イスアーレスの休日①

 ――大闘華祭まで、あと五日。


 かなりの猶予をもってノールグラシエを発った私達を乗せた船は、三日ほどで目的地である闘技諸島イスアーレスへと到着しました。


 てっきり市街地のある本島の船着場へと向かうと思ったのですが……実際に船首を進めたのはその隣、大闘華祭の舞台である、島一つ丸々使用した巨大な闘技場の下。


 その闘技場の一角、海へ向け口を開けていたトンネルを潜ると……眼前に飛び込んで来たのは、まるで秘密基地みたいに秘されていた、広い船着場。

 吹き抜けとなったそこには、今はまだ私達の船しかありませんでしたが、もう数日もすれば招待客の船でいっぱいになるのだとか。


「すごい……こんな場所に入港するんですね」

「うむ。来賓専用の、宿泊施設へと直通の船着場だな。防犯上のため、一般には公開されていないらしい」


 そう解説してくれるアルフガルド陛下……陛下と呼ぶとしょんぼりしてしまいますので、以降は叔父様と呼びます……に、先に降りなさいと目でうながされました。

 係員の手を借りて、地面に敷かれた見るからに高級そうな真っ赤な絨毯へと、おそるおそる足を下ろす、と……




 ――ドォォォオン……




「ひゃっ!?」

「な、何だ!?」


 絨毯に足を着いた瞬間に至近……すぐ頭上でいくつも鳴り響いた爆発音に、思わず身を竦める。

 咄嗟に私を庇おうとしたらしい、すぐ後ろを付いてきていた兄様と二人抱き合うような形になった私達の頭上。恐る恐る吹き抜けとなっている天井から空を見上げると……そこにはいくつもの花火が、空を彩っていました。


「おっと、どうやらイリスリーアが一番乗りだったらしいな、はっはっは」


 豪快に笑いながら、タラップを降りて来る叔父様。


「大丈夫、これは最初にこの船着場に来賓を迎えた際に、来賓の受け入れが始まったという事を示すために放たれる花火です。そういう慣例なんですよ」


 そう耳打ちしてくれた、背後に付き従うレニィさん。

 見ると、叔父様は悪戯っぽい顔でこちらを見つめている。その横には、やれやれと頭を抱えているレオンハルト様。

 周囲の係員の人達も、何故か微笑ましいものを見守る生暖かい目でこちらを見ており……


「……謀りましたね叔父様!?」

「ははは、お前達二人はこうした行事は初めてだからな、最初の一歩は譲ってやるつもりだったのだよ」


 そう、むくれる私の頭をポンポンと軽く叩きながら降りてくる叔父様。それに続いて、同じ船に同乗していた皆も降りて来る。


 今回同行しているのは、まず陛下の連れて来た護衛の騎士や、身の回りを世話する侍従が数名。

 それ以外には、私達の主治医であるアイニさんと、側付きのレニィさん。

 私と兄様の友人として同行の許されたミリィさん。

 レオンハルト様の身の回りの世話役にと猛アピールの末にとうとう折れさせ、今は侍女の姿で彼の背後に控えているティティリアさん。


 それと……


「あー……やっと……陸か……」


 最後に、そう死にそうな声と顔色でフラフラと降りて来たのは、船旅による船酔いで完全にダウンしたレイジさんでした。










「……まったくもう、叔父様ったら」

「はは……まぁ、随分と心配を掛けていたみたいだからね、嬉しいんだろう」


 出会ってからこっち、すっかり気のいい親戚のおじさんといった風情になってしまった陛下は、何かとあのようにこちらに構おうとします。


 ……実際に血縁のある親戚だと知った今では、少し複雑な気分ではあっても悪い気はしませんが、それはそれです。


「ほら、用事があって出てきたとはいえ、せっかくのお祭りなんだ。そうむくれていないで楽しもう?」

「……それもそうですね」


 今、私たち二人が居るのは、来賓用の宿泊施設も内部にある闘技場……の外、お祭りを目前にし俄に活気づいている、街へと続く道。

 せっかく街の中を散策する事ができるのですから、いつまでも臍を曲げていては勿体無いと、一つ深呼吸をして気分を切り替えます。




 お忍び中である今の格好は……私はまるで避暑地でお嬢様が着用しているようなひらひらした白いワンピースに、上から羽織った薄手のパーカー。

 兄様も腰に帯剣している以外はシャツにスラックスという、いつもと比べるとだいぶラフなもの。


 船から降りた私達は、流石というか物凄い豪華な……元の世界においてはテレビなどでしか見る事ができなかった最上級スイートルームのような、普通に宿泊したら果たしていくら掛かるのか想像もつかない部屋へと通されました。

 まずはその部屋に荷物を降ろし、あらかじめ目的があると皆に相談し外出許可を得ていた私と兄様は、すぐに街へと繰り出していましたが……


「しかし……これは、人が多いな」

「さ、流石に四年に一回のお祭りですね……」


 道を見渡す限りの人、人、人。

 その様子は、まだ両親の健在だった幼少時に住んでいた、日本の東京を思わせる人通りでした。


 一方で、街のあちこちに警邏中と思しき衛兵の方が立っており、治安の方はあまり悪くはなさそうなのが幸いです。


「レイジさんも来れたら良かったんですが……」

「ああ……まさかあんなに船に弱いとは……」


 そのレイジさんはというと、あの後完全に酔いでダウンしてしまい、ベッドに篭ってしまいました。後でアイニさんが薬を持っていくと言っていたので、大丈夫だとは思いますが……


「……そういえば、兄様と二人で街中を歩くのは、こちらに来て初めてですね」

「ああ、そういえば……そういう役目は全部玲史さんに譲っていたからなぁ」

「……え?」

「いや、何でもないよ。では、今日は一日私とデートしてくださいますか、お姫様?」

「はい、今日はエスコートよろしくお願いします、王子様?」


 そうおどけて手を差し出す兄様に澄まし顔で返答し、直後耐えきれずに二人でぷっと吹き出しながら、その手を取ります。


 最近は、レイジさん並みかそれ以上に思い詰めている節があった兄様なので……このお祭りの空気のためかリラックスした様子に内心安堵しながら、人で混み合う街を歩き始めました。




「しかし……凄い街だな。いや、市街地にはまだ入っていないのか」

「ここ、闘技場と街を繋ぐ橋なんですもんね……」


 のんびりと歩いている今の場所。

 一見すると街の大通りなのですが、実はここ、幅が数百メートル、長さが一キロメートル以上は優にあるという、本島と闘技場を繋ぐ大橋なのです。

 その両端にはまるで商店街のように店舗が立ち並び、今は観光客だけでなく、大闘華祭に参加するつもりらしき武器などを背負っている人達で賑わっていました。

 その人の流れの速さと多さに目を回しそうになっていると……


「なぁ、広場で氷菓子の屋台をやっているらしいぞ」


 不意に、すれ違った私より少し年下らしき少年達の会話が耳に入りました。


 耳聡く聞きつけたその言葉。氷菓子……そういえば、こちらの世界に来てからアイスクリームの類は食べていないです。

 今の季節は夏真っ盛り。日本のような蒸し暑さはないとはいえ、ノールグラシエと比べるとこのイスアーレスはかなり暑い。

 そのため、アイスクリームいいなぁ……と一度生まれてしまった欲求には抗い難く、後で寄って貰おうと思い、腰のポーチの中の重みを確かめる。




 大きな買い物をしようという予定もあり、相応の額は用意して来ました。


 当然ながらその全所持金がこの小さなポーチの中に入るわけもなく、中身はお祭りを楽しむ用に分けておいたもの。大金は、兄様の持つマジックバッグの中です……屋台などでいきなり金貨なんて出されても、お店の人が困るでしょうしね。


 ――これらの資金は、領民の治療にあたった謝礼としてレオンハルト様が用立ててくれたもの。


 本来、私クラス……はまず居ないそうですが、欠損の治癒が可能な程に強力な回復魔法を頼むには、『聖女』を抱えるアイレイン信仰の教団に多額のお布施が必要ならしいです。


 むしろお世話になっているのは私達だから、お金は貰えない……はじめはそう断っていました。


 しかし、もしローランド辺境伯領に行けば無料で治療してくれるなどという噂が流れでもしたら、それが下手をすると教団との軋轢となる可能性がある……そう怖いほどの真顔で懇々と説かれては断れませんでした。


 そして、今回に関してはそうも言っていられない程に資金が必要なため、結果私達が折れ、ありがたく使わせていただく事になり今に至ります。


 そんな事を思い出していると……


「イリス、ちょっとこの店に入って見よう」

「あ、はい」


 少し先で兄様が指した店……橋の中程にあるその店は、この辺りで一番大きそうな武具店。

 そこは、あらかじめ評判の良い店を聞いてきた際に、真っ先に名前の上がった店にでした。その店先で呼んでいる兄様に、慌てて追いつく。




 今回わざわざお忍びで街に出てきた理由……それは、破損した装備に代わる、新しい防具を仕立ててくれる人を探す事。


 それと、ゲーム時に知り合った、の居る場所を探す事でした。









 ――店内を見て回り、一刻ほど。結論として、私達の望む物はここでは手に入りませんでした。


 店員も親切で店内の雰囲気も悪くなく、整然と並ぶ職人の手による数々の防具は見るからに高品質で、不満などがあるという訳ではないのです。


 ただ……


「ここなら……そう思ったが、やはり駄目だな。いや、決して腕が悪いという訳ではない、質は上等なものなんだが……」

「お眼鏡に叶う物は、ありませんでしたか?」

「ああ……前の鎧に匹敵する物は手に入る。そこは流石に闘技諸島といったところだが……」


 以前の鎧……あれは、転生でレベルダウンしたため転生前の装備に比べるとだいぶグレードを落とした、いわば繋ぎの装備でしたが……それは、あくまでもゲームの時の話。

 この世界においては、一般的には希少とされる素材を惜しみなく投入して製作した逸品であり、そうそう代用品が手に入るようなものではありません。


 にもかかわらず、ざっと私の素人目で見回した感じでも、それに匹敵すると思われる鎧は確かにある。

 それだけこの店は凄いのだと思います。ただ……今私達が求めている要求レベルが、もっと上なだけで。


「……前と一緒では、駄目なんだ」

「そう……ですね」


 苦々しく吐き出された兄様の言葉に、同じく忸怩たる思いで頷く。

 私達が欲しているのは、以前よりも上の……あの『死の蛇』にだって対抗できる装備。


「やはり、誰か職人を探してオーダーメイドで頼むか、あるいは……」

「どこかで見つけて来るか、ですね……」


 深い遺跡の奥に安置されていたり、伝説級のエネミーが守っていたりするプレイヤーの憧れ、過去に技術や魔法の粋を集めて作られた遺物レリックなどのような物を。

 とはいえ、この世界でゲームの時のような大規模集団戦闘など望める訳もない。

 となると、やはり職人……それも、ミリィさんのようにスキルカンスト級のトップクラスな……を探さなければならない。


 ゲーム時のプレイヤー倉庫の中身があれば……そう思いはしますが、無いものは無いのだから仕方がありません。二人、はぁ……とため息をついた――その時、背後から、ドンッ、という強い衝撃。


「――きゃっ!?」

「危ない!」


 突然何者かにかなりの勢いでぶつかられ、よろけた所を兄様に抱きとめられました。


「っと、ごめんよ姉ちゃん!」


 そう言って走り去っていく、十代前半と思しき少年。


「大丈夫か?」

「えぇ、大丈夫。ありがとうございます」

「いや……それよりも今の少年……」


 その兄様の呟きに、ふと気がつく。


 ――あれ? どこかで見たような格好と声……?


 そう、訝しげに去っていく背中を眺めていると……


「そうか、あいつ……!」


 兄様が何かに気づいて動き出そうとした、その瞬間。


「……うわ!?」


 視線の先、その走り去ろうとする少年の体が不自然に宙を舞い、地面を転がりました……まるで、誰かに足を掛けられたように。


「ってぇな、何すん……ぅげぇ!?」

「何してんの、はこっちの台詞。お祭りの場でそんな事をされると、私達の評判に関わるのよ」


 そう言ってうつ伏せに倒れた少年の背中を踏みつけ、身動きを封じてしまったのは、艶のある長い黒髪をポニーテールにした長身の女性。

 ややきつめな印象はあるものの、和風美人という言葉の似合いそうな方でした。


 彼女が有無を言わさず少年の上着のポケットを探ると、そこから出てきたのはどこか見覚えのある硬貨袋。それを確認した彼女が、ようやく追いついた私達の方へと振り返りました。


「すまない、助かった!」

「いいよ、気にしないで。君、やられたね。腰のポーチ破けてない?」

「え……あ、本当です……」


 頭を下げて礼を言っている兄様に、ひらひらと手を振りながら硬貨袋を渡している彼女。

 その言葉に慌ててポーチを探ると……そこは、鋭利な刃物で断たれたような切れ口の穴が空いていました。という事は……スリ?


「やっぱりね……少し前、財布の在り処を探ったりしなかった?」

「あ……あぁ、た、確かにしました……!」


 つい先ほど、氷菓子の話を耳にした際にポーチの中身を探りました。思えば今彼女に踏みつけられ動きを封じられているその少年は、その時の少年と同一人物です。


「なら、その時に目が付けられたんだね。嬢ちゃんみたいなボーっとしていて育ちの良さそうな子は格好のカモだから、気をつけなよ」

「ぼ、ボーっとした……」

「……その通りだ、注意を怠っていた。ありがとう」


 突然ディスられ、しかも兄様も全くフォローしてくれない事にショックを受けましたが、実際にやられた以上文句も言えず、心の中で地面に「の」の字を書きます。


「さて、こいつはどうする? 特に何も無ければ私から衛兵に突き出しておくけど……」

「ま、待って! 衛兵は許してください、弟が腹を空かせて待っているん……ぎゃ!?」


 必死になって頼み込む少年に、無情にも更に強く圧を掛けてその背中を踏み込む彼女。

 その苛烈な行動に目を丸くしますが……その彼女はというと、心底呆れたと言うように口を開きました。


「はぁ……つまんない嘘吐くなよ、お前。ゲラルドのおやっさんとこの悪ガキだろ? もし何かやらかしたら遠慮なくふん縛ってくれって、おやっさんに頼まれてるんだよね」

「ぐっ……くっそ、親父の同業者かよ……!」

「おおかた祭りで遊ぶ金欲しさに観光客のお嬢さんを狙ったんだろうけど……まぁ、狙う相手を間違えたね」


 そう言って、私のほうを見て頭のあたりを指差して見せる彼女……走った際にパーカーのフードがはだけていたらしく、慌てて被り直す。


 ――どうする?


 そう問いかけて来る彼女の目、それは私達の事情や立場を理解しているらしき物でした。


 私達の今ここでの立場は、各国から招待された賓客です。

 すっかり観念したようで、がっくりと項垂れているこの少年は、知らなかったとはいえそんな私達の財布に手を出した事になります。

 たとえ少年だったとしても、然るべき場所に突き出せばしばらく……少なくともこの大闘華祭が終わるまでは、その身を拘束される――などという程度で済めばまだ温情ある措置でしょうか。


 ですが……その少年が可哀想だからという訳ではない、利己的な理由ではありますが……それでは私達も連れ戻されるでしょうし、今日は目的を達成できなくなります。なので……


「……わざわざ大事にするよりは、普通に衛兵の方にお任せしたいです。私達もまだ街でやりたい事がありますから」


 あとは、これに懲りてスリなんて辞めてくれるといいんですが……へたな相手に手を出して、もっと危ない事態に巻き込まれるような事になる前に。


「甘いなぁ……ま、君らがそれで良いならいいか。どうやら私の連れがもう衛兵を呼んできたみたいだからね。あとは任せて、そうだな……この先の広場にアイスクリームの屋台があるから、そこで落ち合いましょう」

「……そうだな、そうさせて貰う。すまないが後は任せた」

「あの、ありがとうございます、おかげで助かりました」


 そう礼を言い、この場を離れるように促す彼女のその好意に甘え、私達二人はそそくさとこの場を後にするのでした――……


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