優しい場所
もうすぐ目的地である領都へ到着すると言われてから一刻ほど。
しばらく、このノールグラシエ王国を南北に分断している、
時折すれ違う畑仕事へ向かっていると思しき荷馬車の荷台から、興味深そうにこちらを覗き込んでくる子供に軽く手を振ってみたりしながら、馬車に揺られていると……
「わぁ……あれが、領都……!」
目的地であった領都らしき建造物が見えてきました。
まず真っ先に見えたのは、山の斜面を利用して建てられている白亜の城。
しばらく進んでいくと、一面の麦畑の景色を割り開き、巨大な都市部の外壁が見えてくる。
そしてその手前には、壁に沿うように大きな川が流れています。
この領都ローランディアは、背後、北に険しい山々が聳え立ち、東西にその山脈から流れて来て合流する二本の川に囲まれた立地をしています。その出入り口は、東西二本ずつ存在する跳ね橋しかなく、守るに適した町の防衛に主眼を置いた作りになっているらしいです。
そうした戦闘を視野に入れた造りは流石に国境付近の領土らしいのですが……一方で、その立地を巧みに利用した外観は、それ自体がまるで一個の絵画のように美しい、そんな街でした。
……そういえば、今までバタバタしていたためにそれどころでは無く、しばらく筆を持っていませんでした。時間が出来たら画材を集めて、久々に何か描いてみるのも悪くないかな……そう胸が躍ります。
「どう、イリスちゃん、すごいでしょ」
「はい、ティアさん! 凄い、綺麗です……!」
背後で自慢げにしているティティリアさんに、興奮冷めやまぬまま返事をする。
……ちなみに、ここ数日でティティリアさんとはとても仲良くなっており、今では彼女は私のことを姫様とは呼ばず名前で呼ぶようになり、私も、彼女の要望で名前を縮めて呼ぶようになっていました。
「さて、イリス様、ここから先は外套のフードを」
「あ……はい、そうですね」
反対側に座っていたアイニさんから、顔を隠すように促され、いそいそと、外套のフードをしっかりと目深に被ります。
ここローランディアでは、一時ここで暮らしていたらしい私の顔は広く知れ渡っていますので、今までの町と違って、顔を見られればおそらく一発でバレます。
まだ「イリスリーア殿下」としての真偽が不確かな現状、極力騒ぎになるのを避けたいと、正体を隠しておくことになっていました。
そうこうしているうちに、巨大な架け橋を渡り、外壁の門へと到着していました。
先頭を行く領主様の姿を見た兵の皆が敬礼を送る間を抜けて……メインストリートへ。
……あ、れ?
「……ここ……すごく、見覚えがある」
「……ん? そりゃ、だいぶ広くなってるけど、ゲーム時代も拠点の街だったからじゃない?」
「それは、そうなんですが……そうじゃなくて、もっとこう……郷愁? 凄く、懐かしいような……」
まるで、実際にここに住んでこの光景を見ていたかのような……そんな、不思議な感覚に首を傾げるのでした。
◇
「はぁ……」
もう何度ついたか分からないため息が漏れる。
「どうした、レイジ。溜息なんかついて」
「いや……ここまで、ほとんど話が無かったなと思って」
ちらっと馬車の方を見る。窓からちらりと見える、金髪の少女と楽しげに話しているイリスの姿。
……ここの所、ずっと避けられている気がする。
会話は事務的な報告の時くらいで、それも必要な話が終わればすぐイリスが俯いてしまい、何か理由を見つけてはそそくさとどこかへ離れていってしまう。
かと言って……俺の目の届かない場所には行かないし、時折向こうを見ると、高確率で目が合う。だから嫌われているわけではないと思いたいが……しかしその後バッと逸らされるため、疑問符が頭の中に踊りっぱなしだ。
「俺、何か避けられるような事しでかしたか……?」
「あー……まぁ、別に嫌われた訳ではないから安心しろ、な?」
「そうなのか? まぁ、お前が言うならそうなんだろうな、サンキュ」
こいつが、イリスの事で何か見落としたり見誤ったりはそうそう無いはずだ、そのソールが断言するのなら……そう自分に言い聞かせると、頬を叩いてひとまずのモヤモヤを振り切る。
先を見ると、いつのまにか街を抜けており、先頭を進む領主様が、その入り口でこちらに気がついた衛兵と会話中だった。
「お帰りなさいませ、レオンハルト様」
「ああ、皆も留守中ご苦労だった」
「それで……こちらの方々は?」
俺達、見知らぬ者の存在をいぶかしむ衛兵に、内心冷や汗を掻きながら頭を下げる。
「心配いらない、彼らは私の客人だ。先に伝令は遣ったと思うが……」
「あ、はい、承っております。言われた通り、部屋の支度も滞りなく」
「うむ、では……予定通り、少しの間人払いを頼む」
「はっ!」
ビシッと敬礼を返し、衛兵たちがそれぞれの持ち場へと戻っていった。
兵たちの手を借り、馬車から降りて来る女性陣の様子を視界の端でとらえながら、俺達も馬を降りる。さっと手綱を預かってくれた兵たちに馬を任せ、領主様に続いて入城した。
ちなみに、ハヤトはこの時点で「城の中とか堅苦しそうだから、馬の方を手伝って来る」と兵士達について厩舎の方へ行ってしまった。
……直前、アイニさんと何か目配せしていたように見えた気がするが、あの人は「あら、まあ」と微笑んだきり何も言わないし、聞きだせる気はしないので諦めた。
「へぇ……こうなっているのか」
景観を意識してだったのだろう。外観は美しく見えたその城は、中に入ると落ち着いた質実剛健な内装をしていた。
「さて、それではアイニ嬢、殿下たちのことは頼みます」
「はい。ではソール様、イリス様、疲れておられるとは思いますが、私について来てください」
そう言ってさっと二人の手を取るアイニさんに、戸惑いながらイリスとソールが引っ張られていく。
「あ……あの、どちらへ?」
「心配なさらないでください、ちょっとした検査ですわ」
「は、はぁ……」
そう戸惑った様子を見せながら、アイニさんに穏やかながら有無を言わさず連行されたイリスとソールが、廊下の先に消えていく。
ティティリアというらしい女の子も、何やら領主様と意味ありげな視線を交わすと「自室の様子を見てくる」と姿を消してしまい、あれよあれよという間に俺一人、領主様と共にこの場に取り残された。
……さて、俺はどうしたらいいだろうか。残った者同士話をしようにも、領主様の鋭い目つきはまるで怒りを湛えているように見えて、話しかけ難い。そう途方に暮れていると、ポンと肩を叩かれた。
「さて……特にやることも無いのであれば、君はすこし私に付き合ってもらいたい。構わないかな?」
「あ……はい、大丈夫ですけど」
「よろしい、ではついて来たまえ」
そう言って歩き出す領主様の後を、慌ててついていく。
――階段をいくつか上り、どうやら城内の関係者の部屋などが並んでいるらしき場所を抜け、渡り廊下を通過して……離れのひとつ、他よりも少し豪華な廊下へいつの間にか迷い込んでいた。
おそらくは、辺境伯家のプライベートな一角らしい建物へと連れてこられていたらしい。
「あの、領主様……一体、俺をどこへ……」
「レイジ君、と言ったね」
「は……はい!」
突如かけられた声に、ぎくりと背筋が伸びる。
そんな領主さまは、こちらのそんな様子などお構いなしに、立ち並ぶ部屋のドアの一つに手を掛け、扉を開いた。
そこは……書斎だった。おそらく領主様の物なのだろうが、蔵書量が半端ではない。
しかも、歴史に経済学、政治情勢について……お堅いタイトルの並ぶ部屋。
見るからに真面目で誠実そうなこの人は、この領地を運営するために、勉学も妥協していないのだろう。
「父上は出立前、君に何を言っていたか……もし良ければ聞かせてもらえるだろうか」
そんな書斎の棚……主に、歴史書のようだ……の一つの前に立ち、何かを探すように、綺麗に整頓されて並ぶ本の背表紙をなぞりながら、領主さまがそのようなことを言った。
「それは……」
そうだ、もしあの提案を受け入れることになった場合、この人は無関係ではないのだった。あの老剣聖の実の息子なのだから。
「もし俺があいつの……イリスの傍にずっと居たいのなら、自分の養子とならないか……そう、言われました」
「……やはりですか。っと、ありました」
そう言って、領主様は本の一冊を抜き取ると、手と視線で、ローテーブルを挟むように配置されたソファの一つに座る様に促したので、恐る恐る腰かける。上物らしいそのソファは、体重をかけると柔らかく体が沈みこんだ。
「さて、本題に入る前に、一つあなたの気持ちを確認させてもらいたい」
領主様が、本をテーブルに置くと、口元で組んだ両手で隠すようにして、真剣な表情でこちらを見つめながらそう口を開いた。
その目は一切の冗談を含んでおらず、その鋭い目つきに、ごくりと固唾を呑む。
「レイジ君……君は、あの子……イリスリーア殿下をどうしたい?」
「それは……っ」
聞かれるとは思っていた。
この人は、何故かこちらに一時期存在していることになっているイリスの、一時の親代わりを務めた人だ。
そんな人が、王族の家系であり、一時は娘同然の関係だったあいつに付き纏っている俺の存在を疑問に思うのは、当然なことだ。
だけど、どうしたいか……俺は……
「俺は……あいつが望むのならば、何だって……」
「違いますね」
びしりと、発言をシャットアウトされた。領主様の強面の顔の、切れ長の瞳が、まるで何もかもを見透かしたようにこちらを射抜く。
「そのような当たり障りのない言葉など必要ない。もう一度、お聞きします……
俺は……
俺は、どうしたい?
ぐるぐると思考が回る。
だから……難しく考えるのは、辞めた。
「……俺は……あいつの傍に居たい」
ぽつり、と言葉が漏れた。一度口にしてしまうと、次々と衝動が沸き上がってくる。
「そうだ……あいつから離れたくない、誰にも渡したくない……あいつは、俺のだ、俺が……他の誰でもない俺が! あいつを幸せにしてやりたい!!」
思わず立ち上がり、衝動のまま叫び……そこで、我に返った。
「あ……あれ、俺、すんません!」
やっちまった。侯爵相当の権力を持つ大貴族の前で、その国の王女を、一介の剣士が「俺のだ」などと、不敬に処されても文句も言えない。
慌てて頭を下げる。ダラダラと額から冷や汗が零れ落ちた。
「……ふ、ふふ、心配しなくてもいい……良い答えです」
しかし予想に反して、領主様は俯いて、口元を隠したまま肩を震わせていた……これはまさか、笑ってる……のか?
その様子に、はぁっと肩の力を抜く。何年か寿命が縮んだ気分だった。
「でも、あいつはお姫様で、俺はそういうのは特にないですけど……そういうの、やっぱり周りが認めないんじゃないですか?」
「それなのですが……実のところ……君は、既に彼女の隣に立つ資格は得ているのですよ」
そう言って、先程取り出してきた本を捲り、あるページでその手を止めると、本を開いた状態でこちらへ見せる様にテーブルの上に置いた。
「こちらは、現在まで残っている光翼族の資料の中で、最も信がおけると言われた書籍です」
見てごらんなさい、そう勧められて、本を手に取る。そこに記されているのは……
「……これは、アルヴェンティア、ですか?」
今の、俺の愛剣。イリスから託されたその剣の挿絵が入れられた文書だった。
「セイブザクイーン。あなたが、あの子から託された剣です。この文献が確かなのであれば……その刃を抜く資格というのは……その代の御子姫が、
「……それ、は?」
「あの子が、あなたを選んだ……という事ですよ。既にね」
「あ……え? ちょっと待て、それって……!?」
「もっとも……本人にその自覚があるかどうかは分かりませんけどね。本当にその立場に立てるかどうかは、今後の貴方の努力次第です」
「そうか……ああ、そうだな」
避けられている事が不安だったが、今でも剣はきちんと抜ける。
この剣を俺が抜けるという事は、あいつは俺の事を、少なくともずっと一緒に居ることを認めている位には信用しているという事で、今後そういう仲に進展させれるかは俺次第、と。
その事が分かっただけでも、今は十分だ。
「だけど、それだけを根拠に、他の人達が認めるんですか? その、王様とか、貴族の人達とか」
「はい。この書によると、元々、敬われながらも殆ど主権というものを認められていなかったらしい光翼族ですが……御子姫の一族の事についてだけは、本人の意向が最優先とされていたそうです。少なくとも、建前上は」
「それは……なんで、また」
「彼女たち一族の遺伝形質が……何故かは不明ですが、
たとえ他種族と交配しても、その御子姫と呼ばれた一族の子は、必ず光翼族の女性となる。
そんな一族が突如現代に復活した理由は不明だが……イリスがその性質を保持している可能性は高い。
あるいは、それはこの世界の護り手としての種の存続を維持するための機構なのかもしれない。だからこそ、彼女達の一族は、崇め奉られ、大事に大事に護られてきた。
それが、彼ら光翼族の最後の妥協できぬライン。
その存在だけは不可侵を認めさせ、絶対に他の民には好きにさせぬというのが、彼らの最後の支えであったらしい。
それをどうにか説き伏せ、それが無理と見るや強引にでも自らに当時の御子姫を嫁がせようとした大国が一つ、完全に彼らに見放されて一切の助力を受けることが出来なくなり、滅んだ事すらあるという。
「ゆえに、彼らが滅んでしまった今も、各国上層部にその思想は連綿と継がれています……御子姫、侵すべからず、と。そして、それは……国の意向よりも優先されます」
だから、彼女が誰かを伴侶としたい、というのであれば、それを外野が却下することは
「勿論、彼女を自分の家に、血筋に取り込みたい者はこの国に限らず大勢いるでしょう。周囲の者がそれで納得するとは限りませんし、数百年ぶりに現れた今も通用すると楽観的には思えません。しかも、それが名もない一般人とあれば、風当たりは相当なものだと思います」
それはそうだろうと思う。喉から手が出るほどに欲しいであろうその血を引くものを、ただの一般庶民にかすめ取られたなど、プライドの高い特権階級の者が許すとは思えない。
「しかし父上の養子となって当家の一員となるのであれば……一応は、文句も言えないだけの地位の後ろ盾があれば、その場は黙らせることも可能でしょう。その後守り抜けるかはあなた次第です」
「あの……なんで、そこまで……」
「勿論、家の……この辺境伯家とその領地の隆盛の為です。私は自分の家を、この辺境伯家を盛り立てる義務がありますから。我が家の養子が姫様と婚姻を結ぶのであれば、安泰というものです」
その言葉に、一瞬で頭が沸騰しかけた。まさかあんたもか、あんたですらも、あいつを駒にするのか、と。
しかし、その俺の様子……多分イリスの事で怒った俺の事を見て、僅かに嬉しそうな表情を浮かべた領主様に毒気が抜かれ、その熱が霧散した。
「……と、いうことにしておいてください。一時の間だけ親代わりになった事で情が移ったからといって、できれば政略ではなく本当に愛した者と結ばれて幸せになって欲しい、などと不敬なことは言えませんから」
「領主様……」
「……ああ、父上の提案を受ける決心がついたのであれば、兄と呼んでくださっても構いませんよ?」
「それは、その……考えておきます」
苦笑しながらそう伝えると、それで領主様は満足げに頷いてみせた。
「あの子も、あなたには全幅の信頼を寄せているようですし、私としても異論はありません……が、少し勉強もしておくべきでしょうね」
そう言って、胸ポケットから何かを出して、テーブルの上に置いた。それは……真鍮製の、鍵。
「この部屋の鍵になります。ここにある本は自由に読んで構いません。それに、私も時間がある時であれば、知りたいことがあれば教えましょう」
「あ……ありがとう、ございます……!」
「この先、あの子にはきっと様々な思惑が付き纏うでしょう……どうか、これからもすぐ隣で、あの子を助けてあげてください」
「はい……勿論です、その役目だけは絶対誰にも譲るつもりはありませんので」
「ふ……言いましたね? ですが、その役目にだけは……まだまだ、私も居座るつもりですけれどもね?」
く、くくっ、っと、どちらからともなく笑いが漏れた。
良かった……ここは、本当に、あいつに優しい場所だった――それが、たまらなく嬉しかった。
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