世界の果て

 ――あの後、戦闘はまもなく終結しました。



 フロストワイバーンをはじめとした魔物たちは、すでにほぼ逃げ去ったか討伐が完了。


 私とティティリアさんが西門へとたどり着いた時には、すでに皆戦闘を終えて、状況確認と事後処理に奔走しているところでした。


 ゼルティスさんの言っていた通り、フィリアスさんの指揮する第三班の援護を受けた西の防衛担当の皆は、住民を含めた被害を出来るだけ抑える事に成功していました。


 それでも、街全体で負傷者が数百人。

 死者は五十を超え、行方不明者……所在が確認できていないだけならば良いのですが、中には瓦礫の下敷きになったか、あるいは……も、まだ相当数居るらしく、その確認で奔走している方々の怒号が飛び交っていました。


 もっと早く行動していれば……そう思ってしまう事はありますが、それは言っても詮無い事。

 だから、今出来る事をしよう。そう思い、私もただひたすら、重傷者の応急手当に走り回りました。






 ――それから、数日が瞬く間に飛びました。




 すでに復興は始まっており、街にはどうにか普段の生活が戻り始めています。


 領主であるレオンハルト様は今も兵や役人と共に、書類の処理や街中の視察に飛び回り、まともに寝る間もない程に忙しそうにしていました。




 ティティリアさんは、そのお手伝い。

 新たに街の外に張り巡らせる予定の、魔物除けのまじないの構築に、朝から晩までかかりきりです。


 毎晩すっかりくたびれて帰って来るため、日本人の性として、できれば毎日お風呂には入りたいけれど、今にも眠ってしまいそう……そんな葛藤する彼女を、私とレニィさんとで面倒を見るのが日課となっていました。




 他の皆も似たようなもの。


 ただ、スカーさんだけは……一応、他国の王族扱いなため……対外的な問題から協力をやんわりと断られ、手持ち無沙汰にしているみたいですけれど。


 そんなわけで、彼は今、自発的に私の護衛をしてくれていました。




 そして、私は――






 今、私が居るのは、ローランド城の一室。

 こちらへと戻された、レイジさんとソール兄様の眠る部屋。


 部屋の隅で見守っているアイニさんやレニィさん、スカーさんらの前で、よし、と一つ気合いを入れ、詠唱を始める。


「……『イレイス・カーズ』……!」


 両手の内に灯る、破呪の光。

 それが両手に灯ると同時、またも額に熱を感じました。

 そして……手の内の光もまた、今までよりも熱く灯っている、ということも。


 ――きっと、今度こそ大丈夫。


 そっと、その光を寝台に横たわるレイジさんとソール兄様、二人へと近付ける。


 ――行ける……!


 今までと違う手ごたえに、そう確信する。

 これまでは激しく抵抗され、まともに解呪できなかった闇が、一気に光に溶けて消えて行く。


 やがて、破呪の光は静かに消え……途端に、ドッと疲労感が押し寄せてきました。


「…………はぁっ」


 張り詰めていた息を、大きく吐き出す。

 手ごたえはありましたが……呼吸を整えながら、そのままじっと推移を見守ります。


 一分……二分……永遠にも思えるような時間が流れ……そして。


「……ん、ぅ?」

「……レイジさん!?」


 呻き声を一つ上げ……薄っすらと、レイジさんが目を開きました。


「……んだ、こりゃ……一体、ここは……なにが、どうなって……!」

「だ、大丈夫ですから、そのままで!」


 慌てて、まだまともに動かないであろう身体を起こそうとするレイジさんを寝台の上に押し留める。


「あの『死の蛇』と呼ばれていた人は、あの後すぐに居なくなりました。みんな大丈夫ですから、ね?」

「…………そう、か……なら、良かった。お前は無事、なんだよな?」


 そのレイジさんの声に、頷く。


「うん……大丈夫、私は大丈夫ですから……レイジさん達のほうが大丈夫じゃなかったんですから、今はゆっくりと休んでください」


 そう言うと、彼はようやく安堵したらしく、力を抜いて寝台へと身を委ね、その目を伏せました。


 隣の寝台では、すっかり顔色も良くなったソール兄様が、すぅすぅと静かな寝息を上げており……こちらも、もう大丈夫そう。




 そのまま、無言な時間がしばらく流れます。


 結局、数分間そんな時が流れて……もう眠ったかなと思った頃に、沈黙を破ったのは、他ならぬレイジさんでした。


「……悪かった。俺はまた、守ってやれなかった……」

「うぅん、そんな事は無いです。私は二人にも、みんなにも、助けられてばっかりで……」


 本当に、色々な人に助けられたと思う。


 残り少ない命を賭して救ってくれたブランシュ様の事。

 皆の助けを借りて、領都を守った事。

 その最中、駆けつけてくれた緋上さんの事も。


 話さなければならない事は沢山あるけれど、今は。


「ゆっくりと休んで……この先を考えるのは、それからにしましょう?」

「あぁ……そうだな……次こそは、負けねぇ」


 横になったまま、上へと伸ばした手を握り締めるレイジさん。その顔に浮かぶ表情に、私は……


「……悪い。少し、一人にして欲しい」

「……はい、今はゆっくりと休んでくださいね」


 ……その、今にも悔しさで泣き出しそうな表情を前に……私は頑張って、とも、無理をしないで、とも言えませんでした。


 臥せっている二人を残して、いつのまにか退室していたアイニさん達に続き、部屋の外へ出る。


 後ろ手にドアをそっと閉じた……その直後。




 ――……っくしょ……ちく、しょおおおぁぁああ!?




 今出てきた部屋から聞こえてきた、必死に抑え込み、しかし抑えきれなかった感情が漏れ出たような泣き叫ぶ声と、ベッドに拳を叩きつけるような音。


「……イリスちゃん。聞いてやるな、行くぞ」

「…………はい、分かっています」


 スカーさんに促され、後ろ髪を引かれるものを感じながら、手を引かれるままに歩き始める。


 ……レイジさんもきっと、男として、そんな泣き叫ぶ様子は見られたくないに違いない。気持ちは、痛いほどよくわかります。


 そして、今は誰にも邪魔されずに、やり場の無い感情を吐き出す時間が必要だ、という事も。


 だから、今はそっとしておこう……大丈夫、レイジさんはきっとまた立ち上がる、そう信じている。


 だから私は、その時が来たならば、隣で支えられるようになりたい。


 そんな想いを抱きながら、部屋を後にしました――……












 ◇


 ――道無き荒野に、二つの影。


 周辺に目立った植物は見当たらない、大きな岩塊が転がる荒れ果てた大地。

 ここは、人々が、辺境と呼ぶ地の北西に位置する外れ、人の住まぬ魔物と幻獣たちの棲家……の、はずだった。


 そのような、ただ何もかも喰い荒らされたような荒地の中。


 大きな影と小さな影が、転がる岩塊を足場に、飛ぶようにして肉食獣すらも置き去るような速度で駆けていた。


「……何も、居らんな」


 僅かにしゃがれた、しかし未だ覇気のある初老の男性の声で、小さな方の影がぽつりと呟いた。


「モウ、十数度ハ季節ガ巡ルクライ前カラ、コノアタリハ大体コノヨウナモノダ」

「そうか……斯様かような昔からもう、異常は起きていたのだな」


 ただそれだけ苦虫を噛み潰したかのような声で発した後、また二人黙り込み、黙々と荒野を駆け抜け続ける。


 そんな中……先導していた巨体の影が、急な登り勾配となる直前で、立ち止まって振り向いた。


「見テモライタイト言ウ場所ハ、コノ丘ヲ越エタトコロダ」


 力強くも落ち着いた、ズシリとした重低音で響く……訛りは強いが、それは紛れもなく、人の間でもっとも広く使用されている標準交易語だった。

 その言葉を発したのは、隆々とした肉体を持つ、三メートルを超える巨躯の大男……トロール族の青年。


 そして……それに続いて足を止めたのは、初老の男……人族の『剣聖』アシュレイ・ローランディア、その人だった。











 ◇


 ――あの日、ディアマントバレーを発ち、国境を抜けてから……もうすでにひと月以上が経過している。

 私たち黒影騎士団の面々は、深く広い針葉樹林帯を抜け、辺境の北西部へと踏み込んでいた。


 大陸の果てをねぐらとする強大な魔物、幻獣……そうした怪物たちの目から逃れながら西へ西へと進んだ先でたどり着いたこの場所。


 立ち寄ったトロール族の集落が、たまたま以前あの鉱山街で戦ったトロールの出身地だったらしい。

 もしかしたら埋葬する場所もあるだろうかと保管していたかの敵の遺髪を返却すると、予想外の歓待を受けた。


 その生活は決して豊かとは言えないであろうに、あまり多くない家畜の羊を一頭潰し歓待の宴まで用意してくれた彼ら。

 武を尊ぶ彼らにとって、たとえ落伍者とはいえ旅先で還らぬ者となった同胞に対し、我ら黒影騎士の行為はそれほど恩義を感じる行いだったらしい。


 結果……数日の滞在が認められ、ここまでの道中で皆疲弊した身体を休養させてもらえる事となった。




 ――そんな中。


「すまんな、こうして案内までしていただいて」

「構ワヌ。コチラコソ、同門ガオ主ラニ迷惑ヲ掛ケテシマッタウエニ、遺髪マデ届ケテモラッタノダ、コノクライハ恩ヲ返サネバ、先祖ニ顔向ケデキンカラナ」


 こちらの地方で何が起きているのかを聞きたい。


 そう告げたところ、案内役として手を挙げたのが、一際大きな黒い体躯と獅子のような頭髪をした、若者のリーダー的な立ち位置にいるこの青年だった。


 見て欲しいものがある……そう言われ、集落を発ってさらに西へ半日ほど。


「ソレニシテモ……翁ヨ、主ハ随分ト体力ガアルナ。マサカ人間ガコウモツイテ来ラレルトハ」

「ふっ……なに、常日頃から、戦場では走れなくなった奴から死んでいくんだと、若い連中を扱いている私が、易々とバテる訳にはいかんからな」


 そんな部下達は、休息を邪魔するのも悪いと置いて来た。


 幸い、今は重い装備を纏わぬ軽装に剣を佩いただけの格好だ。

 このペースであれば、半日といわず一日ついていく事も可能だろう。


 ……と、ついて来ようとした者数人に、一刻ほど進んだところで伝えたところ、彼らは顔を引攣らせて引き返して行ったが。


「フム……見レバ御老体ラシカラヌ程、鍛エ上ゲラレテイルノガ立チ振ル舞イヤ雰囲気カラモ伝ワッテ来るル。モシ良ケレバ戻ッタラ一戦手合ワセヲ……」

「それは構わぬが……まぁ、戻ったらですな」

「オット、申シ訳ナイ。強キ者ヲ見タ際ノ、我々ノ悪癖ユエ、許シテホシイ」

「うむ、まぁ、気持ちは分からんでも無いな」


 苦笑し、同意する。

 こうして剣の世界にいると、時折、強者を前にすると無性に剣を合わせてみたいというのは一種の性のようなものだ。

 かく言う私だとて、年甲斐も無い欲求に駆られる事は、いまだにあるのだから。


「ソレニ……コウシテ東ノ者タチニ現状ヲ見テモラエルノハ、我々トシテモ願ウ所ダ……今後ヲ考エル上デナ」

「……ふむ?」

「ット、モウ丘ヲ越エルゾ、何ヲ見テモ腰ヲ抜カサナイヨウ覚悟ハイイナ、翁ヨ?」


 会話しているうちに、いつのまにか丘の頂上まで来ていた。

 その最後数歩を登りきり、拓けた視界。そこには……


「これ、は……っ!」




 ――何も、無かった。




 まるで、鋭利なナイフで切り取ったかのように……そこには、真っ直ぐに……あまりにも真っ直ぐに、断崖と、海が広がっていた


「……なんだ、これは」

「アア、ソノ崖ヲ超エルナヨ……

「……なんと?」

「言葉通リダ。ソコヲ越エテ崖下ノ探索ヲシヨウトシタウチノ若者ガ数人、ソノ瞬間ニ完全ニ消滅シタ」


 その言葉に、ただただ絶句する。

 人々のあずかり知らぬ場所で、そのような事態が進んでいたとは……


「……我ハ、翁ニ……イヤ、客人皆ニ謝罪セネバナラン」

「……む?」

「オ主達ヲ歓待シタ理由ダガ……ソコニハ、善意ダケデナイ、打算モアッタノダ」

「ふむ……打算とは?」

「……コノ場所ハ徐々ニ広ガリ、我々ノ領土ニモ迫ッテ来テイル」

「広がっている……それはどのように?」

「今スグニドウコウ、トイウ訳デハナイノダガ」


 そう前置きし、青年が語り出す。

 その表情と声音には、先祖代々からの土地を離れねばならぬ無念がにじみ出ているようだった。


「……今ノママ進メバ、モウ十トイクツカ季節ガ巡ル頃ニハ、ドウナッテイルカ分カラン……将来族長ヲ継グコトトナッテイル身トシテハ、先ノコトダカラト手ヲコマネイテイル猶予ハナイ」

「それは……結構なペースだな」

「ダカラ、我々ハ……人ノオラヌ端ノホウデ良イノダ、東部ヘノ移住ヲ希望スル」

「ぬ、ぅ……」


 移民。


 簡単に、安請け合いはできない。

 たとえ人同士であっても、大勢の、それまで居なかった人々が入ってくるというだけでも、職にあぶれる者の増加やそれに伴う治安の悪化、食料の備蓄の問題など、社会情勢上その影響は非常に大きい。


 しかし、今回は彼らトロール族の集落の者達、せいぜい数百人規模であり、そうした問題はあまり心配無いとは思う。

 だが、また別の問題が大きい。彼らは人族、天族、魔族……世間でいわゆる「ヒト」と区分されている者ですらないのだから。


 そして、その戦闘力も、平均的な人の水準の遥か上……一般的な人々にとっては、化け物、怪物……そういった領域にある存在である。


 彼らに敵意が無いと言っても、近くに暮らしているというだけで、周辺住民の不安は計り知れないであろう事は想像に難くない。


 ……だが、彼らの誠実な人柄と言うのも、数日の滞在を経て信に足るものだとも思っている。

 無下にしたくはない。なるべく力になりたいとは思えるのだ。


「無論、タダデ土地ヲ寄越セナドトハ言ワヌ。受ケ入レテモラエルノデアレバ、ソノ恩二報イルタメ、我々一同、有事ノ際ハ必ズヤ、オ前達ノ爪ヤ牙トナル事ヲ誓オウ……誇リアル我ラガ祖先ノ御霊二誓ッテ」


 そう言って跪き、両拳を大地に付けて深々と頭を下げるトロールの青年。


 この格好も先程の言葉も、彼らにとって最上級の、相手への敬意を示す物であり、それだけ彼らも必死なのだ。

 であれば……無下にする訳にはいかぬよなと、完敗の心地で苦笑する。


「……分かった、その言、確かに私が陛下へと届けよう……すまんな、事が事だけに、私一人で決定することは出来ん。だが、この件は持ち帰って相談しておこう。貴殿らの望む回答を返せるかは分らんが……」

「ソレデ構ワナイ。感謝スル、人族ノ翁ヨ!」


 バッと、喜色を浮かべた表情でようやく頭を上げた青年の手を取り、握る。


 思えば……温厚ではあるが排他的な彼らトロール族と、こうして友誼を結べる日が来るなどと、果たして先日までの自分は予想できただろうか。


 ――それを言うのであれば、あの鉱山街で再会した姫の事もそうか。


 そう考え直し、ふっと笑う。

 変化を認めたがらぬ頭の固い老骨が、ぼんやり立ち止まっている間に……もはや変化は始まっていたのだ、と。




 ――辺境で、静かに進行していた異変。


 今この世界で起こっていることは何なのか、未だ得体は知れない。


 何にせよ……運命の輪はすでに転がり始めているのだという事は、もはや疑いようが無いように思えるのだった――……

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