ディアマントバレー防衛戦線3

 意識が急速に浮上しました。


 酷く頭が痛むけれど、なぜか呪いの効果は既に体から抜けているらしく、行動に支障はなさそうです。


「アシュレイ様を中心に、集まって防御を固めろ! 守護魔法の効果が終了した者は、下がって後退、魔法隊は少しでも数を減らすか足止めをして、援護を!」


 必死に周囲に指示を出す、切羽詰まった声。どうやら今は抱きかかえられているらしく、ぼやける視界の中に、必死に周囲に指示を飛ばす兄様の横顔が見える。


 ……そうだ、寝ている場合ではない……っ!


「……兄様、一体どうなって……?」

「イリス! 良かった、目覚めたか…… 」


 緊張の滲んだ顔に安堵の色を浮かべた兄様に一つ頷くと、ふらふらするけれど、どうにか上体を起こす。

 まだ少し霞む目で周囲を見ると、壁に取り付き乗り越えて来ようとする敵、肥大化した爪や脚力で跳躍してくる敵などを、レイジさんが中心となって凌いでおり……戦況がだいぶ変化していました。


「脳震盪を起こしていたんだ。意識を少しの間とはいえ失ったんだ、無理はするな」

「私、どれだけの時間、意識を失っていたんですか……?」

「ほんの二分も経っていない。ただ、前衛の一部があの咆哮で硬直スタンしたり、中には呪詛受けて倒れ、前線が一瞬崩壊した」

「皆……は……怪我をした人は!?」

「大丈夫、君が最後に守護魔法を飛ばしたから、怯んだ隙に大きな負傷をした者は居なかった……戦線が、押し込まれてしまったのは痛いが……」


 ざっと視線を走らせ戦況を確認する。

 それでも、まだ耐えている、ギリギリの所でどうにか戦線を押し留めていました。

 敵の攻撃魔法がなくなった事で範囲攻撃の危険が薄れたことが幸いし、密集隊形を作って、アシュレイ様を中心に凌いでいました。

 問題は敵のボスですが、こちらは遊撃に出ていたヴァルター団長の一団が押し留めているようです。


 ただし、守る範囲を狭めて密度を上げ、門前の防御を固めた代わりに、手薄になった外壁に敵、ゴブリン達の成れの果ての怪物が取り付いているけれど……こちらも魔法を撃ち終えた黒影騎士団の方々が防衛に回った事で、押し留める事に辛うじて成功していました。


 ――良かった、まだ取り返しのつかない事にはなっていない。


 とはいえ、このままではいずれ崩壊するでしょう。ならば、私がすべき事は……


「兄様……レイジさんと一緒に、あのトロール……ボス戦の準備をしておいてください」

「イリス……?」


 兄様の訝しげな視線。私自身、よく分かって居ないのですが……何故か、なんとかなると、なんとかできると、そう確信をしていました。まだふらつく足で、立ち上がります。


 ――させない


 まるで何か優しい手のようなものに導かれるように、体が自然と動きました。

 何をすれば良いか、何となくわかります。両手を胸の前でぱん、と、柏手を打つように合わせます。


 そうして合わせた手をゆっくりと離すと、手の内に光が寄り集まって、以前一度だけあったと同じように、白く輝く杖が現れました。

 それを掴み取り、カンッと外壁の床へと突き立てる。


 ――絶対に、皆を無事に生きて帰す……!


 街に恋人を残して来ている、という方が居た。

 親の面倒を見るために衛兵になった、という方もいた。

 もちろん仕事だから、お金のため、あるいはなんとなく流されて……そういう人も当然たくさん居る。


 それでも、彼らは誰かを守るために踏みとどまって戦っている。


 皆、守りたいもの、帰りたい場所があるというのなら……やっぱり、放り捨てて逃げ出すのは、嫌……!


「――ここに、全ての傷、全ての呪縛、全ての悪意から救済を……開け、『聖域』……!」


 私の体を中心に、癒しと浄化の空間が顕界しようと――


 ――いいえ、まだよ。ほら、あなたの秘める力は、まだそんなものじゃない。


 不意に、声が聞こえた気がしました。優しく私を導くような声が、聞こえた気が。


 ――あなたの力は、いわば呼び水。あなたが使える力は、権限は、その程度じゃない。


 様々な眠っていたパスが『何か』へと繋がっていくような、加速度的に体内を巡る魔力の流れが勢いを増して行く感覚。

 背中が、熱い。今にも弾けそうな程の力が流れ込み、どんどん集まって行く。


 ――さぁ、準備はできた。あなたが望むことを、素直に口にしなさい。


 私の……望みは……


「……――願わくば、ここの皆を……守る力を……艱難かんなんを払う力を……っ! 顕現せよ……『ガーデン・オブ・アイレイン』……っ!!」


 私の背負った周囲を照らす光が、金色から純白へと変化しながら、爆発的に広がって戦場を照らし出していく。


「……これは、あの時の……っ!」

「あの白い翼か!」


 背後から、レイジさんと兄様の驚く声が聞こえますが、今は体の内から溢れ出る力を必死に制御するので精一杯。


 空気が変わりました。清浄な空間が広がっていきます。

 その影響を受けて、荒野だったはずの大地が、みるみる草花に覆われて行く。

 それは、傷ついた者を癒し、呪われた者を清め……皆と斬り結んでいる結晶の怪物達を弾き飛ばしながらさらに広がって行く。


 ひとたまりもなく押し出され、吹き飛んでいく結晶の怪物達。中には、それでも前進を続けようとしたため、耐えきれずに砕け散り、周囲に血肉を撒き散らす前に浄化され、肉片すら残さずに消え去った者も居た。


 ――ごめんなさい。


 微かに、まだ残っていた思念が伝わってくる。怨恨や苦痛の中に、安堵が微かに混じった彼らの思念が。


 以前の山賊の遺体から生まれた以前の敵とは違い、まだ彼らは辛うじて生きているのだと、ここで初めて知りました。

 そして、ここまで結晶に侵された以上、終わらせる事でしか救えないという事も。これ以上、苦痛を長引かせないように。


 そうして、瞬き数度程度の時間が経過した頃には、私を中心に、およそ二百メートルの範囲の大地が白い花弁を風に舞わせる花に覆われていました。

 そして、兵の皆と敵との間にそれだけの、態勢を立て直せるだけの空隙が開いていました。


「……っ、皆、今のうちに態勢を立て直せ!」


 慌てて放った兄様の指示に、目の前の出来事に呆然としていた皆が、慌てて動き出しました。

 傷も癒え、呪詛も抜けたその動きは軽い。万全の状態へと復帰した皆が、瞬く間に再度防衛の隊列を組み直した。


 そんな中、それでも『聖域』内に耐えて残っていた敵の首領、あの結晶の鎧を纏ったトロールの目が、私に向いていました。

 完全にこちらをターゲットされた。これだけの事をして、これだけ目立っているのだから当然でしょう。


 その巨体が宙を舞いました。驚くべき事に、兵達を飛び越えると、私達の居る外壁の上に降り立つ。

 なんて身体能力。単純な戦闘力で言えば、きっと今までこの世界で戦った経験のあるどの敵よりも強力なはず。


 ――だけど、これで良い。


 すぐに、レイジさんと兄様が、私の前に立ち塞がりました。背後には、ミリィさんやレニィさん、ヴァイスさん……仲間達の気配。


「……騎士のみなさんは、ここから降りて下の方々の援護をお願いします。しばらく皆の援護に手を回し難くなりますので……どうか、皆を守ってあげてください」

「で、ですが……」

「大丈夫、自棄になった訳ではありませんよ……皆を頼みます、アルノルトさん」


 彼の目が、軽い驚愕に見開かれました。


「覚えて、いたのですか……このたった数日の間に、我々の名前まで」

「はい。壁上に居たのは他に、ジェラルドさん、ボルドーさん、ジュリオさん、オリヴァルさん……それと、ルパートさん、でしたよね? 頑張って覚えました……命を預けた方々ですから」


 もっとも、少数精鋭の彼らだったからこそです。

 これ以上居たらこんなに短時間では覚えられませんでしたけどね、と苦笑いし、行くように促す。


「……分かりました。殿下、ご武運を」

「はい……あなた方も、ご武運をお祈りしています。もう少しだけ、頑張ってください」


 騎士の皆が一礼し、外壁の上から飛び出して行くのを横目で見送りながら、目の前の敵、結晶鎧を纏ったトロールへと向き直ります。


 ……先程、力を解放した際に、東の方から接近している多数の生命の反応を感じ取れました……救援は、本当にあと少し。

 それまで、絶対に誰も失わせない。光の杖を一振りして、感触を確かめる。


「レイジさん、兄様……行けますね?」

「任せろ」

「いつでも」


 打てば響くタイミングで帰ってきた返事に、こんな時ですが、ふっと笑みが漏れました。


「というかね、正直、全体指揮なんてもうまっぴら御免! 私はこのほうが、分かり易くて良い……!」

「ふふ……兄様、お疲れ様でした。そういえば、レイジさん……こいつには、借りがありましたね?」

「あ? ……あ、ああ、たしかに……そうだな、こいつには前の相棒を叩き折られた借り、返して無ぇよなあ……っ!」


 ふと思い出した因縁に、少し悪戯っぽくレイジさんに笑いかけると、彼はにやりと獰猛な笑みを返してきました。


 ――大丈夫、負ける気はしない。


「この敵は、私達で抑えます……!」

「ああ!」

「任せろ……!」


 さぁ……あの時、坑道での戦闘のリベンジです……っ!





















 ◇


「……あれ? あの、領主様! 向こうで何かすごい光ってるんですけど!」


 同じ馬に同乗している小柄な少女が、東の方を差して騒いでいる。

 乗馬できないというため、前に乗せているが……幸い軽いため、私の愛馬にとっては大した重荷ではないが、暴れるのはやめてくれと嘆息し、彼女の指す方向へ目を向ける。


 そこには、巨大な白光の柱が天を衝かんとばかりに立ち昇っていた。


「……あれは……悪いものではなさそうだが……」


 なんせ、馬が全く怯えていない。軍馬故に訓練はしているが、それを差し引いても全く怖がる素振りは無いので多分大丈夫だろう。

 それどころか、眺めていると、ここまでの長距離の行軍の疲労が軽くなって行く気すらする。

 しかし、それでも何かが起こっていることは間違いなさそうだ。


「急ごう。すまないが、また力を貸してもらえるか?」

「はい、任せてください、頑張ります!」

「それは……ありがたいが、その……」


 ……正直、この全幅の信頼、それと自惚れでなければ若干の慕情の滲んだ彼女の視線が苦手だ。不快なわけではないが、ただただ苦手だ。


 頼られた途端、ぱっと顔を輝かせたこの少女。

 年の頃は、何故か言葉を濁すので予想だが、見た感じ十三か、十四か……少なくとも、まだ成人はしていないだろう。


 たまたま領地の視察で遠出した際に、たまたま遭遇した盗賊団を捕縛する事になり……そのアジトに捕まって監禁されていた彼女をたまたま助けて以来、何故か気に入られたらしくこうして付き纏われている。


 しかし……何故、十以上も年の離れた少女に懐かれているのか皆目見当もつかないため、困る。

 どちらかと言えば女子供には怖がられる顔と態度を自認しているため、なおさらだ。


 ……まぁ、良い。身寄りの無い少女が、危機的状況を偶然救った人間の庇護を求めているだけだろう。


 外見的には非常に見目の整った少女だった。良く手入れの行き届いた肩口あたりで切り揃えた金の髪に、シミひとつ見当たらない白磁の肌。容姿だけであれば、どこぞの御令嬢と思えるほどの。


 ……以前、僅かな間だけ後見を勤めた「あの方」に匹敵しそうだな、とは思う。


 盗賊団に捕まった経験からか男が怖いらしい(何故か私は平気らしいが)が、しかし一方で、どうにも羞恥心とか男に対しての警戒心が薄く隙が多いため、時々騒動を起こすために頭痛の種となっている。


 ――だが……彼女は、間違いなく優秀な少女だった。かけられる迷惑を清算しても尚、お釣りが来るほどに。


 今も彼女が紡いでいる、聞いたこともない詠唱。

 魔法技術についてはこの世界で最も……とは言わないが、おそらく中央で沈黙を守っている『アクロシティ』に次ぐであろう、このノールグラシエ王国のであった自分にも、だ。


「……――ウヴェル解放ゴルド重力ツェンヴァ超越ラーナ疾駆―― ツヴァイヘンデル勝利のヴェルク道よバンシュ拓け!……『ウイニング・ロード』!!」


 空に橋が架かった。半透明な、突如空間に現れた橋が。

 それはぬかるんだ路面の森を飛び越えて、町の方へと一直線に伸びている。障害物を一直線に突っ切る事が可能だというこの魔法のおかげで、かなり移動時間は短縮された。


「よし。よくやった。騎馬の者は先行する……私に続け!」


 褒められて、腕の中で「えへへ……」と顔を綻ばせている少女に一言、飛ばすからしっかり掴まっていろ、と声をかける。


 密偵の報告では、あそこには、姿を隠されていた殿下達も居るという。


 ――どうか、ご無事で……!


 少女が私の胴にしっかり掴まったのを確認してから馬の横腹を蹴って加速、上空へ向かって掛かった魔法の橋を、配下の騎兵と共に駆け出した――……


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