昼下がりの一幕
「あの、どこか変だったりは……」
「問題ございません、自信をお持ちくださいませ」
自分の格好を確認していると、背後に控えていたメイドさん……領主様の付けてくださった侍女の人が、微笑みながら太鼓判を押してくださいました。
今の格好は、豪奢なお姫様のドレス……ではなく、良家のお嬢さんに今流行りだという、赤のチェックのロングスカートに、初夏物のやや薄手のブラウス。
なんでも、今ではたとえ王族であっても、物語などのいかにもお姫様ー、みたいなドレスは、よっぽど重大なパーティなどでしかお目にかかれないらしいです。
おかげで、思っていたより気楽な格好でいられて、私の足取りは軽いのでした。
……結構なお値段はするんでしょうけれども。手触りとか凄い滑らかで心地良いですし。
そんな私は、小さなバスケットを手に、離れの一室に向かって歩いていました。
中に入っているのは、昼食の時間になっても姿を現さなかった、レイジさんへの少し遅めのランチ。
最近、書斎に籠っているか、練兵場で汗を流しているかのどちらかなレイジさんは、最近は根の詰め過ぎで昼食すら取らない日もあるらしい。
だから、領主様に厨房を借りていいと許可を貰い、久方ぶりに料理に挑戦してみました。
かなり自分では自信作です。試食に協力してくれた兄様やティティリアさん、料理長のおじさんも給仕のお姉さんも、太鼓判を押してくれましたし。忙しそうだった領主様は、一切れ、切り分けたものを残しておきました。
美味しいと言ってくれるかな……そういう不安はあるけれど、その足取りは、軽い。
「……レイジさん、喜んでくれるかな……」
今回はこちら……離れの領主様の書斎で勉学に励んでいると聞いて、お昼ご飯を持ってきたけれど……
目的の場所へは、すぐにたどり着きました。ここにきて、心臓がバクバクと跳ね始める。
それでも、ぐっと息を飲んで決心を硬め、コンコン、と軽くドアをノックする。
「失礼、します……」
ドアノブに手を掛けると、鍵のかかっていないノブは問題なくがちゃりと動きました。そっとドアを開けると、目的の人物はすぐに見つかります。
こちらに背を向ける形で腰掛け、本に没頭しているように見えましたが……よく見ると、僅かにその頭が船を漕いでいます。
そっと前に回ってみる……どうやら本を読んでいる途中で眠りに落ちてしまったようで、膝に開いたままの本を載せた状態で、静かに目を閉じていました。
「あの、レイジさん……?」
「んぁ……あ、悪い、寝てたか……」
ふぁ……と大きな欠伸をして、再度また本に取り掛かろうとした彼の手を、そっと止める。
「あまり根を詰めるのも良くないですよ。もうお昼過ぎです、何か食べないと」
「あ、ああ、悪いな」
「いいえ、レイジさん、最近頑張ってますから」
そう言いながら、テーブルにバスケットの中身……葉物野菜とベーコンを具にした、元の世界で言うキッシュのような料理を取り出し、皿に盛っていく。
これは、以前にミランダおばさまから頂いたレシピを見ながら、厨房を借りて作ったものです。
後ろでハラハラと見守っていた料理人の方々には悪いことをしましたが、正直に言うと、誰かのために料理を作るのは楽しかったです。
そうして、テーブルの上には持ってきたキッシュと、レイジさんにはこれだけでは足りないかなと思い、用意して来た丸パンを数個にチーズやピクルス。それに水筒に詰めてきたお茶……レイジさんはあまり甘いものは好まないけれど、今回は勉強中な事を考え少しだけお砂糖入り……が並ぶ。
ただし、一人分だけ。私の前には、お茶だけだ。
「……俺の分だけか? イリス、お前は喰わないのか?」
「はい、その……なんだか、今朝から妙に食欲がわかなくて。一応味見で少しは食べましたので、私には気にせず食べてください」
「そうか……それじゃ、いただきます」
レイジさんが、手を合わせてそう宣言したのち、フォークを取って三角形のキッシュの先端を削り取り、口へと運ぶその様子を、私はぎゅっと手を握って見つめる。
「……うめぇ!?」
「ふふ……きっとレシピが良かったんですよ。この世界には向こうみたいなコンソメとかの顆粒のスープも存在しましたし、案外簡単でした」
褒められたのが、美味しいという言葉が嬉し過ぎて、思わず謙遜してしまう。
とはいえ実際、レシピ自体は案外お手軽で、野菜とベーコンを炒め、卵生クリームと混ぜてパイ生地の型に注ぎ、チーズを載せ、オーブンで焼く……簡単に言えば、それだけです。
もっとも、難しい部分……オーブンの調節や焼き加減を見るのは厨房の人達に手伝ってもらったので、それを考えればもう少し難度も上がるのでしょうが……自分で調理を行った部分は本当にそれほど難しくはありませんでした。
今後、どんどん難しい物にも挑戦していきたい所ですが……また、領主様に頼んでみるつもり。
「いや、それでも旨い物は旨い。サンキュな」
「……ふふ、どういたしまして」
しばらく、かちゃかちゃと食器が鳴る小さな音だけが部屋に響く。
「勉強、大変ですか?」
「まぁ、自分でやるって決めた事だしな。泣き言を言ってはいられないさ。そっちは、ソールと一緒にマナーの勉強だったか」
「はい……やっぱり、ゲームで通用するレベルと、こちらの要求レベルは全然違いますね……」
「はは……まぁ、お互い頑張るしかないか」
「そうですね」
お互い、苦笑しながら頷き合う。
「そういえば、お前は相変わらず外出禁止なのか?」
不意に気が付いたように、口の中の物を飲み込み、聞いてくるレイジさん。
「はい、まだ……もうすぐヴァルター団長達、傭兵団の皆さんも帰って来ますので、フィリアスさんが戻ったら良いと言われましたが」
ショッピングに行きたくてウズウズしているティティリアさんが随分不機嫌そうでしたと、少し笑って話すと、そうか、と微笑んで聞いている彼。
「その時は、俺も遠慮なく呼べよ? 護衛くらいしてやるし、俺も気分転換になるから大歓迎だ」
「はい、頼りにさせてもらいます」
私が、マナー勉強の成果とばかりに澄まし顔でそう言うと、何が面白いのか自分でも分からないけれど、二人で同時に吹き出してしまいました。
思えば、ここ数日で久しぶりにまともに会話した気がします。お昼、作って本当に良かった。
そんな事を考えながら、自分のカップを傾けつつ、食事に没頭しているレイジさんを眺める。
窓から差し込んでくる初夏の昼の日差しはそれでもまだ柔らかく、吹き込んでくる風は丁度良い涼を与えてくれる。
そんな穏やかな時間がのんびりと流れていくうちに……不意に、ふらっと、眠気が襲ってきました。
この感覚には覚えがある。もう既に手元が怪しい。カップをソーサーに戻すと、それはついに抗いがたいものとなって、私の意識はすぅっと闇へと沈んでいきました――……
「……い、起きろ……おい!」
軽く揺さぶられる感触と声に、再度意識が浮上する。
「ああ、良かった、目覚めたか……おい、大丈夫か? 揺すってもなかなか起きないから心配したぞ?」
「あ……すみません、眠ってしまいましたか」
「大丈夫か? 食欲もないって言ってたし、また何か調子が……」
「いえ、そんなことは……」
嘘だった。本当は……昨日あたりから、突然の睡魔に襲われ、急に深い眠りに落ちるようになった。
かと思えば夜に眠れなくなるなど、睡眠周期が不安定になっている。
一度など、散歩中に突然眠りに落ち掛けて、側に兄様が居なければ倒れそうになったくらいだ。
だけど……目の前で心配そうな顔をしているレイジさんに、伝える事は出来ませんでした――……
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