収束間近
「では、私は叔父さんのところに行って、状況を聞いてきます。また後程」
そう言って去っていくゼルティスさんの背中を見送った後、今自分の居る周囲を見回します。
……私とゼルティスさんが職人通りに辿り着いたとき、すでにその場での戦闘はほぼ収束していました。
そのままメインストリートを抜け、現在位置は街の中心部に位置する中央広場。以前遊びに来た時に入った喫茶店がある場所です。
領都を挟んで流れる河川から引かれた水は、背後の険しい連峰から流れ込む、冷たく澄んだ雪解けの水。
その豊かな清流を用いて噴水が設けられ、周囲を巡るように整備された水路によって美麗な景観が作られている、領都の憩いの場であるその広場。
……しかし今は、傭兵団の皆と、城側から合流した兵士の方々……武装し、疲弊した人々でごった返していました。
以前遊びに来た時とはまるで違う、剣呑な雰囲気。
気圧されそうになりましたが、自分の仕事はきっちりとこなさなければならない。
ローブのフードを被り直すと、その人混みの方へと足を進め、一度大きく息を吸い、口を開く。
「怪我をされた方はこちらに集まってください! 重傷の方、動けない方が居れば、優先的に治療しますので申告お願いします!」
そう喧騒の中で必死に声を張り上げると、大小さまざまな傷を負った人々が寄ってきます。
重傷者は……ここに居る限りでは居なさそうで、ほっとしました。
もっとも、そうした負傷者はどこか安全な場所に搬送されただけかもしれませんので、後で聞いておかなければ。
そうして一か所に集まった人々に『エリアヒール』を数度に分けて繰り返し、骨折など大きな負傷をした人には個別で治療を行い……大体終わったかな? と思ったその時。
「……イリスちゃん!」
不意に、横合いから声が掛かりました。
あまりこの場にそぐわぬ、花の咲くような明るく涼やかな声。
思わずぱっと振り返ると、人混みの間から飛び出して来た小柄な女の子……ティティリアさんが、飛び付くように私の手を取りました。
「良かったぁ、怪我はないですか? なんでこんな無茶したんですか!?」
「それは……ごめんなさい。だけど……ティアさんも、無事で本当に良かった」
主力部隊に同行し戦闘続きだったであろう彼女は、ややくたびれた様子ではありますが、ざっと見た限り怪我らしい怪我は見当たりませんでした。
それでも細かな擦過傷などは見受けられたので、傷が残らないように軽めの『ヒール』だけは使用しておきましたけれども。
疲労はだいぶ激しそうですが、こうして元気な姿を見れたことにほっとして、思わず表情が緩む。
それは彼女も同じようで……私怒ってます、と言うように顰めていた顔が、私に釣られたようにふにゃりと緩みました。
「ま……まぁ、私はずっと領主様にくっ付いていましたからね……」
何故か照れ臭そうに顔を背け、頬を掻きながら、そう言う彼女。
「そ、それはどうでもいいんです! それよりも……さっきあんなこと言っておいてなんだけど、協力してほしいの」
「協力、ですか?」
「うん、少しだけ休憩したら、この後は西門まで一気に行く予定みたいです。だから今のうちに補助魔法をかけ直したいんですが……イリスちゃん、たしか魔法の効果範囲を拡大するのがありましたよね? あれ、お願いしたいんですけど」
「それは、構いませんが……どこか、人目に付かないところを探さないと」
あれは光翼族の固有の魔法。このあたりはもう避難が終わり人は居ないけれど、それでも周囲にはちらほらと兵士の方々の姿が見えます。
中には、以前ディアマントバレーで一緒に戦った人――事情を知っている人も見受けられますが、それはほんの一握り。
この大勢の中で翼を曝け出すことを躊躇っていると……
「ああ、なんだ、そんな事?」
「……え?」
「要は、周囲から見えなければいいんですよね? なら……ほら、こっち」
なんだか分からないまま彼女に手を引かれ、連れていかれたのは……建物の間にある、狭い袋小路のようなスペース。
気がついた時にはもうそこに押し込められ、まるで「壁ドン」みたいな体勢で密着していました。
そしてこれは、この体勢は……
――うわぁぁああ!? 柔らかいものが、柔らかい感触が胸のあたりにぃ……っ!
心の準備も無しに放り込まれたこの事態に、心の中で絶叫した。
抱き合って密着したような体勢なため……彼女の、私とは違って大き過ぎず小さ過ぎず、手頃なサイズの「それ」の感触が全力で自己主張をしています。
そして、ふわりと漂ってくる、僅かな汗の匂いに混じった甘い女の子の匂い。
……危うく、パニックを起こしそうになりました。そんな内心の動揺をなんとか圧し殺し、引きつっているであろう笑顔を貼り付けて、尋ねる。
「あの……ティアさん……? い、一体何を……?」
「要は、周囲から見えなければいいのよね、任せて」
そう言って、何か魔法を唱え始めたティティリアさん。
耳元で囁かれ、吐息が耳朶を掠めるたびにこそばゆさにぴくっと指先が跳ね、思わずぎゅっと目を瞑る。
……変な声、出なくてよかったです。
そんなほんの数秒の筈なのに、何十秒にも思えた時間の後。
「……
恐る恐る目を開く。
気が付けば、袋小路の入り口が石壁に塞がれていました。
……ちょっと、いえ、かなり密着しなければいけないような狭い空間でしたけど。
続けて何やらごそごそと彼女が動くたび、強く押し付けられた女の子の体の柔らかさを全身で感じてしまい、くらっと意識が飛びかけますが……彼女の方はというと真剣そのものな表情で、まるで天幕のように脱いだ外套で上を塞いでいる。
こうして即席のブースとなったこの中は、すっかりと周囲からは見えなくなってしまいました。
――あー……そうですよね、これで良いんですね。
バクバクと暴れていた心臓を、どうにか落ち着ける。あっさりと解決策が眼前に展開され、思わず苦笑しました。
「あ……ごめんなさい、触られるの嫌だった?」
「い……いえいえ、お気になさらず!! あはは……」
ピンで外套を留めている途中、ふと思い出したように彼女が気まずげに尋ねて来たのに対し、ブンブンと必死に首を振って応える。
――私こそ、本っ当に、ごめんなさい……っ!
私の為にこうして場を整えてくれていたのに、邪な考えを抱いていたのを心底恥じ入ります。穴があったら入りたいとはこの事でしょうか。
「そう? なら良いけど……よし、出来ました。お願いしても良いですか?」
「は、はい……っ! わ……『我の英知解き放ち、遍く注ぐ光……有れ』……!『スペル・エクステンション』」
気を取り直して詠唱を始めると、すぐに私の背から放たれる黄金の光。そしてそれはすぐに、共に舞う虹の輝きに彩られます。
「……はい、準備完了です、いつでもどうぞ?」
そう言って虹の輪に包まれた両手を彼女の方に差し出すと、するりと彼女の指が絡められました。
そのまま軽く握られたので、こちらもそっと握り返します。
繋がれた私達二人の手が、虹の輪に包まれました。これで、準備は完了です。
「それじゃ、お願いします……っと、これ、結構照れ臭いですね」
「ふふ……ええ、本当に」
二人、指を搦めてお互いの両手を握り、その細い指の滑らかな感触と伝わってくる温かさに、二人揃ってドギマギしながら苦笑し合います。
「それじゃ……始めますね」
そう宣言して先に詠唱を始めたのは、彼女。すぐ目の前にあるその桜色の口が、涼やかな音色を奏でて力ある言葉を紡ぎ始める。
「……
彼女の魔法が解き放たれ、狭い空間内に虹色の光の粒子が舞い踊りました。
エンチャンター二次職、セージにおいて習得できる、攻撃補助魔法『フォース・エッジ』
理力の刃の名の通り、効果対象の所持する武器に魔力の刃を纏わせ、どんなボロボロの武器でも鋭い切れ味を発揮させる魔法です。
ゲームの時の効果は対象の所持する武器の攻撃力を向上させ、さらに切断魔法属性を纏わせるという物ですが……以前いくつか見せてもらった時に彼女に説明されたのですが、この世界では、ゲームだった時の説明文以上の効果を発揮します。
何故ならば……魔力の膜に覆われるため、本来ならば刀身にまとわりついて邪魔をする血や油脂もひと払いで飛ばせ、刃こぼれも防ぎ、効果中は切れ味が落ちないのですから。
――ちなみに、彼女の職は三次転生職『
他者や周囲の空間を自分の意のままに調整し、非常に強力な強化魔法や、場そのものを操る魔法を自在に行使する、
いくつか使用できる魔法も教えられたのですが……例えば、『反応速度と筋力を一時的に限界近くまで増強する代わりに、後々酷い筋肉痛になる』など、強力な反面、非常にデメリットの大きな対ボス用の物が多く、今のところ地形操作系の魔法しか使っていない……らしいです。
今ここで使うと、数刻後には全身の痛みでまともに動けないゾンビの群れの誕生だと聞き、冷や汗が背中を伝いました。
この戦闘が始まった最初期から私が彼女と一緒に居れば、回復魔法も併用しながら使用した可能性は高いですが……そこまでする必要性を感じない時にまで、兵士の皆をこき使ってまで無茶をする必要はないですよね、はい。
「えーと、これで良いのかな? いつもより確かに消費は多いけど、思ったほどじゃなくてなんだか実感が……」
自身無さげに言うティティリアさんですが……周囲、壁の外からは兵士の方々の、突如一斉に補助魔法が武器に宿った事によるざわめきが大きくなっていますので、大丈夫……だと思います。
「た、多分……それでは、次は私が」
一言断りを入れて、改めて自分の魔法を唱え、解き放つ。
「……『エンハンスアーマー』!」
入れ替わりに続けて放った私の魔法が、周囲の人々の防具に付与され、その強度を高めます。
……これ、相当に地味な作業ですね。なんせ私達には、壁の外で何が起きているのか分からないのですから。
「……『パワーエンチャント』!」
「……『リジェネレイト』!」
「……『スピ-ドエンチャント』!」
その後も交互に、ティティリアさんが身体能力上昇系、私が防御・治癒力上昇系と、お互いの得意分野でそれぞれ使用可能な補助魔法を思いつくまま放ち続ける。
一通り唱え終わり、私が翼を消した瞬間、私達を囲んでいた石壁が崩れて砂となり散っていきました。
「あー! 疲れたぁ! もうすっからかんですよ!」
「ふふ……お疲れ様でした、ティアさん」
「……イリスちゃん、結構余裕? どんな魔力してるのよ……」
そう、若干むくれた様子で腕を組んで体重を預けて来る彼女に、そんなことは無いんですけどね……と苦笑しながら肩を貸し、そのへんの花壇の縁へと腰かけます。
周囲では、各々水分補給などの休憩も終わり、先行していた方々との入れ替わりのために兵士の皆さんの動きが慌ただしくなっていました。
私達も休息のため、マジックバッグから取り出したマナウォーターを二人で飲みながらそんな様子を眺めていると……不意に、頭上から声が掛かります。
「おっと、居た居た。おーい、イリスちゃん、なんか領主様っぽい人が探してるってよ」
「あ、スカーさん、お疲れ様です」
屋根の縁から除く紅い髪。
背にした家屋の屋根からこちらを覗き込んでいたのは、この周囲の警戒に出ていたスカーさんでした。
そんな彼は、こちらの姿を見つけると、軽やかに眼前に降り立ちます。
その瞬間……ティティリアさんと組まれたままだった腕に伝わる、びくっと体を震わせた感触。それは私のものではなく……
「っと……そっちの可愛らしい嬢ちゃんは、初めましてだな?」
「ひっ……」
そう、息を詰まらせて、さっと私の後ろに隠れてしまうティティリアさん。
背中に伝わるカタカタと震える手の感触が、只事ではない様子を物語っていました。
……男の人が苦手、と以前に言っていましたからね。
気持ちは大いに分かるため、振り返って軽く抱き、落ち着かせるようにその背を叩きます。
「大丈夫です、こう見えて親切でいい人ですから……というか、兄様やレイジさんは平気でしたよね?」
「それ、は……二人とも真面目で優しそうだし……本当は、なぜかソールさんはあんまり男って感じがしないから大丈夫だけど、レイジさんの方は少し苦手……でもイリスちゃんがすごく信頼してるのが見て分かったから我慢できたんです……」
涙を浮かべ訥々と語る彼女に、あー……と凄く納得しました。
そして二人と比べると、スカーさんは格好からして派手で、一見するとかなり遊んでいるように見えますからね……
震える彼女を宥めすかし立ち上がらせると、初対面の女の子に怯えられ、困ったように立ちすくむ……ちょっとショックも受けているらしい……スカーさんに、苦笑する。
「ごめんなさい、彼女は、その……」
「…………あー、いや、こいつは俺が悪かった。怖がらせて悪かったな」
どうやら察してくれたようで、スカーさんは広く間隔を維持したまま、私と、私に抱えられて歩くティティリアさんに追従してきました。
そうして、兵士達の間を進んでいくと……
「ティティリア。それとイリスリーア殿下」
こちらに気が付いた領主様が、会話をしていた兵士の一人にかるく手を上げて制し、こちらに歩いてきます。
「先程の補助魔法は、貴方がた二人の物ですね。感謝します……ティティリア、大丈夫ですか?」
そう言って、私の腕の中で震えるティティリアさんを一瞥する。
その目は……痛ましい物を見る時の、憐憫が僅かに浮かんでいました。
ですが、領主様に褒められたのが効いたのでしょう。
彼女はそれでもぐっと顔を上げて、弱々しいながらもレオンハルト様に微笑み返して見せました。
その様子に領主様と二人、ほっと一息をつきます。
「……これより私達は西門へと進みますが、お二人の支援のおかげでこちらの戦力は十分に余裕はあります。逃げていくワイバーンも増え始め、もう事態もだいぶ収束を見せていますので……女性の護衛をつけます。殿下は彼女と共に、負傷者の救護をしながらゆっくりといらしてください」
「はい。レオンハルト様達も、お気をつけて」
言外に、その子を頼みます……そう告げている彼の目に、はっきりと頷く。
それに、ここから先はもう私達の出番はほとんど無いだろう……そう、だいぶ逃げ去ったらしく、飛竜たちの数がすっかりと減った頭上の光景を見て、感じます。
「……ありがとうございます。おかげで、領民の被害を最小に抑えることが出来ました。この地を預かる者として……最大限の、感謝を」
「い、いえ、そんな……こちらこそ、少しでもお世話になっている恩返しができたのなら……」
頭を下げる彼に、慌てて両手を振ります。
元々世話になりっぱなしですので、感謝されるのはむしろこちらの方で……
「――ですが」
スッ……と細められたその眼光の圧に気圧されて言葉の続きが吹き飛び、まるで蛇に睨まれた蛙のように全身が強張ります。うっ、と呻き声が漏れました。
「……落ち着いた後に、ゆっくりと
「……………………はい」
僅かに口元を曲げた笑顔で……ただし目は笑っていない……告げられた言葉に諦めの心地で一つ頷くと、レオンハルト様は踵を返して前線へと行ってしまいました。
――ドナドナされていく子牛の気分とは、このようなものでしょうか……
彼が私達の護衛にと残していった女性の兵士達から向けられる奇異の視線の中で……私は、この後待っているであろう今回のお説教は、果たして何時間くらいだろうかと、長々とため息を吐き出しました。
――だけど、このような些末な事を呑気に考えられるのも、もうすぐこの騒乱も収束するからです。
視線の先には、人の街を襲う事のリスクを察したのか、食事を諦めてちらほらと空へと逃げ帰って行くワイバーンの姿。
この
そう思えば現金なもので、気分の方もすぐに軽くなっていきました。
先程の、負傷者を感じ取った不思議な感覚は、まだ続いています。
近くに急を要する負傷者はいない……それも、今私の心に余裕を与えてくれているのでしょう。
そういえば……最初に感じた熱さこそないものの、額にまだ微かに熱が残っています。
しかし手で触れてみても特に熱などは無く、首を捻る。
……先程ティティリアさんにまだ余裕がありそうと言われましたが、思えばこの額の熱を感じるようになってから、魔法行使の負担があまり気にならなくなっていた気がします。
「……どうしたの?」
「いえ……なんだか、額に違和感があって」
怪訝そうなティティリアさんの視線の中、腰のマジックバッグを漁り、一本の手鏡を取り出します。
そして、綺麗に整えられ、切り揃えられている前髪を手で搔き上げて、手鏡を覗き――
「これ、は……」
「イリスちゃん、どう……って、何これ、光ってる……?」
私の額には、目を凝らさねばわからぬ程度のごく淡い輝きですが……翼と、杖を組み合わせたような小さな紋章のようなものが、描かれていました。
そして、この描かれている場所は……今、朧気ながらも思い出しました。
それは……以前ディアマントバレーで見た夢の中で、あの人……リィリスさんに触れられた場所でした――……
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