幻獣の仔

 初めてが訪れたあの日から、二日が経過していた。

 日課となっていた勉強などは、私の体調を鑑みてか、この数日の間は全てキャンセルとなっている。


 ……まぁ、無事に子を為せる体で居ることが、お姫様の最大の仕事だからなんだろうけども。


 レニィさん以外にも侍女が数人体制でサポートに付いており、殆どの事を自分でやらせてもらえない過保護っぷりでした。

 手厚い……手厚すぎるサポート体制に、自分の立場を再確認してげんなりしつつも、色々と楽なのは確かなので、厚意に甘えて自堕落に過ごしていました。


 昨日……二日目、は出血量、症状ともに酷く、まともに起き上がることもできずに一日を部屋で過ごし……

 一夜明けた今日、多少は楽になっており、にもかかわらず部屋に引き籠っているのも気が引けたため、軽い運動がてら、外に散歩に出てきていました。




 ――そんな事情により、広いローランディア城の周囲、綺麗に手入れの行き届いた庭園を散策中の事でした。


「……?」


 近くからふと、何かが聞こえた気がしました。


「どうかなさいましたか?」

「いえ……今、あちらのほうから、動物の泣き声のようなものが……」


 空耳かもしれません。しかしどうにも気になって、そちらへと歩を進める。

 その先は、綺麗に整備された庭の一角、崖際にある薔薇園。よく手入れされ綺麗に整えられたその中へと踏み込み、予感に任せて迷路のようなそこを急ぎ足で抜けると、そこには……


「……あれは……子犬?」


 もっとも奥まった場所、崖際に、白いふわふわとした……犬のような生物が横たわっていました。

 犬のような、と言ったのは……その背に翼が見えたことと、その体毛がまるで刃のように突き出しており、しかも淡い黄金色に輝いていたからです。


「これは……まさか、そんな……」


 その子犬のような生物の姿を見たレニィさんが、息を飲む気配がしました。


「知っているのですか?」

「はい……イリス様、お離れください。これはおそらくセイリオス……その幼体です」

「……セイリオス光り輝くもの?」

「はい、時代の変わり目に現れる者、不吉の前兆……そう呼ばれるとても獰猛な幻獣で……その目に、直死の力を宿すと言われています」


 セイリオス……確か、体毛が陽光の下では黄金に、月光の下では銀色に、暗闇では漆黒に変化する他、心を許した者の前では柔らかく、敵対した者の前では刃のように鋭くなるんでしたか。


 私もこうして見るのは始めてですが、しかし……不思議と、何か……そう、夢の中で見たような気がする。たしか、いつか見た夢の中のあの人が一緒に居た……


 悩んでいると、ふと、その輝く仔セイリオスの毛皮に赤い物が付着しているのが見えた。

 纏う光でわかりにくいですが、よく見れば全身傷だらけで、翼もおかしな垂れ方をしている。


 ……もしかして、崖から落ちてきた?


 あの子の奥にそびえる絶壁の上を見上げる。可能性としては、あり得そうです。


「でも……この子、怪我をしています、放ってはおけません」

「いけません、イリス様!?」


 慌てて制止しようとするレニィさんでしたが、振り返り、彼女へ心配しないでと微笑んでから歩み寄ります。何故か大丈夫という確信がありました。

 こちらに気付き、「ぐるる……」と唸り声をあげているその子を怖がらせないようにとしゃがみこみ、視界を遮らないようにそっと低い位置から手を差し伸べると……仔セイリオスは、最初は警戒しつつも私の指をふんふんと嗅ぎ始める。


「大丈夫、怖くないですよ……」


 そのまま暫く、静かに声を掛けながらそのままで居ると……ふっと、その体毛から鋭さが消え、ふわっとした子犬のような物へと戻る。


 同時に、緊張が解けたのでしょう。ぱたりと倒れそうになったその小さな身体を受け止めて、そっと抱き寄せる。

 抵抗は無かった。むしろ、甘えるように胸へと顔を摺り寄せて来るその様子に、ふふっと小さく笑いが漏れる。


「……ほら、大丈夫だったでしょう?」

「……驚きました、子供とはいえ、そんなすぐに幻獣が懐くなんて。確証がおありだったんですか?」

「いえ……ただ、最初に見た時から、この子は怖がっているだけで、敵意があるわけではないと思いましたので」


 それと、もしかしたらサブ職『プリンセス』の効果の中にある、テイム確率上昇の効果も何かしらの影響があるのかもしれないな……というのは、心の中にだけとどめておきます。


 そうしてすっかり警戒を解いた仔セイリオスに、傷を癒そうと手を伸ばし……はっと、今は治癒術が使えないことを思い出した。


「ああ、でもどうしよう、今治癒魔法が使えないんでした……」

「……こちらを」


 レニィさんが、手提げ袋から、柔らかなタオルを出して渡してくれる。

 おそらく、私の……が何らかの拍子で漏れた際の為に用意してくれたものでしょうが、ありがたく受け取って、怪我になるべく障らないように包んであらためて抱き直す。

 抵抗するかとも思いましたが、案外と素直に包まれ抱かれてくれたので、ほっと一息ついて踵を返した。


「あの、どちらへ?」

「……どうしましょう? アイニさんの所に……は、お城の中に入れていいものか……」


 とりあえず、この薔薇園を出て……そのあと、どうしたらいいだろうか。


「でしたら、とりあえず、庭に居を構えているガンツさんの所に連れて行ってみては?」

「あ、それが良いかもしれませんね、ありがとうございます、レニィさん」

「いえ……」


 ちらちらと、腕の中で眠る子犬のような幻獣を見ているレニィさん……もしかして、実はこういう小動物がお好きなんでしょうか?


 今、ガンツさんはこの庭園の端、庭での作業に従事する人のための小屋で過ごしていたはず。

 彼ならば。私の月のものが終わり治癒魔法が戻る前の少しの間、面倒を見てくれるかもしれないと、そちらへと歩を向ける。










「あ、居た……ガンツさん、と……」


 目的地であった使用人用の小屋

 その前の庭に設置された石のテーブルには、数人の人達が席に着き談笑していました。

 そして、そこに居たのは……


「……レイジさん? それに兄様も?」

「おう。もう体調はいいのか?」

「本当はまだ少し……それよりも、何故レイジさん達もここへ?」

「それは……まぁ、素振りだな。暫く勉強ばかりで鍛錬をサボっていたし、気分転換がてらに」

「私もその付き添いだ。暫くずっとさせられていた作法だ何だという座学がここ数日流れたおかげで、久々にいい汗をかいた」


 ばつの悪そうな顔で苦笑するレイジさんに、何やら満足げに汗を手拭いで拭っている兄様。


「コノ若者達ガ、ナニヤラ根ヲ詰メスギテイタノデナ。茶ヲ馳走シテイタ」

「はは……美味かったぜ、サンキュな」

「ご馳走になりました」


 見れば、レイジさん達の傍らにある丸テーブルには、よく冷えているらしき汗をかいた細長いガラスポットに、茶色の液体が半分ほど満たされています。

 これは……この色、この容器。まるで……麦茶?


「それで、どうした? まだ具合悪いんなら、寝ていた方が良いんじゃないか?」

「それなのですが……こういう事情でして」

「……おぅ?」

「……へぇ?」


 仔セイリオスを包んでいたタオルを少しずらして見せると、驚きの声を上げた二人が興味深そうに覗きこんできます。


「さっき、庭で倒れているのを見つけたんです。それで、私は今は治癒魔法を使えないもので……2~3日でいいんです、ガンツさんにどこか、この子が休める場所を貸してもらえないかと」

「フム……使ッテイナイ物置ガアル、ソコニ寝台ヲ用意シテオコウ」

「ありがとうございます……!」


 快く引き受けてくれたガンツさんに、礼を言います。

 彼は、キニスルナとだけ言うと、すぐに準備のため、奥へと引っ込んでしまいました。


「それじゃ、私はアイニさんを呼んでこよう」

「なら、俺はこのチビが喰えそうなものを厨房に行ってもらってくるわ」

「では、私は毛布か何かを用意してきます」


 そういって、あっという間に方々へ散っていく皆。


「あの、私も……」


 そう言って何か手伝おうとしましたが……


「お前は、そのチビについててやれ、今のところお前にしか懐いていないんだ、そのお前の姿が見えなくなったら、チビが不安がるだろう?」


 そうレイジさんに言われ、結局、仔セイリオスを抱えたまま一人ぽつんとその場に残ることになってしまいました。


「……それもそうですね。皆さんが戻ってくるまで、大人しくしていましょうか」


 もう一度、腕の中の仔セイリオスを抱きかかえ直し、そのあたりにあったベンチへと腰かける。

 そして……ふと思い出した言葉を口ずさむ。


「……Was yea …… mea …… en fwal. Ma …… ga k…………a yor syec…………」


 それは……以前よりは、何故か少し分かるようになった「夢の中の彼女」の子守歌。

 まだ分からない部分も多く、そのほとんどはメロディを口ずさむだけだけれど……それでも、少しだけ苦しげな息を吐いているこの子が、少しでも安らげばいいな……そう思い、なるべく起こさないように小さな声でそっと、その子守歌を紡ぐのでした――……

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