この子どこの子?

 ――意外に、というのも失礼なのですが。


 流石は家精……家の守護妖精であるホブゴブリンと言うべきでしょうか。

 所々に綺麗な野花やハーブが活けられ、その良い香りが漂う、予想を遥かに超えて清潔な環境を整えられている、居心地の良い雰囲気のガンツさんの小屋の中の一室。


 大人しく私に抱かれている仔セイリオスのお腹に、時々直接軽く触れたりしながら聴診器を当て、真剣な顔で聞き耳を立てているアイニさん。

 その様子を眺める皆の表情も硬く、周囲は緊張を孕んだ静寂に包まれています。


 そんな中……聴診器を耳から外し、ふぅ、とアイニさんが息をついた。


「……はい、終わりました。私も幻獣の子供を診たのは初めてですから、正直なところ自信がある訳ではありませんが……」

「ありませんが……?」


 ごくりと息を呑む私達に、彼女はふっと笑って告げた。


「内臓には特に異常無し、消化器官へのダメージは見受けられません、もう食べたり飲ませたりしても大丈夫ですよ」


 そう太鼓判を押すアイニさんに、周囲で固唾を見守っていた面々……私と、レイジさんにソール兄様、それとレニィさんとガンツさん……は、ふぅぅううう、と大きく息を吐いて胸を撫でおろした。


「ただし、外傷は多数ありますから、イリスちゃんが復調してこの子の治癒するまでは、安静に。とりあえず止血と消毒は済ませました。翼も右側が骨折していましたが……こちらは、イリスちゃんの魔法が戻ったら対処するのよね?」

「はい。ありがとうございました、色々忙しい所を」


 城に詰めているお医者様としての仕事もあるアイニさんに、こうして足を運んでもらったことは申し訳なく思う。ですがそんな彼女は、何か微笑ましい物を見る目で私の方を見ていました。


「いえいえ、どういたしまして……ふふ、ちょっと元気も出たみたいね」

「え……そうですか?」

「ええ、貴女は、どうやら傍に助けないといけない何かが居ると、元気になるのかしら」


 そうかもしれません。

 何せ、ここでの暮らしはほぼ、自分の事ばかりしていました。

 人に何かをしてもらうだけの立場だったので、申し訳なさが、心の中にいつの間にか降り積もっていたのかもしれません。


「そんじゃ、水と、調理場から拝借してきた肉はここに置いておくぜ」

「はい、結構ですよ。もっとも、食欲は無さそうですから食べるかどうかは分かりませんが」


 そうアイニさんが言う通り、仔セイリオスはレイジさんが器に盛って置いた食べやすい大きさに切った肉や水には見向きもせず、私の腕の中で眠そうにうつらうつらとしていました。


「イリスちゃんも、一度部屋に帰って休んで……って言うつもりだったんですが、そのつもりは無いみたいですね」

「えぇと……はい、すみません」


 レニィさんとガンツさんの用意してくれた寝台にそっと仔セイリオスを下ろし、そのすぐ横の座席を確保した私に、ふぅ、とアイニさんがため息をつく。


「まぁ、看病くらいは認めましょう。ただし、七時の夕食の時間までです。良いですね?」

「……はい、分かりました」


 ローランドとしても、まさか自国の姫の部屋に幻獣の仔を寝かせることも、外の掘立小屋で休ませることも、もっての外なのだろう。これ以上の譲歩は無理だろうと諦め、素直に頷く。


「それにしても……最大級に希少な幻獣の子供ですか、一体どこから……」


 レニィさんの疑問に、皆が黙り込む。

 発見した場所を鑑みれば、裏手の山なのでしょうが……これだけ街に近い場所にこのような高位の幻獣が生息していれば、噂くらいはありそうな物なのに。


「それは、まぁ、おそらく裏の連峰でしょうね」


 不意に、入り口から聞こえてきた声。

 そこに居たのは、忙しいはずの領主様でした。


「そうなのですか? 私もそういった話は聞いた事が無いのですけれど……」

「ええ、かの幻獣とは、先祖代々不可侵の取り決めを行って……かの幻獣の存在を秘匿し、棲家に人を入れず、穏やかな生活環境を提供する代わりとして、山側、裏手の鎮護を担っていただいているのです。その子はおそらくそこから来たのでしょう」


 アイニさんの疑問に、領主様が答える。

 そういえば、この城の裏手のいくつかの山は立ち入り禁止だと聞いた気はしますが……てっきり防衛上の理由かと思っていましたが、そういう事情もあったのですか。


「……それ、私達に言っても良かったのですか?」

「ええ。本当は、このことは秘密なのですが……先日、そのセイリオスから念話が届きました。どうやら貴女の存在を聞きつけて、会いたがっているようです。その仔がここに居る理由は不明ですが……」

「私に……?」

「ええ、珍しい事ですが……案外、貴女の背中のを、感じ取っているのかもしれませんね」


 背中……つまり、私の種族の事。

 そういえば……いつか見た『彼女』の夢の中でも、その幻獣の姿があったような気がします。


「なぁ、その親の所へ連れて行って、俺達は危なくは無いのか? たしか結構獰猛な種族だったよな?」

「ええ、大丈夫でしょう。相当に年齢を重ねた個体らしく、口は悪いですが、かなり温厚な方でしたよ」


 レイジさんの疑問に、太鼓判を押す領主様。

 であれば、やはり会っておきたい。何より、もしその方がこの仔セイリオスの親であるのならば、やはりきちんと親元へ帰さなければいけない。


「あの……私の調子が復調したら、この子を帰しに行きたいのですが」

「……まぁ、そのくらいは良いでしょう。鳩を使って伝えておきますので、奥深くまで行かなくても会えるでしょう。ただし、伴を必ず連れて行くように」

「あ……ありがとうございます!」

「いえ。準備だけはしっかりとお願いしますね。伝えるべきことは終わりましたので、私は公務もありますので、これで」


 そう言って出ていく領主様。


「ふぅ……それじゃ、出立は三日後くらいにしておくか。大丈夫だ、お前はちゃんと送り届けてやるからな、チビすけ」


 そう言って、レイジさんが私に撫でられている仔セイリオスに手を伸ばす。

 次の瞬間。




 ――かぷ




「「「あ」」」


 私と、兄様と、レニィさんの声がハモった。

 私だけでなく、兄様やレニィさんにも大人しく撫でられていた仔セイリオスが――何故かレイジさんの手にだけ、見事に噛みついていた。


「――――いっ……てぇぇええええええ!? な、何で俺だけ!?」


 慌ててその口から手を引き抜くレイジさん。

 そんな様子を、あらあら……と、どこか落ち着いた様子で眺めていたアイニさんが、医療道具の詰まった鞄からいそいそと消毒用エタノールを出し、手早く傷口を診ていく。


「だ、だ、大丈夫ですか!?」


 ずっといい子だったから、まさかレイジさんが噛まれるとは思っていなかった。

 レイジさんの手から流れる赤い液体に、半ばパニックになりながらアイニさんへと尋ねる。


「まぁ、破傷風などは怖いですが……幸い、伝承によればセイリオスの唾液には治癒の力もあるそうですので、大丈夫でしょう。一応消毒も済ませましたし、あとはイリスちゃんが回復したら診てもらってくださいな」


 そう言われ、周囲に再びほっとした空気が流れる。


「はぁ、良かった……もう、無暗に誰かを噛んでは駄目ですよ?」


 軽くこつんと拳を当て、少し厳しめに言うと、仔セイリオスはしゅんとしてしまったので改めて軽く撫でてやる。子供といってもそこは幻獣、人語はまだ喋れないものの、きちんとこちらの言葉を理解しており、どうやら賢い子のようで一安心……


「ってぇ……初めて犬に噛まれたぜ……って、悪かった、悪かったって!」


 どうやら「犬」と言う言葉が気に入らなかったらしく、仔セイリオスがレイジさんに唸り声を上げる。

 その様子に、噛まれたばかりなレイジさんは、慌てて距離を離した。


「レイジさんは、むしろ動物に好かれる方でしたからねぇ」


 基本、向こうの世界に居た頃のレイジさんは、初対面の犬なんかには大体懐かれていました。

 だから、こうして邪険にされたのは私も初めて見ます。


 そして、その仔セイリオスといえば……


「……フンッ」


 そう、鼻を鳴らすように一つ息を付いて、レイジさんから目を逸らして私の手にすり寄ってきました。

 仔犬のようなこの子だから、そんな様子も愛らしくはあるのですが……あまりにもあんまりな態度に、レイジさんも流石にびきっとこめかみに血管を浮かべていました。


「……こ、この野郎……っ」


 わなわなと、怒りに身を震わせるレイジさん。

 ですが、これは訂正しておかなければ。


「野郎なんて、言ってはだめです。この子、雌ですよ?」

「……へぇ、ほぉ、ふーん」


 ジト目で仔セイリオスを眺めるレイジさんに……本人には悪いですが、少し苦笑してしまいました。

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