黒い翼の光翼族

 一晩休んで沈んでいた気も静まり、約束通り、昨日何があったかを話すために、屋敷の一室で座って皆が来るのを待っていた私達でしたが……


「来ないですね……」

「そうだな……」


 カチ、カチと一定のリズムを刻む時計の音。

 こつん、こつんと指でテーブルを打つ音。


 どこか緊張を孕んだ静寂の中で、それらの音がやけに響き渡ります。

 沈黙が辛い。頭の中はぐちゃぐちゃですが、何か話さないとと気が焦り、恐る恐る様子を探りながら口を開く。


「あ、あの……レイジ、さん……」

「……どうした?」

「……っ、いえ。なんでもありません……」


 どうしましょう、顔が全然合わせられません。なのに、視線がこちらを向いていないときは、ついついその横顔を目で追ってしまって……何ですかこれ、本当に、何ですかこれ……!


 ……どうにか元通りに戻りたいのに、結局また話しかける事に失敗し、がっくりと机に伏せる。


「……で? なんで二人とも、わざわざ私を挟んで乳繰り合ってんの?」

「そ、そんなんじゃ無いです……!」

「……何のことだ?」


 先程から机に頬杖をついて、もう片方の手でテーブルをコツコツと鳴らしている、とてもとてもとても不機嫌そうに言葉を吐き出した、私達の間に座っている兄様。

 その棘のある言葉に慌てて反論します。その奥、兄様を挟んで私と反対側に座ったレイジさんは何のことか分からないと、頭に疑問符を浮かべていました。


「しかし……遅いな」

「遅いですね……」


 気まずい空間の中、未だ来ない皆を待つ時間は、果てしなく長く感じました――……






 そんな時間がしばらく……時計を見ると十分も経過していませんでしたが……続いた頃、ようやく部屋のドアが開いた事に、私達三人から三様の安堵の溜息が漏れました、が……


「悪い、待たせたな」

「あれ、ヴァルター団長? それにほかの人は?」


 部屋に入ってきたのは、団長とアシュレイ様とレオンハルト様のみ。他の方の姿が見えません。


「悪いな、俺があいつらに頼んだんだ。とりあえず俺達だけに話して欲しい。心配しなくても、必要だと思ったら俺達からあいつらには伝えるさ」

「は、はぁ……」


 微妙に釈然としない物を感じつつも、促されるままに、昨日話せなかった事を話し始める。あの坑道で『傷』を浄化する際に見た記憶。


 ――あの場所にあった『世界の傷』は、生き残っていたらしき、闇を固めたように黒い翼をした光翼族によって、人為的に開かれたものであった。


 その事告げると、部屋に重苦しい沈黙が降りました。


「……それは……表立って公表はできませんね。私達だけを集めたのは英断でした……光翼族が『傷』を生み出して人々を害そうとしているとなれば、民衆は酷く動揺するでしょう」


 机に肘をつき、目元を両手で隠したレオンハルト様が、沈黙を破り、頭痛を堪えているかのような難しい顔でそう評する。

 何せ信仰対象にまでなっており、滅んだ今でもいつか現れる事を渇望されている程で、その影響力は、私自身が誰よりも強く感じています。

 それが、救いの手どころか敵として再び現れる……人々に与えるその衝撃は、いかばかりでしょう。


「……まぁ、言えないよな。先王……アウレオリウスの奴も、それを危惧して俺らに口外しないようにと厳命したんだからな」

「……え?」

「俺は……そいつに出くわしたことがある。黙っていて悪かったが、約束でな……尤も、事こうなってしまった以上はだんまりってわけにも、な」

「ご存知、だったんですか……」


 ヴァルター団長が、ばりばりと頭を掻きむしり、深くため息をついて……ようやく、口を開きました。


「ああ、そいつは……名前くらいは知っていると思うが、『死の蛇』と呼ばれている、とんでもねぇ化け物を従えた悪魔みてぇな奴だったよ」

「死の蛇……ヴァルター団長が昔、先王陛下と共闘して撃退した、あの?」


 北大陸を荒らし回って、ヴァルターさんが多くの仲間達の犠牲と共に撃退したという、災厄の怪物の名前。

 名前以外が殆ど不明でしたが、その傷跡は未だ根深く、壊滅させられた土地は今もなお封鎖されています。


 ……ちなみに、ゲーム時代には、その一部が『禁域』という名を地名に冠し、他とは別次元の難易度を誇るエンドコンテンツのレイドダンジョンとして存在していました。


「……なるほど、当時の生き残りの関係者は揃って口を噤み、あれだけの大災害だったにも関わらず、公開された情報が僅かだったのはそのせいでしたか」


 どこか得心がいったという様子で口を開くレオンハルト様。


「ただ……彼らは長命な種族ですが、流石に何百年も生きているとは考え難い」


 そう、光翼族は確かに人よりも寿命が長くありますが、それでも百五十年……長命だった者でも精々が二百年程度だったと言われています。

 それ以上は、代謝が人とほとんど変わらない以上、一日に十万個程度と言われている、日々脳細胞が壊れていく事は避けられないため、脳が持たないのだそうです。


「ですが、お二人が七年前と姿が変わっていないように、何らかの事情によってもし本当に当時の生き残りの光翼族が居たのだとすれば……我々を恨んでいるとしても不思議ではないでしょう」


 そう、沈痛な面持ちで語る。


 光翼族――女神の使徒、世界で最も尊ばれるべき種族、世界の癒し手。そう呼ばれて下にも置かれぬ扱いをされ、崇め奉られていた彼らでしたが……そこに自由はほぼ無いに等しく、その実、彼らの歴史の大半は隷属にも等しい物だったそうです。

 特に旧魔導文明期の末期にもなると、種の個体数が減り、希少性が増した事でその血が当時の権力者の一種のステータス的な扱いとなり略取され、最終的にはどうにもならないほどに数を減らして監視下に置かれ、緩やかにその姿を消していきました。


 その生き残りが居たとすれば、その恨みはいかばかりか……その片鱗を、私は昨日、身をもって思い知りました。


「はい……凄まじい怨嗟の感情でした……昏くて、怖くて……だけど、悲しい」


 一晩経った今になって思い出しても、血の気が引き、まだ少しカタカタと体が震えます。人は、これだけの恨みを溜め込めるのだろうかと。




 ――貴様ら、よくも……よくも――を……! 呪われろ、貴様ら全て、呪われてしまえ――!




 以前見た夢の中で聞いた怨嗟の声が、頭の中でリフレインする。

 僅かに記憶に残っている、夢の中の彼の激しい憎悪の感情。それは『傷』の浄化中に感じたものによく似ていて……その『死の蛇』が彼であるならば、きっとその憎悪は微塵も削れてはいないだろうと私は確信しています。


 そして、本当に彼であるならば……それはおそらく、私の……




「正直、その境遇については同情もするが……悪いが、俺は奴を見逃すつもりはない」


 思考の底に沈んでいた意識が、ヴァルター団長のその言葉で引き戻されました。

 ぱっと顔を上げそちらを見ると、私を見つめるその表情は言葉とは裏腹に心配げで、皆の前で黙り込んでしまった私が落ち込んでいるのだと思われたのでしょう。


「……たった一人の同族と敵対することになる嬢ちゃんには悪いとは思うが、俺たちだって、そんな過去の怨恨でむざむざ大人しく滅ぼされたいなんて思っちゃ居ないんだよ。悪いな」

「……いいえ、大丈夫です、ヴァルター団長。私も……同じ気持ちですから」


 心配しなくても大丈夫だと、首を振って答える。

 開拓村のおばさま達、傭兵団のみんな、それにこの町の人たちだってそう。まだたった二つの町を巡っただけではありますが、それでも多数の人々と交流を持ちました。

 今はもう、過去の出来事と関係のない人たちが、この世界では一生懸命生きています。過去に悲しい事があったからといって、今生きている人達が滅んでいいなんてことは思えない。


「本音を言えば……戦いたくはありません。ですが、話し合いができず、戦わなければいけない時は、私は……私も……」


 ――戦う。


 そう口にしようとした時――ふいに頭に置かれた手が髪をくしゃぐしゃにかき回し、頭をぐらんぐらん揺さぶられました。突然の出来事に呆然としていると……


「それを口にするのはやめとけ、お前には似合わねえよ」


 横から伸びてきた、レイジさんの手でした。気持ちが微かに落ち着くのと同時に鼓動が少し激しくなるというよく分からない事態に、あ……と声が漏れたきり、何も言えなくなる。


「……悪かった、あんまり思い詰めるな……嬢ちゃん、今、酷い顔していたぞ?」


 正面に視線を戻すと、飛び込んできたのはヴァルター団長の心配そうな顔。


「え、あ……そんな、酷い顔していました……?」


 私の言葉に、一斉に頷く周囲。

 慌てて、知らぬ間に滲んでいた涙を指で払うと、知らぬ間に強張っていた顔の筋肉をむにむにと手で解して、どうにか普段の形を作る。


「……ところで、その……『死の蛇』が開けたという『傷』は、今回のものだけなのか?」

「はい、おそらく。今まで見た他二つの『傷』は、形状はもっと複雑に罅割れた形でしたし、今回のようにこちらに呼びかけるような干渉はありませんでしたから」

「そうか……まだ積極的に行動してないのであれば良いんだが、居場所が掴めない、どこにまた現れるか分からないのが問題だな……」


 団長のその言葉に、再び黙り込んでしまった皆。


「……ん? 他に二つ?」


 そんな中、不意にレイジさんが、何かに気が付いた様に声を上げました。


「ちょっとまてイリス、俺らが見たのは前の開拓村と、今回、この二つだけじゃなかったか?」

「え? …………あ あぁ!?」


 しまった、直後色々あったせいで、すっかり言いそびれていました……!


「すみません、言ってませんでした! その、こちらの世界に飛ばされた直後にもう一つ、小さな『傷』を見つけて浄化していたんでした……!」


 まだ一人彷徨っていた時の事はあまり思い出したくない出来事で、レイジさんや兄様も積極的に触れて来ることは無いために、伝えるのを忘れていました。

 その後に見た二つの『傷』と違ってごく小規模だったせいか強敵もおらず、私一人でも対処できるファントム一体だけでしたので、すっかり忘れていました!


「父上……これは」

「……うむ。できれば、私もお二方が王都へ戻るまでは同行したかったのだが」


 急に、今まで以上に険しい顔で視線を交わすアシュレイ様とレオンハルト様。もしかして私、相当に大事なことをやらかしたでしょうか……?


「あ、あの……何か、気になることが……?」

「イリスリーア殿下」

「は……はいっ!?」


 びくっと体が跳ね、最近やけにされる説教を受ける時みたいに背筋を伸ばす……なんだかすっかりと怒られ慣れて、条件反射みたいになっている事に自己嫌悪です……


 しかし、予想したお叱りの言葉は無く、代わりに片膝を着き謝罪の姿勢をとったアシュレイ様に、目をぱちくりさせる。


「申し訳ありません、ソールクエス殿下、イリスリーア殿下。私ども黒影騎士団は、やるべきことが出来たため、護衛の任から外れさせていただきます」

「それは……西の辺境の調査ですか?」

「はい」


 兄様の言葉に頷くアシュレイ様。


 このローランド辺境伯領の西、私達が過ごした開拓村をも通り越えてさらに西に行った所には、未だ国境の曖昧な手付かずの深い針葉樹林、そして険しい山脈が広がっています。

 その森を越えた先には、僅かに帰ってきた冒険家の話によれば、少数の原住民や妖魔たちの集落が点在している極寒の地が広がっているとのことですが、厳しい環境に隔てられ、ほぼ未踏の地となっています。

 そして……誰も足を踏み入れないということは、そこで何が起きていても分からないという事。


「……わずか一日で行き来できるような距離での立て続けの異常、それも自然発生となれば、もしかしたら知らぬ場所で進行している何かがあるやもしれません。念のため、装備を整え次第皆を率いて調査に向かおうと思います」

「あの、でしたら、もしお手伝いできることがあれば、その旅に私達も……」


 一緒に……そう言おうとしたところで、すっと手で遮られました。


「気遣いはありがたく思います。しかし、あなた方にはあなた方の目的があるのでしょう? 後々にお手を煩わせることにはなるやもしれませんが、調査は私どもにお任せください」


 その目には、断固として、何が起こるか分からない辺境に私達を連れて行く気はない、という意志が見て取れました。


「イリスリーア殿下、父上の指揮下にある黒影騎士団の彼らは、こうした活動の専門家です、お任せしましょう」

「……分かりました」


 そう言われて無理にとは言えません、レオンハルト様に諭され、渋々と引き下がります。


「ですが、どうか必ずご無事でお戻りください。あなたは……私にとっても一時は祖父も同然だった方なのですから」


 本当は、当時の詳細は覚えていないため申し訳なさは募りますが……ですがこれも本心です。


「……勿体ないお言葉です。その命、しかと私の胸に刻みましょう」


 そう、ふっと表情をほころばせて見せたアシュレイ様に、私も肩の力をようやく抜くのでした。




「……ところでお主、レイジといったな」

「お、おぅ?」


 立ち上がり、部屋を出ていくかに思われたアシュレイ様ですが、突如足を止めてレイジさんへと話を振ります。急に声をかけられたレイジさんが、慌てて返事をする。


「戻ったら……お主、私に後見を任せる気は無いか?」

「俺が? なんで、また……」

「お主には見どころがある、粗削りな原石を私の手で磨いてみたい、そんな一剣士としての欲求とあとは……まぁ、孫同然に思っている可愛い姫様への老婆心だな……おっと、私は爺であったか」

「は、はぁ?」

「ふむ、ちと耳を貸せ」


 そう言ってアシュレイ様が、レイジさんの耳元で何かを呟いたみたいですが、生憎私達には聞こえませんでした。しかし。


「――ばっ!? な、な……っ」

「どうだ、悪い話では無かろう?」


 にやり、といかめしい顔に悪だくみをする少年のような笑みを浮かべるアシュレイ様。レイジさんの慌てぶりと言い、一体何を言ったのでしょう?


「……あ、ああ……確かに、そうだな……分かった、考えとく……ありがとな、爺さん」

「うむ、良い返事を期待しておるぞ」


 そう言って、今度こそ、アシュレイ様は部屋から出て行ってしまいました。




「……あの、レイジさん!」

「……ん? どうした?」


 顎に手を当て、ぼーっと何かを考え込んでいたレイジさんの目が、呼ばれてようやくこちらを向く……うぅ、直視できない……見られているだけで、緊張して、喉がカラカラになる。でも……


「……あの、れ、レイジさんは……さっき、アシュレイ様に、何を……言われたのですか?」

「それは……その……」


 少しの間、レイジさんは何かを迷うように視線を彷徨わせていましたが、すぐに、つい、と私から視線を外し、遠くを見るような目で口を開いた。


「お前はさ……この世界ではお姫様だろ? だから……もし帰れなかった場合、お前とずっと居たいのなら、相応の身分は必要になるのかなって」

「……え?」


 最後の方は聞き取れないような小さな声だったため、聞き逃してしまいました。もう一度聞き返そうとしましたが……


「……いや! 何でもねぇ、忘れてくれ! それより、出立の準備しねぇとな!」


 そういって、慌ただしく出ていったレイジさん。






 ――結局、その後お互いにギクシャクしてしまい、ほとんどまともに会話することができないまま……戦闘の後始末や出立の準備に追われる中、あっという間に二日が経過して、私達もこの町から出立する日となっていました――……

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