覚悟

 門から外に出ると、こちらも初めてこの町に来た時に比べると、すっかり様変わりしていました。


 外壁のすぐ前には、幾重もの、尖った先端を外に向けた杭の柵が陣取っており、外に出てしばらく平野を歩くと現れるのは、外壁と並行に掘られた細長い穴……始めは塹壕かとも思いましたが、これは落とし穴ですかね?


 そんな傍に、この場には不釣り合いな、小柄な少年……ハヤト君が佇んでいました。


「ハヤト、そちらの進展はどうだ?」

「ああ、兄ちゃん達……と、姫様も。無事に元気になったんだな、良かった」


 兄様の声に振り返ったハヤト君が、私の存在に気がつきました。

 そうだ、レイジさんが言うには、彼は私とアイニさんが攫われた際に、身を呈して逃してくれたとの事でしたね。


「はい、おかげさまで……ハヤト君が助けてくれたって聞きました」

「いや……結局俺もレイジ兄ちゃんに助けられたし……」

「いいえ、それでもあなたが居なければ、こうしてまた皆に会えなかったかもしれなかったみたいだから……本当に、ありがとう。だけど、あまり無茶はしないでくださいね?」


 心の底からの感謝を込めて、にこりと微笑んでお礼の言葉を口にする。


「……別に大したことじゃねぇし」


 ……あら、すっかり照れてそっぽを向かれてしまいました。お礼を言われ慣れていなさそうなその様子が微笑ましいものに見えます……もし弟が居たら、こんな感じでしょうか?


「……ああぁぁあっ!! それで、進展だったな! まぁ、見ての通り順調に進んでるよ……っと」


 周囲の生暖かい視線に耐えかねたのか、突如大声を出して強引に話題を修正するハヤト君。そうでした。現状確認の途中でした。


 周囲を見回すと、兵士や傭兵団の方々だけでなく、町民の、有志による協力者……おもに鉱夫らしき筋骨隆々とした人たち……が、落とし穴をそこら中に掘っています。それなりに深く掘られた穴の底には無数の杭が敷き詰められており、明らかに殺傷目的のものです。そんな中ハヤト君は、手にした紙の札に何か書いては落とし穴の中に放り込んでいました。


「ハヤト、それは?」

「これ? 衝撃が掛かると爆発する符。兄ちゃん達に聞いた敵の話からすると効果は微妙だと思うけど、多少でもダメージと、足止めになれば幸いってね」

「……たしかに、以前の襲撃の際の連中の動きは意思の感じられない単調なものだったからな。倒すのは難しくても、歩みを遅らせることは可能かもしれない」


 今回は相手が相手ですので、落とし穴で倒せると楽観視はしていませんが……以前のように、ただひたすら目の前の敵を襲うだけなのであれば、その速度を遅くすることが出来れば上等、ついでに何体でも数を減らせれば万々歳……ということらしいです。


「それにしても……それも見た事の無いスキルだな」


 兄様が、ハヤト君の描いている符を興味深そうに見ています。かくいう私も少し気になっていました。


「……俺の職は、アサシンの上のユニーク職、『ニンジャマスター』。二次職のアサシンを少し攻撃的にしたスキル以外に、こうして色々な札とか作って攻撃や妨害とかもできるんだ……悪かったよ、隠してて」

「いいえ、それはお互い様ですから」


 私もまだ、彼に自分の事を隠しています。彼だけではない、この町の人、協力してくれている人全員に。

 止むに止まれぬ事情はありましたが……けれど、これから行われる戦いで、隠したままという訳には……


「あら、皆さんこちらに居たのですね。イリスちゃんも、無事に快復したようで良かったですわ」


 そんな事を悩んでいると、おっとりした優しい声が町の方から聞こえました。そちらを見ると、こちらに歩いて来る人影。


「あ、アイニさん。お薬、ありがとうございました」

「いいえ、それが私の仕事ですから……少し強めの薬を処方してしまったけれど、ごめんなさい、飲みにくかったですわよね?」

「それは……ええ、そうですね、とても。ですが、おかげでこうしてすっかり良くなりました、ありがとうございました」


 今も鮮明に思い出せるあの薬の味を思い出して、苦笑する。

 ですが、こうして大事になる前に復調できましたので、我慢して飲んだのも無駄ではありませんでした。


「……それで、アイニ嬢。診療所で負傷者の対応をしていたあなたがこちらに来たという事は、何か連絡ですかな?」

「ああ、はい、そうでした……こほん」


 一つ咳払いすると、すっと真面目な表情になりました。つられて私達にも緊張が走ります。


「領主様の率いる主力部隊は、三日後の午後、くらいに到着予定だと、連絡がありました」

「それは……まさか、辺境伯直々に?」

「はい、それだけ私達の報告を重く受け止めて頂けたようで、相応の戦力を率いて来てくださるようです」


 それは朗報でした。そもそも防備の必要な場所に領地を持つ辺境伯は、基本的に、人格、能力共に国王の信が厚く、そんな方が率いている者たちも同様に精強です。

 その辺境伯自らが兵を率いてきたという事は、相当な戦力と見ても良いでしょう。


 ……私達が居るせいかもしれませんが。現在のローランド辺境伯は、傍らに居るアシュレイ様の御子息で、一時は私達の後見人であった方ですし。


「……では、私達の主な仕事は、その救援が到着するまでの間、町を守る事ですね」


 無理に私達だけで勝つ必要は無い。予定通りであれば三日後、救援が来るまで可能な限り損耗を押さえて耐え凌げばいい。

 そしてここ、この町の西門は国境側に存在し、そのため外敵から守るに易い場所です。


「はい。敵襲より先に救援が間に合うというのが最善なのですが……ガンツさんの予想では、僅かに、向こうが動き出す方が早いのではないかと」

「ここに駐留している者だけでの交戦は、避けられないのですね……」


 であれば、私も自分の能力を隠し通すわけにはいかないでしょう。予想より早く訪れただけで、いずれ必要になる事でした。来るべき時が来た、というだけ……そう自分に言い聞かせる。


「心配なさるな。我ら一同、殿下の身は必ず守り通します、それが何が相手であったとしても」

「アシュレイ様、それは……ありがたく思います。ですが私は……」


 自分がお姫様だなんて自覚はありません。自分がそれに足る存在だとも思えてはいません。

 だけど、この先はもう後戻りはできなくなるのではないか、『イリスリーア』として彼らの助力を受けてしまえば、私は……この世界の、この国の王女『イリスリーア』という存在として固定されてしまう気がして、怖い。


 そんな恐怖心から来る震えを察せられてしまったのか、老騎士の無骨な手が、そっと肩に置かれました。


「……国王陛下より、お言葉を預かっております。『民を害するような事さえしないのであれば、今しばらく好きにやってみるがよい……ただし、どの道を選ぶにしろ、そのうちに、無事な顔を見せにだけは来るように』……そう、仰っておられました」

「陛下……そのような……私達の事、ご存じだったのですね」


 この国の情報網の優秀さは分かっていたつもりでしたが……あくまでも、つもり、だったらしい。すでにこちらの事を掴んでいて、その上で自由にさせてもらっていたようです。


「はい、以前は人形のようにただ言う事に従うだけであった殿下を、国王陛下は痛ましい物を見る様にしておりました。ですが、今は自らの意志で行動しているのならば、しばしの間、見守ろう……と」


 ……そういえば、いつだったかに見た夢をふと思い出す。


 何もかもが現実感が伴わず、空虚に過ごしていた日々の記憶。その末に、ここは私の世界ではないと、躊躇いも無く行方を眩ませた。この世界にも、心配している人は居たのに。

 記憶はおぼろげで、何故そのような記憶があるのかも不明瞭だけれど、きっとあれも本当にあった出来事だと……理由は分からないけれど、感じる。


 その夢の中に、悲しげな眼差しで私を見ていた、私の庇護者であった男性……彼が、現国王陛下だったのでしょう。


 そして今、自分勝手に姿を眩ませ、今でも自分の身の振り方も決めれない小娘を、答えが出るまで待っていると、そう言ってくれている。


 ――覚悟を、決めよう。王女なんて柄ではないし、権力に組み込まれるのはたまらなく怖いけれど……


「……手の空いている方々を、集めてもらえますか?」

「イリス……いいのか?」


 兄様が、心配そうに私の顔を覗き込んでいます。

 恐怖心は当然あります。だけど……初めてこの町に到着した時を思い出す。


 ――もしかしたら、躊躇っていなければまだあの時何かできたのではないか。被害を減らすことはできたのではないか、と。


 分かっています。あの時は、あれ以上のことはできませんでした。所詮は、たらればの話でしかありません。

 だけど……今度は、躊躇う事で助けられた筈の人を、助けられなくなるかもしれない。その方が、よほど恐ろしい。


 だから……迷いを振り切って、頷きました。


「はい。そもそも、出し惜しみできる状況ではありませんし、いざ何か必要な事態になるまでひた隠しにして、緊急時に無用な混乱を招くよりは……皆を信じ、全てを伝えましょう」

「……わかった。君が決めたのなら、私は止めない。申し訳ありません、アシュレイ殿。大事な話がありますので、兵たちを集めて頂きたいのですが……」

「……承知しました。皆の者、すまないが、どうしても手を開けれぬ者以外は皆大会議室に集めよ。これは私、『黒影騎士団団長代行、アシュレイ・ローランディア』の命である……と」


 その言葉を受けて、私の護衛をしてくれていた騎士たちが、方々に散っていく。


「……レイジさん。に……綾芽」

「……ん?」

「……何だ?」

「いざというときは……私を攫って、一緒に逃げてくれますか?」


 緊張に震える表情筋を抑え込み、どうにか笑顔の形を作ると、冗談めかして両隣に陣取る二人に告げる……祈りにも似た気持ちを圧し殺して。


「当然だろ、馬鹿野郎」

「絶対、一緒に行くからね」


 そう、当然のことのように言われ、ごん、ごん、と痛くない程度に軽く頭を小突く二つの感触に、不思議と顔の緊張がほどけ、自然に笑みが漏れるのでした――……











 大きな卓が中央に設置された大会議室は、集められた衛兵達によってごった返していました。

 対面しているのは、私と兄様とレイジさん、それと立場上、この中で最高権力を持つアシュレイ様。

 そして、私達を代表し、兄様が衛兵の皆に事情説明をしていました。


「――今回の騒動、その原因は、この町の付近に発生した『世界の傷』にあります。以前の襲撃の際の、おかしな動きのゴブリンの群れ……あれもまた、その影響を受けた者達になります」


 以前、会議に集まった時には、突如の魔物の襲撃によって話しそびれてしまった……あるいは、士気面への影響を考えて話さなかったか……というその事を告げると、ぴしりと、会議室の中の空気が凍った気がしました。


「……で、では、それでは! この町は、放棄しなければ、ならないのではないですか……!?」


 衛兵の一人から、悲鳴じみた声が上がる。


 たとえ魔物達を倒しても、またいつかは新たな脅威が現れる。

 あるいは、周囲の生物を取り込み、変質させ、世界に仇為す敵へと変えてしまう。それは……人々も、例外ではありません。


 故に、『世界の傷』が発生したら、人はその一帯を封鎖し、逃げるしかない。そうしてこの世界は生存圏を狭め続けて来た。あれは、それほどの脅威です。


 ――対処できたはずの者達が、滅んでしまったから。ですが今は……


「……いいえ、その必要はありません」


 かぶりを振って兄様と二人、被っていたフードを取り払います。隠れていた顔が皆の眼前に晒され、周囲から感嘆の声が漏れる……うぅ、突き刺さる視線に腰が引けます。逃げたい。だけど、逃げちゃ駄目です……!


「……まさか……イリスリーア、殿下……?」


 誰かが呟いた一言に、ざわめきが沸き起こる。


「では、こちらの騎士様は兄君の……」

「本当だ、肖像画で……」

「だが、二人とも行方知れずだったのでは……」

「それに、姫様は天族のはず、ならば翼は一体……」


 際限なく広がるざわめきに、言葉が詰まります。けれど、両脇に控える兄様とレイジさんが軽く肩を押しました。そうだ、そのために、今、ここに残る事を決めたのだから。一度、瞳を閉じて、大きく深呼吸し……言葉を発します。


「……私達は、この数年間、別の人物、別の姿で、別の世界に居ました。それが、行方不明になっていた理由です」


 私がそう切り出した言葉に、周囲のざわめきが多くなりました。そのほとんどは、「急に何を言い出すんだ」と言いたげな訝しげなもの。


「……何を突拍子もない、と思われるのも、もっともです。ですが、それは事実で……向こうへもう一度渡る手段が見つからない以上、信じてもらうほかありません。ですが、今回皆様に話しておきたいのは、それとはまた別……この町の防衛に関わる話です」


 横に控えていたアシュレイ様に目線を送ると、彼が一つ頷いて、口を開きます。


「現在、領都から連絡があった。援軍が到着するのは三日後。そこまで耐えれば、私達の勝ちだ」


 その言葉に、安堵の空気が流れ始めるが、すぐにまた沈痛な物へと変化する。


「ですが、『傷』の方は? 大元が残っている限り、いずれまた……」

「……いいえ、そちらもどうにかなります。先程、私は天族だった筈ではなかったか、翼はどうしたのか、と聞かれましたね? ……その答えが、こういう事になります」


 そう告げて、目を閉じて背中に集中する。途端に、息を飲んだように静かになる周囲。

 ゆっくりと目を開けると……部屋に舞い踊っている無数の光の羽。

 そんな中、信じられないものを見た、そういう表情で固まっている皆が居ました。


「……殿下……その……翼は……っ!?」


 沈黙の中、最前列にいた衛兵の方が、絞り出すかのような声ででそう疑問を投げかけて来ます。


「……はい。今の私は数奇な過程を経て、『光翼族』となって、ここに居ます……重ね重ね、隠していて申し訳ありませんでした」

「この件は、できるだけ内密にお願いしたい。殿下の身柄は、私が一時的にお預かりしている。よって、もし何かがその身を害そうとするのであれば、私と我ら黒影騎士団が対処する、そう覚えておくといい」


 そう、アシュレイ様が釘を刺しますが、見た感じでは戸惑いこそあれ、そのような邪な考えを持つ者は居なさそうで、ほっと一息つきます。

 恐れていた事の一つ……私の正体を知った者が、よからぬ事を考えたりしないかという不安はありましたが、どうやらこの場では杞憂だったみたいでした。


「『世界の傷』自体は、この場を凌ぎ切った後、私達でどうにかする。だから、皆には町の防衛に全力を尽くし……私達を、『傷』の元まで送り届ける手助けをしてほしい……このとおりだ」

「どうか……皆様の力を、お貸しください」


 兄様と二人、頭を下げる。シン……と静まり返ったまま、何分にも感じるほど長い数秒が経過しました。


「……どうか頭をお上げください、ソールクエス殿下、イリスリーア殿下」


 不意に、掛けられた声。

 顔を上げると、何度か話をした衛兵の隊長さんが、目の前に居ました。


「元々これは、この町を守るというのは、私達がやるべき仕事。それに手を貸してくれるというお二人に感謝こそすれ、頭を下げさせるようなことはできません……私共こそ、どうか、お力をお貸しください。この通りです……!」


 隊長さんが頭を下げる。元々この町の衛兵だった者たちを中心に、周囲の皆も同様に。

 この場が人でごった返していなければ、平伏した者すら居たかもしれない、そんな様子でした。


「……分かった、共に、全力を尽くそう」

「だけど、これだけは約束してください……絶対に、無理はしないでください。生きてさえいてくだされば、私がなんとしてでも助けます……だからどうか、無事でいてください」


 手を組み、祈るように絞り出した言葉。この場の全員生き残るなんてことが難しいことくらいは分かっています。だけど、それでも……どうか死なないで、と。


 そしてそれは、私の想像を越えた劇的な効果がありました。


「……聞いたな、お前達! 聖女様、いや、姫様たってのお願いだ……皆、生きて、町を守り抜くぞォッ!!」

「「「「「おおおおぉぉぉおおぉぉおおおッ!!」」」」」


 その隊長さんの声に、一斉に上がる兵士たちの鬨の声。

 その声に驚いて、俯いていた顔を上げ、目の前の熱狂を呆然と眺めます。


 私が『イリスリーア』となる事で、他者の命が、私の言動一つで左右されるという責任が生じる事は怖い。

 向こうではただの一般人だった私に、これだけ多くの他人の命を背負う覚悟なんてあるはずも無い。今すぐ逃げ出したいのは変わりないです。


 ですが、そんな私にも、出来る事がある。少なくともこの場で、希望を与える事は出来た。意気軒昂な彼らの顔にはすでに悲壮さなど見当りませんでした。


「やれやれ……まったく男ってやつは」

「そう言うなって。こんな可愛いお姫様に頼られて、しかもこう心配までされちゃ、黙ってらんねぇのが男ってもんだろ」


 戸惑う私の後ろで、二人がそんな軽口を叩いている。


「そんなものかね……でも、責任重大だな」

「はい……だけど、私も覚悟を決めます」

「俺達、だろ? 皆で無事、切り抜けるぞ」


 あとは、希望を見せた責任を取るだけ。その耳をつんざく大音量の中、私と兄様とレイジさんは、顔を見合わせて、誰からともなく笑いました。











 ――そして、それから三日後の朝。


 丁度、救援が到着する予定のその日……一人、敵の動きを監視していたガンツさんから、奴らが動き出したという連絡が入りました。

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