白の書

「当初の任務……不法入国者の排除は完了、これより我らは、王女殿下の護衛任務に就く」


 厳かに老騎士が指示を出すと、跪いていた周囲の騎士達はザッと立ち上がり整然と敬礼を返すと、キビキビと動き出した。


 その様子を呆然と眺めていると…ふと、視線を感じた。視線の元……老剣士は、じっと厳しい顔で俺を見つめていた。


 髪も、口周りを覆う口髭も真っ白で……すでに老齢に差し掛かっているはずなのに、引き締まり、がっしりとした体格には衰えは見られない。

 その眼光は全てを見透かしそうなほど鋭く、見つめられているだけでプレッシャーをひしひしと感じる程に力強い。


 ――もしかして、俺も不敬とかそういう事になる、のか……?


 そういえばずっと腕の中にいる、寝巻き姿のこの国のお姫様イリス。ずっと腕の中に抱いていたけれど……やべぇ、貴族社会の事なんざ分からないがアウトな気がする。

 不敬……そう言われて否定は出来ない。冷や汗を流しながら視線に耐えていると……


「ふ……どうやら、小僧の言っていた通り、筋は良さそうな若者だ。そう緊張するでない、お主に害意が無いことくらいは見れば分かる」


 厳つい顔を相好を崩し、まるで好々爺のような柔らかな表情になった目の前の老騎士に、ようやく肩の力を抜く。


「……って言われても、あんたにそんな風に睨まれると寿命が縮むぜ……」

「ふむ、これは失礼した」


 ――もうちょっと早く威厳しまって欲しかった、心臓に悪ぃわ……


「此度の王女殿下の救出と護衛……それと、これまでも守り抜いてくれた事、感謝する。若き剣士殿」

「ん? 俺の事、知ってるのか?」

「うむ、ヴァルターの小僧めは、私も個人的に連絡を取り合っておるからな。共に行動している王子や姫様が、記憶を失っている事も……お主らの事情は大体報告は受けている、安心するといい」


 ああ、なるほど……あのおっさんなら、こんな大物と知り合いでも全くおかしくないだろうなと納得する。

 しかし、あのおっさんを子ども扱いかい……


「……姫様は、一時は私共の所で保護していた故、私にとっても……その、不敬やもしれぬが、娘や孫のように思えてな……お主がずっと守ってくれておったのも聞いている、本当に、感謝する」

「い、いや、そんな大層な事は……いいから気にすんなって、俺としても、コイツを見捨てるなんてことはありえねぇからよ」


 ぽりぽりと頭を掻きながら、顔を上げてくれと頼む。俺は親友、今は……好きな奴を助けただけだから、お姫様を救った剣士扱いは……正直遠慮したい、背中が痒くなる。

 困っていると、救いの手は背後から現れた。


「お久しぶりです、アシュレイ様」

「これは……アイニ嬢も、壮健そうで何よりでございます……それにしても、密偵の真似事をしているとは聞いておりましたが、このような辺境にいらっしゃるとは貴女も随分なお戯れをなさっておられる」


 畏まってものをいう爺さん……元騎士団長の爺さんが頭を下げる。

 ……って、この人一体何者だよ。そりゃ綺麗な人だとは思うし、お貴族様って言われれば納得するけどよ。


「あー……あの、お知り合いで?」

「ええ、家族の関係で、少し」

「彼女……アイニ嬢は、先々代国王の側妃となられた方の妹御のお孫さん……現国王陛下の従姪じゃよ」

「……は!?」


 王族の関係者かよ!?


「……まぁ、その方は前々国王陛下が一目惚れして召し上げたというだけで、私自身は貴族でも王族でもはないですけれども」

「はぁ、それはまぁ……なんかすごいっすね」


 もうどうにでもなれという気分で投げやりに答える。なんだかもう、今日は色々ありすぎて許容量オーバーだ。

 そういえば、今朝に町長に呼び出されて、まだ一日経ってないんだよな……濃すぎだろ、おい。


「さて……姫様を夜風に晒しているわけにもいかぬ。お主たちは疲れておるだろう、姫様と共にその馬車を使うがいい、御者はこちらの若いのを出そう」

「それは……ありがたいですけど」


 正直俺も疲労でへとへとだ。ずっと走ってきて、しかもあの新技『剣軍』の消費ががっつりと効いている。


「でも、良いんですか? 意識のないハヤトや女の人のアイニさんはともかく、俺があんた達のお姫様の馬車に同席して」

「ふむ、本当はあまり望ましく無いのだが……アイニ嬢も同席するのであれば、私達は何も見なかった事にしよう、ここに居たのは旅の治癒術師殿で、姫様は依然行方知れずだと」

「ずいぶんと寛大なんだな、あんた」


 前騎士団総長、なんて言うからてっきり規律規律の堅物かと思ったが、厳しい外見によらず案外フランクな爺さんだ。ついつい、口調が崩れていく。


「むぅ、これでも一応忸怩たる思いはあるのだが……どうやら、お主が一緒のほうが安心らしいからな、仕方あるまい。だから……」


 ぽん、と肩に手を置かれた。


頼んだぞ、そう、、な」

「あ、ああ、分かった……わかりました、ハイ……」


 ぎりぎりと痛む肩に冷や汗を流しながら、何とか、そう言った。


 ――ああ、よくわかったぜ……この爺さん、孫が大事で大事で仕方ないとかいうアレだ。


 とりあえず、目の前で軽率な行動はやめよう、斬られる……そう、嫌な予感と共に心に決めた。











 結局、持ち主が連行されたためその場に残された、町長が逃走に使っていた馬車は、ありがたく俺らが使わせてもらうことになった。


「全くもう……アシュレイおじさまも、あっさりバラすんですから……」


 ぶつぶつと愚痴りながら乗り込んできたアイニさんが、しかしすぐにイリスの容態を確か始める。やはり悪化しているのだろう、その顔は少し厳しい。


「すっかり夜風に当たってしまって……体が冷えたせいか、症状も悪化していますね、これは……戻ったら数日は絶対安静ですね……」

「すみません、またお世話になります」


 心なしか折角下がり始めていた体温もまた上がっているようで、さらにあの首輪のせいで衰弱も激しそうだ。

 汗で額に張り付いた髪を剥がして払ってやりながら……改めて反対側の席に腰掛け、ハヤトを膝枕しているアイニさんの方を見る


「それにしても、仲いいんですね、ハヤトと」

「そうでしょうか? でも、一月も一緒に過ごしていましたし、もうすっかり一緒に居ない生活も考えられませんので、そうなのでしょうね」


 まるで、手のかかる弟を見守る優しい姉のような表情で、眠るハヤトを見つめるアイニさん。湿らせたハンカチで傷を拭う手つきがやたら優しいというか……もしかしてこの人……


「……年下趣味っすか?」


 気温が、何度か下がった気がした。

 ……あ、やべ、口が滑った。内心で考えてた筈の、言うつもりでなかった発言が口をついて出ていた。


 ギギギ、と音がしそうな動きでアイニさんの方を見ると……


「あら、そういう事を仰るのですね」


 ……あ、ヤバい地雷踏んだ気がする。

 言外に「黙れロリコン」と言われた気がしないでもないが、それどころではない。笑顔の筈なのに目を見ているだけで震えが止まんねぇ、なんだこれ。怖ぇ。


 そんな彼女は、俺の心境を知ってか知らずか、にっこりとどこかイタズラっぽい笑顔を向けてきた。目は笑ってねぇけど。


「ふぅ……それにしても……先程のレイジさんはとても情熱的で、私、少々その子が羨ましかったですわ」

「は……? 一体、何の……」

「えぇと……『こいつは、俺のだ』……でしたっけ?」

「……は!? なんだ、そりゃ……俺が!?」

「ええ、あと、『俺の女に手を出してるんじゃねぇぞ、クソ野郎』……でしたっけ? あら、私としたことがクソだなんてはしたない」

「待て、待て待て、ちょっと待ってくれ、それは咄嗟というかその時のノリというか……!」

「ふふ、照れなくても……私も、一度はこういうことを言われてみたいですわね」

「わかった、悪かった! これくらいで勘弁してくれマジで……!!」


 イリスもたまに意識が浮上してるかもしれないのに、今目覚められたら、俺は、俺は……!?


「あの、このことはくれぐれもイリスには……」

「ふふ、言ってあげれば喜ぶかもしれませんよ」

「勘弁してくれ……」


 元は同性の親友からそう言われても、こいつも困るだろ……というのは言い訳で、言ったら最後、何らかの形に関係が変わるのがまだ怖い。


「まぁ、尤も……『私は言わない』としか約束しませんけれど」

「ん? 何か言いました?」

「いいえ、何でもないですわ。それより……」


 急に居住まいを正したアイニさん。何か大事な話の気配がし、俺も釣られて背筋を正す。


「一つお聞きしたいのですが……その子は、『光翼族』で間違いない、ですよね?」

「……っ、何を……!?」

「……その反応、間違いないようですね」


 どうやらすでにこの事は確信していたようで、今のはただの確認だったらしい。

 目の前の彼女に特に驚いた風もなく、話が続く。


「では、お聞きしたいのですが……立派な装丁だけれど、中身は何一つ書かれていない真っ白な本、という物を見たことは無いでしょうか?」

「は? ……なんだ、そ……れ…………っ!?」

「……どうやら、あるようですね?」

「いや、待て、多分気のせいだ、そんなはずは……」


 ――ある。見覚えは、あった。


 ゲーム……『Worldgate Online』時代に、一回だけ、見た……


 でも、あれは向こうのゲームの……「ゲームのオブジェクトのグラフィックデータ」でしかないはずだ、それが……


「……いや、やっぱり気のせいだと思います……それが、どうかしたんですか?」

「ええ……実は、私が暮らしていた場所を出て、こうして密偵なんてやっている理由でもあるのですが」


 少し、何かを言うのを躊躇った……というより、馬車の外の耳を気にしたか、この人? 


「それは、名をそのまま『白の書』と言います。ですが、盗まれたのです。厳重に封印されていた、私達の暮らしていた里から……二十五年前のある日、忽然と。それも、前国王……『魔道王』アウレオリウス陛下が謎の失踪をなさる、その数日前に」


 二十五年前。


 俺――いや、イリス……柳の生まれた前年。


 偶然と言ってしまえば、それまでの事。だけど……何かが引っ掛かっている。俺達の生まれた前の年、たしか何か大きな出来事があったはずなんだ。何か大事なことを忘れているような……どうしても、偶然とは言い切れない、何かモヤモヤしたものが、わだかまりとなって俺の中に残っていた。


 ――だがしかし、次に続く言葉が、そんな葛藤を吹き飛ばした。


「それは……最後の光翼族、『御子姫』と呼ばれた女系一族の、最後の一人の魂を封じた……光翼族を作り出す為の魔導器――そう、伝えられています」





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