不調の原因

 その日の朝、いつものように目覚め、傭兵団と共に帰還し、侍女の役目に復帰したレニィさんに起こされて。

 そんな、最近ではすっかり普通になった朝。


「ん……あふ……」

「また、寝不足ですか?」

「んー……いつも通りの時間には床に就いたのですが、眠りが浅くて……」


 そのせいか、どうにも体に倦怠感がある。

 かといって、お世話になっている身でダラダラしているのも憚られ、いつも通り身支度を整えてもらおうと目を擦りながら起き上がり、寝ぼけた頭でそれでもいつも通りに身体能力強化の施術を行おうとして……


「……あれ?」

「どうなさいましたか?」


 寝ぼけた頭に、突然冷水をぶっかけられたような気分。

 さーっと血の気が引いていくのが分かる。


「……魔法が……使えない」


 ぼそりと私の呟いた言葉に……部屋の空気が、凍りました。











「まぁ、随分と蜂の巣を突いたような騒ぎだったけどよ」

「あはは……ひとまず、何も無くて良かったね、イリスちゃん」


 街を歩く私達。

 ティティリアさんの「街へ行こう!」という提案を受けて、私と彼女、いつも通り傍に付き従っているレニィさん、それに護衛のレイジさんとフィリアスさんは、なるべく目立たなさそうなカジュアルな服へと着替えて領都の散策へ来ていました。


 ……私は、一応フード付きです。

 この体になって初めて着ましたね、パーカーは。

 なにげに初めてな、短いスカート……それでも膝丈少し上くらいまであるけれど……も、なんだか新鮮でした。


「それで、どうなったんだ?」

「はい……生憎、アイニさんが今は所用で領都に居ないので、詳しいことは分からないのですが……」


 アイニさんが居なくても可能な簡易的な検査になってしまいましたが、しかしその結果は特に問題はありませんでした。

 ただ、普段は自在に開け閉めできている蛇口が、今は何らかの理由により一時的に閉じているような状態らしいですが……


「魔力自体は、問題ないそうです。ただ、こう……体が、魔法を使う事を拒否している? そんな感じらしいです……」

「拒否? 以前の魔力枯渇の際にあった、自己防衛の本能が働いて云々のあれと一緒か?」

「一緒のようで……違うような……」


 私自身、このような事は初めてで良く分かっていないため、首を捻ります。


「……なんにせよ……ティティリアさんが居てくれて、本当に良かったです」


 ひとまず、同じ魔法を有しているティティリアさんに施術してもらう事で、今はこうして事なきを得て、皆で街へ出かけるのはお流れにならずに済みました。


「ふふん、エンチャンター様々でしょう?」

「はい、自分で掛けるよりも調子がいいみたいです」


 効果だけでなく調整も細かく効くようで、流石は本職と言うべきか、今はいたって快適に歩行できています。


「ま、分からないものを考えていてもしょうがない、折角の街だし、楽しみましょ」

「そうですね、イリスちゃんは何か見たいものとかある?」

「あ、それじゃ……」


 この街へと到着した時に、欲しいと思ったものがあったのを思い出し、そのことを告げました。







「ありがとうございました、良い買い物が出来ました」

「いやいや、フィーちゃんの知り合いなら、大歓迎だよ、またおいで」


 露店のおばさんに、お辞儀をして店を後にする。

 胸に抱えた真新しい包装の中身は、様々なカラーの色鉛筆と、クロッキー帳。

 どこか取り扱っている店が無いかフィリアスさんに聞いたところ、連れて行って貰った露店で満足な品質のものが手に入り、ここのところ不意に沈みがちだった気分が今はすっかり浮上していました。


「良かったわね、欲しい物があって」

「はい、おかげさまで。大人気ですね、フィリアスさん」

「あはは、まぁねぇ。元々私は、この町でも有名なおてんば娘だったからねぇ」


 おかげで、私の方はあまり注目されずにいて、大助かりです。

 きっと、この効果も期待しての護衛の人選なのでしょう。ですが……


「あの、こういうことを聞いていいのか不安なのですが……」

「ん?」

「何か、私に思う所とかは無いんですか? その……本当は、ここの領主の娘という立場だったのを……私のせいで、取り上げられたんですよね?」


 私は覚えていないとはいえ……彼女の父親が失脚し、フィリアスさんが伯爵令嬢の地位を返上することになった原因は、私の……『イリスリーア殿下』の拉致監禁事件です。

 ある意味では元凶ともいえるはずなのに、こうして良くしてくれているフィリアスさんの心境は如何なものなのだろうかと不安に駆られての発言でした、が。


 フード越しに、私の頭に、ぽんと優しく手が乗せられました。


「あはは、無い無い。悪いのはどう考えても色惚けてやっちゃいけないことをしたうちの父親だったし、まぁ……伯爵令嬢なんて、今では未練も無いしね」

「そうなんですか?」

「うん、きっと貴族なんて肩書のままじゃ想う事しかできなかった事も、今なら気兼ねなくぶつかっていけるし」


 どこか、今は居ない人を想っているかのような、とても少女らしい彼女の横顔。それは、まるで恋する乙女のようで……


「……団長さんの事ですか?」

「……ぶっ!?」


 なんとなしに呟いてみた直後、突如げほげほと咳き込んだ彼女に、驚いて目を瞬かせる。


「な……なん……っ!?」


 すっかり真っ赤になって口をパクパクし、こちらを見つめるフィリアスさん。頼れるお姉さんという認識でしたが……今は、なんだか可愛らしく見えました。


「はぁ……イリスちゃん、たまに変なことには聡いよね……自分の事には鈍感なくせに」

「え?」

「いーや、何でもない! ……秘密よ、良いわね?」

「は……はい……」


 その剣幕に、コクコクと頷く。


 ……本当は、傭兵団(ヴァルター団長とゼルティスさん以外)の間では皆が言っているんだけどな……そう思ったのは、秘密にしておくことにします。






 のんびりと東西の門を繋ぐメインストリートを散策した後、私達は噴水や水路に彩られた中央広場の一角、フィリアスさんのお勧めだという喫茶店へとやって来ていました。


 その景色の良い広場沿いのカフェテラスへと通された私達は、各々の注文を終え、テーブルには女の子勢が大量に頼んだ色とりどりのケーキが並んでいます。


「イリスちゃん、本当にお茶だけで良かったの?」

「あ、はい。どうにも食欲が無くて」


 そんな中、私の前には、レモンティーが一つだけ。

 そのカップ脇に添えられているレモンを、はしたないだろうかと思いつつも、なんと無しに摘まんで、かぷりと齧る。


 ……なんだかこの数日、酸っぱい果物を齧っていると落ち着くんですよね。食欲不振は継続中で、なんだかお腹が重い気がして、常に軽い吐き気がある状態がずっと続いている。


 甘い物にはとても心惹かれているのですが……カロリー豊富そうなそれを目にした途端に気持ち悪さがこみ上げてきたため、ケーキは断念しました。


「それにしても、傭兵団の皆さんも、戻って来たばかりでもう街に居ないなんて、忙しいですね」

「そうだねー、私はイリスちゃんのおかげで、こうして休み気分で堂々とお茶してられるけど」


 あっけらかんと、自分のケーキにフォークを差し入れて、削り取った先端、クリームたっぷりの塊を口へ入れて、身もだえているフィリアスさん。


「んー、たまにはこういうのも食べたいもんねぇ、傭兵団じゃこんな凝った甘い物なんて縁ないし」

「本当本当、こっちにも、こういう美味しい物が一杯あって本当に良かったわ……」


 しみじみとそんなことを言っているフィリアスさんとティティリアさんに、お茶だけで済ませている私とレイジさんは顔を見合わせて苦笑する。


「しかし……ディアマントバレーに派遣されてた兵士たちと傭兵団の合同演習なんて、何でまた?」


 女の子に囲まれて、一人居心地悪そうに……というか、何故か冷や汗をダラダラ流しながら、周囲を、道行く人々を忙しなく警戒して紅茶を啜っていたレイジさんが、ふと呟いた疑問に、私も頷いて便乗する。


「あー、まぁ、原因は、イリスちゃんと、このもう一人ちみっこいお嬢ちゃんよ」

「……えぅ?」

「……ふぇ!?」


 こちらに急に話を振られたことに驚いて、レモンをかじかじしていた口と手を止めて、ぱちぱちと目を瞬かせる。

 フォークを握りしめ、眼前に並んでいた幾つもの甘味に打ち震えていたティティリアさんも、突然話題を振られて目をぱちぱちしていた。


「あんたらねぇ……もうちょっと、自分の力の重大さを理解した方が良いわよ?」

「え?」

「私達の?」


 二人、向かい合って首を傾げ、フィリアスさんに向き直って首を傾げる。


「……まるで双子みたいに息ぴったりね、あんたたち……」


 何故か、口と鼻を押さえてあらぬ方向を向かれました。


「えー、こほん。あんたらの、得意なことは?」


 どうやら気を取り直したらしく、改めて私達の方へと向き直り、そう聞いて来るフィリアスさん。


「えっと、治癒魔法です」

「強化魔法ですよ?」

「レイジさんとかミリィさんに比べて、地味……ですよねぇ?」

「だよねぇ。イリスちゃんはともかく、私なんて縁の下の事しかできないよ?」


 そんな私達の様子に、何故か頭痛を堪えるかのような彼女。


「……いい、あなた達二人の力っていうのは、言い換えれば、ほかの人に『普段よりもよりずっと高い力を発揮させる』っていう類の力なの。それに慣れちゃったらどうなると思う?」

「えっと…………自分の、力を過信する?」


 少し考え込んでから、恐る恐る発した私の言葉に、彼女が、我が意を得たりとばかりににっこり笑って頷く。


「そう。なまじ直接的な効果が見えないから、本当は支援魔法の効果で底上げされた能力のおかげで勝てていた敵だったとしても、まるで自分一人の力で勝てていると思い込んでしまう。そうなると……支援が無い状況になった時、力量差を読み違えて大変なことになりかねないの」


 最悪、命にかかわるんだからね、と締めて、ケーキを口に運ぶフィリアスさんに、流石に私達も神妙な顔をする。


「……あまり、他人事じゃなかったですね。私も、今朝まで自分が魔法も装備の助けもないと何もできない、っていうのも忘れてましたし」

「そういうこと。というわけで、今は皆、本来の自分の力というのを思い知るため、団長特製メニューで鍛えなおしている最中です。やー、本当私こっちのお仕事振られてよかったわ」

「僭越ながら、私も同意見です……きっとあの野良犬も、戻ってくる頃にはバッチリ躾けられている事でしょう」


 とあっけらかんと笑うフィリアスさんに、控えめな所作で自分の分のケーキを片付けながら、しれっとこの場に居ないヴァイスさんに毒を吐いているレニィさん。


 ……傭兵団の皆さん、それと兵士さん達……ご愁傷様です……


 そう、今は遠い彼らに、そっと無事で戻る様に祈りを捧げるのでした。











「おーい、イリスちゃん、もうお会計して行くぞー……?」


 呼ばれる声に、ふっと意識が浮上する。どうやら、また居眠りをしていたようだ。


「お、起きた起きた。ほら、行くよ、今度は洋服見に行こうって話してたんだけど、大丈夫? もうレイジさんに送ってもらって先に帰る?」

「あ……ごめんなさい、私も行きま――」


 慌てて立ち上がろうとした……その時。


 ――ぬ゛る……


 立ち上がろうとした脚……太ももから、ぬるりとした粘度の高い感触。ぺたりと何かの液体で貼りついた下着が、凄まじい不快感を発している。


「どうしたの?」

「あ……何でもないです、先に行っていてください」

「そう……? それじゃ、なるべく早くね」


 そう言って歩いていくのを確認して、そっと物陰に移動する。


「え……? 一体、何……が……?」


 恐る恐る、他の人には見えないようにスカートをたくし上げる。そこには……


 幾条かの、腿を伝う赤黒い筋。

 太腿より上、そして下腹を覆う小さな衣服はまだらに赤く染まっていて……


 その予想もしていなかった赤色の光景に、くらりと頭が揺れ、浮遊感と共にぐらっと視線があらぬ方向を向いた。


 ――あ、これ、落ちる……


 不思議とどこか冷静な思考が、倒れそうな自分を自覚した。


「……イリスちゃん!?」


 こちらの様子に気が付いたらしき、ティティリアさんが叫ぶ声が聞こえたのを最後に、赤く染まったスカートの下を見た私の意識はその現実を拒絶し、真っ黒に塗りつぶされて、すっと離れていきました――……

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