領都防衛3

 おかしい。

 不可解だ。

 こんな筈ではなかった。


 そんな思考が、グルグルと回る。


 小さき獲物だった。

 しかし、沢山居る。

 丁度一飲みにできるサイズのそれは、鱗も、棘も、殻も無い。とても食べ易そうだ。


 そう、意気揚々と襲い掛かった結果……待っていたのは、大量に飛来して来る、鱗を突き破る煩わしい棘と、致命の威力を秘めた礫、それに身体を焼く閃光。


 果たして、この細かな凹凸の激しい不可解な土地に住む、この小さな生き物は、見た目通り容易く得られる食料なのか……そう疑問に駆られ始めていた。




 ――彼女らは、野生の獣である。


 欲しているのは憎き者の血ではなく、腹を満たす肉だ。故に、割りに合わぬ狩りは避けたいというのが当然というもの。


 そして、彼女らは、それを見誤った。


 あるいは、雄の個体が居れば……主に遠出して食料を得て帰るのを役目とする彼らが居たのであれば、そもそも手出ししようと考えなかったかもしれない。


 ならばともかく、巨大な巣を作り、大きな群れを成したこの小さな生き物……「人」に手を出せば、手痛いしっぺ返しを喰らうと、数千年に渡る経験を本能に焼き付けられた、彼らが居たのならば、だ。


 ……だが、不幸にも、もはや彼らは居ない。

 繁殖期であるというのに、何順も季節が廻っても、何故か姿を見せなくなった彼らは。


 故に、求愛の貢物は途絶え、足りぬ糧を補うため代わりに乱獲された住処すみかの近隣の獲物は尽きた。

 ならば別の場所から……というには、周囲に強力な縄張りの主がひしめき合う辺境は優しくない。

 もし万一、竜や巨獣の縄張りでも荒らそうものなら……そう考えると、慣れぬ外の世界へと出る事を余儀なくされた。


 だが、日の沈む方角には、

 故に、日の出る方角、深く広大な森を超え、新天地を目指した。


 そして……何故か縄張りの空隙がある場所を見つけた。


 周囲には強力なライバルは居ない、他愛無い知恵少なき獣ばかりだ。


 近場には良質な餌場を見つけた。


 楽園を見つけたと、狂喜した……それが、ほんの僅か前。


 おかしい。

 不可解だ。

 こんな筈ではなかった。


 どれだけ後悔しても……つまるところ、これは経験不足であり、自分達の住処の外を知らぬ彼女達は手出しする相手を間違えた……それを彼女達が理解して立ち去るまでにはまだ、幾分かの時間が必要であった――……











 ◇


「……っ!?」


 ハッと、顔を上げる。

 何か見ていたような気がするも、もはやボンヤリとしか覚えていなかった。


 まるで、居眠りしている時に不意に落下したような錯覚に襲われる、あの感覚。慌てて周囲を見回す。


 ――意識が、落ちていた?


 周囲の状況が、間を飛ばしてしまったかのように変化していました。

 直前の記憶は、新たなワイバーンの一体と交戦状態に入った所だったはず。

 だが今は……そのワイバーンは、傭兵団と兵士の協力により、巨獣用の巨大なボーラー(ロープの両端に錘を括り付けた投擲武器)に脚を絡め取られ、ネットに翼を絡め取られ、大地に縫いとめられ、動きを封じられているところでした。


 ……不意に、そのワイバーンと、視線が交差しました。


「あ……」


 その姿が、何故か無性に憐れに思え、思わず手を伸ばしかけた所で……その首に兵士達の槍が、傭兵達の剣が、突き立つ。


 強靭な飛竜の骨格も、脊柱の継ぎ目に無数の鋭利な刃を突き立てられてはひとたまりもない。

 そのワイバーンは……最後にひとつ憐れな声を上げると、ズン、と地響きを立てて、完全に脱力した。瞳が、みるみる白く濁っていく。


 その光景に思わず身体を竦め、目をギュッと瞑ってしまい……


 ――いけない、こんな時にぼんやりとしていては。


 かぶりを振って、気を取り直す。

 視線を上げると……更にもう一体、曲がり角からワイバーンが巨体を覗かせた所でした。





 市街地へと降りてから、すでに一刻が過ぎようとしていました。


 皆、戦い詰めで決して少なくない疲労が見え隠れしていますが……それでも、街の中心部までもう少しという所まで来ていました。


 ……決して、この進行は速くはありません。


 それでも、門から程近い場所に居るワイバーンを順に一体ずつ撃退し、人々が避難してくる事が出来るスペースを少しずつ拡げていく事に成功していました。というのも……


 ――襲撃の勢いが、緩んできている?


 街を闊歩する飛竜の巨体と遭遇する頻度が、密度が、徐々に下がってきているような気がする。

 仲間が幾体もやられたせいか、上空にまだ多数控える飛竜達も、飢餓から来る暴走状態から幾分冷静さを取り戻し、戸惑っているのか動きが鈍り始めたように見えました。

 中には、地上から逃げるため、飛び立つ存在もちらほらと。


 ――お願い、退くならば、早く……これ以上無為に命を散らさずに、早く退いて……!


 杖を手が白くなるほど強く握り締め、そんな祈りを捧げるように念じる中……不意に、風に乗って小さく聞こえてきたものがあった。


「今のは……子供の、悲鳴……!?」


 バッと顔を上げ、周囲を見回す。

 それらしいものは、見える範囲には存在しませんが……それでも、間違いなく聞こえました。

 しかし、今この場は新たなワイバーンの相手に手一杯で、様子を見に行く余裕は無いでしょう。


 ――放っては、置けません。


 ひとつ決心すると、近くで指揮を執っていたゼルティスさんの袖を引きます。


「ゼルティスさん、少しここをお願いしても良いですか?」

「イリス嬢? いかがなされました?」

「子供の声がしました。すぐに戻りますので……」

「ですが、一人では……ああ、いえ」

「はい、この子が居ますから」


 そう言って、足元について来ていた白い毛皮……仔セイリオスの方をちらっと見て、笑いかける。


 ――護衛は居ますから。

 ――この子も一緒なのに、無茶はしませんから。


 そんな二つの意味を込めて見つめると……彼は、ふっと表情を緩めて頷きました。


「そうでしたね、そちらにワイバーンはもう居ない筈ですが、くれぐれもお気をつけて」

「はい、ありがとうございます!」


 頭をひとつ下げ、まるで私を守ろうとするかのように斜め前を走り出した仔セイリオスを伴って、悲鳴の聞こえた方角へと駆け出しました。





 息を切らせながらも、曲がり角を二つ、三つと曲がった先……


「……居たっ!」


 向かう視線の先には、一人の兵士。そして、彼に庇われるようにして、その足元には……まだ小さな女の子が、蹲っていました。


 さらに先には、数匹の白い毛皮を纏った狼……白狼ホワイトファング数匹。


 動きの素早い魔物だから自信は無いけれど、『ディバインスピア』で気絶させる……?

 そう考え実行に移そうとしたその時、視線を感じました。


 それは、仔セイリオスの物。気のせいでなければ、その目は自分に任せろ、と言っているように思え、頷きます。


「……お願い!」


 私の声と同時に、私の前を走っていた仔セイリオスが、その足を早めた。そして……


 ――ガァァアアアアアァウッ!!


 それは、とてもその小さな体躯から放たれたとは信じられないほどの、大気をびりびりと振動させ、耐えがたい本能的な恐怖を呼び起こす咆哮――『死の咆哮』。

 セイリオスの声帯の持つ特殊能力であり、幼体のものですら、死を幻視するほどの恐怖を狙った対象に与える。


 兵士と女の子を避けるように放たれたその咆哮に、ひとたまりもなく恐怖心を喚起されたホワイトファング達は皆が地に伏せ、その場で動かなくなりました。


 元々、狼は臆病な生き物です。

 おそらくここに現れた事自体、縄張り争いの混乱によって迷い込んだだけなはず。

 そんな彼らは根源的な死の恐怖に晒されて、すっかりと戦意を喪失したらしい。


「……行きなさい。もう、街に入って来ては駄目」


 そう告げると、弾かれたように反転し、逃げ去っていく群れ。

 その様子にホッと一息を付く。そして、まるで自分は役に立つだろう、と自慢げにこちらを見ている仔セイリオスに笑いかける。


「はい、とても助かりました、ありがとう、ね?」


 おんっ、と一つ、先程の大迫力の咆哮が嘘のように嬉しそうに吠えると、尻尾を振りながら駆け戻ってくる仔セイリオス。

 その毛皮を、感謝を込めてわしゃわしゃと撫でてやり、すぐに行き先に視線を向ける。


 そこには……少女を守っていた兵士。

 そして、狼に囲まれ、しかし突如脅威が立ち去ったために呆然と座り込んでいる、まだ十歳前に見える少女。


 その少女の傍に、視線を合わせるようにしゃがみ込む。


「大丈夫ですか?」

「あ……せいじょ、さま?」


 そう呼ばれるのはなんだか気恥ずかしいけれど、頷いておく。

 その程度の事で少女が少しでも安心できるならば、ちょっと羞恥を感じるくらいは些細な事です。


 ざっと、少女の様子を検分する。

 所々擦過傷があり、血も滲んでいるためとても痛々しい様子ではありますが……指先がやけに傷付いている以外には、ひとまず大きな怪我は無いみたいでした。

 ジワリと地面に広がっている沁みは……まぁ、こんな小さな子が狼に囲まれたのでは仕方がないでしょう。それが血ではなくて、本当に良かったと思いました。


「うん、大丈夫です、今傷の手当てを……」

「ぅ、ぁっ、ああぁぁんっ!?」

「……きゃっ!?」


 しかし……女の子はそんな私を見て、くしゃりと顔を歪め、泣き出した。かと思ったら、突然胸に飛び込んで来たため、勢いを支えきれず倒れそうになって、思わず悲鳴が漏れました。


 少女のそれは、安堵などではなく……もっと切迫したもの。


「……おか……さんがっ、あの下……にっ」


 そう泣きじゃくりながら少女の指差した先に、息を飲んだ。

 そこは……倒壊した家屋。その下に、少女の母親が居るという。


「あの、下に?」


 私の問い掛けに、頷く少女。


「そんな、どうしたら……」


 まず瓦礫を撤去しなければ。

 しかし、変に力を加えたら、崩れて下に閉じ込められている少女の母親は……


 どうしたら良いか葛藤していると……不意にチリっと、額の一点が熱く熱を生じさせた。

 同時に……急に情報を大量に流し込まれたかのように鋭い痛みが頭に走り、なんと言葉にすれば良いのか分からない、不思議な感覚に見舞われました。


 それは、実際に見えているわけではない。

 しかし、脳裏にまるでレーダーの光点の様なものが感覚として認識できる。

 見えていないのに、える。なんとなく分かる、という不思議な感覚。


 赤く点滅している様なそれは……少女が指差す倒壊した建造物の下。


 ――生きている!


 この光点の赤い点滅は、限りなく危険な状況であっても命までは失った訳ではない……理屈ではなく、そう感じました。


 そして居場所が掴めるならば、手はあった。慌てて魔法を編み始める。


 ――それは、ゲーム時代は一次職の終盤に蘇生魔法と共に習得する、戦闘不能者を蘇生可能安全圏へと引っ張るために使われる、ただそれだけの魔法。


 蘇生魔法がこの世界に無いため、すっかり存在を忘れかけていた、この魔法。

 だけど現実である今、それはまさに、神の奇跡……『魔法』のように、人を救う力として顕現する。


サフォール誘導クリク移動コルプス肉体……私の下へ、来て、『レスキュー』!!」


 カッ、と、周囲が光に包まれました。

 眩い光の中、ズシリと、腕の中に人間ひとり分の重みが現れます。


 途端に、服に染み込んでくる、生暖かくぬるりとした液体の感触。


 すぐに、ざっと全身を検分する。

 五体は満足です。しかしあちこちに大きな裂傷があり、身体を突き破っていたり圧迫していた瓦礫が無くなったせいか、出血も激しい。

 身体も、骨折したり潰れたりで、骨が皮膚を突き破ったり変形している部分もある。

 そしてその身体はじっとりと冷たく、呼吸も浅く早い……出血性ショックを引き起こしている。




 ――だけど……生きている!




 不幸中の幸いか最大の懸案事項……頭部、脳は無事だと、安堵の息を吐いて、次の魔法の支度を始める。


「おかぁさ……っ!?」


 そのあまりの惨状に、傍に居た少女からひっと悲鳴が漏れた。

 当然でしょう、身内……母親が、変わり果てた姿でここに居るのだから。


 そんな少女に、安心させるように微笑んで、告げる。


「……大丈夫、生きてさえいれば私が……助ける!」


 そう言って、再び詠唱準備に入る。


 だけど、このままでは血が足りません。

 通常のヒールでは、傷が塞がっても体力が保ちそうにない。ならばと、上位回復魔法を唱え始める。


「……『アレスヒール』!』


 腕の中で、女性が光に包まれた。

 全身の怪我が嘘の様に消え、みるみる顔に血色が戻っていく。


「…………きれい」


 何か少女が呟いたのが聴こえてきた気がしますが、今は術の制御でそれどころではありません。


 やがて光が収まると……すっかり怪我の消えた女性が意識を取り戻したらしく、薄っすらと目を開け、フラフラと上体を起こしたのを見届けて……ようやく、ふぅ、と息を吐き出しました。


「良かった……大丈夫ですか?」

「……聖女、様……? あの、私は一体……生きて……?」

「はい、もう大丈夫です。まだ、しばらくは倦怠感があると思いますが……あと少し頑張って、慌てずに、避難してください」


 その言葉に、今の状況を思い出した少女の母親が、ふらつきながら立ち上がる。


「うそ……すごい、あんなひどいケガだったのに、なおっちゃった……」

「さ、あなたも、お母さんと一緒に避難を」


 そう言って、なにやらぽーっとこちらを眺めていた少女にも手をかざす。

 少女の体から細かな擦過傷が消え、服についた汚れや、座り込んだ股のあたりを濡らしていた液体が消失した。

 戸惑いながら自分の体を見回している少女から視線を外し、もう一人……所在なさげに立っていた兵士の方へと振り返る。


「あなた、後はお願いしても良いですか?」

「は……はい!」


 あっ……と、聞こえて来た予想外に若い声に驚く。

 見ると、彼はまだ少年と青年の境目のような、新米と思しき兵士でした。

 驚愕冷めやらぬ表情が若干曇っているのは……狼を自らの手で撃退できなかった悔しさ故でしょうか。だけど……彼の働きが無ければ少女はとうに狼に引き裂かれていたはずで、その母親の発見も不可能だったでしょう。


「……あなたも、ありがとうございます。あなたが踏ん張っていてくれたおかげで、二人も助ける事ができました」

「……私、が?」

「はい。あなたの、おかげです。この二人の事、あとはお任せしますね」


 そう告げて立ち上がり、ローブの裾に付いた埃を払う。

 そこでようやくフードが外れていた事に気付いて、いそいそと被り直す。


 と、丁度その時、私が来た方角から声が掛けられました。


「イリス嬢、この辺りのワイバーンは一通り撃退しました、次に向かいます!」

「はい! どうやら小型の魔物も入り込んでいるみたいです、そちらも警戒を!」


 呼びに来た彼……ゼルティスさんに返事をしながら、ざっと周囲に意識を飛ばす。

 まだ額には熱が灯ったままで、あのレーダーのような不思議な感覚は残っていました。


 他に、大きな負傷をした要救助対象は……居ない。ホッと一息をつくと、こちらを待っているゼルティスさんの方へと駆け出します。


「もう大丈夫、お手数お掛けしました」

「はい。皆は一足先に、職人通りまで行っています」

「そこを抜ければ……街の中心部ですね」

「ええ、そこまで行けば叔父さんとも合流できる筈です。さぁ、どうぞ」


 差し出された手を取ると、さっと抱き上げられました。

 折角なのでありがたく楽をさせてもらい、自分の状態の把握と休息に務めさせてもらいます。

 魔力は……心許無くはあるけれど、まだまだ大丈夫。



 抱えてられて走る振動に身を委ね……次の交戦までのほんの僅かな時間であっても少しでも休息を取るために、瞼を閉じました――……

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