二人が居ない今

 領都ローランディアの最奥に鎮座する、ローランディア城。

 その城は背後に聳える山の斜面を利用して建城されており、険しい断崖の先には自然豊かな高地が広がっている。

 しかし……そのような立地に在りながら、ここ数百年に渡ってローランディアの街は、背後の山々からの魔物の進行に晒されたことは、歴史を紐解いても数えるほどしかなかった。


 それは……その地に強大な幻獣、セイリオスが自身の縄張りとしていたために、他の獰猛な肉食動物などが立ち入ることが無かったためだ。


 では……その主たるセイリオスが居なくなれば、どうなるか。

 突如所有者の居ない空白地帯が現れれば……何が起きるかは、実際のところ、人間も自然界も変わらない。

 故に……それは、当然の予想の下、起こるべくして起こったのだった――……







 ようやく眠りに就いたと思ったのも束の間。

 日の高さからして、正午を回ったか否か……そんな時間に鳴り響いたローランディア城の屋上にある警鐘。その音に、否応無く跳ね起きる羽目となりました。


 そんな中、部屋に響く控えめな、いつも聞きなれたノック音。しかし、今回はほとんど間を置かずに開かれる。


「イリス様、緊急事態につき、失礼……っと、すでにお目覚めになっておられたのですね」


 そう言って部屋へと入室してきたレニィさんが、すぐさま私の身支度を整えてくれる。


 いつもの空色の法衣……ではありません。

 あれは今、先の戦闘での損傷によって修復中。

 なので今着せられた衣装は、多少の守りの力が付与されたローブ……ミリィさん渾身の作であるクラルテアイリスには格段と劣るとはいえ、それはれっきとした戦闘用の衣装でした。


 そんな衣装へと袖を通され、髪をさっと梳かれ、何かが目の下へと塗られる。

 身支度が済み次第、付き添う彼女と共に真っ先に向かったのは、レイジさんとソール兄様の病室。

 しかし、すでに移送されたらしく、そこは既に何者も居ませんでした。


 そして、階下の練兵場から周囲に指示を出す大きな声が聞こえ、目的の人物がそこに居ると判断し、足早にそこへと向かう。




 練兵場に入ると、そこは戦闘準備を進める兵の方々の怒声が飛び交っていました。


 そんな中、一通りの指示を出し終えたらしく、あたりの様子を伺っている長身黒髪の男性……レオンハルト様を見つけ、その周囲で忙しそうに走り回っている方々を避けて駆け寄ろうとする。


 すると、こちらに気が付いた、彼のすぐ横に控えていた、長い金色の髪を持つ小柄な人影……ティティリアさんが、こちらへと駆け寄って来ます。


「イリスちゃん、もう起きて大丈夫なの?」

「……は、はい、もうだいぶ……」

「……うん、あまり大丈夫そうじゃないね?」


 ここまで歩いてくる中で多少息も切れていたせいか、あっという間に強がりは看破されてしまいました。


「……それも、解っているつもりです、だから大丈夫。ね? それより、レオンハルト様は今、大丈夫でしょうか?」

「っと、ごめんね。領主様ー!」


 ぱたぱたと、レオンハルト様を呼びに行ってくれるティティリアさん。

 その声を受けて、彼はすぐにこちらへと来てくださいました。


「レオンハルト様! この騒ぎは一体……?」

「イリスリーア殿下……お加減は、よろしいのですか?」

「大丈夫……と言うのは簡単ですが、正直まだあまり……」


 魔力残量は体感で三分の一。

 体力も、集中力もだいぶ落ちているだろう。


 それに、装備も問題だった。


 愛用の錫杖はあの時へし折られた際に完全に力を失い、廃棄することになって、今手元にあるのは初心者用に毛の生えたような心許ない杖。


 ずっとこの身を守っていた衣装……クラルテアイリスも、破損がそれなりに酷く、現在はミリィさんの下で修復中。


 あらゆる面で、戦場に立つには……あまりにも心許なかった。それが、紛れもない事実。


 今までも無理に大丈夫と言っては迷惑を掛けてばかりだったから……先程もティティリアさんに即座に看破されたのもあって、正直に告げる。


「では、殿下も安全な場所へ……」

「……いいえ、無理はしません、だから私にも何かさせてください……!」


 それでも、ただ守られているのは耐えられない。

 必死の気持ちを込めて見つめていると……諦めたように、彼はひとつため息をついた。


「……ふぅ。言っても無駄でしょうね」

「……ごめんなさい、わがままを言って」

「いいえ、他者のために何かをしたい、という殿下のご気性は、尊い物です。だから……可能な限り尊重したいと思っていますが、無理だけはしないでいただきたい」


 その、怖いほどに真剣な表情で見つめてくる彼に……こくんと、頷く。


「……いいでしょう、信じます」


 ふっと表示を緩めた彼に、ほっと一息をつく。


 ……正直、彼は元々眼力が強い感じのクールなタイプの美形なので、真剣な表情で見つめられると実際怖いのです。




「では、現在の状況ですが……北の連峰で起きている縄張り争いによって、興奮した魔物達が雪崩れ込んできています。それを私達は暴走スタンピード、と呼称しています」

「それは……あそこを住処にしていた、ブランシュ様がいなくなったからですか?」

「はい……あの方の寿命の話を聞いて、その可能性は真っ先に考えて対策は取って来たつもりですが……」


 言葉を濁す彼。


 ブランシュ様が亡くなられてから、まだたったの三日。おそらく想定外に早いであろう日数に、何か不穏な物を感じます。

 さらに、準備を始めた時点では、本来であれば彼女の天命が尽きるまで、もっと猶予もあったはず。


 この襲撃が、予想外に早いものだったのというのは、想像に難くありませんでした。


「次の縄張りの主さえ決まれば、自然と収まっていく現象です。自然に生きる者達も、人の街を好き好んで襲うようなリスクはそうそう犯しませんから……本当は、その仔セイリオスに縄張りを継がせられれば良かったのですが」


 突如話題が向いたことで、私の背後について来ていた仔セイリオスが、首を傾げていました。

 その頭を軽く撫でてやっていると……



「ハヤト君……と言ったな」

「は……はいっ!」


 すぐ側に控えていた、小姓の衣装の上から愛用の小太刀を佩き、随所にホルダーなどを巻いて戦闘用に武装したハヤト君が、呼ばれて進み出てくる。


「君も志願して手伝ってくれるそうだな。どうか、彼女の護衛を頼む。気心の知れた君の方が彼女も気楽だろう」

「……わかりました、やります」

「頼んだ。レニィ嬢も本当であれば殿下に付いていて欲しいのだが……すまないが、今回はこちらに来て欲しい」

「私も、ですか?」

「ああ。飛行系の魔物の姿も確認できているので、君達と共に来たミリアム嬢に別の場所……門の方から街の防衛を頼んでしまった以上、貴重な攻撃魔法の使い手を遊ばせてはおけぬ状況だ」


 私の身近な所でも、編成が進められていました。




 ……ノールグラシエの魔法兵団の主力となっている魔法は、以前に傭兵団の魔法部隊も使用していた『ラーヴァ・ボム』という炎系統の中位魔法です。


 射程、効果範囲共に取り回しが良い上に、炎の性質上たいていの対象を相手に一定の効果が見込めるという、非常に使い勝手の良い魔法なのですが、弾道が重力の影響を強く受ける……発射後、落下していくという欠点があるため、特に今回のように都市上空での対空攻撃には向いていません。


 一方で、ミリィさんが得意とする魔法には、弾速に優れ直線の攻撃が得意な雷や純エネルギー属性の物も多く、今回の件には適任です。


「了解しました、では……イリス様、また後程。どうかご無事で」

「はい……レニィさんも、どうかお気をつけて」


 一礼し、自分の配属された場所へと立ち去っていくレニィさんの背中を見送る。

 その背が見えなくなるまで手を振っていると、レオンハルト様に呼びかけられ、慌てて居住まいを正して振り向いた。


「……この城は、今回の件に関しては最前線です。市民などの退避拠点は、砦としての機能を持つ東西の門へと移される事となっています。西門へは私の方から衛生兵を派遣しますので、殿下はアイニ君の居る東門で、負傷者の救護に当たっていただけますか?」

「……わ、解りました。」

「よろしくお願いします。向こうへは、も移送されていますので」


城内で保護されている負傷者……それは、私の知る限り、二人しかいません。


「……はい、お気遣い感謝します」

「では……私も、これで。失礼します」


 ビシッとノールグラシエ騎士団の敬礼をして、慌しく部下への指示に戻った彼の背中に一礼し、踵を返す。


 すでに案内の方が用意されていて、こちらへ、と先導する初老の使用人の方に手を引かれ……何か後ろ髪引かれるものを感じながら、拠点へ移動する非戦闘員や物資輸送用のキャリッジの片隅へと乗り込んだ。






 静かに、街中を進むキャリッジの中。


 もう、大分遠い記憶のように感じますが……以前街へと遊びに来た時には人々の喧騒で賑やかだった街が、今はシンと静まり返っていました。


 住民の大半が避難した街。人の気配はちらほらと感じますが、残っている者も皆、家屋の中に退避しているようです。

 そんなメインストリートには、それぞれの持ち場に立つ兵士達以外に人がおらず、出したままの屋台だけが立ち並んでいます。


 そして……街中に点在する、据付の弩弓をはじめとした防衛装備。

 私がここ数日部屋に籠っている間に、事前に備えをしていたという街はその様相からして変わり果てていました。


「……レオンハルト様、それとティアさん、どうか無事で……」


 レオンハルト様の実力は、先日の戦闘で十二分に承知しています。

 元王国騎士団副総長であり、まだまだ若く現役なまま退団したという彼の実力は、レイジさんと同等以上……いいえ、おそらくはヴァルター団長の領域に近い、という事も。


 そして、彼の周りを固める兵士たちも精鋭揃いなのは、ここでの生活の中でそれなりに交流もあり、十分に理解していました。


 懸念されるのは、私と同様に自身での戦闘能力をほぼ持たないティティリアさんだけれど……彼女も、レオンハルト様の傍に居ればきっと大丈夫。


 ――分かっている。


 彼らは常日頃から厳しい訓練に励み、有事の際には最前線となるこの辺境伯領の最精鋭であり、弱っている今の私が心配する事すら烏滸がましいのだという事は。


 分かっているのだけれど……こうして戦闘になっているときに、最前線に残ることが出来ないのが、なんだかとても……


「……悔しい、な」


 何かしていないと、胸が張り裂けそうなほどの焦燥感を感じている。だから何かしたいのに、何もできない。


「姉ちゃん?」

「……え? あぁ、ごめんなさいハヤト君も。なんだか手間を押し付けさせちゃったみたいで」

「いや、別に……それは、いいんだけどよ」


 視線を彷徨わせていたハヤト君が、意を決したように私の手を掴んだ。その突然の行動に目を白黒させていると……


「……不安なんだろ? あの兄ちゃんたちが傍に居ないのが」


 そう、ハヤト君に心配げに声を掛けられる。

 彼に握られた私の手は……カタカタと震えている事に、今更ながら気が付く。


 そこでようやく、焦燥感の正体を理解した。


「……うん、そうかもしれませんね」

「姉ちゃん?」

「ハヤト君は、知らないんでしたよね。私、二人と離れて自分一人だけの時に、あまり良い思い出が無くて……なんか、いつも運が悪いみたいなんですよね」


 思い出して震えそうになるのをどうにか誤魔化して、苦笑してみせる。




 こちらに来てすぐ、山賊に攫われたこと。

 二人に合流した後、外に出してもらえなかった時の鬱屈した気持ち。


 ポツポツと、彼に会う前にあったことを語っているうちに、焦りの理由を確信できた。


 こうして今、二人と離れていると、どうしても嫌な事ばかりを思い出してしまう。

 だから……恐怖を別の事で紛らわせたかったのだ、と。




「そっか……姉ちゃんも、大変だったんだな……」

「……駄目ですよね、もっとちゃんとしないと。二人に心配ばっかりかけてしまいます」


 一つ、深呼吸をする。


 話をしているうちに、はっきり自覚した胸のつっかえを吐き出せた事で、気分はだいぶ上向きになっている。

 今は、自分のやるべき事……負傷者が現れた時に備えて、少しでも体を休めておかなければ。


「……ありがとう、少し落ち着きました。ハヤト君が一緒に居てくれて、本当に良かった」

「お……おぅ……俺じゃあ兄ちゃん達が居る時ほど安心はできないかもだけど、うん、任せろ」

「ふふ……ええ、頼りにしていますね?」


 礼を言われ慣れていないのか、ぶっきらぼうに言うハヤト君に、思わず笑いながら返事をする。

 真っ赤になってそっぽを向いてしまった彼に……私は、首を傾げるのでした。

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