、今のうちに採寸してしまうから少しだけ動かないでね」
そう言って私の手足や胴回り、様々な寸法をメジャーで測っては紙にメモしていく桜花さん。
しばらく、静かな時間が流れ……
「……よし、採寸終わり。もう自由に動いていいよ」
そう言ってメジャーを巻き取り片付けながら、彼女はポツリと呟く。
「……多分、あんたが羨ましかったからじゃないかな」
「羨ましい……?」
「あんた達は凄いよ。憧れそうなくらい。だから……そんなあんた達の力になれるなら、私ももう一度、立ち上がれる自信が持てるかもしれない……そう、なんとなく思ったんだよ。それに……」
「……それに?」
「あんたはあのお姫様のためだったら、自分の命を簡単に投げ出してしまいそうに思えたから……放っておけないよ。あ、もちろん防具職人としてだけどね」
自分の発言に照れたのか、目を逸らし頰を掻きながらそう言う桜花さん。私は……思わずその手を取り、口を開いていた。
「……ありがとう、桜花さん。私は是非とも君にこの仕事を頼みたい……君に出逢えて、本当に良かった」
「ばっ……」
思った事を素直に告げてみると、なぜか桜花さんが硬直した。首を傾げていると……
「馬鹿じゃないの、あんた!?」
なぜか怒られた。
一体どうしたことだろうと首を捻ったそんな時、ダイニングの方から皿を並べる音がカチャカチャと耳に届く。同時にふわりと鼻を突く、大蒜とオリーブオイルの良い香り……どうやら昼食ができたらしい。
「え、えっと……向こうも準備できたみたいだし、ほら行くよ! あの子の料理は美味しいから、冷めたら勿体ないからね!」
「あ、ああ……」
「それで、昼ご飯食べたら、師匠に制作許可くれるよう、ついでにたんまり蓄えてる中から材料を譲ってもらえるように交渉しに行くからね!」
そうまくし立て、私を引き摺るようにダイニングへと戻る彼女。その横顔は何故か赤く染まっていたが――その表情からは少しだけ迷いが晴れ、元気が戻った様に見えた気がした。
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