勝利の声は花散る中に

 ――目の前の一面に無数に咲き誇っていた白い花が、一斉に花弁を散らして風に舞い上がり、その姿を薄れさせていく……そんな幻想的な光景が眼前で繰り広げられていました。


 役目を終えた『ガーデン・オブ・アイレイン』の効果が消失していき、その影響で顕現していた花園は徐々に消えて元の荒野へと還り、聖域はまた閉ざされていきます。

 同時に、何か暖かな腕に抱かれているかの様な感触が離れていき、私の背中の翼も元の黄金色へと戻っていきました。


 剣戟の音はいつのまにか止み、もう聞こえてきません。


 そして……敵の首領であったトロールはだいぶ前に私達の手により地に沈み、念入りに私が施した浄化によってその体にもはや結晶は無く、再び動き出す様子は全くありません。


 今は、戦場全て、不思議なほどの静寂に包まれていました。


 ――勝っ……た……?


 そう認識したとたん、それまで張りつめていた緊張が一気に解けて、かくんと膝が折れました。

 転ぶ……そう思った瞬間、柔らかく抱きとめられる。


「おっと……大丈夫か? 疲れたか?」

「……いえ、安心したら、気が抜けて……あと、その、腰も……あはは……」


 恥ずかしい。あまりの締まらなさに、とりあえず笑ってごまかします。


 周囲の人達も、ようやく敵が居なくなったことを実感したのでしょう、徐々に、ざわざわと声が上がってきました。


「勝った……んですよね?」

「ああ、俺達の勝ちだ」


 後ろで支えてくれているレイジさんが、力強く頷きました。


「犠牲になった方は……?」

「それは、今ソールが確認しに……」

「いや、もう聞いてきた……味方の死傷者は、現時点で判明している限りでは……ゼロだ」


 一度下へ様子を見に行っていたらしい兄様が、翼をはためかせて戻って来て、そう教えてくれた。


 犠牲者、ゼロ。皆無事に乗り越えた。


「…………っ、はぁぁああ……っ」


 安堵から、大きなため息が出た。


「……良かった……本当に、良かった……っ」


 今度こそ、ずっと張り詰めていた物が切れ、支えてくれているレイジさんに体重を預けました。




 少しの間、そうしていると……ふと、ぱたぱたと階段を駆け上がってくる小さな音が近づいてきました。


「みんな、無事……みたいですね、良かった……!」


 姿を現したのは……先程、領主様と一緒の馬に乗っていたあの子……たしか、ティティリア、と呼ばれていた女の子です。

 身長は、私よりも少しだけ高い程度でしょうか。明るい金髪を肩あたりまで伸ばした、とても整った顔の可愛らしい女の子。

 まるで元の世界の制服のブレザーのような臙脂色の上着に、白いスカート。その上から右側だけ前面まで覆うような左右非対称のマントを羽織ったその姿は……確か、エンチャンター系二次職である『セージ』の職服、だった気がします。


「あの、あなたは……?」


 そんな彼女に声をかけようとしましたが、その時にはすでにその場には居ませんでした。


「領主様ー! こっち、こっちです!」


 私達の無事を確認して、すぐに踵を返した彼女がそう呼びかけた先から、一人の男性が階段を上って来ました。

 切れ長の瞳の特徴的な、基本しかめっ面みたいであまり表情を浮かべない顔。細身ながら華奢さは全く感じさせない体つき。

 黒い鎧を纏った姿はまさに黒騎士と呼ぶに相応しそうなその男性は、自らも最前線で馬上用の長剣を振るっていたにも関わらず、ほとんど汗もかいていなさそうです。


 ゲームだった時は「良い人だし美形なんだけど顔が怖い」、そういう評価が大半だったなぁ……と、苦笑が漏れそうになりました。いけない、いけない。


「ご挨拶が遅れました、不肖このローランド辺境伯レオンハルト、兵を率いて救援に参りました……ご無事で何よりです、両殿下」


 ビシッと敬礼を取り、しかし、すぐにその厳しく引き締めていた顔から力を抜き、ふっと相好を崩しました……多分。

 それでもその鋭い目つきは、まるで睨んでいるように見えますけれど……微笑んでいるはずです、多分。


「……本当に、ご無事で何よりです、イリスリーア殿下、ソールクエス殿下」

「あの……私達二人は……」

「記憶の混濁の件であれば報告は耳に入っております。色々と調べなければいけないことがあるという事も。ですが、そうした話は後に……人の耳の無い落ち着ける場所へ到着してからにしましょう」


 そうして、座り込む私と、そんな私をレイジさんと共に支えている兄様の前に跪いた。


「ですので……また、元気な姿を見られて良かった。今はそれだけで十分です」

「レオンハルト様……ありがとうございます」






「……さて、では、イリスリーア殿下には、やっていただかなければいけない事があります」

「私に……?」


 首を傾げる。そんな私を尻目に、レオンハルト様は、ツカツカと外壁の外側、皆が戦っていた側の縁まで歩くと、そこでこちらへと振り返りました。


「此度、皆が奮起し戦えたのは、そして生還できたのは、貴女様の存在があったからこそ……どうか皆に、勝利の宣言を」

「……ぅえ゛!?」


 驚いて変な声が出ました。

 彼はくっくっと、僅かに笑いを堪えながら、それでも断固として私にやらせたいみたいです。


「さぁ……皆に、元気な顔を見せてあげてください。姿が見えない貴女様が、無事かどうか気が気でないみたいですから」

「えっと、まだ心の準備が……」


 領主様が、そう促す。大勢の前に顔を出す事に躊躇うけれど……


「ほら、行くぞ」

「大丈夫、私らも一緒だ」


 渋っているうちに、レイジさんと兄様がそれぞれ私の手を取ってさっと立ち上がらせてしまう。そのまま外壁の縁へとエスコートされ外を覗き込むと……


「あ……」


 ――無数の視線が、こちらを見ていました。


 みな疲労の色こそ濃いものの、大半は、生き残って戦闘を終えた喜びの色を浮かべ、どうだと言わんばかりに誇らし気な顔をしているように見えます。

 視線が集中しているのに、怖くない。それどころか……嬉しい……うん、嬉しい!!


「お約束どおり、皆無事に生還いたしました……これで、開戦前の不敬は不問ですね?」


 前線で戦っていた騎士の一人……あれは確かウェーバーさん。女好きだから気をつけるようと、彼の同僚であるはずの騎士の方々から何度か指摘を受けたため、真っ先に覚えてしまった一人です……が、激戦にあちこちボロボロになったくたびれた様子で、それでも軟派に崩した敬礼を取りつつウィンクしながら宣ってきた。


「 はい……皆さん、本当に良く……良く、無事で……!」


 感極まって震えそうな喉を抑え込めるよう、大きく深呼吸をする。


「みなさんの力で、町は守られました……そして、全員、生き残ってくれて、本当にありがとう……私達の、勝利です!!」


 ――おおおぉぉぉォォオオオッ!!


 限界まで疲労していたはずの皆が、各々の武器を掲げ、ビリビリと大気を震わせるほどの鬨の声を上げていました。


 それ以上は、言葉に出来ませんでした。

 だから、嬉しさに頰を伝う涙はそのままに、頑張って笑顔を浮かべる。

 そこまでが、限界でした。兄様の胸に飛び込むと、さっとその外套に包まれ、視線を遮られた感触。


「……今度は、ちゃんと助ける事が出来たね……」

「はい……っ!」


 そう私だけに聞こえるように、喜色を滲ませて呟かれた兄様の言葉に、ただひたすら頷きました。


「皆、ご苦労だった。後始末は私達が引き継ぐ。皆にはゆっくり休息を取って欲しい。負傷者は……」


 レオンハルト様が、後を引き継いで指示を出しています。


 ――そうだ、まだ、私の仕事は終わっていない。


 そっと体をはなすと、涙を拭って立ち上がる。


「……もう、大丈夫なのか?」

「はい。行きましょう、坑道にまだある『傷』を浄化してようやく、ここでの役目は終わりです」










 ◇


 ――まったく、大したもんだ。


 眼前で繰り広げられている熱狂に、そんな事を思う。


 俺一人ではなんとか抑えるのが精一杯だった相手を、嬢ちゃんをはじめとした若い連中だけで倒しちまった。


 そして、味方全員が生還。この規模の戦闘でそんな話、聞いたことも無い。


 ――ただ、今回はうまくいったからこそ……今度また何かあった際に、折れたりしなけりゃ良いんだが。


 あの嬢ちゃんは、戦闘に身を置くには優しすぎて心配になってしまう。なまじどんな大怪我でも一瞬で癒してしまうために、救えなかった他者の死に敏感すぎ、臆病すぎる気がしてならない。


 そんな事を考えながら、熱狂から離れるように少し歩くと、探していた後ろ姿を見つけた。


 ――やっぱり、聞いておかなきゃいけねぇよな。


 気が重い。俺らしくは無いと思うが……避けられないと分かっていても、こういう日が来て欲しくなかったんだろう。


 そんな事を考えていると、目的の人物が、こちらを振り返った。


「お主か。見よ、このような光景は、私ですら目にしたことがない。長生きもしてみるものだ」


 その人物……師匠は、淡く輝く花弁が舞い上がり、宙に溶けて消えていく幻想的な光景を、目を細めて眺めていた。


「……師匠」

「もう、師匠ではないと言っておろうが」

「俺にとってはいつまでも師匠ですよ……何故、手を抜いていたんですか?」


 正確には、手を抜いてたというより、余計に出しゃばらず、後方からの支援と最後の砦役に徹していたのか、だ。しかも今回は、騎士団の制式剣のみを使用し、自らの主武装である腰に佩いた魔剣も抜いていない。

 それでも自らの仕事は完璧に全うしたうえで他者のフォローもこなしていた。他者の命を危険に晒すような手の抜き方をしていたわけではない。ないのだが……それでも、と思ってしまう。


「師匠。いえ、『剣聖』アシュレイ殿。あなたが、自らの魔剣を抜いて前線に出ていれば、まだもう少しはこの戦闘も容易かったのでは?」


 しばしの沈黙……目の前の光景をしばらく見つめていた師匠が、ようやく口を開いた。


「……それは買いかぶりというものだな。一人でできることは限界がある」

「それは、そうなんだが……」


 どれだけの剣の達人でも、例えば死を覚悟で複数の敵に取り付かれ、四方から剣を突き立てられれば死ぬ。どれだけ無敵の超人に思えても、一歩間違えれば死ぬときは死ぬのだ。


 あるいは……これは考えたくなかったのだが、のではないか、と。


「……馬鹿め、顔に出ておるわ。だが、おそらくお主の想像は外れておるまい……人は老い、病むものだ」

「……それは、分かっている……分かっていたさ」


 だけど……それでも、戦う術を与えてくれたこの人にすら衰えが現れ始める日が来るなど、考えたくは無かったのだ。


 が、だからこそ、聞いておかなければいけない。


「では、なぜ黒影騎士団などに。大きな戦も起きていない現状、そこは最も損耗率の高い部署だよな?」


 何故、師匠程の……昔はこの国の軍部のトップに居たほどの方が、このような日陰の外回りをしているのか。しかも聞くところによれば、それは本人たっての要望だったという。


「……体の動くうちに、国のために出来る事はしておきたくてな。特に、最近は不穏な空気が漂っておる。今回の件も、ここ一月で多数確認されている『放浪者』の件もそうだ」

「……放浪者、とは?」

「仮称だ。近頃、強力な戦技や魔法を持っているかと思いきや、精神的には戦闘慣れ……というより実戦慣れしていない、そんなどこかちぐはぐな者達が忽然と姿を現している。しかも、そのほとんどが、身元も過去も不明と来た」

「……心当たりはあるな」


 真っ先に思い浮かぶのはレイジと……あと、身元が明らかではあるが、ソール殿下やイリス殿下もか。あれだけ戦えながら、初めて会った際は精神的な躊躇からゴブリンにすら苦戦していた。


 一人や二人ならともかく、それが多数となると……やはり異常だ。


「……師匠は、それが悪い事の予兆だと思っているのか?」

「うむ、放浪者の方はさておき……なにやら話を聞くに、今回、それと少し前に西の開拓村でもこうした『世界の傷』が発生したらしいな」

「ああ、俺もいきさつを聞いただけだが……」


 ……一月足らずの間に、この狭い範囲に。精々が、四ヶ国合わせても数年に一件あるかという頻度だったはずの『傷』の発生数を考えると、偶然でなければあまりに早すぎる。


 だが……過去にも、短期間でいくつも発生する、そういう時が一度だけあった。それは、忘れもしない、『奴』の……


「……そのような事を聞いてくるという事は、お主。この戦闘で何か気になることがあったか」


 ぎくりとした。

 若い連中が倒してしまったあのトロールの事を思い出す。あれは中々に手強かった。対峙していて、あそこまで背中がヒリつくような戦闘は久々だった。


 ……しかし、それよりも、気になったことがある。


「ええ、まぁ……懐かしい匂いがした。最高に、忌々しいヤツの匂いが」


 具体的に何が、ということを言葉にできる訳ではないのだが……理屈とは別の場所、直感とか本能とか、そういうものが告げていた。あの忌々しい蛇の存在を。


「……『死の蛇』の事か。お主にとっては、戦友たちの仇だったな」

「ああ。今度出会う事があれば、今度こそこの手で……」


 グッと、拳を血が滲むほど握り締める。そうだ、あいつらの仇を取るまでは……


「だ~ん~ちょぉ~……っ!」

「……うおっ!?」


 突如背後から掛かった幽鬼のような声に、ばっと後ずさる。

 そこには、僅かに涙を浮かべた目でこちらを見上げる小さな影。


 ……なんだ、フィリアスか。


「馬鹿兄貴を向こうの支援に行かせたのって団長よねぇ……? おかげで、ものすっ……ごぉく、しんどかったんですけど!?」

「あ、ああ、悪い、すまんかった」


 思えば、二人でいるときは戦闘はゼルティスに任せて指揮に専念していられただろうに、それを向こうに送ってしまったから、こいつの負担は相当なものだったろうから拗ねるのも無理はない、反省だ。が……


「悪かった。お前なら大丈夫だと思って無理を言いすぎた、次からは気を付ける」


 手ごろな高さにあったその頭を、なんとなしにがしがし撫でながら言ってみると、険しい表情で睨みつけていた目がぽかんと丸く見開かれる。


「……え? 私なら大丈夫だと思ってたって、本当?」


 ……ん? そこに喰いつくのか? よく分からんが……


「当然だろう? 信用して無いならお前を副官なんかにしてないさ。少なくとも、今いる中で部下を安心して任せれられるのは、お前以上の奴は居ないと俺は思ってる」


 こいつは、戦闘センスや能力ではゼルティスに比べるとだいぶ引けを取るが、あいつはどちらかと言えば俺と同じ突撃馬鹿だからな……指揮を任せるなら細かく周囲を見て考えているこいつのほうが……


「……そっかー。それなら仕方ないなぁ……」

「……なんだ? 急にニヤニヤして。それより、撤収準備だ撤収準備。多分嬢ちゃん達は、このあと少し休んだら坑道に行くだろうから、そっちはお前とゼルティスに任せるぞ」

「あ、はい、分かりました! お爺様、すみませんが失礼します!」

「うむ、また今度、時間があるときにゆっくり話すとしよう」


 元気よく返事をして、師匠には一礼すると踵を返して嬢ちゃんらの方に向かったフィリアス。

 不機嫌だと思ったら、急に上機嫌になって……若い娘の考えていることはさっぱり分からんな、俺もオッサンになったんだな……としみじみと思う。


 首を捻りながら周囲を見渡すと……何故か、部下共がニヤニヤとこっちを眺めていた。


「隅に置けないっスねぇ団長」

「いまだ未婚なんすから、若い奥さん貰っちゃいましょうよ」

「馬鹿言ってんなよ、向こうは親と子ほども年齢離れてるんだぞ、こんなおっさんにゃ勿体ねぇよ」


 しかも才よし器量よしだ、釣り合うわけがない。

 正直言って団としては抜けられたら惜しいが……誰かと一緒になるならば、できればこんな血なまぐさい商売とは無縁の奴に嫁いで平和に暮らすべきだ。


「……やれやれ、こっちの方もちゃんと指導するべきだったか。とんだ粗忽者になりおって」


 背後からの声に振り向くと、肩を竦め、やれやれとため息をつく師匠。


 ……一体なんなんだ?


「そんな事より、俺達はこれから楽しい楽しい戦場の後始末だ、怪我してるやつぁさっさと嬢ちゃんに直してもらってこい!」

「えぇ!?今からっスか!?」

「横暴反対だー!」


 途端にブーイングが上がるが、無視だ無視。

 全く、一戦終わって気が緩みすぎだな、明日からの訓練は少し厳しくするか……そんな事を考えながら、仕事に戻るのだった――……



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