夢の跡の君 -この世界のあなたと-

 空気を切り裂く凄まじい音と共に、一条の矢が戦場の上を駆ける。


「これで、最後……っ!」


 外壁の縁を握りしめて見つめる視線の先で、また敵が一体、ヴァイスさんの放った矢に射られて吹き飛んだのが見えました。

 その先に待ち構えていたかのように出現したハヤト君の短剣が閃いて、敵の中でも攻撃魔法を使用していた『角付き』の最後の一体が、血の海に沈む。

 その立役者であるハヤト君は既に姿を隠し、その場から離れているはず。


「向こうに居る彼に、合図を送ります! 『ピュニティブライト』!!」


 私が頭上に放った信号弾代わりの閃光。事前の打ち合わせで、これが見えたら私達の所まで引き返す様に言ってありますので、これで大丈夫なはず。


「よし、三十秒後、敵後衛に向けて一斉射、行くぞ!」


 兄様の指示に、壁の上に待機していた騎士たちが、一斉に詠唱を開始しました。

 もう足元の儀式陣は消えかけており、これがおそらく最後の大火力魔法による攻撃……そして、向こうのボス、あの結晶の鎧を纏ったトロールも動き出すはずです。


 ここまで順調に来たのは、ひとえに相手にまともな思考能力が無かった事、そしてなによりも慢心のおかげというのが大きいです。

 しかしここからは相手のボス、どのような能力を有しているか分からない相手との直接のぶつかり合いになって来ます。


 ――ここからが、本番。


「ミリィさん、『ライトニング・デトネイター』行けますか!?」

「ちょっと、残り魔力はキツめだけど、なんとか行けるにゃ!」

「……お願いします!」

「がってんにゃ!」


 背後で朗々と紡がれる、魔法詠唱の多重奏。

 やがて完成した術により、壁の上に六つの翡翠色と、一つの紫水晶アメジスト色の魔法陣が展開されました。


 ――これが、敵のあのトロールに、交戦前に痛手を与える最後の機会……!


 次の瞬間、敵のボスを中心に、周囲を巻き込んで複数重ねられた強烈な竜巻が、雷光を纏って吹き荒れました。

 無数の風の刃が乱舞し、その合間を眩い紫電が駆け巡る。中には、小さな影……細切れにされ、黒焦げになった生物の体の一部らしきもの……ゴブリンから変貌した結晶の魔物の、成れの果てが空へと吹き上げられて行くのが魔法により拡大した視界の中に見えました。


「だけど、まだ……終わりじゃない……っ!」


 見つめる先で、空間が、軋む。マナ・バーストが起きる。


 キィィン!! という、甲高い音が戦場に鳴り響きました。空間が振動する衝撃がビリビリとここまで伝わってくる。


 マナ・バースト『分解』、内部に存在する物質を崩壊させ、対象の物理的な防御を貫通し、相手を完全消滅させるほどの……効果範囲は狭い代わりに殺傷力に優れたマナ・バーストです。


「これなら、倒せないまでも、少しは……!」


 交戦前に、少しでも痛手を与えておきたかった。できれば最低でも、手足の一本くらいは。

 なぜなら向こうは……脆くなっていたとはいえ、坑道の床を素手で砕いたほどの打撃力を有する相手なのだから。


 固唾を呑んで見つめる先、暴風によって巻き上がった土煙の晴れた先に立っていたのは……


 ――五体完全に満足なままの、その巨体。


「うそ、『分解』の直撃を受けて無傷にゃ……っ!?」

「いえ、いいえ! たしかに効いてます!」


 相手の結晶の鎧が、いくらか剥がれているのが見て取れました。それは、現在もその一部が輝きを失ってポロポロと剥離していっています。

 おそらくあれが、蓄えていた魔力を消費して何らかの守護魔法を展開し、魔法を防いでいる……?


「あれは……まさか『アブソリュートAマジックMリアクティブRアーマーA』……っ!?」

「なんじゃそりゃあ!? イカサマにゃ! レベル詐欺も甚だしいにゃあ!!」


 絶対魔法反応障壁。高レベルのレイドボスが有していた、一定時間内に一定以下まで、魔法ダメージを防ぐ絶対障壁……まさかこんな物を……っ!?


 風と雷の乱舞する嵐を受けて、苛立たしげに敵のボスが攻撃の指示をだします。

 しかし、その指示を出す相手はもう潰しました。自分の指示に誰も従わなかった言葉で、ようやくここに来てそれに気が付いた鎧のトロールが、まるで怒っているかのように体をわななかせています。


 不意に、その目が合った気がしました。


 ――来る!


 敵が、大きく息を吸いこんだのが見えました。

 嫌な予感。そして、この世界に来てからずっと、そうした嫌な予感、背筋を這い回る悪寒が当たる確率は高いと、何度も身を以て思い知っていました。


「――『全ての害意を拒絶し、我らを守護する光、有れ……ワイドプロテクション』……っ!」


 咄嗟に私の放った魔法が、戦場を広がって、兵たちを包み込んでいきます。


 ――その代償に、自分の耳を塞ぐ機会を失ったという失敗に気がついた時には、すでに手遅れでした。


『グゥルアアアアアアアアアアアアァァァアアアアア!!?』

「〜〜っ、くぅ、あ……っ!?」


 ――凄まじい衝撃が、脳を貫き揺さぶった。


 急ぎ放った防護魔法が戦場の皆に行き渡った瞬間、耳をつんざくすさまじい轟咆が炸裂した。

 音の爆弾と言うべきそれが、耳を、鼓膜を貫通して脳に浸透した振動が、平衡感覚を奪う。

 かろうじて胸壁に手をついて倒れこむのは防ぎましたが、そこまで。ズルズルと、壁に沿ってへたり込む。


 ――きもち、わるい。視界が、回る……っ!


 だけど、この気分の悪さは、それだけではない。まるで脳を犯されているような壮絶な不快感に、全身を襲う氷水のように体を駆け巡る寒さ。


 全身から、力が、抜ける……意識が遠退く……これは、以前戦った敵と同……じ……


 呪……い…………?





















 ――気がついたら、真っ暗な場所に立っていました。


 いえ、暗いだけではない。顔を上げると、一面、満天の星空。目が慣れて来ると、十分な光量が、空の月と星から降り注いでいました。足元ではさわさわと足をくすぐる感触。


 そこは、心地良い柔らかな風が吹く、草原の広がる丘の頂上でした。


「……ここ、は……?」


 ……見覚えは、うっすらとですが、ありました。

 いつか見た、少年と少女の夢。今の私と同じ、虹色の燐光を纏う銀色の髪を持った女の子が、少年と寄り添って星空を見上げていた、あの場所。


『――ごめんなさいね、大変な時に呼び出してしまって』


 いつのまに、そこに居たのでしょうか。

 彼女が私のすぐ目の前に居ました。私と同じ髪色の、夢で見た彼女。

 レースやフリルで飾られた、穢れの無い純白のドレスを身に纏い、柔らかく微笑んでたおやかに佇むその姿は、私なんかよりもよっぽどお姫様みたい。


 ……不思議な感覚。起きている時はすぐに霧散して、そのほとんどを忘却していたはずの夢の内容が、ここでは鮮明に思い出せる。


 彼女は、夢の記憶よりはだいぶ大人びていました。今は二十代半ば程に見えます。

 しかし、どこか、いまだに幼い少女のように悪戯っぽい色を湛えた、それでいて見る者を穏やかな気分にしてしまう柔らかな微笑みは……紛れもなく、あの夢の中で見た女の子でした。


『ふふ、ようやく逢えた。何度か、私の記憶にアクセスしていた子……よね?』

「アク、セス……じゃあ、やっぱり……ご、ごめんなさいっ!」


 つまり、あの夢は……彼女の記憶を盗み見していた……!?


 そうと知ると、とたんに申し訳ない気持ちで一杯になって来ました。


『あら、気にしなくていいわ。おかげでこうしてお話が出来るようになったんだもの』


 ですが、本当に気にしていない風に呑気に笑っている彼女に、ほっと一安心します。


『……それに、あなたにはその権利もあるからね』

「……権利? あなたは、一体……?」

『その話の前に、聞かせて欲しいのだけれど』


 それまでの笑みを引っ込め、真剣な顔になった彼女。


『あなたは、逃げようとは思わないの?』

「そんな、事……!」


 咄嗟に荒げた声が、すぐに尻すぼみになって消えていく。


 逃げたい。

 どれだけ取り繕っても、戦場に出るのは怖い。

 必死になって自分を鼓舞しても、ずっと、逃げたくて仕方がなかった。


 だけど……


「……出来ません、そんな、無責任な事……」

『何故?』

「何故……って……」

『彼らは、あなたにとって大して接点があるわけではないでしょう? 何故、この世界自体に馴染みの薄いあなたが、彼らの命に責任を持たなければいけないの?』


 ぐっと言葉に詰まる。

 たしかに、その通りです。今まで戦ってきたのだって、突き詰めれば、その時その時の話の流れでしか無かったはず。

 玲史さんと、綾芽と……この世界の人々に余計に関わらず、ただ元の世界に帰る方法を探す事に専念したって、構わない筈なのに。


 …………何故?


「何だか、嫌だから……でしょうか…………?」


 ……ただ、目の前の人を、見捨てたくなかった。そんな、捉えようによっては傲慢なわがまま。

 結局、考えてみても、出てきた答えはそんな漠然としたものだけでした。


『……あのね、これは忠告。あなたのそれは、きっとあなたをいつか辛い目に遭わせる。残酷な選択を迫る時が来るわ。それでも?』

「……はい」

『損な性分ね……まったく、誰に似たのかしら?』


 頰に手を当てて、困ったように苦笑する彼女。だけど、そこには、隠しきれない疲労と諦観の色が滲んでいます。


 ――きっと彼女もそうやって、たくさんの人の命を背負ってしまったのだ。彼女は優しすぎたから。


「……本当に、困ったものです」

『まったくよ……そんな所が似る必要はないでしょうに』

「……え?」


 徐々に小さくなっていった彼女の呟きが、うまく聞き取れませんでした。

 けれど、なにか聞き捨てならなかったような気がして、思わず聞き返しました。


『ううん、何でもない。さて、いつまでも引き留めていてはいけないわね』


 あっさりはぐらかされ、とん、と、額に彼女の暖かい指が押し当てられました。そこから、じんわりと伝わって来る、暖かい何か。


『私、――の名において、あなたを次代の御子姫に任命します』


 また、彼女の名前だけが聞こえませんでした。

 だけどなんとなく、半ば確信じみた憶測が湧いて来る。おそらく、彼女は、私の……


 そんな思考が明確に形を成す前に、彼女の指が離れていきました。どうやら、何らかの施術は終わったみたいです。


『これでよし。継承は成されました。これで、あなたの御子姫の力は今度こそきちんと目覚めたはずよ……もっとも、最初は一部の力しかうまく引き出せないと思うけどね?』


 慣れよ、慣れ、と、あっけらかんと笑う彼女。しかし、すぐに真剣な表情で、私の両肩を掴んで来ました。


『だけど、役目に囚われないで。自分を捨てるなんて馬鹿な事は、絶対しないで。私達みたいになっては駄目』

「……はい」

『うん、いい子いい子』


 優しく頭を撫でる感触が、心地良い。

 完全に子供扱いされているのに、不思議と反発心が湧いて来ない。むしろ、もっと触れて欲しい、甘えたい、そんな気持ちがこんこんと湧き上がってくる。


「……あの!」


 ずっと、気になっていた。

 白の書……を、封じた魔本。

 てっきり、その封じられた魂とは、目の前の彼女のことだと思っていました。


 だけど……違う?

 それなら、封じられていた魂は、誰?

 最後と言うからには、彼女の後にまだ誰か居た筈……それは、誰?


 彼女を見ていると、泣きたくなるほどの懐かしさと寂寥感を感じるのは……彼女を、どこか求めている気がするのは……何故?


「……あなたは、もしかして、私の……お母……」

『いいえ』


 被せるように、きっぱりと否定されました。

 ですが、そっと伸びてきて頰に添えられた彼女の手が、優しく私の顔を撫でています。まるで、私の存在を確かめるかのように。


『……あなたには、そう呼ばれるに相応しい、お腹を痛めて産んでくれた人が別に居るのでしょう? 私は……ちゃんと……できなかったから』


 そんな彼女の目には、涙が浮かんでいました。




 ――お願い、返して、私の、私の『赤ちゃん』、返して――っ!




「……っ!?」


 脳裏に浮かんだのは、少し前に見たあの夢の光景。

 今穏やかに話をしている彼女には似つかわしくないほど取り乱し、必死に手を伸ばしている、あの記憶。


「違う……違う! やっぱり、あなたもです! あなたも私の……っ!」


 止められない。激情に似た感情が、必死に声を紡ぐ。


「だって……あんなに、辛い、悲しい思いをしてまで想ってくれた人が、他人な筈はない、です……っ!」


 他人なんかじゃない、そんな風に思って欲しく無い。ひっく、ひっくと、嗚咽が止まらない。


『……そっか、あなたは、あの記憶も見ていたのね。それじゃ……ひとつ、お願いしていい?』

「……はい……はい、私に出来ることであれば、何でも……!」


 ……そう言って、彼女にされたお願いは……本当に他愛も無いものでした。


 本当に、困った人です。流れた涙をそのままに、どうにか微笑み返しました。

 そして、彼女の頼み通り……だけど万感の思いを込めて、を口にしました。


「……はぁ……これ、結構恥ずかしいですね……」


 それに、とても緊張しました。まさか、またそう呼ぶ事ができる人に会うなんて、思ってもみなかったから。


「……だけど、嬉しかったです」


 照れ笑いをしながら、率直に感想を述べると……彼女はとうとう、涙を零し始めました。とても暖かな涙を。


『……ありがとう、その言葉だけで、私は充分、救われました』


 それでも、泣きながらも、花が綻ぶような彼女の満面の笑顔にほっとして、私も笑います。


 そのまま、しばらく私を撫でていた手が……やがて離れて行きました。暖かな感触が消えて行く事に寂しさを感じますが……戻らなくてはいけません。私には、やらなければならない事があります。


 寂寥感を振り切って、一歩後ろへと下がる。たちまち、視界がぼやけ、世界が輪郭を失っていきます。




 ――ここは、夢。




 きっと彼女の事も、目が覚めたらほとんど忘れてしまうのでしょう。

 これは、ほんの僅かな間だけの、文字通りの夢のような邂逅。


 だけど……きっと、またいつか。


『それじゃ、またいつか会いましょう。それと……』


 不意に、彼女の声に、硬質なものが混じりました。


『アクロシティには、その中心に居る者達には気をつけて。彼らは間違いなく世界を守るために存在するかもしれない。だけど……それは、あなたを幸せにするとは限らないわ』


 その警告に返事をしようとしても、もう声すら出せません。代わりに、ひとつ、頷きます。


 彼女ほどの優しい人が、気をつけるようにと警告する程の事。

 おそらくここでの事は、帰ったらほとんど忘れてしまうのでしょうが、それでも僅かにでも覚えていられるように、強く心に刻み込みます。


『それじゃ……どうか、あなたの道行く先に、幸多からんことを。幸せにはなれなかった、私達の分まで――……』










 ――会えて良かった。私の……可愛い…………








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