闘技諸島の姉妹

「……っ!? …………んぁ?」


 ガタンッ! という音。

 何かから落下するような感覚と共に、意識がぼんやりと浮上し、のそのそと頭を上げる。

 目に飛び込んで来るのは、机いっぱいに散乱している図面の紙束や型紙。


 ……どうやら、依頼された防具の設計図を引いているうちに根を詰めすぎてしまい、描き終わると同時に座ったまま眠ってしまったらしい。


「……って、図面!?」


 せっかく書いた図面が涎で読めなくなってしまったら大ごとだと、慌てて身を起こし……背中から、パサリと軽い音がした。

 背後に落ちたものを拾い上げると、それは……


「……毛布?」


 どうやら、眠ってしまっている間に誰かが掛けてくれたようだ。

 誰が……などとは考えるまでもない。それができるのは一人しか居ないのだから。

 なんとなしに視界の端、棚に掛けてある槍を見る。


 ゲームの時は相棒として、命を預けてきたはずのその武器。だけどこの世界へと来て、今の生活を得て……それ以来、私は一度も触れていない。

 しかし、埃も被っておらず綺麗に磨かれているその穂先は、明らかに誰かが手入れをしているのを示すもの。


 誰か……というのも決まっている。

 工房ならばまだしも、その工房の隣室……仮眠用の簡易ベッドまで持ち込んで、半分私室と化したこの作業室にまで人を入れたりした覚えは無い。

 それは、こちらで面倒を見てくれている師匠ですらも例外ではない……もっとも、あの人にここは狭すぎて入れないのだけども。


 ただ一人……一緒に暮らしている、義理の妹を除いて。


 なんとなしに、愛槍……だった物を棚から外し、手にとってその刃を確かめる。


 綺麗に磨かれたその刃は、まるでそれを手入れしてくれた者……共に暮らしている義理の妹の性格を表しているようで、ふっと笑みが漏れ――




 ――今更になって姉貴面をして、何のつもり?




 不意に脳裏に響いた言葉に、全身が強張った。

 いくつかの過去の光景が、脳裏にフラッシュバックして……




 ――あ、お姉ちゃん、今日は朝早いんだね、なら一緒に……


 ――ついて来ないで。私は、あんたを妹だなんて認めた覚えは無いから。




 まるで子犬のように必死に後ろについて来ようとする少女を、冷たくあしらう醜い自分。


 一年前に再婚した父親の、結婚相手の女性と一緒に新しい家族となったその子の事を、本当に嫌いだったわけではない……と思う。

 ただ、あの時の自分は、揉め事から理不尽に部活を退部させられたばかりで荒れた生活をしていた……不良だったのだ。

 恨みも相応に買っている自分の近くに、こんなスレていない小動物のような子が居て、厄介ごとに巻き込んだら申し訳ないと思い突き放していただけだ。


 だった、筈なのに……




 ――見ろよ、さんざん粋がっていた女帝様も、どうやら妹ちゃんには甘いらしいなぁ!?


 ――違う……私は、その子なんて何とも思っていない、だからその子には……っ!


 ――へぇ、そんな反応しといて興味ないって? だったら、確かめてやるよ!


 ――嫌ぁ!? お姉ちゃん! お姉ちゃん!!


 ――やめなさい! やめてぇぇえええっ!?




 男数人がかりで地面に組み敷かれ抵抗できない中、視線の先で、粗野で野蛮な男たちに衣服を引き裂かれ毟り取られていく、小さな少女の身体。自身ではなく、自分の行いによって巻き込まれたその少女の受けている暴虐に、心が砕けそうな程に軋んだ。


 ……強くなった、と思っていた。


 子供の頃から武術をやっていて、特に薙刀に関しては、手頃な棒切れがあればたとえ男相手でも制圧できる程度の腕前はあるという自信はあった。

 それに加え、ある日を境に急に身体能力と反射神経が上がり、男だろうが大人だろうが、たとえ真っ向勝負であってもまるで負ける気がしなくなった。


 だからといって、決して自分から手を出した事は無かった筈だ。だが、ムカつく奴を見つけるたびに、片っ端からぶっ飛ばして回っていた。


 まるで正義の味方になったようで、良い気分だった。




 ――そんな私に以前叩きのめされ、私に恨みを持っていた連中が……この一年ですっかり見慣れた、今は一つ屋根の下で暮らす少女を人質にして、目の前に現れるまでは。




 時折何かを録音しどこかに送っているのが気になり尋ねたら、歌手になるのが夢なんです、と照れながら言っていた、可憐だが引っ込み思案な少女。


 親の再婚により突然家族となった、男勝りと言われ続けていた自分とは似ても似つかぬ女の子らしい女の子。


 荒れていた自分の側にいる事で、危険に巻き込みたくなかったから突き放していたつもりだったのに。

 だけど、側に置くにも突き放すにも中途半端だったせいで、自分に恨みを抱いていた者たちに目をつけられた。


 結果的に、最悪な形で巻き込み傷付けてしまった。




 ――お前のせいだ。


 ――お前のせいだ。


 ――お前の、お前の、お前のお前のお前のお前のお前のお前のお前のお前のお前のお前のお前のお前の……




 ――――そうだ、私の、せいだ。




「……うっ、ぐっ……」


 まるで呪いのように、全身に絡みついて来る自責の声。

 喉の奥からせり上がってくる酸っぱい感覚に、慌てて槍を棚に戻して両手で口元を抑え、必死に嚥下する。


「――っ、はぁっ、はあ……はぁ…………」


 しばらく蹲って堪えているうちに、ようやく落ち着いた吐き気。かぶりを振って、近くに見当たらない義妹を探そうと立ち上がる。




 ――結局……あの子の女の子としての尊厳が、眼前で千々に散らされるという取り返しのつかない事態になる寸前で、救いの手は訪れた。


 私とあの子の足元に現れた奇妙な陣に包まれて、私たち二人はこの世界……たまたま同じ物をプレイしていたからという理由で渋々一緒に遊んでいた、VRMMOの世界に居た。


 だけどそれ以来……私は、この槍を満足に振れていない。


 飛ばされる直前にあんな事が無ければ……私は今もまだ、こちらの世界でも独り善がりな正義感を振りかざし、怖いもの知らずにこの槍を振り回していたのだろうか。


 それとも、慢心の果てに、あの時みたいに守りたいと思う者まで巻き込んで……今度こそ救いは無く、碌でもない結末を迎えていたのかもしれない。




 幸いだったのは、レベルキャップ解放前の暇を持て余した数年間、暇つぶしに鍛えていたサブの制作スキルが、どういう原理かこちらでも有用だった事だ。

 昨夜、図面を引き型紙を取っていたのもそう。現実でそのような作業をした経験はもちろん無いけれど、こちらでは何をすれば良いのかが、まるで身体が理解しているようにできる。


 おかげで、途方に暮れていたところを助けてくれた、今では師と仰いでいるその人……と言っていいのか分からない種族だけれど……が、私の持つ防具製作スキルに目をつけ、工房兼住居であるこの家を借りる仲介をしてくれ、仕事もいくつか斡旋してくれた。


 こちらに来てから、すでに三カ月。


 初めは修繕や手直しばかりだったけれども、そのうち新規製作の依頼も来るようになり……今ではそこそこの評判を得て、妹と日々暮らして行くには充分な稼ぎを得ることが出来るようになっていた。




 だけど……私はどうやら勇気というものを、あの時に全て忘れて来たらしい。


 もう槍を取る事も、あの日跳ばされて来たこの『闘技諸島イスアーレス』から一歩も踏み出す事も、出来なくなっていた。






「うわ、眩し……」


 工房から外に出ると、すでに日はかなり高くなっており、強い陽光が目を刺す。どうやらかなり寝坊したらしい。


 義妹はすぐに見つかった。

 というのも、あの子は毎朝日課として、ボイストレーニングと歌の練習をしているから……風に乗って聞こえて来る歌声を辿って行くだけで良い。


 そうして少し歩くと、中心街のある島を見下ろす事ができる丘の上に、その少女は居た。


 儚げな雰囲気。

 物静かで淑やかな言動。

 背に天族の白い翼を持つその姿は、まるで本当の天使のよう。


 そんな、自分とは似ても似つかぬ、血の繋がらない妹の姿。


 その可憐な容姿はアバターだから……と言いたいが、あの子は義理の姉という身内贔屓な視点を差し引いても、元々がかなりの美少女だ。

 髪色を薄い赤色の混じった銀髪に変え、少し肌色を髪に合わせ修正した以外には、実はほとんどリアルから弄っていない。


 初めはその可愛らしさに嫉妬もしたけれど……部活や道場でバリバリ薙刀を振り回していた自分と、芸能人志望のあの子では、元から土俵が違うのだろうとすぐに諦めた。


 ただ、どこか遠くを見つめて歌い続けるその姿は、朝日に彩られて幻想的な雰囲気を醸し出しており……今にもふっと宙に消えてしまうのではないかと、そんな恐怖心が胸を過ぎった。


「あの」


 だからだろうか。もっと見ていたいという想いと裏腹に、そんなぶっきらぼうな声が口をついて出たのは。


「あ、お姉ちゃん、おはよ……」

「お腹空いたんだけど」


 パッと振り返って口を開きかけた義理の妹に、そんな言葉が口を付いて出る。


「あ……ごめんなさい、もう出来ているから、温め直しますね」


 こちらを振り返った時は喜色が浮かんでいたその顔が強張り、すぐに表情を曇らせて俯いてしまう。


 その様子にチクリと罪悪感が頭をもたげるが……だけど、今更どうやって姉の顔をすれば良いのかが、どうしても分からない。




 ――何で、この子はあんな事があったのに、こんな私に健気に付き従うのだろう。




 パタパタと家の方へ駆けていくその背中を見送って……はぁ、と溜息をついた。


「……またやっちゃった……本当、私は馬鹿だ」


 あの子は引っ込み思案なりに必死に歩み寄ろうとしてくれているというのに、なぜ自分はこうなのだろう。本当に、素直になれない自分が嫌になる。


 自己嫌悪に駆られながら、義妹を追って戻ろうとした――その時、遠くの空に華が咲いた。


「あれは……そうか、もうお祭りが始まるんだっけ」


 たしか、あの花火は迎え入れる来賓――各国の代表の入島を知らせる物。

 まだ本祭の開始には数日早い筈だけれど、どうやら気の早い王族様がもう辿り着いたらしい。


「……お祭り、か。折角だから、あの子も誘って見に行ってみようかな」


 いまだギクシャクし続けている義妹と、距離を縮める良い機会かもしれない。

 でも、どうやって誘おう……そんな事に今度は頭を悩ませながら、ふわりと朝餉の良い香りがしてきた家へと歩を進める。


 その足取りは……ハレの日の始まりに当てられたのか、少しだけ、軽くなっていた。








【後書き】

 ちょっと間話的な話でした。

 転送された者の中には、ゲームではなく現実世界から跳ばされた者が居たり、危険な場所に出て行けずに街で職を得てひっそり暮らしている者も居る……そんな中の二人。今章での重要人物でもあります。


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