闘技島イスアーレス

出生の秘密

「……汝、在りし日の姿に還れ……『レストレーション』!」


 手の内に生まれた眩い光を、眼前の怪我人……片腕を失った男性の胸元へと押し込む。

 すると、眩い光と共に欠損部分が元通り健康だった時の状態へと巻き戻っていきます。


 光が治まるまでその様子を見守り……やがて、怪我など無かったように五体満足の姿へと戻った彼に、ほっと一息をつきました。


「……うん、外傷は無し、内臓にも異常なし、っと」


 容体もしっかりと確かめて、その結果に満足する。

 手早く荷物をまとめ、眠っている……あらかじめ夢見草の蜜を飲ませられ、寝台に寝かせられていたその男性を置いて、部屋を後にしました。




 ここは、中央広場から少し奥まった場所にある、日本で言う公民館のような建物。


 現在は領主様のはからいによって、臨時の診療所として使用されていますが……その利用者の大半はすでに容体も回復し、自宅へと帰って行きました。

 傷病者でひしめき合っていたひと月前と比べると、建物の中を歩いている患者はもう、まばらにしか見えません。


 とはいえ、まだ多数の人の目があるのは変わりません。白く薄い夏用のローブのフードを被り、人目を避けながら外に出る。


 外に出た途端に目を灼く、燦々と降り注ぐ陽光。

 私の虹彩は紫色……かなり薄い青に血の色が透けたその目はあまり強い光に耐性が無く、眩しさに目を細め、ローブを目深にかぶり直します。




 ――季節は初夏を過ぎ、真夏へと移り変わっていました。




 真夏と言っても、比較的標高の高い場所にあるこのあたりは日本の高温多湿な気候と比べるとだいぶ涼しく、吹く風もからりと心地いい。

 そんな心地良い空気を思い切り吸い込んで、緊張していた体を伸ばすと、んっ……と声が漏れました。


 以前使用した時はかなり消費の重かった『レストレーション』ですが、今ではそれほどの負担ではありません。


 ……といっても、流石に連続で五人は、少し疲れましたけどね。


 まだまだいけそうだとは思うけれど、領主様から「一日五人までです。それ以上は認めません」とスケジュールの段階からがっちりと組まれてしまっているため無理も言えません。




「……お、そっちは終わったか」


 不意に、横合いから声が掛かりました。


 そこに居たのは、今日は護衛として付いてきていたレイジさん。

 一緒に外で待っていた仔セイリオスと相変わらず仲が悪いようで……どうやら待っている間ずっといがみ合っていたらしく、しょうがないなぁと苦笑します。


「また喧嘩していたんですか、もう……」

「違ぇし。そいつが一方的に嫌ってくるんだよ」

「はいはい……おいで、スノー?」


 そう私が呼ぶと、嬉しそうに駆け寄ってくる仔セイリオス。


 本当は「スノードロップ」という名前にしたのですが、皆スノーと短縮して呼ぶために、そう覚えてしまったみたいです。


 そんな、飛びついてきたスノーを抱き上げる。

 ふかふかな毛並みを堪能させて貰ってから、レイジさんへと向き直ります。


「レイジさんは、身体は大丈夫ですか? 無理していませんか?」


 彼はこのひと月、復興の手伝い以外の時はずっと、練兵場に入り浸りで自分を苛め続けていたと聞いていました。


「大丈夫だって。ほら、こうして今日は訓練も休んでるだろ? 一応休む事も考えながら……」

「嘘。言っても聞かないから、レオンハルト様に今日一日練兵場を出入り禁止にされたって聞きましたよ?」

「……うぐっ」

「全くもう……訓練は大事ですけど、過労は良くないですよ。見ていれば分かるんですからね?」


 服の上は頬に湿布を貼っている位だけれど、服の下は打撲や擦過傷、筋肉痛で大変なことになっているというのが……じっと見ていると、なんとなくわかります。


 ――最近、注視した相手の怪我の状態や体調、そういったものがぼんやりだけれど見えるようになっていました。


「……悪かった」

「はい、よろしい。治してしまいますから、すこしだけじっとしていてくださいね」


 そう告げ、レイジさんへと手を翳す。

 それだけでみるみる彼の傷は体から消えていきました……ただし、筋肉痛以外。


 ――これも、前の戦闘時から明らかになった変化です。


 今の私は、傷を直したいと考えながら手を翳すだけで、ヒール相当の治癒魔法が使用できるらしい。


 また、イメージ次第でかなり応用も効くようになり、今みたいに体表の怪我だけを治す、みたいな事も出来るようになっていました。


 ……あまりに自然と出来るようになっていたせいで、指摘されるまで気がつかずにやってしまっていたのですが。


「なぁ、筋肉痛は……」

「ダメです。筋を痛めたわけじゃないみたいだから、それは自分の治癒力で治すべきです」


 それに、魔法で治してしまうときっとまた無茶な自主トレとか始めるに違いないんですから。

 ツンとすまし顔で突っぱねると、彼は気まずげに頬を掻いていました……少し意地悪が過ぎたでしょうか。


「う……まぁ、確かにな。サンキュ」

「いいえ、どういたしまして。だけど今度からはちゃんと言ってくださいね」


 指を突きつけながら、少し怒ったようにして言う。


「……わ、分かった」

「うん、よろしい。約束ですよ?」


 彼は戸惑ったようにしながらも頷いたので、表情を崩します。


 そのまま、二人並んで街を歩く。

 こうして二人で出かけるのも本当に久しぶりで……まるでデートみたい、と思ってしまいかけた思考を、慌てて頭を振って霧散させる。


「……何やってんだ?」

「な、なんでもありまひぇん……!」


 ――か、噛みました……っ!?


 慌てて痛む口元を抑える。


「……ぷっ、くっ、くくっ……お前何やって……うわっ!?」


 レイジさんが、そんな私の様子を腹を抱えて笑おうとしたところで、スノーがその膝裏に体当たりする。


 ……あら、つんのめりはしたけど、転倒はしないというなかなか絶妙な力加減。


「人のミスにそんな笑うからです。ありがとうねー、スノー?」


 私の横にピッタリ寄り添って歩くスノーに笑いかけながら告げると、おんっ、とどこか誇らしげにひと吠え。その微笑ましい様子に、ついつい表情も緩みます。


「お前なぁ……はぁ、まぁいいか。もう、大丈夫みたいだな」

「あはは……心配、おかけしました。でも大丈夫です。悩んでも仕方のない事ですしね」


 ひと月前、どん底まで落ち込んでいた数日を思い出す。あの時は、本当に酷かったと自分でも思う。

 苦笑しながら、再びゆっくりと歩き始めた。


「……自分の生まれなんて、どうにもならないことですから。そりゃまあ、びっくりはしましたし、しばらく悩みましたけど……ね」










 ◇


 ――話は一月前……レイジさんとソール兄様の、解呪の済んだ日の翌日。




「本当に、ごめん。タンク職である私が真っ先に戦闘不能なんて、絶対にあってはならなかったのに……」

「だから、そうやって自分を責めるのは駄目ですってば」


 目覚めてすぐ、ソール兄様はずっとベッドの上で自分を責めるような事ばかり言っている。

 レイジさんはというと、こちらはもう起き上がっているけれど、窓際の椅子に腰かけて外を眺めながら何かを考え込んでおり、その表情は昏い。


 二人のその様子に……はぁ、とため息をつきながら、枕もとで林檎の皮を剥いていると。


 コンコン、と控えめなノックの音。

 どうぞ、と私が代表しつ声を掛けると、ドアが開きました。


「よ、邪魔するぜ」


 そこに現れたのは、今はいつも羽織っていた派手なコートを脱いで楽な格好をしている、真っ赤な髪の青年。


「あ、緋上さん」

「お久しぶりです。今回はおに……イリスに力を貸してくれたようで、本当にありがとうございました」


 そう、深々と頭を下げるソール兄様。

 レイジさんは……何やら不機嫌そうにして、そっぽを向いていましたが。


「よしよし、綾芽ちゃんと親友君、二人とも元気になって良かったな」

「はい、おかげさまで。緋上さんは?」

「いやぁ……何やらちょっと前から城中がやけにバタバタしていてなぁ。邪魔にならないように避難してきた」

「そうなんですか? 私、ずっとここに居たから良く分からなくて」

「んー……チラッと耳にした会話だと、来客の予定がどうの、らしいけどな。詳しくは分からん」


 昨日、二人に施術して以降ずっとこの部屋にいたから、外の様子は知りませんでした。

 何かあったのだろうか。あとで誰かに聞いておかないと……そんな事をぼんやり考えていると。


「……それに、話すべきこともあるからな」

「っと、そうでしたね。緋上さんは、こちらに飛ばされた時は会社の方に?」

「ああ。その辺の話も、ここいらですり合わせておこう。イリスちゃんたちは、この事態をどこまで把握している?」

「えっと、私達は……」


 今まで集めた、あまり多くはない情報を、一つひとつ挙げていく。


 ゲームの中にあった『白の書』の事。

 元の世界のアークスVRテクノロジー最高責任者、アウレオ・ユーバーが、こちらの世界の人物ではないか、という予想。


「……そうかぁ、もうそこまで知ってたか」

「それじゃ、やっぱり……」

「その通りだ。アウレオの奴が、この世界、この国の前国王『アウレオリウス』当人だと……俺は転移直前に、会社で奴に直接聞いた」

「やはり、そうでしたか……」


 自分を拾い上げてくれた恩人だと思っていたのに、あの人が……という気持ちも少しはありますが、やはりという気持ちの方が強い。


 それに、悩む前に聞いておかなければならない事もあります。


「…彼がどのようにして向こうの世界に行ったかなどは、聞きましたか? もしそれが私達にもできる方法なら……」

「……いや。悪いな、期待には応えられない。奴も、向こうへと言ったのは事故……あるいは何者かにしてやられたんだそうだ。その時一緒に居た妹と一緒に……らしい」


 そう言って彼は、手にしていた本をぱらぱらと捲る。

 わざわざ領主様の許可を得て借りて来たというそれは、この国の王族の肖像画や写真を収めた王族年鑑らしい。何故そんなものを……と思いながら眺めていると、その手が止まり、こちらへと見せるようにテーブルに置く。


「彼女なんだが……君たちは、見覚えがあるか?」


 そう言って本に掲載されている写真、緋上さんが指した場所に映っていたのは……


「……っ!?」

「……そんな!?」


 私と、兄様の驚愕の声が重なる。

 そこに映っていたのは、天族の象徴である真っ白な翼のアウレオさん……まだ二十代くらいの前国王アウレオリウスと。

 そして、並んで微笑んでいる、十代半ばくらいに見える、翼の無い女性……とても見覚えのある、忘れられるはずのないその人は……


「…………母……さん……?」


 絞り出すように、声が漏れた。

 記憶の中にある母とは髪の長さは大分違ったけれど……差異はその程度。それはまぎれもなく、向こうの世界での母親だった。


「……やっぱりお前らの母親か。奴も、なんとなくそうじゃないかと思っていたみたいだったからな」

「え、じゃあ、私達って……」

「元々、こちらの世界の人間の子供……なの?」


 血筋云々はゲームの時の設定が反映されているだけだと、深く気にしていなかった。だけど、これは……


「そういうことだ、ついでにイリスちゃん……柳君は、元々お母さんの連れ子だったよな?」

「え、ええ、私達は異父兄妹でしたから……」


 向こうの父は、それでも綾芽となんら遜色のない態度で接してくれていました。

 だから、血の繋がりが無いことなど、言われない限りほとんど忘れられていたのですが……


「君の母親が向こうに飛ばされたのは、君を身籠っているとき……君に関しては、完全にこちらの世界の人間の血を引く子だそうだ」

「……そう、ですか」


 我が子同然に育ててくれた義父とただ血が繋がっていないだけ……そうだと思っていた。

 なのに、二十年以上も過ごしたあの世界自体が、自分の世界ですらなかったなんて。


「ちなみに……父親が誰だというのは、聞いていますか?」

「……それは、その……」


 口籠るスカー……緋上さん。

 しかし、その視線が私から逸らされ、一瞬だけ写真の方……前王の方へ泳ぐのを、私は見逃さなかった。


 ――つまり、私は。この身を生み出した、私の両親は……?


「……話がこれで終わりなら、少し外を歩いてきます。色々と考えたいこともありますので」

「ああ……今日はここまでにしよう。悪かった、少し性急過ぎた」

「いいえ……いつかは知る事でしたから」


 そう言って立ち上がった時、それまで黙って話を聞いていたレイジさんも窓際から腰を上げる。


「……俺も行く。護衛は要るだろ?」

「…………はい、お願いします」


 どうにかそれだけ言って、逃げるように沈黙が支配した部屋を後にする。

 少しの間だけでいい、向こうの世界とこちらの世界、そして家族について考えたくなかった。

 だから……家族というくくりの外に居るレイジさんがついてきてくれる事に、内心とても安堵していました――……










 ◇


 ――恩人だと思っていた……それだけのはずだった人が、実の父親だった。しかも今回の件の黒幕。


 それを知ったあの時は、自分の周囲の世界が壊れたような気がして、酷く落ち込んでいました。


 そうして自分の出生の秘密に悩んだことは悩んだのですが……すぐに、応急処置だけで済ませていた重症患者の再生治療のお役目で忙しくなり、それどころでは無くなってしまいました。


 ――いいえ、違いますね。あの時は、仕事に逃げ込んでいました。


 魔力欠乏に至る直前まで治療に奔走し、夜は食事すらそこそこにベッドへと飛び込み、疲労に任せて泥のように朝まで眠る。


 そんな、周囲に呆れられ、ついには見かねた領主様からスケジュールを管理されるようになった荒れた生活を数日。


 しかし、忙しさにかまけていたせいであまり悩まずに済んだせいでしょうか。

 時間経過により少しずつ余裕が出て来るにつれて、生まれた時の事を悩んでもしょうがないな、と悟ってしまっていました。


 ――尤も、会ったら最低でも一発……いいえ、母さんの分も合わせて二発くらいは殴ってやるつもりですけれど。


 そう、拳をぎゅっと握って改めて決心を固めます。それだけは譲れません。


「……おい、なんか不穏な空気を発するのは止めろ?」

「……はっ、すみません、ちょっと漏れてました」


 慌てて咳ばらいをし、気分を落ち着けます。


「それで……今日はどうするんだ?」

「そうですね……今日はもうお仕事も無いですし、このあたりで少し……いいですか?」


 そう言って、荷物からクロッキー帳を少しだけ取り出して見せ、伺いを立てる。


「それじゃ、俺は何か飲み物でも買ってくるよ。スノー、イリスの事は任せたぞ」


 そのレイジさんの言葉に、スノーがフン、と鼻を鳴らします。

 それを見たレイジさんのこめかみに、血管が浮かんだのが見えました。

 しかしスノーはさらにこちらとの距離を詰めて寄り添ってくれたので、異論は無いみたいです。


 ……素直に協力すればいいのに、本当に仲悪いなぁ。


 やれやれと思いながら、中央広場の端、木陰となっており日光が和らいだ場所にあったベンチへと腰かけます。




 ――あの暴走スタンピードからもう、ひと月が経過していたのですね。




 ここ、中央広場でクロッキー帳を広げるのは一週間ぶりだけれど、以前描いた時とはまた違う景色となっていました。


 たとえば……向かいに建っているカフェはあの騒乱で一角が破壊され、先週はまだシートに覆われていたはずでした。

 しかし、今は綺麗に掃除され補修され……どうやら崩れた部分を元通りにするのではなくカフェテラスに改装してしまったようです。

 営業再開したらしきその店には、すでに昼下がりにもかかわらず数人の客の姿があり、談笑しているのが見えました。


 ひと月前は皆、今後の生活の不安から、暗い表情で炊き出しに並んでいたのに、今ではこうしてすっかりと日常の風景が戻って来ていました……今日は兵士の皆がやけに忙しそうなのが気にはなったけれども。


 現在の街は皆忙しそうで、目深にフードを被ってベンチに腰かけているこちらの事など、誰も気にしていません。


 いえ……困ったように歩いている若い兵士さんを追いかけ、何かを嬉しそうに話しかけていた小さな女の子がこちらに気づきました。

 ぱっと明るい顔で手を元気に振って来たので、ふっと表情を緩めてこちらも小さく手を振り返す。


 その手にバゲットらしきものが入った紙袋を抱えていたから……お母さんのお使いでしょうか?


 その光景になんだか嬉しくなり、いそいそとクロッキー帳を開きます。

 パラパラとページをめくり、目的の絵を見つける。

 そこには、一週間前にここで描いた風景が、紙いっぱいに広がっています。


「ふふ……さて、描き直さないとですね」


 一週間前と変化があった部分を消して、そこに新しく今の風景を描いていく。


 こうして何度か描き直しをしていたために、すっかりと紙がヨレヨレになってしまっていました。

 しかし、このボロボロな箇所の分だけ復興したのだと思うとなんだか嬉しく思え、ふふっと笑い声が漏れました。




 そんな風に平穏を喜びながら、描き直した跡を指先でなぞっていると……


「……ほほぅ、お嬢さん、中々上手じゃあないか」

「え……きゃ!?」


 突如背後から掛かった声に、慌ててクロッキー帳を抱きかかえる。


 横を見ると、まず目に入ったのは白い翼。

 いつの間にかベンチの後ろに居た体格の良い天族の男性が、こちらを覗き込んでいました。


「おっと、申し訳ない! 驚かせるつもりはなかったんだ、許してほしい、お嬢さん」

「は……はぁ」


 そんな彼は、こちらが驚いたのを見て慌てて両手を振って謝罪していました。


 ……スノーは、こちらの様子チラッと見ただけで、すぐに日向ぼっこの体勢に戻っている。


 という事は、いつのまにか背後にいたこの方は、特に警戒の必要な人ではないのだろう。

 スノーは悪意に敏感だから、何か問題があればこんな風に大人しくしていない。


 驚いてバクバクと暴れていた心臓も落ち着いてきたので、顔を上げて、声を掛けてきた男性の顔を見ようとして……


「…………へ?」


 その顔を見て、固まる。


 知っている顔でした。

 といっても、直接の面識があるわけではありません。

 しかし、ゲーム時代に……私の立場上、他のプレイヤーと比べて間近で見る機会が非常に多かった……よく見知った顔でした。


「何やら少し前にトラブルがあったそうだが、すでに復興作業も随分と進んでいるようだ。この街は治める者も、住人も、中々に気概があり優秀らしい」

「え、ええ、そうですね……」


 生返事を返しながらも、頭は大混乱だった。


 ――え? でも、あれ……!? なんでここに……!?


 しかも、周囲を見回しても誰も供も見当たらず、一人で。

 予想外過ぎてうろたえていると、様子に気が付いたレイジさんが必死の形相で駆け寄ってくる。


「おい、そこのあんた、何の……」

「レイジさん、駄目!」


 その男性の肩を押しのけようとしたレイジさんの手を、慌てて止める。

 私の剣幕に驚いたように硬直したレイジさんのその手を、両手で包んで下ろさせた。


「大丈夫だから。この人……は、大丈夫」

「……お前がそう言うなら」


 しぶしぶ引き下がった彼の様子に、ほっと一息つきます。変に手を出したら、後々どんなことになるか……


 恐る恐るその男性の方を見ると、彼は気にした風もなく微笑んでいました。


 その口に、しー、と口元に人差し指を立てながら。


 ――ああ、そういうことですか。


 きっと抜け出してきたのだろう。そういえば、そんな所のある方だったと苦笑する。

 どおりで周囲に人がついていない訳だと納得しました。





「おっと、あまり長居をするとレオンハルトの奴に怒られるな。すまないが、私はこれで失礼するよ」

「あ……は、はい、お気をつけて!」

「ああ、ありがとう……元気な姿を見ることができて良かった。また後で会おう、


 そう気さくに言って、彼は立ち去ります。


 ――そういえば、ひと月前からずっと、誰か来客を受け入れる準備のためにお城が随分とバタバタしていましたが……うん、この為だったのなら納得でした。


「……何だったんだ、あれ?」

「あは……ははは……」


 訝し気なレイジさんに……私は、ただ乾いた笑い声を上げるのでした。

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