再起


「真っ赤なあんちゃん、この方向、赤い屋根の建物の裏!」

「よし、ナイスだ坊主! いっけぇええ!!」


 外壁から街の屋根に降り、索敵と観測手の役割をしていたハヤト君の誘導により、スカーさんの持つ砲が轟音を上げて弾丸を吐き出しました。


 途中、中継点として設置された小さな魔方陣が角度を変えることによって弾道を曲げられて飛翔した弾丸が、建物の陰に消える。


 次の瞬間、これだけ離れていても耳を劈く咆哮……ワイバーンの悲鳴が上がります。


「……やったか!?」

「……いや、ダメだ、翼には当たったけど、致命傷じゃない、来るぞ!」


 切羽詰まったハヤト君の叫び声。


 次の瞬間、土煙を上げて曲がり角を曲がり、片翼を引きずったフロストワイバーンの巨体が現れました。

 重傷を負った事で怒り狂い、血混じりの泡を吐きながら、門入り口の方に居る避難者の方へと突っ込んで来ます。


 その進路には……不運にも、混乱状態にある人込みに押し出されて転んだと思しき、ワイバーンの大きな口では一飲みにされそうな、十歳と少しくらいに見える女の子の姿。


「チィッ、もう一発……」

「いや、俺が!」


 慌てて弾丸を再装填したスカーさんを制し、ハヤト君が姿を薄れさせながら、ワイバーン目掛けて屋根から飛び降ります。


 ――一閃。


 落下しながら放たれたハヤト君の『アサシネイト』が奔り、ワイバーンの首が夥しい量の血を撒き散らしながら宙を舞った。


 その光景に思わず口元を押さえるけれど、どうにか堪えます。

 周囲からは、荒事慣れしていない人々のパニックに陥りかけた様子の悲鳴があちこちから上がっており、吐いている場合ではありません。


「ハヤト君、大丈夫!?」


 慌てて門の下を覗き込む。


「……大丈夫だ、この子も傷一つ無ぇ!」


 そこには、頭を失いながらも慣性で突っ込んで行ったらしい巨体から少女を抱えて逃れたらしい、ハヤト君の姿。

 女の子は放心状態でハヤト君を見上げて居たけれど……その言葉通り、二人とも大きな傷は無さそうで、安堵の息を吐き出します。しかし……


「クソ、建物の陰に降りられた、上からだけじゃ対処し切れねぇぞこれ!」


 別のワイバーンに照準を定めていたスカーさんが、忌々しげに舌打ちしながらスコープから顔を外す。

 その視線の先には、今降り立ったワイバーンの尻尾と翼だけが、家々の間からチラッと見えました。


「避難が終わらないと、強力な魔法だと街の人まで巻き込みかねないにゃ……!」

「てぇかマジ、数が多いな!? どうやら奴さんら、腹が減って我慢ならなくなったらしいな……っ!」

「……っ」


 見上げる彼の視線の先、次々と街へと降り立つワイバーン達。そのうち一体に照準を合わせ直し、再びスカーさんの砲が火を噴いた。

 照準違わずそのワイバーンは落下しましたが……弾丸を再装填する間にまた数匹、街へと降りてしまっています。


 中にはこちらに向かって来ている個体も居るけれど、そちらは今のところ、外壁上に設置された大弩砲バリスタや魔法によって取り付かれるのを防いでいますが、しかし迎撃に手一杯で、下にまで対処し切れていない。まだ住民の避難は完了しておらず、眼下ではその巨体から逃げ惑う人たちの姿。


 それに、翼や尻尾などが周囲を建物に当たり、老朽化で脆くなっているものはそのまま崩落したりもしている。もしかしたら、その下に取り残されてしまった人達も居るかもしれない。


「助、け……ないと……っ」


 ――だけど、私が行って何ができる?


 このままここに残って、救護に当たっていた方がいいのではないか?

 それに、無理はしないという約束をして来たのに、それすらも反故になってしまうのではないか?


 こんな時、レイジさんが居てくれれば、先頭に立って道を示してくれるのに。

 こんな時、ソール兄様が居てくれれば、背中を押してくれるのに。


 ぐるぐると思考は周り、最適が何かわからずに彷徨う。

 視野が狭まって、自分がどこに立っているかが分からない。




 ――私は、一人では、こんなにも何も出来なかっただろうか。




 無力感で、手足から力が抜けていく。

 視界が暗くなり、音が遠ざかる。ぐらりと、身体がゆっくりと傾いで……


 そんな身体が、誰かに優しく支えられました。


「迷っているのであれば……貴女が、為したいようにするといいですよ、我が姫?」

「え……」


 ぽんと、優しく肩が叩かれる。

 振り返ると……そこには、今は外に出ているため街に居ないと思っていた顔がありました。


「……ゼルティスさん!」

「はい。貴女とこの街が危機と聞いて、僭越ながら馳せ参じました」


 ここは私の故郷でもありますしね、と穏やかに微笑む彼。


 眼下でも、動きがありました。

 街の人々に襲い掛かるワイバーン達。

 しかしその前に躍り出る人影が、その進行を食い止めていました。


「あれは……」


 それは……見覚えのある顔ぶれ。『セルクイユ』第一班、ゼルティスさん麾下の最精鋭部隊でした。

 先日以来、死の蛇を追い遠征に出ていたはずの彼らの参戦を、呆然と見下ろす。


「ったく、何辛気臭ぇ顔してんだ、ガキが」

「……ヴァイスさん!?」


 不意に、すぐ横から聴こえてきた別の声。

 いつのまにか傍らに立っていたヴァイスさんが、巨大な弓……『ドレッドノート』を引き絞り、放った。

 その矢は狙い違わず上空のワイバーンの一体の眼窩を貫いて、射抜かれたワイバーンはそのまま力なく壁の外へと落下して行きました。


 ……いつのまにか、使いこなせるようになっていたのですね。


 以前の戦場……ディアマントバレーの戦場では必要に迫られて辛うじて引いていたその剛弓を、今の彼は自在に操っているように見えます。男子三日会わざれば……と言いますが、彼の姿は少し前よりも、随分と逞しく見えました。


「おら、上の奴らは押さえといてやる、とっとと行くなら行けよ」

「……ふふ、彼はこんなことを言ってますが、貴女と、幼馴染のレニィ嬢が心配で団長に直談判して強引にこちらに来たんですよ?」

「ちょ、まっ……隊長、なん……っ」


 悪戯っぽく笑ってそう告げるゼルティスさんと、その発言に泡を喰って噛みつくヴァイスさん。

 その内容に驚き、ぱちくりと目を瞬かせ、首を傾げて尋ねます。


「……そうなんですか?」

「……チッ、悪ぃかよ」

「いいえ……ありがとうございます、頼もしいです」

「……ふん」


 思わず漏れた笑みと共に礼を告げると、そうぶっきらぼうな嘆息を一つ残して、彼はまたすぐに次の目標に対して狙いを定め始めました。

 そんな様子を眺めて、ゼルティスさんはやれやれ、素直じゃないですねといった感じで肩を竦めて来たので、思わず笑ってしまう。


「こちらだけではありません、西門には、フィリアスが第二班を率いて向かいました。あの子であれば、決して無理せずに誘導と防衛をこなしている筈です」


 状況が、どんどん変化していました。

 未だ街は混乱の最中にあるけれど……それでも皆、街を守ろうと頑張っています。なら、私にできることは……


「貴女の、望むままに。私と私の部下達が、貴女の手足となります」

「勿論、俺もな」


 隣で穏やかに微笑むゼルティスさんと、こちらを振り返り、にっと笑いかけて来るスカーさん。


 何をしたい? お前の望みは何だ?

 そう尋ねて来る彼らの視線。


 ――私は、どうしたい?


 視線を彷徨わせると、こちらを見つめているミリィさんも、鍵縄によって外壁上へと戻って来ていたハヤト君も、同意するように頷きました。


 ふと、くい、くいっと下から私のローブの裾を引っ張られる感触。

 見下ろすと……そこには、ちょこんと白いふわふわの毛皮……危険なので門の中で預かってもらっていたはずの、仔セイリオスが居ました。


「ああ、その子もどうやら貴女の下へと馳せ参じようとしていたもので。姿は小さくても、立派なナイトだ」

「……そっか」


 しゃがみ込み、その手触りの良い毛皮を撫でる。


「置いて行って、ごめんね? あなたも……助けてくれる?」


 その問いかけに、おんっ、とひとつ、元気な吠え声。その微笑ましい様子にふっと表情が緩みました。


 ――ああ、こんなにも……助けてくれる人が居る。


 思考の靄が晴れ、視界がクリアになった気がしました。


 どうやら、あの手酷い敗北で臆病になり、知らず識らずのうちに、恐怖と無力感から来る倦怠に絡め取られていたらしいです。


 もう、大丈夫。

 私一人ではないのだから。


 ひとつ深呼吸をして、昂りかけた胸の鼓動を落ち着ける。




「行くのか?」

「はい……打って出ましょう。街の皆を少しでも多く助けに行きます」


 スカーさんの問いに、彼の方へと真っ直ぐ視線を合わせて返事を返します。


「おそらく、レオンハルト様も、街へと襲撃されているこの状況に対処しようと動いているはずです」


 実際、ローランディア城付近へと降り立ったワイバーンはすでに鎮圧されているようで、時折瞬く魔法の光や、障害物を飛び越える様に宙に掛かっている光の橋は、徐々にこちらへと接近してきています。


「私達も、こちらへ避難してくる街の人や交戦中の兵士の方々を援護しながら、この門付近へと降りてきた敵を掃討しながら、西門を目指します。大変かもしれませんが……皆さん、お願いします」


 そう、自分のやりたいことを伝え、頭を下げる。


「迷いは、吹っ切れたみたいだな。いいぜ、手伝ってやるよ」

「ふふ、レオンハルトの叔父さんにはきっとこっ酷く怒られるでしょうね。ですが……お付き合いしますよ。皆で一緒に怒られましょう」

「あはは……覚悟しておきます」


 あの人が怒ったら、怖そうだなぁと苦笑します。

 だけど……もう決めたのだ。気を引き締めて、何をすればいいのかに思考を巡らせる。


「ヴァイスさん、ミリィさん。二人は上空に警戒を」

「ちっ……仕方ねぇな、やってやるよ」

「街に向けてぶっ放す訳にはいかないもんね、任せるにゃ」


 ヴァイスさんは相変わらず不機嫌そうに言いながら弓に矢をつがえて、そっぽを向いてしまいました。

 そんな彼にミリィさんは肩を竦め、苦笑しながらそう言って、こちらも精神集中に入ります。


 そして、そんな二人を守るため、盾を構えた兵士の皆が防備を固めてくれました。


「ハヤト君、スカーさん。道を切り開くのは、お任せします」

「分かった!」

「ああ、任せとけ」


 そう言って、すれ違いざまに親指を立てた握り拳をこちらに突き出して駆けて行く。

 ハヤト君は、持ち前の身軽さで。

 スカーさんは雷光纏って……『イオノクラフト』という移動スキルだそうです……軽やかに宙を駆け。

 結構な高さのあるはずの外壁を飛び降りて、街の屋根上へと勢い良く飛び出した二人。その姿が、瞬く間に小さくなっていきます。


「ゼルティスさん……傭兵団の方々と共に、皆を守っていただけますか?」

「はい、お任せください、我が姫」

「それと……申し訳ないのですが、抱えて降りて貰ってもいいでしょうか……?」


 私は一人では、ロープがあっても門の上から直接降りる事は難しいのをすっかり忘れていました。

 勢いのいい事を言った直後にこれです。羞恥に顔が熱くなるのを感じながら、頭を下げます。


「ええ、勿論。では……我が姫、失礼します」

「イリスで良いですよ、ゼルティスさん……お願いします」


 律儀に騎士の態度を貫こうとする彼にちょっとだけ苦笑しつつ返事をすると、ひょい、と片腕で抱え上げられました。


 身体の芯がヒヤリとするような浮遊感。


 彼は私を片腕に抱えたまま、胸壁に吊るされたロープをもう片手で掴み、滑り降りました。

 降り立ったそこは……未だ狂乱状態にある、逃げ惑う人々のすぐ近く。

 こうして間近で見ると、ここに居る人々は大怪我こそない物の、逃げてくる途中でついた物なのかあちこち負傷している人は居るようでした。


「行けますか?」

「……大丈夫、やれます」


 気遣わし気に尋ねて来るゼルティスさんに、一つ頷いてその腕から降り、杖を構えます。

 そして避難してくる人々の流れを逆らうように、ゆっくりと歩を進めながら、呪文を紡いでいく。


「……――ギィス抱擁する アフゼーリア女神の祝福の ディレテ!息吹 『ゴッデスディバインエンブレイス』……!」


 私を中心に、門前で混乱状態にあった人々を包み込むように、巨大な広範囲治癒魔法の陣が描かれていき……次の瞬間、眩くも暖かな、治癒の光が一帯に炸裂しました。


 ――少し、過剰だったとは思います。


 ですが、狙いは、この場をまず収める事。

 周囲の皆は狙い通り、何が起きたか分からずに、今までの喧騒が嘘のように静まり返っていました。


 ――聖女様だ。

 ――あれが……協力してくださっているという


 うっ、と呻き声が少しだけ漏れました。

 思わず、外套のフードを引き下ろす。耳に届いた声に羞恥心を刺激され、ちょっとだけ逃げ出したくなったのを堪えます。


 周囲からひそひそと囁かれるその声にいたたまれない物を感じながらも……今ならば、こちらの言葉をきちんと聞いてくれそうだと気を取り直す。


「……子供と、体の不自由な人を優先してください! 慌てず、兵の方々の指示に従って、落ち着いて避難を!!」


 そんな注目を浴びる中、必死に声を張り上げて指示を出す。

 その効果は劇的で、混乱の静まった人々は協力し合い、兵士たちの指示に従って先程までよりも速いペースで門内に避難を始めました。




 ――レイジさん、ソール兄様、もう少しだけ待っていてください。すぐに終わらせて、助けますから。




 未だに手に馴染まぬ間に合わせの杖を、それでもぐっと握りしめる。大丈夫……やれる。


「兵の皆さんは、避難者の誘導と護衛、自分の役目に専念してください。皆さん……力を、貸してください……っ!」


 おお! という鬨の声と共に、私達は、未だ混乱の最中にある街へと踏み出しました――……

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